巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou108

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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        第百八回 一人来た白人は何歳位か

 如何にもこの様な野蛮人に取っては、墨を用いずに字を書く事は魔法の様に思われるに違いない。芽蘭(ゲラン)男爵が鉛筆を以て、忽(たちま)ち此の王を心服させた頓智は驚くの外は無いと雖も、是を以て考えて見ると、男爵が如何に困窮の有様であったかを察するに足りる。

 多分男爵は使い古した鉛筆の外、一物をも持って居なかったのに違いない。鉛筆は旅行家に取り、一刻も手離し難い品なのに、是より外に贈ることが出来る品が無かった為め、止むを得ず贈った者に違いない。平洲も茂林もこの様に思って、当時の男爵の憐れむべき状況を、歴々(まざまざ)と目に見る様な心地にせられ、暫(しばら)くは無言で居たが、王は語を継ぎ、

 「彼の白人は御身等の何であるか。」
と問う。傍(そば)には魔雲坐王が聞き耳を立て、耳を澄まして居たので、父だと答えるしかなかった。
 茂「彼れは我等の父である。」
巖如郎は驚いた様子で、
 「何に、父とな。父とな。」
と問返えした。

 さては此の王、男爵が年がまだ若い事から、一同の父で有る筈は無いと疑い、この様に驚いて問う者なのだろうか。若し此の怪しみを魔雲坐王に悟られては、今まで彼れを誘って来た一同の偽りが暴露する譯なので、茂林は必至の思いで、

 「勿論父である。我等は何で父で無い者を、父だと偽る様な事をする筈があろうか。」
と念を推した。巖如郎は
 「左様であるか。」
と頷(うなず)くと、心敏(さと)き魔雲坐王は簡単には聞き流さず、直接に巖如郎に向かい、

 「何か其の白人を、此の人達の父では無いと思う所があるのか。」
と問う。アア巖如郎はどの様に答えようとするのだろう。其の返事一つで一同は、魔雲坐の部下の兵に、生きながら喰われる事ともなるだろう。巖如郎はゆっくりと、

 「イヤ父では無いと思う様な事では無い。」
と云う。一同はホッと安心すると、魔雲坐は更に深く、
 「しかし年齢は何れ位か。果たして此の人の父である様な年頃であるか。」
 何とその問う事の鋭いことか。

 巖「思い返して見ると、髯(ひげ)が蓬々と生え茂り、顔にも多少の皺があり。肉も痩せて居た。定かには知り難いが、此の艶々して若い人達の父には充分な年頃と見えた。」

 巖如郎が此の様に答えた事は誠に天の助けと云える。しかしながら髯が蓬々と茂って居たことと云い、痩せて皺があったなどと云うのを見れば、男爵が長の旅に疲れ、且つは病後の疲れ、且つは病後の窶(やつ)れ方が甚だしかったと知られる。

 以前から写真に見、又夫人から聞いた所に由れば、男爵は、平洲、茂林等より僅か三、四歳の年上であるに過ぎず、特に髪が黒く顔色は艶々しい質だとの事であるので、白髪と為って顔も老人と見紛(みまご)う許りに老けた事は、云う迄も無く艱難に苦しんだが為である。

 実に男爵がアフリカに入ってからの数年の生活状況を考えると、艱難の数は常人の五十年よりも多かったのに違いない。平洲、茂林よりも夫人自らはこの様な事を思い廻(めぐら)せて、殆ど情に耐えられない有様である。

 独り此の中に在って、下僕與助のみは何やら嬉しそうに微笑んで止まなかったので、寺森医師は小声で之を咎(とが)め、
 「何だお前は、何を其の様に喜ぶのだ。」
と云うと、

 「是で私の手柄が皆様に分かりました。皆様が男爵の子の様に若く見られるのは、私が一緒に居て髯を剃り髪を刈りなどして上げた為ですよ。私を間抜けなどと時々お叱り成されるけれど、私が居無くなろう者なら、お三人とも髯(ひげ)が蓬々生え茂り、男爵よりも一層年上に見られるかも知れません。此の旅行の手柄は恐らく私が第一等でしょう。」
と云う。

 成る程一応の道理は有るが、この様な事を言い立てるべき場合では無いので、茂林は此方から目を以て叱り止めた。
 魔雲坐は更に巖如郎に向かい、
 「併(しか)し顔形は果たして親子の様に相似ていたのか。」

 巖如郎は熟々(つくづく)と平洲、茂林の顔を見た後で、
 「そうですね。余は彼の白人をば非常に鼻の高い人と思ったが、此の人々も又鼻が高い。其の外にも似た所は甚だ多い。此の人々が若し先の白人ほど年を取ったならば、必ず同じ容貌と為るに違いない。」
と答えた。

 是れも又天幸ではあるが、初めて白人を見る人は、何(ど)の顔も此の顔も殆ど同じ様に思う事は、他人種の国に旅行した人が、皆実験して知った所なので、巖如郎もまだ白人に慣れないだけ、非常に相似た者と思うに違いない。

魔雲坐は又、
 「然らば御身は初めて此の人々が其の白人を父であると云った時、何故に驚き怪しむ様子を為したのか。御身は二度までも繰り返して、
 「父とな。」
と問うたでは無かったか。

 アア愛情は極めて疑い深い者である。魔雲坐王が鋭敏の君とは云え、本来心の粗雑な野蛮人として、尋常の場合ならば、この様にまで精密な問を発し得る筈は無いけれど、唯だ彼は、芽蘭夫人に満腹の愛を注ぎ、日々にその情が募って来て、今は少しの事にも心配する程と為っていたので、知らず知らずその心が疑い危ぶむ方へばかり延びて来た者に違いない。

 巖如郎は之に答え、
 「一年も経たない中に、白人が二回まで此の国に来たのみでなく、前の白人の子であると聞いたため、余は唯だ驚いたのだ。子が尋ねて来るだろうとは少しも思いも寄らなかったからだ。」

 誠に巖如郎の言葉は一々、一同の望む通りに出て来たので、魔雲坐も全く疑いを解き、非常に安心して身を引いた。今まで情に堪え得ずして一言だも発しなかったい芽蘭夫人は、何よりも夫の身の上が心配されるので、今は忍びかねた様に自ら巖如郎の前に出て、

 「それでその白人は今も貴方の許に逗留して居ますか。」
と問い掛けた。



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