巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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      第百四十五回 魔雲坐王の断固とした意思

  下僕(しもべ)與助のみ行方が知れないが、彼は剽軽(ひょうきん)な男なので、その中に何所かから現われるに違いないと、深くは気に留めず、捨てて置いて、此の後の進退を話し合うと、この旅行は元々芽蘭男爵の為に始まった旅で、既に男爵を探し出す事が出来た。即ち目出度く旅行の大目的を達した者だから、此の上には何の目的も無い。唯だ本国へ引き返すだけだ。

 引き返すにはどの道を取ったら良いだろうか。向こうの山道に入るのが男爵の身の為であると鳥尾、寺森両医師の説が一致した柄には、山道を以て道としよう。しかしながら山道から何所に出ようか。平洲、茂林両人は勿論本目紳士と鳥尾医学士との来た道を取り、アルバート湖を南に渡って残日坡(ザンジバル)に出ようと云ったが、本目紳士は之を非とし、ここから残日坡(ザンジバル)に行くには、少なくも半年の間、野蛮の地を歩き通さなければならない。

 取り分けアルバート湖は向こうの岸には漁民も有り、船も有り、その船を借りて此方(こちら)へ渡る事が出来たが、此方の岸には住民は居ないので、渡るための船を得る方法が無いと云い、更に自らパリに在る時に、様々な地図で調べる事が出来た地理上の知識を並べ、此の辺は総体に河が非常に多い所なので、山に入って西に行っても東に行っても、必ず幾筋かの谷川があるに違いない。

 其の谷川の中で北へ向かって流れる者は、必ず遅かれ早かれナイルの河に注ぐ事になる。ナイルの河から外の河に流れ入る所が無い事は、どの地学者も異口同音に唱えて居る所なので、河こそ天から我々に与えられた案内者である。

 河に沿って北に下れば、一月を経ずしてナイルの河に達し、ナイルに達すれば船で可通無(カアツーム)《ハルツーム》まででも挨及(エジプト)まででも、下り行く事は非常に簡単なので、病人の為を云っても、之に上を越す道は無いと云う。成るほど此の言葉に相違ないので、直ぐに之に決したが、ここに更に残って居る一つの難題と云うのは、彼の魔雲坐王の始末である。

 彼は唯だ芽蘭夫人を、我が妻に貰い受けようと云う、その約束だけの為に此の地まで来た者なので、ここで捨てようとしても、勿々(なかなか)同意するはずが無い。彼れが若し戦争で死んだのなら、何の面倒も無くして済んだはずだが、寺森医師が彼を治療して、その命を繋ぎ留めてしまったのだから、今は仕方が無いと平洲も茂林も、却(かえ)って寺森の妙術を恨むことこそ可笑(おかし)なことだ。

 兎にも角にも今一度彼を説き伏せ、共々に此所を立って後、更に工夫する外は無いので、茂林自ら交渉委員と為り、通訳名澤を引き連れて、彼れの許に行くと、彼は傷の痛みが少し薄らいだと言って、自ら病床に起き直り、何より先に、

 「御身等は白女の父を見出したとの事だそうでは無いか。若し白女の親が結婚を承知しなければ、余自ら部下に手を引かれ、その父の前に行って請おう。余はその積りでこの様に起き直ったのだ。」
と云う。

 実に彼れは此の一事より外に、何の目的も無い者なので、その身が負傷した事に付けても、益々此の事を急ぐ事は無理も無い。
 茂林は仲々此の交渉が容易でないことを知りつつ、
 「イヤ、白女の父は生死の程も覚束無い。何事を云っても今は通じない。」
 「若しその父が死すれば、御身は白女の兄であると云うのだから、必ず御身の一存で、思うがままに計らう事が出来るに違いない。」
 道理ある一言に茂林は抵抗する口実は無い。
 「その通りだ。父死すれば、後は余と平洲の思うがままだが、余も平洲も切に父の命を取り留めようと願っている。父が若し死すれば、白女も悲しんで病と為る恐れが有る。」

 魔雲坐は愕然(がくぜん)《非常に驚くこと》とし、
 「白女の病とな。病とな。」
 病と云う言葉を重ねて問返すので、
 「その通りだ。父が死すれば病とも為るに違いない。」
 「父が死ななければ、白女は病とは成らないのか。」
と非常に子共の様に問うて来るのも、野蛮人の真情であるに違いない。

 「その通りだ。父さえ助かれば、白女は大いに喜ぶので、先ず病と成る恐れは無い。」
 「それならば如何にしても、その父を助けなければ成らない。御身等の兄弟である寺森とやら云う医師は、その父を助ける事は出来ないのか。彼の医師は余の矢を抜き、余の傷を治療した。真に神の様な力がある。」

 茂林はここが乗ずべき所であると思い、
 「そこだ、その神の様な寺森の言葉を、御身に知らせに来たのだ。」
 「彼は何と云ったのだ。」
 「父を向こうの山の涼しい樹の陰に連れて行き、手を尽くさなければならないと云った。依って余等一同、父と共に山に入り、谷川に沿って又北方へ引き返す積りである。」

 「谷川に沿って行けば、終には牙洗(キバライ)川へ出られるのか。」
 茂林は思い切って、
 「その通り。」
と答えるに、魔雲坐は全く白女を再び己が国へ連れ帰る時が来たと思い、更に又婚礼の時が近づいたと思った様に勇み立って、

 「それならその通りに計られよ。余も共に行こう。」
と云って寝台の上に立とうとしたが、傷の痛みに又倒れ、
 「イヤイヤ余は未だ起きて居る自由を得て居ない。白女の父と同じく余も病人である。御身は白女をして道々余の看病を為さしめよ。そうしなければ余は御身等の言葉に従う事は出来ない。此所で白女と結婚しよう。」

 是れ又一の難題である。
 「白女は父を看病しなければ成らない。御身の看病人に成る事は出来ない。」
 「否、白女の父と余とを同じ所に置けば、一人で双方を看病する事が出来る。余は白女に看病されなければ此処を立去らない。又白女をも立ち去らせない。」
と断固たる決心を以て言い切る様からは、到底魔雲坐王を動かす事が出来ようとは、思われない。



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