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野の花(前篇)

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ミセス・トーマス・ハーデー著  黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

野の花

           三十七  「春の名残(なごり)」

 澄子が恨むのが無理だろうか。誰も彼も楽しさで夢中になっている中に、自分一人は捨てられている。自分がこのように悲しんでいても振り向いて、何のためにと聞いてくれる人も居ない。そして、陰では自分の悪口を言っている。当人が死ぬまではなどと、自分の死を祈る人さえある。

 このような時に、夫たるものが労(いたわ)ってくれなければ夫婦たる甲斐がどこにあるだろう。しかもその夫は誰よりも深く自分を疎(うと)んじている。有るか無しかに扱っている。ほとんど、この世に澄子という女のあることさえ忘れたようで、澄子のためには敵とも言うべき女と、夢中になって踊っている。

 これを恨めしく思わなければ澄子ではない。女ではない。ほとんど人間でさえもない。澄子は全くいたたまれなくなって、庭の表に走り出た。もし、走り出ずに居たなら、恨みに気絶してしまうところだ。

 天はどんよりと曇って月の顔も見えない。家の中の騒ぎに似ず、世界がなんとなく陰気である。ひっそりとしてもの寂しい。澄子の心はただ沈むばかりだ。

 窓近くにうろつき回って内の様子が分かるのは嫌だから、頭をたれままで静々と歩んで、窓の光も届かない植え込みの外まで出た。ここで初めて立ち止まり、深い深いため息を漏らしたが、この時風も何も吹いていないのに、春の名残に散る花がパラパラと澄子の顔にかかった。

 風がないのに散る花ほど人の身に哀れを感じさせる物は無い。澄子のためにはこれが死神の誘いと言うものではないだろうか。
 澄子は涙の尽きた目を上げて、空しく花の降って来た方を眺めた。

ーーー「アー、何時か一度は散る花だ」
とつぶやいたが、早く散ればこそ人にも惜しまれるとの理由を深く心に感じたらしい。
ーーー「散った方が良い。いっそ、初めから咲かない方が。」
と又言いかけて、後は物思いに消えてしまった。

 高い梢に咲けばこそ、散って低い地に落ちもするだろう。咲かない花には散るときの悲しみも無い。これを思うと我が身が瀬水冽に愛せられ、一度は嬉しいと思う身分の違う今の地位に引き上げられたのが、何よりの間違いであった。

 咲くものは散る。上る者は下る。いつまでこの世のこの地位に未練を残して何になるだろう。どうせ散ると決まったものなら、まだ今散るのが後に散るより勝るかもしれない。

 悲しくも思い定めた様子で、なおもやや久しくそこに立っていたが、又静々と引き返して、前に通って来た植え込みの中を半分ほど家の方に帰った。

 この時、ダンスが区切り目となったと見え、家の中から庭に出た何組かの男女がいる。今は自分の姿さえ見られるのが物憂いので、少しの間足を止めたが、そのうちの一組は確かに冽と品子とである。二人は飽きるほどまで踊り足りて、今は身を冷やすためか、それとも更に人のいないところで何かを語らうためか、しかるべきところを探しているように見える。

 何も妻ある身と知り、人の夫たる人と知っていながら、ダンスの済んだ後までも手を引き合わさ無くても良さそうなものなのに、組み合った手がまだ離れようともしない。

 そのうちに生憎にも澄子の居る方へやって来て数メートル離れた木の根本にある椅子に、二人相対して腰を下ろした。向こうは窓の明かりを受けているため、こちらからはよく見えるけれど、こちらに澄子が居るのは向こうから見ることは出来ない。これが向こうのためにも、こちらのためにも運の尽きと言うものだろう。

 日頃の澄子ならば、何の気もなくその所に出て行って、品子をも労(ねぎら)い、夫の汗をも拭ってやるところだ。今夜の澄子はそうではない。自分が居ることを気づかれてはならないと言うように、ほとんど息まで殺して立ったままである。

 人々のひそひそ語らうのを立ち聞きするのは澄子の懲りているところである。いや、立ち聞きするなどと言う卑劣な心は露ほども持っていない。実際立ち聞きなどしたことは唯の一度もない。が妙に立ち聞きさせられるような場合に何度もなって、その度に、聞かなければ良かったのにと悔やまないことはない。

 もし、出来ることならそっと逃げて行きたい。けれど、木の葉に触った程度でも自分がここに居ることが分かってしまう。それでもまだ、相手が品子と他の人とならば澄子は必ず逃げ去ったところである。ただ相手が我が夫だけに逃げ去ることは出来ない。

 何もかも既に思い定め、全く覚悟を決めている身でも、いくらかの未練を残していると見える。
 イヤ、実はこれを未練と言うのも可愛そうだ。成る程、未練は未練である。未練には違いないが、もしや、夫の口から、まだ自分を愛しているような言葉のかけらでも出ないかと、少しでもそれが聞きたいのである。取り返しのつかない決心を実行する前には、それだけのことは見定めて置くべきだ。

 散ると約束の決まった花でも、邪険な風邪に吹かれたくはない。もしも、夫の心にまだこの身への優しい情が、よしんば露ほどにも、塵(ちり)ほどにもせよ、残っていると知れば、我が身の往生際がどれほどかまた安かろうか。恨みを帯びて死ぬのと、少しでも嬉しい思いを心の隅に残して死ぬのとでは、大きな違いである。

 出来るものなら、この世の誰をも不実な人と恨まずに終わりたい。恨みはいずれにしても、恨みなりとは言え、まして我が夫とした人を、死ぬ迄も恨むとは心苦しいところである。

 このように思うために、去りもせずに立っていたのは、澄子の天性に人にすぐれて優しいところが有るためである。けれど、どちらかと言えば、夫と品子の言葉を、こうも優しい澄子にはむしろ聞かせたくは無かった。



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