巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou139

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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      第百三十九回 軍神石が破裂した原因

 敵も我も唯だ騒ぎに紛れた際なので、芽蘭(ゲラン)夫人の身が如何(どれ)ほど危ういのかは何人も気付かず、平洲、茂林等も唯だ夫人が余念も無く男爵を介抱している者と思い、その背後に輪陀女王が何をして居るのかなどは目を留めて見ようともしなかった。

 何さま軍神石が破裂して、敵幾万を圧殺した事は驚くべき限りなので、平洲も茂林も、その他の部下一同と同じく、その方にのみ眼を注ぎ、知らず知らず訝(いぶ)かしさに駆られて馳せ近づくばかり。近づく中にも戦争の余波は如何(どう)なっているかと見ると、今迄魔雲坐王の部下と入り乱れて、最も残酷な歯と歯の戦いに、肉切られ骨裂かれるのも厭(いと)わなかった男子軍の一部は軍神石の下から幾十間《数十m》離れていた為め、その祟りには遭わなかったが、空前絶後の大事件に、力と頼む美人軍を初め味方の大勢が一転瞬の間に絶滅したのを見て、何で戦いを続ける勇気があろうか。

 非常に悲しそうに非常に恐ろしそうに叫喚し、転げ転げて逃げ散れば、此方の兵としても、余り意外な出来事に気を奪われ、自分達が勝ったのか負けたのかをも知らない。逃げる敵を追おうともせず、四方をキョロキョロ見廻るばかり。

 石に打たれて死したる者、傷附いた者、幾百人なのかは知らないが、敵は全国を駆け集めての大軍なので、全て死んだのでは無い。山を下りて未だ軍神石の下まで来て居なかった者。まだ山を降りて居なかった者等は多く無事であった。
 又軍神石の真下に在った美人軍の中にも、石を外れて助かった者が少なく無かった。

 しかしながら彼等は唯だ身体が助かったと云うばかりで。心は恐れに掻き乱れ、手で歩むべきか足で歩むべきかすら忘れた様に、大地に平伏する者も有れば、平伏する者を踏み越えて逃げようとし、その身が又後から押し倒されて踏み越えられる者も有った。

 恐怖の念は風の様に全軍を吹き捲くり、全軍宛(さ)ながら波の様に乱れ、揉まれ揉まれて逃げ散った。彼等は日頃軍神石をば、軍(いくさ)の生命の様に思い、此の石の保護さえ得れば、戦って勝たない事は無しとまで尊崇しているので、その石は何の原因も無く砕けたばかりか、数多の兵を打ち潰したので、全く軍神石が怒った為として、此の国が終滅する時が来たと思うからだ。

 「彼等が弓をも捨て矢をも捨て、唯身を軽くして逃げ、一足も早やいことを欲する様は、彼等が全く絶望して、此の国は今日あるものの、明日無しとまで思って居る事は察するに足るも、多少は火薬の匂いが有るでは無いか。四辺(あたり)が血腥(なまぐ)さく成って居る為め、充分には分からないけれど、良く気を附けて空気を嗅いで見給え。」

 「成る程そうだよ、シテ見れば全く南から来る探険隊が我々を助ける心無しに、偶然我々を助けたのだ。それにしても我等はその探険隊を命の親として深く謝しなければならない。」
 「実にその通りだ。全く我々の救命主だ」
と言って、有る無しさえまだ定まって居ない架空の恩人の徳を賞賛する折しも、軍神石の割れ落ちた崖の上に現れ出でた両個(ふたり)の人があった。

 全くヨーロッパの服装であるのは、今しも推量した様に、一種の探険隊なのは明らかである。万里の絶域で、しかもこの様な非常な場合に、この様な人に廻り逢うとは嬉しさの限りなので、平洲と、茂林とは殆ど慈母に駆け寄る赤子の様に、崖の下を指して走って行った。



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