巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou43

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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       第四十三回 奴隷商人の仕返し

 芽蘭(ゲラン)夫人が平洲と茂林とに余所余所(よそよそ)しく成ったのは何の為だろう。平洲も茂林も此の旅行を初めて以来、日々に新たな境涯に臨むに連れ、芽蘭夫人の優れた気質も益々分かり、曾(かつ)てパリに在った時は唯だ顔と心の共に美しい婦人であると思う丈であったが、此の地に来てからは美しさの外に、更に世間の婦人に立ち優った所が多いのを認めた。

 危険に臨んでは、夫人の落ち着いた勇気を知り、苦労に逢っては親切を知り、困難を経てはその知恵の行き届くのを知り、一日増しに夫人の人柄はいやが上にも高くなり、ますます夫人の溺信者と為り、一日でも夫人の顔を見ない辛さは、世にも人にも見捨てられた思いがする。

 このように熱心な愛なので、自ずから嫉妬の念も加わり、両人とも夫人が双方へ一様に余所余所しいのを悟らず、唯だ我にのみ嫌って遠ざけて居ると疑い、平洲の心では夫人の心は全く茂林に傾いた為と思い、茂林は又平洲に傾いた為と思って、互いに限りなく失望し、失望が募って嫉妬の念とは為ったけれど、パリを出る時の約束に、互いに嫉妬がましい振る舞いを示さない誓いも有り、どのように我が身の振り方を定めたら好いか、考えも纏(まと)まらなかったので、両人ともに言葉を交えるのさえ好まず、平洲は朝起きるや否や、

 「俺の留守の時には、茂林奴が必ず夫人の許へ行くだろう、恋の競争に負けた以上は、未練がましく邪魔するよりは、気を利かして外す方が寧ろ男らしい。」
と心の中に呟(つぶや)いて、悔しさを押し隠して外に出ると、茂林は又そうと見て、
 「平洲の奴は勝ったと思って好い気になり、夜の明けるのを待ち兼ねて、アノ通り夫人の許へ出掛けて行くワ。俺も男だ、ナニ未練がましく彼の邪魔などする者か。」

と独り歯を噛んで我慢しながら、是もやがて宿を出て、夫人の許を訪問しようともしなかった。しかしながら夫人からも何の便りも無かったので、両人の疑いは益々募り、二人は別々に、或いは山に入り、或いは野に出るなどして、只管(ひたす)ら我が心を紛(まぎ)らわそうと勉めるだけだった。

 二人とも顔を合わせて、心の中を明かし合うのが忌々しいのは、即ち嫉妬の本性にして、朝晩顔を合わせる度に、唯だ黙礼をして右左に分かれるだけだった。この儘(まま)に捨てて置いたなら、募り募って取り返しのつかない、難しい間違いを起こさずには収まらないだろう。

 独り寺森医師だけは、心に何の曇りも無いので、双方の異様な様子を見て取り、何とか之を話合わせようと、密(ひそ)かに其の機会を待ちながら、日々市中の変わった物事を見て来ては、平洲に逢えば平洲に向かい、茂林に逢えば茂林に向かい、面白そうに語り聞かし、且つは私と一緒に見物に行こうなどと勧めたが、両人は応じる景色も無い。

 そこで或夜の事、寺森唯一人で市中を徘徊し、ナイル河に近い所まで行くと、四つ辻の角に当たる所に、非常に賑やかな見世物があった。看板には女の踊る様などが画(え)がかれて有るので、是を見て行けば、或いは話しの種にもなるだろうと、木戸銭を払って中に入ると、一種の女芝居であった。

 何の筋書きなのかは分からないが、見物人の鎮(しず)まる様子は、面白いものに違いないと思われるので、一方の席に座を占め、少しの間見物していると、僅(わず)か四、五間《約8,9m》離れた所に、目に留まる五人一組の見物人があった。何やら其の顔に見覚えがある気がせられので、何所で逢ったのだろうと、舞台よりも其の方に目を注ぐと、彼方もやがて寺森の顔に気付いて、五人互いに密々(ひそひそ)と話しを初め、何やら目配せなどする様は、好くない相談をしているようだ。

 どちらにしろ正直な良民では無いと思ったが、忽(たちま)ち心に浮かんだのは、先日馬兵田(バヒョウダ)の沙漠で、喧嘩の後救って遣った彼の奴隷商人である。彼等は我が一行に邪魔されて、自分たちの財産とする二百の奴隷を失った事なので、自分たちが悪いことをしていたとは思わず、必ず我が一行を恨んで居るに違いない。

 今目に留まったのは商人の全員では無く、其の中の五人であるが、密々(ひそひそ)相談する様は、何やら復讐の打ち合わせをしている様に見えるので、長居して辛い目に逢ってはならないと、寺森は半幕も見ずに、静かに立って出て去ると、暫くして彼等の五人も、又同じ様に坐を立って木戸を出た。

 寺森はそうとも知らず、我が宿の方を指して、二、三町《二、三百m》引き揚げると、忽(たちま)ち背後(うしろ)から寺森の身に飛び掛かる人があった。払い退けようとする間も無く、早や寺森を投げ倒して、五人犇々(ひしひし)と畳み掛かり、忽(たちま)ち口に猿轡(さるぐつわ)を食(は)ませ、手足を縛り締める様は、流石奴隷を捕らえるのに慣れている事と見え、真に咄嗟(とっさ)の間にして、藻掻く暇さえも無かった。

 寺森は如何にも仕様が無く、運の尽きと諦めて其の為すが儘(まま)に任せるうち、彼等は寺森を舁(か)き上げて、非常に暗い方に走りながら、
 「何んな方法で殺そう。」
と云う声は其の中の一人から聞こたが、
 「石を附けて淵へ沈めるのが第一等だ。」
との声は又一人より発し、
 「それが好い。それが好い。」
とは他の者の賛成する声である。



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