巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou54

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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         第五十四回 象狩り

 平洲文学士の兵糧攻めに黒人も閉口し、一同は河に降り立って水草を押し分け、船を引き初めたので、暫(しばら)くにして又も此の浅瀬を通り越した。依って平洲は賄(まかな)い方に命じ、いつもよりも美味の食を黒人等に與えたが、此の効能は驚くほどだった。是から後、幾度か浅瀬に出逢ったが、黒人等は途中に手間取って、兵糧が尽きては大変だと言合せ、我先にと船を引いた。

 翌日はアラブと云う枝川が、ガゼル河に来て合っする所まで達したが、是より上は水は少し深く、沼の様であり、池の様でもあり、ガゼル河も幾分か流れが目に見える程と為ったので、従って水草なども少なく、船は帆と櫂との力で進む事と為り、其の又翌日は、前から予定していた、「レツク」と云う村に着いた。

 此の村より上は、到底船で上れる見込みは無い。依って一同は上陸して荷物をも揚げ、更に人夫の隊を組んで陸を行く事とした。しかしながら人夫の隊を組む事は、一日や二日で出来る事では無い。人を雇い集める丈でも四、五日は掛かる訳なので、ここに一週間逗留する事と為ったが、何の見るべき者も無い蛮地に、一週間の逗留は退屈に耐え難く、三日目の日は一同身を持て余す程と為なったので、茂林の言い出しで象狩りを催す事とした。

 象象狩りと聞いて第一に賛成したのは與助だった。彼は以前から象牙にばかり目を注ぐ者なので、茂林がお前は銃の狙い方も知らないから、踏み留まって居ろと制したのにも構わず、イヤ落ちて居る象牙を拾うのに、銃の狙いなどは必要有りませんと言い張って、一緒に行く事と為り、外に芽蘭夫人、帆浦女、平洲、寺森、通訳亜利、及び老兵名澤等が同行する事と決まり、皆馬で出発した。

 象狩りは到底徒歩では出来ない事なので、健脚の帆浦女まで馬に乗ったのはパリを出て以来の珍事である。
 象は獣物(けもの)の中で最も賢こい者の一つに数えられ、中でもアフリカ内地の象はアジアの象より又一層利発で、啻(たま)にアフリカの原住民等よりも、その智とその心が優れているばかりでなく、或場合には殆ど文明人ほどの思慮があるのではないかと思われる事も有る。その身体も、アジアの象よりは遥かに太く、力も強く、心も又獰猛(どうもう)な為め、慣らして荷物を運ばせるなどの事は思いも寄らない。

 之を猟(か)るのは極めて危険な事で、危い丈に又面白さも並大抵では無いと言う。一行の中、老兵名澤は曾(かつ)て象牙商人の手代《使用人》とも為り、象狩りには何度も経験があったので、自ずから案内に立ち、更に猟りに慣れた原住民十名ほどを雇い入れ、「レツク」から更に西の方五里《20km》ほどの所に当たる森林を目指して行った。

 漸(ようや)く進んで但(と)ある小広い所に出るや、事に慣れた名澤の目は、早くも此の辺りは象が出て来る所に違いないとして、一同を此方彼方に配置しようとしたが、準備が未だ終わらず、陣の備えも充分には整わない中に、遥か彼方から空谷に響く足音がして、近づいて来るものが有った。

 一同は今更の様に物凄さを覚え、身を引き締めて其方を眺めると、高さ一丈《3m》に余る牝象、三歳許かりと見える児象を従え、共に戯れながら広場の中央に出て来て、狩人が居るとも知らない有様で草を食い始めた。象を射るにはその耳の後部か、或いは肩の下を射れば一発で斃(たお)す事が出来るが、誤(あやま)って他の所へ傷を負わせれば、唯だ怒らせて非常な危険を招くだけであることは、狩人の皆知る所なので、平洲と茂林は此方の物陰で銃を構え、象の急所が我が方へ向く機会を待つと、此方から数十間《4,50m》離れた所に立つ老兵名澤は、宛も急所と認めたのか。一発ズドンと射放した。

 しかしながら如何なる名人にも思わぬ射損じは有る者で、その弾丸は急所から五寸《15cm》ほど離れた所に当たったので、象は忽ち怒った様子で、銃声の響いた方に向かったが、象の眼力は極めて鈍い物なので、遠くを見分けることは出来ない。その代わり嗅ぎ分ける鼻の感じは他に類が無いほど強く、其の鼻を揚げて空気の匂いを嗅ぐと見る間に、早くも方角を知った様に、一声高く叫んで一直線に名澤の方を指し、児象と供々走り出した。

 その足音の荒くして勢いの鋭い事は、殆ど譬(たと)えるに物も無く、樹も草も蹴倒し踏蹂(ふみに)じって、何の障碍(しょうげ)《障害》も無い所を行く様だった。原住民十余名は一散に逃げ走り、名澤も馬のまま逃げて、此の勢いを避けようとしたが、彼れの運が尽きたのか、その馬は躓(つま)づいて名澤と共に倒れ、名澤が僅(わず)かに起き直る間に、象は早や追付いて、長い鼻で名澤を空中に巻上げた。是れは地上に叩き附けて、踏み砕こうとする為であって、即ち総ての象が通常に行う行為である。



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