巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou151

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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     第百五十一回 誰かの喉を刺す輪陀女王

 輪陀女王の顔は、燃える篝火に照らされて美しい事限り無く、美しい中に又自ずから悲しい所が見えるのは、食も無く家も無い今の身の上を果敢(はか)なんでだろうか。将又(はたまた)届かない恋の恨みからだろうか。平洲はその何方なのかを知る事は出来なかった。

 唯だ女王がその身を温め終わって、後に何をしようとしているのかを見れば、自ずから察する事が出来るだろうと、瞬潑(まばたき)もせず眺めていると、やがて女王は寒さをも忘れたと見え、二度手の掌(ひら)を撫でて腕を擦りなどした末、やおら身を起こして又も何事をか考えるように、此方の天幕をあれこれと見廻したが、大小の差こそ有れ、何れも同じ形なので、何の見分けも附かないのか、間も無く山の方を振り向き、徐々(そろそろ)と歩み初めた。

 さては全く自分の身を温める外に、余所ながら恋しい人の天幕を見て行こうとの心で来た者と知られる。最早や此の上猶予すべきでは無いので、寺森は名澤その他に合図すると、一同はスハと走り寄り、非常に簡単に捕える事が出来た。

 女王は何の武器をも携えて居ないので、抵抗するのは無益と知ってか、或いは今までの艱苦に凝(こ)りてか、寧ろ捕らわれて養なわれる方が安楽だと思ってか、少しも身を藻掻(もが)こうともせず、寺森から縄を掛けられようとするのにも素直に手を差し延ばした。

 是から女王の身は寺森自ら番人と為り、通例の捕虜の様に扱い、又三日程進んだが漸(ようや)く山が中断する所に出て、一条の緩やかな河が,北に向かって流れるのを見い出した。
 「河は」
 「河は」
と唯だそればかりを目当てにして進んで来た一同なので、真に闇夜に燈火を得た思いがして、最早や道に迷う恐れも無いなどと祝し合うと、傷が未だ癒えない魔雲坐も、杖に頼って出て来て、

 「是が御身等が余に約束した牙洗川であるか。」
と問う。茂林は猶予もせず、
 「勿論です。」
と答えると、更に魔雲坐が、
 「牙洗川より水が多く水嵩(みずかさ)も多い様だが。」
と眉を顰(ひそ)めて怪しむのを、

 「それは下に行くと小分れして、他の幾筋もの川に流れ込む為です。」
と事も無く言い消したが、此の言葉は或いは事実にして、此の川は全く牙洗川の上流なのかも知れない。そうだとすれば一同は河に沿い、再び恐ろしい魔雲坐の国に入るのだろうか。この様に思っては聊(いささ)か心配をしない訳には行かない。

 若しも再び魔雲坐の国に捕虜と為っては、今度こそは逃れ出る道は無いとして、更に地理を調べると、多くアフリカの最新の地理報告など読んで居た本目紳士は、是れは太子(アルバート)湖の東岸から流れ出ているとスピークスが発見報告した者にして、ナイルの東方の枝であるのに相違無い。之に添って下れば牙洗川には出ずに、必ずナイル川に出て、ゴンドロコに達するに違いないと云う。

 もとより想像に過ぎないけれど、幾分か気を楽にしたので、芽蘭夫人も喜んで、寺森医師に向かい、
 「ゴンドロコに達すれば、厚くあの女王の手当をして、護衛を附けて本国へ送り返して遣りましょう。」
と云う。

 寺森も実は彼の女王を捕虜(とりこ)として引き連れる事は、如何にも責任が重い事だと思うと同時に、茂林等の云った様に、芽蘭夫人も女の敏感な神経から、此の女王が我が夫を恋慕うが為め、この様に遥々(はるばる)一行を追って来たことを知り、幾分か気に掛かる所があればこそ、この様に女王を送り返す手続きをも言い出したのだろうと、夫人の心をまで察して、益々穏やかでは居られ無くなり、

 「ハイ私の大発明も、最早や黒天女を要しない所まで進みましたから、旅の終わりのついでに、ゴンドコロへ着き次第に送り返しましょう。」
と答えたが、ゴンドコロへ着くまでの中に、如何なる珍事が起こるかを知らなかったのは仕方が無いことだ。

 河に沿って下ると、又数日で此の河は、更に他の幅広い一大河に流れ注ぐ所に達した。一大河は乃(すなは)ちナイルの枝にして、青ナイルに対し白ナイルと称する物であることは、河の様子及び岸に茂って居る草樹の種類から明らかだったので、一同は殆ど故郷にも帰り着いた様に喜んだが、是れに附けても又心配なのは魔雲坐である。

 彼れは愈々(いよいよ)此の河が「牙洗川」で無い事を知ったならば、如何の様な事を言い出すか知れない。成るべくは河が見えずに、唯だ水音だけ聞こえる邊を通る事にしようなどと、姑息な策を考えることも有ったが、幸いにして道は自然と河から離れ、深い林の間に入ったので、急には魔雲坐の疑いを起こさなくて済んだ。

 林の所々には蛮民の部落も有り、糧食を補給する便利等をも得、又進んで漸くゴンドロコを去る一日程の所に達して宿営したが、此の夜一同が寝鎮まる頃に及び、輪陀女王は如何(どう)にかして縄から脱し、独り密かに賄方(まかないかた)の人夫等が眠っている所に行き、荒肉などを切る長い包丁を探し出し、之を携えて又外に忍び出た。

 アア女王は何をしようとする心だろうか、国亡び身は捕らわれ、思う事総て違う今日此頃の浅ましい様を悔い、自殺する意ででも有るのだろうか、久しく火の消えた様に光を放たなかったその眼も、恰(あたか)も戦場に臨んだ時の様に輝き始め、顔一面に一種の活気を添え、

 「アア是れで漸く我が望みも達せられる。」
と云う様に、闇に刃を透かしては満足そうに打ち眺めた末、更に又あちらこちら、数張りの天幕を見廻って、終に芽蘭男爵及び夫人等の眠って居る病室とも云うべき天幕に忍び入り、眠って居る姿を探り当て、唯だ一突きにその咽喉の邊を突き刺した。



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