巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou149

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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     第百四十九回 一行について来る輪陀女王

 黒天女輪陀女王をこの様に憐れむべき有様に残して置いて、一行は此処から更に数哩(マイル)《数Km 》進み、夕日の光が漸(ようや)く道を照らさなくなる頃まで行を進めたが、一同露宿の用意に忙しい間に、独り寺森医師は女王が先刻の所から立ち去ったか否かと、少し心配な思いがするので、故々(わざわざ)小高い所に登り、望遠鏡を以て先刻女王を残した坂の上の辺りを眺めると、傷(いた)わしや、女王はまだ岩の高い所に座し、茫然と此方を眺めていた。

 果たして是れは復讐の心がなせるのだろうか、否々芽蘭(ゲラン)男爵を思い染めた、愛の一念からであることは、あの殆ど疑う余地は無い。何時まで彼の所に佇(たたず)んでいるのだろう。今夜をどの様にして明かす積りなのだろうか、など寺森は怪しんで又良く見ると、先程首に掛けて遣った食糧の袋さえ今は見えない。

 多分、国が既に滅ぼされた上、国にも代え難いとまで慕った恋しい男を奪い去られ、全く絶望し果てて、食糧などは何所かへ投げ捨てた者に違いない。さてはその身も生き存(ながら)える甲斐が無いのを思い、谷底へでも身を投げて死ぬ気ではないか。そうだ死ぬ気でなければ、どうして食糧を投げ捨てる事があるだろうかなどと、様々に思いやるなどして、非常に憫(あは)れさに耐えられなかったので、寺森自身も日の全く暮れ果てて、女王の姿が闇に包まれて見えなくなる頃まで眺めて居た。

 翌朝起き出しても、寺森は第一に彼の所を眺めると、女王は愈々(いよいよ)身でも投げたか、それとも断念(あきら)めて立ち去ったものか、岩の上にはその姿は見えなかった。やがて一同が出発の時と為っても、寺森一人は何となく気掛だったので、少し後まで立残って、一行の殿(しんが)りである老兵名澤に、

 「若しや昨夜の女王が、此邊(ここら)まで迷って来るのを見なかったかとか、或いは其の叫び声でも聞かなかったか。」
などと尋ねると、見も聞きもしなかったと答えた。最早や是だけの手掛かりなので、哀れんでも仕方が無いと思い直し、是から何の変わったことも無く、日々の旅を続けた。

 其のうちに芽蘭男爵も魔雲坐王も、山の空気が良い為か、追々に痛みが軽くなり、まだ釣台に舁(かつ)がれた儘(まま)だとは云え、首を挙げて景色などを眺めるまでに成り、一同も最早其の容態を気にしない程と為ったが、唯一つ困難なのは、道なき山の旅なので、何時しか全く反対の方角に向かって居たことだ。

 初めは遙青山の谷を西へ取る積りであったが、谷自ずから転じて東の方へ向かい、西の方には行く事が難しかったので、これでは行く方向が違うのでまずいと、少し攀(よ)じ登れそうな所がある毎に、峰の方へ攀上(よじのぼ)ったが、何度上っても同じ事で、西の方は険しく、東へ東へと向くばかりであった。

 しかしながら東にも必ず末には、遂にナイルの河へ流れ込む谷川が有る筈なので、其の様な谷川を見つけ次第、夫れに添って北に下ろう。そうすれば或いはゴンドコロの邊にも出られかも知れない。ゴンドコロはナイル川が東に向かった支流に添う所で、ヨーロッパ人が入り込んで居る事は可通無(カーツウム)《ハルツーム》府に次ぐ程なので、ここに出るのも結局は幸いだろうと、果ては道筋変更の相談までした。

 この様にして山に入ってから、既に八日目の朝とは成ったが、例の様に出発する頃になって、老兵名澤は態々(わざわざ)寺森医師の所に来て、容易ならない面持ちで、
 「実は意外な事が有りますよ。」
と云う。
 「意外な事とは」
と怪しんで問われて、

 「先達てから、夜の明け方になると、時々何所からか異様な叫び声が聞こえるのです。山の中ですから初めは獣の声かとも思いましたが、毎(いつ)も此の一行の後の方から聞こえ、特に其の声が何だか細く長く引き、或時は風に揺られて悲し気に、又或時は木などに響いて凄く聞こえますから、若しや誰かが此の一行の後を慕い、昼は寝て夜に入れば泣きつ叫びつして、追って来るのでは無いだろうかと、何だか私も気味悪くなりました。
 今朝の四時頃には特に其の声が近寄って聞こえました。」

 如何にも気味悪い話なので、寺森も殆ど身を震わせ、
 「それから其の声の原因を確かめたとでも云うのか。」
 「ハイ今朝に成ってヤット分かりました。」
 寺森は息をも継がず、
 「何だ、何だ、其の声は、何の声だ。」
 「可哀そうな輪陀女王です。」

 「エ、エ、、女王が、まだ吾々の後を追って来るのか。」
 「ハイ、何でも鎧は奪われ,着る物は無く、夜に入ると山の気で寒さに耐えられないから、昼間の熱い中に寐て、夜は走って来るものと見えます。

 「その様な事が何して分かった。」
 「私が見届けたのです。ハイ先刻其の姿を見たのです。可哀そうに喰う物も碌には無く、僅かに木の実ぐらいで飢えを凌(しの)いで居ると見え、十日に足らない間ですが、何だか痩せて、疲れ果てて居る様です。」

 寺森は益々心を動かして、
 「何所で見た。今も何所かに居るのか。」
 「ハイ彼所(あそこ)に見える岩の後に潜んで居ます。」
と云い、幾町(数百m)か後の茂みの傍らに見える、大いなる巌岩(いわお)を指さした。



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