巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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探偵小説 無惨   小説館版

黒岩涙香 作 トシ 口語訳

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       探偵小説 無惨     涙香小史 作

       下篇(氷解)ー2 母親の誘い

 
 (母)お前は先ア、私にも云わずに居無く成って、それ切り便りが無いから、何所へ行ったかと思ったら、先ア、東京へ、先ア、そうして、先ア、金起さんも、先ア、寧児、覚えて居るだろう。是が毎(いつ)も云うお前のお母さんだよ。

 お父さんはお前を貰い子だと云う筈だ。此れがお前の本当のお父さん、私は先ア、前(さき)へ云わなければ成らん事を忘れてサ。お紺や、未だ知ら無いだろうが、用心しなければ了(いけ)ないよ。

 東京へ来たよ、親指《陳施寧》が。私もアノ儘(まま)世話に成って居て、此の通り東京まで連れられて来たがな、今でもお前に大残りに残って居るよ、未練がサ、親指は、お前が居無くなった時は、何れほど怒ったことか。私まで叩き出すって、チイチイパアパア言ったがネ。

 腹が立った時は少しも分からんネ、言うことが。でも、後で私しを世話して置けば、早晩(いつか)お前が逢い度く成って、帰って来るだろうって。惚(ほ)れたら執着することは、日本人以上だネ。

 「そうして、今は何所に。」
 「ア、そう本郷に奉公。」
 「ア、そう。可愛相に金起さんも一緒かえ。」
 「ア、そう、金起さんは横浜に。」
 「ア、そう、別々で逢う事も出来ない。」
 「ア、そう。親指《陳施寧》の来た事を聞いて。」
 「ア、そう、可哀想に、用心の為、分かれてか。」
 「ア、そう。今日久し振りに逢って。」

 「ア、そう。可哀想に。それでは、お前、こうお仕な。今夜はネ、家(うち)へ来てお宿(泊)りな。金起さんと二人で、ナニ浮雲(あぶな)い者か。昨日、横浜へ行って、明後日で無ければ帰らんよ。イエ、本当に恐い事が有る者か。」

 「イエ、お泊りな、お泊りよ、若し何だアネ。帰って来れば、三人で裏口から駆け出さアネ。ナニ寧児だって大丈夫だよ。多舌(しゃべり)や仕無いよ。本当のお父さんとお母さんが、泊まるのだもの。多舌(しゃべり)するものか。ネエ、寧児。」

 「此の子の名前は日本人の様で、呼び易くッて好い事だネ。隣館(おとなり)の子は、矢ッ張り合いの子で、珍竹林と云うのだよ。可笑しいじゃ無いかネエ。だから私が一層の事、寧次郎とするが好いと云うんだよ。来てお泊りな。裏から三人で逃げ出サアネ。」

 「イエ正直な所は、私ももう彼処(あそこ)に居るのは厭で厭で成らないの。お前達と一緒に逃げれば好かった。アア、時々そう思うよ。今でも連れて逃げて呉れれば好いと、イイエ、口には云わないけれど、本当だよ。来てお泊りな。エお前、今夜も明日の晩も大丈夫。」

 「イエ、月の中に二、三度は、家を開けるよ、横浜へ行ってサ。その留守は何(どん)なに静かで好いだろう。是からネ、その様な時には逃さず手紙を遣るから、来てお泊りよ。二階が広々として、エ、お出でなネ。お出でよ。お出でなね。お出でよう。」

 母は独りで多舌(しゃべり)立て、放す景色も見えなかったので、妾も金起もツイその気になり、此の夜は大胆にも、築地陳施寧の家に行き、広々とした二階に寢て、次の夜も又泊まり、翌々日の朝に成り、寧児には堅く口留めして帰った。

 此の後も、施寧の留守と為ること分かるたびに、必ず母から前日に、妾の許へ知らせて来るので、妾は横浜から金起を迎へ、泊まり掛けに行った。

 若し母と寧児さへ無かったなら、妾は、この様な危うい所へ、足踏みもする筈は無いけれど、妾の如き薄情の女にも、母は懐かしく児は愛らしい。一つは母の懐かしさに引されたからだ。だから、その留守が、前日から分からなくて、金起を呼び迎える暇が無い時は、妾、唯一人で行った事も有った。

 明治二十年の秋頃から、今年の春までに、行って泊まった事は、凡そ十五度(たび)も有る程であった。今年夏の初め、妾は余り屡々(しばしば)奉公先を空けるため、暇を出されて、馬道の氷屋へ住込んだが、七月四日の朝、母から

 「親指《陳施寧》は、今日午後五時の汽車で、横浜へ行き、明後日まで確かに帰らないから、きっとお出で、待って居る。」
との手紙が来た。

 妾は暫(しばら)く、金起に逢っていなかったので、恋しさに堪えられなかったため、早速横浜へ端(葉)書を出したところ、午後四時頃、金起が来たので、直ぐに家を出て、少し時刻は早かったので、或る処で夕飯を食べ、酒など飲んで時を送り、漸(ようや)く築地に着いたのは、夜も早や十時頃だった。

注;合いの子・・・混血児

次(下篇(氷解)ー3)へ

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