巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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      第百四十二回 軍神石を爆破した本目紳士

 ここから坂を下れば即ち遙青山を越える事が出来る。鳥尾医学士と本目紳士とは、思った程の苦労をせずにここまで来る事が出来た事を喜んだけれど、此の時は既に日が暮れていたので、夜に入っての降(くだ)り坂は却って危険の恐れが有るので、案内者が注意するのに応じ、坂の頭に野宿して一夜を明かす事とした。

 翌日は早朝に起き、坂の様子を見定めると、今迄登って来た道が、それほど急で無かったのに引き換え、是から降る道は非常に険しく、殆どすべり落ちるのでは無いかと思われる所が有る。しかしながら降(くだり)坂の急なのは、登り坂が急なのよりも、幾分か進み易いだろうと、勇を鼓舞して降り掛かると、登る時に用いる必要が無かった縄梯子が、大いに用を為す場合が度々あった。

 或時は木に掛け、或時は石に掛け、之を手繰(たぐ)って降(くだ)って行くと、凡そ二里ほど降ったかと思う頃、岩と岩とを以て作った様な、谷間の入り口に出た。此の谷間は昔し川でも流れて居たかと思われる形で、自然にくぼみ、其の地盤は川床ほどに平であった。石山に時々例がある天然の細い道に違いない。

 此の細道にさえ従って行けば、山が尽きて平地に出る事は必然なので、一同は少しも疑わなかった。それに是から行く先は、坂では無くて非常に緩やかでなだらかなので、その中に入り又一時間の余を進むと、これは如何したことか、細道は忽ち一個の大岩石に塞がれて、まるで岩戸を閉じたようであった。

 此を開かなければ一歩も進む事は出来ない。だからと言って左右ともに石を疊み重ねて壁とした様な細道なので、迂回する事も出来ない。縄梯子を投げ掛けるには石の高さは驚く許かりで届く様子は無い。鳥尾医学士は唇を噛んで、
 「エエ、此の川床の様な所へ入らなければ、此の様な岩戸に〆出しを喰う事はなかっただろうに。」
と悔しがると、本目も同じ想いで、

 「ツイ天然の道の様に出来て居た者だから釣り込まれた。之は実に造化が我々を迷わせて、馬鹿にする積りで作って置いたのだろう。忌々しいけれども仕方が無い。後へ引き返して矢張り道の無い所を辿(たど)るしかない。」

 「今から後へ引き返せば、詰まり一日以上の損になる。僕は山勢を考えて見るに、此の石をさえ通り抜ければ、直ぐに平地へ出られるよ。山は此の石限りで終わって居るのに違い無い。」

 「僕も全くそう思う。山が終わる所まで来て、又引き返すとは如何にも残念だ。何とかして通る工夫は無いだろうか。」
と両人(ふたり)は此の上なく悔しがり、更に石に取り付いてその表面を調べて見ると、石の形はまるで巨人の姿に似ており、背筋と云うべき所に、継ぎ目の様な筋がある。

 或いは二個の石が天然に迫(せ)り合って、この様に一個と為ったのではないだろうか。二個目は密着して縫い合わせた様になっているが、下の方には縫い目の綻(ほころ)びとも云う様に、深く穴の形を為す所も有る。鳥尾は、
 「此の穴へ、桿(てこ)でも差し入れ、之を跳ね返す力が有れば。」
と恨めしそうに呟くが、何の甲斐も無い。

 「之を跳ね返すには少なくても、五千人もの力を集めなければならない。」
 「エエ仕方が無い、一日の損をして背後へ引き返し、早く外の道を捜そう。」
と云い、両人は非常に落胆して、元と来た道に引き返した。此の石は即ち是れこそ遊林台国民が軍神と崇める巨石にして、此の石の下には数多の美人軍が居る。

 二人は尋ねる芽蘭夫人の一行が、今正にその美人軍に苦しめられつつ有るとは、神ならぬ両人が知る訳が無いことは、仕方が無い事だ。
 両人は引き返して、悄々(しおしお)と僅(わず)かに五、六間《約10m》ほど歩いたが、此の時本目紳士は何を思ったのか、忽(たちま)ち踏み留まって、大地に身を横たえ、地盤に耳を当てて地下の物音を聞こうとする様子をするので、鳥尾は怪しみ、

