ningaikyou39
人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)
アドルフ・ペロー 作 黒岩涙香 翻訳 トシ 口語訳
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第三十九回 怒る奴隷達
銃の筒口を揃えた奴隷商人は、多くは葡国(ポルトガル)の人である。その統領は同国の訛りを帯びた仏国語で此方(こちら)に向かい、
「そなた達は何の目的で我等の財産に狼藉(ろうぜき)《乱暴な振る舞い》を加えるのだ。」
と問うた。
同胞人類を捕らえて来て、之を財産だと云うのは言語同断のしわざなので、この時までも奴隷等の手錠を一つ一つ脱(はず)しつつ有った茂林は、その鍵を奴隷中の最も達者な者に渡して置き、彼の統領に向かって、
「我々はそなた達の財産とは認めない。唯同じ人類が強欲であるそなた達に財産の様に取り扱われるのを憐れみ、救って遣ろうと欲するだけ。吾等はエジプトでペイカー将軍の許しを得、途中で奴隷を見次第、解放する事を委託されて来た者である。」
と云い返すと、将軍の名を聞いて、商人等は少し驚き、その統領が先ず眼を四方に配って、何所かにまだ此方(こちら)の援兵でも隠れ居るのかと、窺(うかが)い探る様子であったが、やがて何の援兵も無い事を見定めたと思しく、一層傲慢(ごうまん)《おごり高ぶって人を馬鹿にすること》な態度で、
「この沙漠は将軍の命令などが行われる所では無い。腕力の強い者が弱い者を制する所である。この上に邪魔をするなら、容赦なく射殺してしまう。」
と言って早くも一斉に射撃をする勢いである。
此方の三人は、弱きを以て強きに向かう者で、この上に争えば犬死する一方と云える。それに統領の目は、更に婦人をも擒(とりこ)にするぞとの意を示し、時々芽蘭夫人の方に向かって輝いた。三人は板挟みの有様で、日頃の勇気も殆ど施す方法が無く、空しく悔しさに歯切(はぎし)りすると、この時忽ち横手に当たり、異様な叫喚が凄まじく起こるのを聞く。
三人は勿論の事、敵の統領まで何事かと振り向いて見ると、縄を断たれて鍵をまで得た奴隷等が、一人一人自由な身体と成ったのを喜び、今まで首に嵌(は)めて居た首枷を、手に持って武器に代え、隊伍を組んで商人を背後の方から襲おうとする者である。
彼等は三人の恩に感じ、加勢して三人を救おうなどと云う心ある者では無い。唯だ復讐の一念が強い野蛮人の本姓を現し、今まで己等がこの商人等に無惨な取り扱いを受けた為、その恨みを返そうとする者である。
更に良く見ると、奴隷軍は既に監督者三人と、馬の上に臥して居た病人とを擒(とりこ)にし、その者等を引き落とし馬と鍵とを奪い、馬には筋骨逞しい黒人四人が銘々に乗って勢を揃え、更に監督者の携えて居た鉄炮をまで持ち、鍵は女の手に配って順々に手錠首枷(くびかせ)を解いて廻りつつ有った。
今は自由の身と為った者は僅かに五十人ほどであったが、十一人の商人に比べては勝負に成らない程多数である。況(いわん)や鍵を持ち、黒人数人が片端(かたっぱ)しから同類の縛(いまし)めを解くにおいては。その早いことと言ったら並大抵ではなかった。解かれる者は全て奴隷軍に馳せ加わり、見る見る中に六十と為り七十と為り、罵(ののし)る声が益々高くなった。
もう少しして二百余人が全て自由の身と為ったならば、商人等は唯だ一押しに、圧し潰(つぶ)されるに違いない。
そうと見て商人等は、最早や此方(こちら)の三人を相手にすることは出来ない。只管(ひたす)ら驚いて動揺し始めたので、その暇に三人は夫人と通訳が立っている所へ馳せ附け、漸く虎口の危うきを逃れたが、だからと言って、見す見す十余人の商人等を、奴隷の為に殺させるべきでは無い。又奴隷の幾人かを、商人等の筒先に倒れさせるべきでは無い。
結局一同が奴隷の縄を解いたのは、商人を苦しめる為の意では無かった。唯だその性悪な商売を止めさせようとするだけの心だったので、何とかして双方を無事に終わらせなければ成らないと、第一に芽蘭夫人が頻(しき)りに心配し始めたので、一同も実に其の通りだと思い、然らば奴隷等を説き諭す外は無いと決し、先ず茂林から商人に向かって声を発し、
「そなた等は最早や逃れ難い境涯に立って居るから、奴隷と戦うのも無益である。寧ろ吾々に降伏して救いを乞えば、吾々の力で奴隷を宥(なだ)めてやる。そなた等は是を限りに心を改め、性悪な奴隷商売を止める気は無いか。」
と云うと、商人等は実に必死の場合なので、直ちに銃を下げ、馬から降り、人の懐に入る窮鳥の有様で一同の許へ逃げて来た。
茂林は更に奴隷軍の方に向かおうとすると、彼等はこの時既に百人の上となり、中には女も二十人ほどあった。女共は男よりもっと執念深いと見え、口々に何事をか罵(ののし)って騒ぎ立てて、全く男どもを励まし立て、
「負けるな、負けるな、仇を返せ、怨みを返せ。」
との事を叫んでいると、通訳亜利は云った。
成るほどその通りに違いない。女の一声一声に男は勇み、風を切って音のするほど首枷を空中に振り廻し振り廻し、此方を指して詰め寄せて来る。
その様は勿々(なかなか)説得などに服すだろうとも思われない。
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