muzan4
探偵小説 無惨 小説館版
黒岩涙香 作 トシ 口語訳
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探偵小説 無惨 涙香小史 作
上篇(疑団)ー4 賭場での犯行
大鞆は心の底で、
「ナニ、生意気な。人を試すなどと、その手に乗る者か。」
と嘲(あざけ)り畢(おわ)ッて、
「それなら本当の所、アレハ何の傷です。」
(谷)それは未だ、僕にも少し見込が附かないが、先ず静かに聞きなさい。兎に角、こう種々様々の傷の有る所を見れば、好いかえ、好く聞きなさい、一人で殺した者では無い、大勢で寄って襲(たか)って殺した者だ。
(大)成る程。
(谷)シテ見れば、先ず曲者は幾人も有るのだが、併し、寄って襲(たか)って殺すには、何うしても、往来では出来ない事だ。
(大)そりゃ何う云う訳で。
(谷)何う云う訳って、君、聞きなさいよ。
(大)又聞きなさいですか。
(谷)イヤ先ず聞きなさい。往来なら逃げ廻るから、それを追掛(おっか)ける中には、人殺し、人殺しと必ず声を立てる。その中には、近所で目を醒ますとか、巡査が聞き付けるとかするに極まって居る。
(大)それでは野原ですか。
(谷)サア、野原と云う考えも起こる。併し差し当り、野原と云えば、日比谷か海軍原(かいぐんばら)だ。日比谷から死骸を、アノ河岸(かし)まで、擔(かつ)いで来る筈は無い。又海軍原でも無い。と云うのは、海軍原へは、矢鱈(やたら)に入ることは出来ない。又隅から隅まで探しても、殺した様な跡は無い。
それに一町(109m)ばかり離れた或る家の塀に、血の附いて居る所を見ても、海軍原で殺して、築地三丁目の河岸へ捨てるのに、一町(109m)も外へ舁(かつい)で行く筈も無い。
(大)それでは、家の内で殺したのかな。
(谷)先(ま)ア、聞きなさいと云うのに。そうサ、家の内だとも。家の内で殺したのだ。
(大)家の中でも、矢張り騒がしいから、近所で目を醒ますでしょう。
(谷)ソオレ、そう思うだろう。素徒(しろうと)は、兎角そう云う所へ、目を附けるから仕方が無い。成るほど、家の中でも、大勢で人一人殺すには、騒ぎ廻るに違い無い。従って又、隣近所で目を醒ますに違い無い。
其所(そこ)だよ。隣近所で目を醒ましても、アア、又例の喧嘩かと、別に気にも留めずに居る様な所が、何所にか有るだろう。
(大)それでは、屡々(しばしば)大喧嘩の有る家かナ。
(谷)そうサ、屡々(しばしば)大勢の人も集まり、又屡々大喧嘩も有ると云う家が有る。その様な家で殺されたから、隣近所の人も目を醒ましたけれど、平気で居たのだ。別に咎めもせずに捨てて置いて、又眠って仕舞ったのだ。
(大)併しその様な大勢集まって喧嘩を、屡々(しばしば)する家が何所に在ります。
(谷)是ほど言っても、未だ分からないから、素徒(しろうと)はそれだから困る。先(ま)ア少しは考えても見なさいよ。
(大)考えても僕には分からないですよ。
(谷)刑事巡査とも云われる者が、是位(これくらい)の事が訳(わか)らんでは仕方が無いよ。賭場(どば)だアネ。
(大)エ、ドバ、ドバなら知って居る。仏英の間の海峡。
(谷)困るなア、冗談ぢゃないぜ。賭場(どば)とは、博奕場(ばくちば)の喧嘩だアネ。そうサ、博奕場の喧嘩で殺されたのよ。博奕場だから、誰も財布の外は何も持って行かないのさ。
サア、喧嘩と云えば、直ぐに自分の前に在る金を、懐中(ふところ)へ掻込(かっこ)んで立ち、その上で相手に成るのが、博奕など打つ奴の常だ。其所(そこ)には仲々抜け目は無いワ。
アノ死骸の当人も、矢張りそれだぜ。
詳しい所までは分からないけれど、何でも傍に喧嘩が有ったので、側中の有り金を引浚(ひっさら)って、立とうとすると、居合せた者共が、銘々にその一人に飛び掛かり、初めの喧嘩は扨(さ)て置いて、俺の金を何うしやがると云う様な具合に、手(て)ン手(で)ンに奪い返す所から、一人と大勢との入り乱れと為り、踏まれるやら打たれるやら、何時の間にか、死んで仕舞ったンだ。
それだから持ち物や懐中物は、一個(ひとつ)も無いのだ。エ、何うだ。恐れ入ったか。」
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