巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou14

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2020.4.25


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       第十四回 夫人の侍女帆浦女

 男子も及ばない女旅行家とは誰だ。
人を泣かせた、阿蘭陀(オランダ)の帆浦緑女である。この女は身分も低く教育のほうも充分に受けてはいない。心は世間一般の侍女と同様であるが、唯だ身体が丈夫で、特にその足の達者な事は男子にも珍しく、身の長(たけ)六尺《180cm》に垂々(なんなん)として、しかも体重は僅か百十斤(66Kg)に過ぎないと云えば、女としては此の上も無く背が高く、この上も無く痩せた人に違いない。

 曾(かつ)てタイネ嬢が、数多の賞を懸けてアフリカ行きの侍婢(こしもと)を募った時、如何なる蛮地へも入り込むと云い出したのは、唯この帆浦女だけで、その後嬢と共に幾万里を歩き通したが、籠(かご)に乗らず、駱駝に乗らず、馬と共に数十哩(マイル)を歩いても、その足が疲れると云うことを知らなかった。嬢から世界第一の健脚家との褒め言葉を得たと云う。

 是だけは誰もが知る事実で、その帆浦女は英国に帰り、然るべき人に縁附く積りだったが、どの人もこの女の余りに武骨なことに恐れ、我れこそ所夫(おっと)になろうと望む人が無かったので、する事が無いのに苦しんで、此の頃仏国に来て、アフリカ出立の以前に多少の世話を受けていた本目紳士の許などへ、出入りして居たとの事である。

 芽蘭夫人はこの履歴を聞き、それほど適当な侍婢(こしもと)とも思わなかったが、外に然るべき女が居なかったので、先ずは顔だけでも見て置く積りで呼び迎えたところ、成るほど噂に勝る頑丈な女子で、色の黒いことは欧羅巴(ヨーロッパ)の人とは思われなかった。傍らに居合わせた平洲と茂林は可笑(おかし)さを我慢する事が出来なくて、立って次の間に退いたが、平洲は書棚の奥から古い新聞紙の綴り込みを捜し出し、暫くめくり返した上、その電報欄を茂林に示し、

 「見給え、是が帆浦女とタイネ嬢に関する記事だ。」
と云う。見れば数年前のアフリカ発の電報で、
 「トウレツグの蛮族がタイネ嬢を襲って狼藉して、嬢を殺したが、嬢に付き添っていた黒人の女中一名は生け摛(と)られて、酋長の許へ連れて行かれた。」
云々とあった。

 茂林の読み終るのを待ち平洲は、
 「ここに黒人の女中と記して有るのが、アノ帆浦嬢だぜ。後に間違いが分かったのだ。」
 「成るほど、そう間違えられるのも無理は無い。」
と言って二人は抱腹絶倒するばかりだったが、その中に顔合わせも済んだので、再び元の席に帰り、改めて挨拶などをすると、帆浦女はこの旅行を何よりも楽しいと思っている様子で、曾(かつ)て旅行した経験を物語るが、宛(あたか)も自分がタイネ嬢を引き連れて行った様に話し、嬢に雇われた身だった事を、忘れたかのようであった。

 しかしながらその経験は、一同の心得ともなる事が多く、取り分け帆浦女の心掛けは非常に万事に行き届き、多少は大げさに言う癖があったが、胸の底に悪気はなく、気高い事は貴婦人の様で、猛きことは獅子の如く、愚かなることは小児の様であったので、先ず雇い入れる事に決した。

 是から一同は唯出発の用意だけを急いだが、芽蘭夫人は此の旅行を新聞紙などに吹聴せられるのを好まず、成るべく人目に立たない様に注意したが、夫人は父の時代から、英国の地学協会に深い関係があったので、その協会だけへは出立の旨を通知したが、会長ロデリツク氏は、協会例会の席で芽蘭夫人を送る演説を行った。

 夫人の亡夫芽蘭(ゲラン)男爵が数年前にアフリカ内地に入り、死んだ場所さえもはっきりせずに、帰らない人と為った事から、夫人が英国で有名な地学者の息女である事、この旅行が無事に終わる事は、英国地学協会の切に祈る所である旨等を述べたので、仏国の地学雑誌もまた之に応じ、詳しくこの旅行の事を述べ、一行にはマホメットと云うアフリカ人まで加わている様に記した。

 後で調べるとマホメットの一事だけは、従者與助が自ら改名の嬉しさに投書した者であることが分かった。與助の振る舞いは、総て是に類する事ばかりで、或いは駱駝と親しく成っていなければ不都合であると言っては、動物園に行き、番人の機嫌を取って駱駝の柵内に入るのを喜び、夜は硝灯(ランプ)を幾個と無く灯(とも)して窓を開き、羽虫の集まって来るのを見て、アフリカ内地に野宿して、虫に襲われる下稽古であるなどと云い、幾度と無く茂林に叱られた。

 その中に次第に用意も運び、従ってこの旅行の噂は日々に喧(かまびす)しくなって行くに従い、所々の知人から送別の宴を開こうなどと言って来る者も多く、大抵は断ったが、唯だ帆浦女を紹介した本目紳士が発起した送別会は、倶楽部員一同の賛成を得たとの事で、平洲、茂林、寺森ともに之を断ることが出来なかった。

 夫人の許しを得て臨席したが、本目紳士は席上で非壮な演説を行い、自分も長年旅行を好み、世界の旅行家とは、多少の交わりを結ばないのものは無く、既に帆浦女を紹介した事なども、その交わりの結果とし、取り分けアフリカの旅行に至っては、幾年来自ら企てたいと思う所であったが、唯だ俗事の為に果たす事が出来なかった。

 若し機会を得たならば、遠からず諸君の後を追って行くかも知れないので、諸君は怠らずその途中から吾に通信して呉れる様にと云い、更に必要な様々の品物を餞別として贈ったので、茂林も平洲も必ず便りの有る度に、委細の事を通信する事を約し、深くその厚意を謝して分かれを告げた。

 是で愈々(いよいよ)一同が芽蘭夫人と共に、帰る期日さえ定まらない遠征万里の旅に上る事となった。



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