 「君は何をする。気でも違ったのか。」
 本目は更に耳を澄ましながら、
 「イヤ待ち給え、何だか異様な物音が聞こえた様だから、こうして聞いて見ると果たせる哉だ。君、君、此の石の先は戦争の最中だよ。確かに戦争の物音だ。」
 鳥尾は信ぜず、
 「ナニ、そうして聞けば、我々が見たマーチソンの瀧の音が遥かに聞こえるのだ。昨夜野宿した時も聞こえたぢゃ無いか。」

 「イヤイヤ、滝の音では無い。確かに戦争だ。」
 鳥尾はまだ聞き流し、
 「それでは昨日の日暮れに、小山の上へ蟻の様に集って居たのは、吾々の想像通り野蛮兵で、酋長等が戦端を開いたのだろう。その音を聞いて何になる。」

 「イヤ君、野蛮人同士の戦争は弓や投槍の戦争だから、此の様な大屏風の背後まで聞こえる程の音はしない。先ず聞き給え、鉄砲の音だから、よし確かにヨーロッパ人が加わって居る。ハテな事に寄ると。」
と云い掛けて眉を顰(ひそ)めるのは、若しや芽蘭夫人の一行では無いかとの心配に違いない。

 ヨーロッパ人が加わって居ると聞いては、鳥尾も最早や聞き流す事は出来ない。同じく大地に耳を附け少しの間聞いたが、忽ち狂気の様に跳ね起きて、
 「ヤ大変だ、大変だ、全く芽蘭夫人の一行が戦って居る。此の蛮地へ入り込んで、幾等銃器が有ったとしても、昨日見た程の多勢の蛮兵に勝てる事は無い。」
と言って地団駄踏むので、

 「そう騒ぎ給うな、鉄砲の音でヨーロッパ人が加わって居る事は確かでも、其のヨーロッパ人が必ず芽蘭夫人の一行とは限らない。」
 鳥尾は全く血眼になって、

 「イヤ芽蘭夫人の一行だ。一行だ。アノ一行の外にここまで深入りした遠征隊は無い。我々がフランスを立つ時まで、少しも外の遠征隊が出た事を聞かなかった。早く彼の岩を飛び越えて、救わなければ芽蘭夫人が殺される。回り道などしては居られない。」
と云い、宛(あたか)も大石を飛び越える事が出来るかの様に、又一人や二人の力で大戦争の勝敗を変える事が出来るかの様に云い、本目の身体を飛び越えて巨石の許に走って行き、巨石を前に推し倒す様な姿勢で押し踏ん張った。

 此のままに捨てて置いたならば、頭を巨石に打ち付けて死ぬに違いなとまで思われるので、本目は追って行って其の肩を捕えて、
 「コレ鳥尾君、幾等芽蘭夫人の身が気遣わしいと言って、幾千万貫もの重さの知れない此の大石が動く物か。気違いじみた事を仕給うな。」

 「だって」
 「イヤ僕に少し工夫が有る。」
 「エ、工夫が、早く其の工夫を施して此の岩を取り退けて呉れ給え。」
 「先アサ、吾々の人足に持たせて有る火薬が、確か二百卦度(ポンド)《約91Kg》は手付かずに有る筈だ。アノ火薬を持って此の石を破裂させよう。」
 「火薬で破裂するだろうか。」

 「火薬と言っても其の力は大して爆裂薬に劣りはしない。唯だ爆裂薬は火薬の様な小粒では無く、空気の為に変化を受ける事が少ない丈だ。僕は先刻も此の石を爆裂させると云う事に気が附いたけれど、後に予備の無い大事な火薬を、石の為に使い尽くすのは惜しいと思い、廻り道する気に成ったのだが、ヨーロッパ人が戦って居るとすれば、猶予は出来ない。取り分けそのヨーロッパ人が芽蘭夫人の一行と云う恐れが有っては猶更(なおさら)だ。」

と云い、早速人足を呼んで、荷物の中から火薬を取出させて、彼の石の縫い目に在る穴の中、最も深そうに思われる者を選び、之に火薬を注ぎ入れると、凡そ百八十封度(ポンド)《約82kg》ほどで初めて穴に満ちたので、長さ一尺ばかりの縄を火薬の面に植え込み、其の一端へ燐枝(寸)《マッチ》を以て火を燈し、縄が燃え尽くすと共に火薬へ火が移る様にして置き、一同は足に任せて細道を後の方へ逃げ去りながら、大丈夫と思う邊まで行って留まり、結果を待つ間も無く、天地を震撼する様な響きと共に、巨石は見事に砕け落ちた。



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