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探偵小説 無惨   小説館版

黒岩涙香 作 トシ 口語訳

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      探偵小説 無惨     涙香小史 作

      上篇(疑団)ー2 探偵 谷間田

 人殺しは時々あるが、これ程無惨な、これ程不思議な、これ程手掛かりが無い人殺しは、その類は少ない。だから、その日一日は、到る所、此の人殺しの噂をしない所は無かったが、都会は噂の種の製造所である。翌日は、他の事の噂に口を奪われ、全く忘れたかのようだ。

 独り忘れないのは、最寄警察の刑事巡査である。死骸が発見された朝、まだ暗い頃から、心を此の事にのみ置いて、身を此の事にのみ使った。心を集中させ、身を使ったが、少しもに手掛かりが無いのが悲しい。 刑事巡査、世間では普通に探偵と言うが、世に是ほど忌(い)み嫌われる職務は無く、又之れほど立派なる職務は無い。

 忌み嫌われる所を言えば、我が身の無慈悲な心を隠し、友達顔を作って人に交わり、親切顔をして、その人の秘密を聞き出し、それを直ぐ様、官に売附けて世を渡る。外面(げめん)如菩薩、内心如夜叉とは、女の事では無い。探偵の事である。

 切り取り強盗、人殺し、牢破りなどと云う、悪人が多くなければ、その職は繁盛しない。悪人を探す為に、善人を迄も疑い、見ぬ振りをして偸(ぬす)み視(み)、聞かぬ様をして偸(ぬす)み聴(ぎ)く。

 「人を見れば盗坊(どろぼう)と思え」と言う、恐ろしい誡めを職業の虎の巻とし、果ては疑うに止まらないで、人を見れば盗坊(どろぼう)で有って欲しい、罪人であって欲しいと、祈るにも至ることだ。

 此の人が若し、謀反人ならば、吾れが捕らえて、我が手柄にする者を。此の男、若し罪人ならば、我れは密告して、酒の代に有り附く者を。
 頭に蠟燭は戴(いただ)いて居ないが、見る人毎を呪うとは、恐ろしく縁起の悪い職業である。

 立派と云う所を云えば、これ程まで人に憎まれるのを厭(いと)わず、悪人を見破ってその種を淘汰(とうた)し、以て世の人の安きを計る、所謂身を殺して仁を為す者、是ほど立派な者があるだろうか。

 五日の朝、八時頃の事、最寄り警察署の刑事巡査詰所で、二人の探偵が熱心に語らっていた。一人は年四十頃、デップリと太って、顔には絶えず笑みを浮かべている。此の笑み、見る人に由って、評を異にし、愛嬌ある顔と褒める人も有る。人を茶化した顔と貶(そし)る人も有る。

 公平な判断は、上向けば愛嬌顔、下へ向けば、茶化し顔であると言える。名前は谷間田(たにまだ)と人に呼ばれる。紺飛白(こんがすり)の単物(ひとえもの)に博多の角帯、数奇屋の羽織は、脱いで鴨居の帽子掛けに釣るしてある。無論、官吏とは見え無いが、商人とも受け取り難い。

 今一人は、年二十五、六、小作りにして機転の聞く顔附きである。白き棒縞の単物(ひとえもの)、金巾(かねきん)のヘコ帯び、何(ど)う見ても、一個の書生であるが、ここに詰めて居る所を見れば、此の頃、谷間田の下役に任命された者に違いない。此の男、テーブル越しに谷間田の顔を見上げて、

 「実に不思議だ。何う云う訳で誰に殺されたか、少しも手掛かりが無い。」
 谷間田は、例の茶かし顔で、
 「ナニ手掛かりは有るけれど、君の目には入らないのだ。何しろ東京の内で、何家にか、一人足りない人が出来たのだから、分から無いと云う筈は無い。早い譬(たと)えが、戸籍帳を借りて来て、一人一人調べて廻れば、何所にか一人不足して居るのが、殺された男と、先ずこう云う様な者サ。

 大鞆(おおとも)君、君は是が初めての事件だから、充分働いて見る事だ。こう云う難しい事件を引き受けなければ、昇進は出来ないゼ。

 (大鞆)そりゃ分かって居る。「盤根錯節(ばんこんさくせつ)を切らんければ、以て利器を知る無し」だから、難しいのは、ちっとも厭(いとい)はせんサ。けど何か手掛かりが無い事にやー、先(ま)ア、貴方の見た所では、何の様な事を手掛かりとしますか。

 (谷)「何の様な事と言うなら、何から何まで皆手掛かりでは無いか。
 第一顔の面長いのも、一つの手掛かり、左の頬に痣の有るのも亦手掛かり、脊中(せなか)の傷も矢張り手掛かり。

 先ず傷が有るからには、鋭い刃物で切ったには違い無い。左すれば、差し当たり、刃物を所持して居る者に目を附けると、まアそう云う様な具合で、その目の附け所は、当人の才不才と云う者。

 君は日頃から、仏国(フランス)の探偵が何(ど)うだの、英国(イギリス)の理学はこうだのと、洋書を独りで読んだ様な理屈を並べるから、是も得意の論理学とか云う者で、割り出して見るが好い。アハハハ。何とそうでは無いか。」

注;淘汰(とうた)・・・不要のものを取り除く事。生物のうち、環境、条件などに適応するものが残り、そうで無いものは死滅する現象 

注;「盤根錯節(ばんこんさくせつ)を切らんければ、以て利器を知る無し」・・・・①複雑に入り組んだ根や木の節を切ることで、初めて刃物の切れ味が分かる。

  ・・・・②紛糾して解決の難しい事案に直面すると、これに当たる人間の手腕や才能を知ることができる、という意味。(ことわざ、格言、故事一覧)より

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