巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou122

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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        第百二十二回 余を捨てて帰れ

 この様な凶暴な美人軍が有る事は、今までの旅行者は、一人も探り出した事は無い。諸君も之を知ら無い為め、余を救う事が出来得る事の様に思うことだろう。
 諸君、願わくは帰国して此の事を地学協会に告げよ。この様な凶暴な軍が有ると知れば、確かに諸君が此の国に入らずに引き返した事を無理は無いとするだろう。 此の国に入る事は死地に入る事である。一点の事理を理解しない無謀な人である。余は誠心誠意、切(せつ)に諸君が余を捨て去る事を祈る。
 余を見捨てる事は、諸君は或いは情に於いて、忍びないかも知れない。否々(いやいや)忍びない所は無いのだ。

 余は今や幾分か捕虜の境遇に慣れ、それ程までの苦痛をも感じないのみか、実はこの地に一種の目的が有る。他では無い。生命の続く間は屈せず挫けず、人である者の道を説いて、野蛮人の心を啓(ひら)き、幾分なりとも此の地の悪風を改め、その残酷な所行を捨てさせ、以て年々虐殺せられる無辜(むこ)《何の罪も無いこと》の徒を助けようとすることである。

 四海兄弟一視同仁《全ての人を区別なく平等に愛すること》の心を以てすれば、この様な絶域の民であっても、憐れまなくてはいけない事は同じである。此の憐れまなくてはいけない事を憐れんで、幾らかでも之に文明道徳の緒口(いとぐち)を認識させ、善悪の区別を理解させる事は誰の仕事だ。

 正しく文明国人の仕事である。しかしながら文明の国人は、到底入り込む事は出来ない。唯だ偶然に入り込む事が出来た余の様な者が、自らその仕事に当たらなければ、入り込むのに道の無い他の人が、どうして此の仕事に当たる事が出来様か。

 諸君よ、願わくは余をして此の仕事に当たらせるように。余は此の様な善事に身を委ねると思えば、此の地に入り込んだ事に悔いは無い。此の地に捕虜として勾留《一定の場所に留め置く事》せられる事を厭(いと)わない。人が多くて余で無くても事が足りる本国に帰るよりも、此の地の方が人を益する道を行う功績を多く遂げる事が出来ることを知るからだ。

 道無き国に道を説き、生涯を此の憐れむべき同胞の為に捨てれば、余は国を捨て、家を捨て、妻を捨てて此の地に入り込んだ一身の罪をも、幾分か償(つぐな)う事が出来ると信ずる。諸君帰国の上は余が妻をも尋ねて、此の書を知らせて示めせ。妻は必ず余が諸君に救われるよりも、道理の為に此の地に死する事を喜ぶだろう。

 余の友にも地学協会にも之を示せ。皆必ず余が帰国するよりも、此の蛮民に道徳を教えて、朽ち果てる事を、余の本文であると賛成するだろう。
 余は少なくても此の土地の人民に、他国人を憎むべきでは無い事を教え、追っては文明国の人も自由に入り込む事が出来る迄に道を開こう。

 その時には本国から余に優る真の伝道師も入り込む事が出来るだろう。又余を救おうとする諸君と言えども、再び来て安全に余を救い出す事が出来るようになるだろう。その時にこそ余は救われよう。否救われ無くても、その時には輪陀女王の許しを得て、無事に此の国を去る事も出来、又南進して未知の地に入り、此の国の様な憐れむべき国を求めて、再び道徳の光を広める事に身を委ねる事も出来るだろう。

 一旦世路(せじ)《世の中の道》を踏み誤まって、この様な境遇に立ち至った余に取っては、此の外に我が道とするべき道は無い。
 余は此の心で当地の言葉をも学び、今は大方の事を自由に話す事が出来る様に為り、既に女王の傍に集う朝廷の人々に対し、一両度道徳を説き、説教を試みたところ、彼等は連関する思想の順々と言葉に現れることを聞いた事が無いので、殆ど理解する事は出来ない様子だが、それでも珍しい事に思って大いに聞く事を喜んでいる。

 今は珍しいとして聞いて居るけれども、遠からずして意を味わって聞く様になるに違いない。既にその中の少し心力の進んだ者は、余が意の所々を理解して、後には質問を試みる者も有る。女王までも余が心に動かされ、徐々に国政を改(あらた)めるに至る事は、必ずしも見込みが無い事では無い。

 諸君が若し余が知って居る丈の此の国の悪しき習慣を知ったならば、必ず余が此の様に決心したことは止むを得無い事だと悟ることだろう。
 試みに其の一を言えば、此の国に一種の禁厭師(まじないし)と称すべき者が居る。人は之を神の様に思い、吉凶之に問う事を常としている。

 問うには必ず供物として美女を捧げる。事の大小に応じ一人を供えることもある。或いは数人を捧げる事もある。唯だ禁厭師(まじないし)の命ずる儘(まま)である。是等の美女は一夜若しくは二夜を経て、忽(たちま)ち禁厭師に殺され、肉は食料としてその徒弟に切分けられる。

 アアこの様な悪習を許して置かれるべきか。国中の女は、強壮な者は悉(ことごと)く美人軍に狩り入れられ、軍に耐えない虚弱者は、多く禁厭師の玩弄(がんろう)《なぶりもの》と為り餌食と為る。しかも国政は之を以て美人軍を盛んにする手段と認めて居る。

 餌食と為る恐ろしさを避けるには、殆ど美人軍に加わる外は無い。しかも更に之より甚だしい事がある。
 余はこれを記述することでさえも身の毛がよだつのを覚える。



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