巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou33

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2020.5.14

a:230 t:1 y:0

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

      第三十三回 避難場所に流れ込んだ大水

 此のガレット山は一同の行程に横たわる最後の山である。山の少ないアフリカの内地なので、此の山を過ぎた後は、再び山に登ろうとしても山は無く、なかなか山登りは出来ない。だから平洲、茂林、寺森と芽蘭(ゲラン)夫人及び帆浦女を合わせ五人と、通訳亜利の外に黒人の従者一人を引き連れ、是に弁当などを持たせ、徒歩で出発したが、山は見掛けより遠くにあって、麓まで二哩《3.7km》ばかりと思ったのが四哩《7.4km》に余りあり、昼少し過ぎる頃に漸く麓に達した。

 この山には天然の井(ウエル)が数多くある。中には水が涸れたものも多いけれど、幸い麓から僅かばかり登った所に、岩清水のある泉を見出したので、ここで汗を拭い食事を済ませ、黒人の従者には帰りの用意に、駱駝二頭ほど連れて来てここで待つように命じて置き、四方の景色を眺めながら昇る中に、昼の間より曇っていた空の色は、一層暗くなって、雷さえ轟き始めた。
 
 通訳亜利が、
 「此の辺りの天気は、時に由っては忽ち荒れ出し、海を覆すほどの、大雨などが降る事も有る。」
と云って、今から引き返すのが好いのではないかとの考えを述べると、欧羅巴(ヨーロッパ)の人は雨浴を好む癖があるのだが、特にここ何日か、赤道真近かの炎天に焙(あぶ)られた末なので、

 「大雨は如何ほど降っても恐れない。」
と一人が云うと、一人は又、
 「此の辺の雨は如何ほど強く降っても長く続く事は無く、強ければ強いほど早く止み、一時間ほど経ないうちに晴れて来るのが常なので、少しも気遣うには及ば無い。」
と云い平気で、目指して来た半腹の平地に着いた。

 ここならば一方の景色を見晴らすことが出来るだろうと思って居たのに、雲が垂れて来て、一同の身を覆い、時々強く光る稲妻さえ麓の方まで射通さず、唯雲に映って天地一面火焔(ほのお)に塞がれたかと思われる許かりとなり、稲妻が止んだ時は、僅かに人の顔を見分ける事が出来る位なので、一同もそれとは云わないが、窃(ひそ)かに亜利の言葉に従わなかったことを悔いるばかりだった。

 やがて雨の前触れである一陣の怪風が颯(サッ)と吹いて来たので、薄い雲の去った後に濃い雲が来て、暗さが益々加わわる許かりである上、その風が身に触れる心持は寒いとも冷ややかとも譬える語がなかった。毒烟瘴霧を過ぎて来た為ででもあるのだろうか。唯だゾッと悪寒を催し、気味悪いことと言ったら限り無かった。

 この上に頭から雨を浴びては、到底(とて)も健康を維持する事は出来ないと、一同怖気の立つ間も無く、風に従って暴雨が天を傾けて注いで来て、その音は滝の様に満山に響いて凄まじかった。一同は知らず知らず接近して一団と為り、せめて體と體の間だけでも水と寒さを通さない事を計ると、雷神益々威を揮い、直ちに一同の頭に来て鳴っているようだった。

 この様な中にあって通訳亜利は、先刻から一同の中を離れ、隠れ場所を探そうとして、何所へか立ち去って居たが、帰って来て一同に向かい、
 「ここから一町ほど上に当たる所に、岩の間に斜めに降りる大穴がある。多分古い井戸で、水が涸れた物に違いない。上に傘の様な大石が有り、内に入って雨風を防ぐのに好いので、直ちにその所へ避難して下さい。」
と云う。

 一同は雨の声、雷の声に、殆ど聾した耳で、僅かにその声を聞き分ける事が出来て、早速亜利に従って行き、その大穴の中に斜めに降りて入ると、独り茂林画学士だけは、虫の知らせと云う者か、何とやらその穴に入る気持ちがしなくて、既にこの様に迄濡れたからは、此の上濡れるのも凍るのも厭(いと)わないと思い、穴から十間《18m》ほど離れた所に、立ったまま残って居た。

 雨も風も雷も少しの絶え間もなく、荒れしきるばかりであったが、此方の谷間、彼方の峰に、雷に打たれて樹裂け、崖頽(くず)れる音、耳を劈(つんざ)く程に聞こえ、やがて又一際鋭く射る電光と共に、霹靂(へきれき)の響きが天地に轟き渡ったので、さては我が身辺に落ちたかと、思うよりももっと早く目に留まったのは、芽蘭夫人を初め一同の隠れた大穴を、傘の様に覆(おお)っていた花崗岩が、裂け砕けて穴の中へ落ち入る有様である。

 爆裂薬を以てしても、これ程迄激しく砕く事は出来ない。問う迄も無く雷神が、その巌頭に落ちた物なので、夫人等一同は砕け入った岩に打たれて、唯一打ちに殺されたことは最早や疑う所も無い。茂林画学士は、
 「残念だ」
と一声、悲鳴を挙げ、転がる様にその所へ馳せて行き、穴の中を覗くと、今まで岩に堰き止められて、その上に湛(たた)えていた水が、一時に穴の中に流れ入って滝よりも急である。穴一面に浪怒って、捲上げ捲き返す様は滝壷に異ならなかった。



次(第三十四回)へ

a:230 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花