巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou40

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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       第四十回 見つかった與助

 詰め寄せる奴隷軍を何と云って説得するか、一通りの言葉では彼等の燃え盛る復讐の念を鎮(しず)めることは出来ない。
 帆浦女は自ら進み出て、この様な事にはこの前の旅行で充分に経験があるので、この説得を引き受けようと云い、一同の承諾を得て、前面に進み出て、大声で奴隷に向かって演説し、傍(かたわ)らから通訳亜利をして翻訳させた。

 その意とするところは、キリスト教の教えを分かりやすく話し、復讐は神の行う所にして、人間の為すべきことでは無いと云うのに在る。繰り返し繰り返し丁寧に殆ど噛んで含める様に話したが、道理を解する力の無い黒人どもに、どうしてこの様な無形の条理を解すことが出来ようか。

 初めのうちは何事かと静かに聞いて居たが、次第に又、
 「仇を返せ、怨みを返せ。」
との声が黒人達の女の口から囂々(ごうごう)と起こり、帆浦女の声は殆ど聞こえない程と為り、奴隷一同が、此方の救った商人等を睨み詰めて、押し掛ける勢いは益々鋭くなった。

 ここに至って茂林は平洲と相談の上、帆浦女を退かせて自ら進み出て、
 「吾等は此の商人をエジプトに連れて行って、厳しい刑罰を加えようと思って居る。そなた等の復讐はそれで足りるだろう。此のまま我等に任せてくれ。」
と云うと、此の言葉は帆浦女の説得よりは幾分か彼等の心に分かり、多少の効き目は有ったようだが、彼等は又声を揃えて、

 「それならば、今この所でその刑罰を加えよ。そうでなければ吾等自ら戦って復讐する。」
と言い出し、中々思い止まろうとしない。この時まで無言で控えて居た芽蘭(ゲラン)夫人は、傍に居た今一人の通訳阿馬(オマー)に命じ、

 「否と言え。我等はこの商人等と戦って汝等の見る様に擒(とりこ)にしたのだ。我等は故無くしてこの商人を擒(とりこ)にしたのでは無い。是から最も値の好い市場に連れて行って、此の者どもを奴隷に売る為である。折角我等が捕らえる事が出来た獲物を、汝等が奪い返そうと云うのは無理ではないか。
 汝等が虜(とりこ)にしたその四人の人々をも、我等に与えて売らせるのが当然では無いか。」
と云わせると、彼等自ら虜(とりこ)を売買する習慣の中に育った者なので、是れはもっとも彼等の耳に入り易い事柄である。

 互いに顔を見合わせて、
 「もっともだ。」
と頷(うなず)き合う様子で、忽ち鎮(しず)まり返ったが、此の時は早や二百余の奴隷等悉(ことごと)く鎖を解き、自由自在の身と為った後なので、群がり立って四人の虜を中に囲み、此方の人には其の姿をさえ見させなかった。

 或いは四人とも早や既に彼等に殺されたかと思われる許かりだったが、やがて其の大将と思われる一人が、群衆の中をを割り、其の四人を引き出して連れて来た。四人の中、先刻病気で馬の背なに伏せて居た一人は、何故か急に達者の身と為った様に、大将に引かれ乍(なが)らも、躍(おど)り騒いで一番の先に進み、やがては大将の持っている縄を振り放し、転がって此方へと走って来た。一同は何事が起こったのか理解出来ずに居たが、その者は茂林画学士の膝の当たりに飛び掛かって縋(すが)り附き、

 「旦那様、好く先(ま)ア助けて下されました。」
と、泣き伏す顔を茂林は引き起こして、
 「オオ與助か。貴様先ア何うして此の奴隷商人の群れに入って居た。」
 この声を聞くやいなや平洲、寺森は云うに及ばず、物静かな芽蘭夫人までその傍に走って来て、篤(とく)《じっくり》と見ると、姿は変わり髭髯も茂り、色も天日に焦げて居たけれど、見違(まご)うべくも無い下僕與助である。

 彼れは数ケ月以前に、亜拉比(アラビア)の沙漠で、ベドイン人の駱駝の背に縛られて攫(さらっ)って行かれ、逃げ去る途中疾風に逢って、最早や此の世に無い人と一同から思われて、今に至っている。一同をしてまだ寝覚めが悪い想いをさせて居るが、真実どのようにして此の所に居るのだろうか。

 與助は嬉しさに泣き止むことも出来ず、唯転がって一同を伏し拝み、涙の中から何事をか、切れ切れに洩らすのを聞くと、
 「アラビアの沙漠で行き疲れ、打倒れて居る所を、此の商人達に救われました。」
と云い、

 「此の商人達は人夫を探して居た所なので、無給金で私を抱えました。」
と云い、
 「助けられて南へ南へと行き、アラビアの南端から船に乗り、此のアフリカへ密航しました。アフリカならば再び彼方がたに逢う事が出来るかと、そればかりを祈って居ました。」
などと云ううちに、漸く泣き声を止める事が出来たので、一同は彼の手首から腰などに残っている縄を切放って遣り、更に茂林は、

 「貴様は非常な病気の様子で馬の背に縛られて居たが、気持ちは何うだ。少しは好いのか。」
と問うと、
 「ハイ左程の病気では有りません。不慣れな身体で幾日も幾日も此の天日に晒されて、酷(ひど)く眩暈(めまい)が始まりまして、何度と無く馬から落ちましたので、アノ通り縛り附けて貰いましたが、長い疲れでツイ寐込み、黒人奴に馬から引き卸された時、ヤッと目が覚めました。覚めて見れば貴方がたが奴隷商人と争って居ますから、夢かと許かり驚きましたが、余り騒ぎ立て、怪しまれては成らないと、ヤットの事で我慢して居ました。」

と云うのを茂林は、
 「オオそうか。それ位の病気ならマア安心だ。」
と言って、用意したブランデー酒などを少しばかり飲ませて介抱すると、彼は思って居た以上に元気に復し、元の通りの與助と成ったので、一同最早や此の土地に長居する用も無いと言って、引き上げる支度に掛かると、今まで此方の有様を見て何か相談しつつ有った奴隷軍は、又気に入らない事でも有るのか、再び鯨波(とき)の声を上げ、首枷などを振り廻してドッと此方に攻めて来た。



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