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野の花(後篇)

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ミセス・トーマス・ハーデー著  黒岩涙香 訳   トシ 口語訳

野の花

    百四 「権式を捨ててまで」

 事実はなるほど品子の言う通りである。よしや、良彦が死んだとしても品彦という者がまさに残っている。ちょうど、その昔澄子が死んだとなった後に品子がちゃんと残っていたのと同じことだ。

 けれど、このような場合に夫を慰める言葉としては、余り当を得たものではない。つまり、
 「澄子の生んだ子が死んでも、私の生んだ子が有るじゃありませんか。」
と言うのだから、何だか情の薄いように聞こえる。

 果たして、夫冽は、少しもこの言葉に慰められた様子は見えない。かえって癪(しゃく)にさわるような様子が何所となく現れた。普段ならいくら癪に障ることがあっても、決して顔や素振りに現す男ではない。言葉にはなお更現さない。

 ところがこの時だけは現した。イヤ現したと言うのは大げさだが、その気配が察せられた。彼は悲しみの上になお一種の不興を帯びた声で、
 「それはそうさ、この家に子供が二人居るのだから、一人死んだとて、まだ一人残るのは、数の上で誰でも知っている。けれど、せっかく二人有る子が一人死ぬとは実に残念ではないか。」
と少し声が震えた。

 そして、更に言葉を継ぎ、
 「特に良彦は澄子の産んだ子で、その澄子はこの家に来て以来余り楽しい月日は無く、そのためにこの私が一家をまとめてイタリアに行っていたほどだから、言わば悲しみも悲しみこの世を去ったようなものだ。

 それと言うのも一つはこの私が不行き届きで有った為だ。もっと、夫らしく妻らしく良く気を付けてやるべきだった。これを思うと私はどうしても良彦を育て上げ、立派な人間にしてやらなければ相済まない。ところが良彦はこのような名も知らない病気に罹(かか)り、明日が日も計れない今日となった。

 私は前からこう思っている。もしや、天が私の不実を罰するために良彦を奪い、私に思い知らせるのではあるまいかと。私は全くアノ澄子に不実であった。これを思うと、二人の子を一人無くすのは仕方が無いとしても、このような悲しいことは無い。未練かもしれないが私はもう途方にくれているのだ。」

 先妻のことをこのように言うのは実に気まずい話だ。冽はそれと知っているから、今まで、心にはどう思っても決して品子の前でこのように言ったことはないのだが、品子の慰め方が少し良くなかったから、胸に包んでいることが知らずにあふれ出たのである。

 そうでなくても、嫉妬の深い品子が、これを聞いて怒らずに居られようか。全く腹に怒りの波が打つほどであった。けれどそこが品子だ。怒るべき場合と、怒るべからざる場合とを良く知っている。

 夫が折れて出る場合は怒っても好いが、断固として少しも譲歩しない今のような場合では、怒るのは損だ。怒って喧嘩をすれば必ず自分の負けになるのだ。

 何所までも夫に対し自分の勢力を保存して置こうという品子にとっては、一度でも夫に負けるのは禁物だ。大の禁物だ。一度負ければ向こうに勝ち癖が付いて、後々自分の威光が減じ、あごの先で夫を動かせなくなる。

 品子はこの駆け引きを良く知っているのだから、ここはどうしても怒ってはならない。我が夫に、
 「なるほど、品子なればこそ、このような時にも慰めてくれるのだ。」
とこう有り難く思わせなければならないところだ。

 「本当に私は貴方のお悲しみを自分の身に引き受けたいと思います。」と言って夫の身にすがりつき、いとしさに我慢できないといった風に夫の首を抱いた。

 普段は権威ぶってなかなかこのように馴れ馴れしくはしない女である。それが、権威を捨ててまでこうするのだから、一通りや、二通りのことではない。

 ここで、夫に有り難がらせておけば、間もなく品彦がこの家の相続人になり、自分がこの家の全く独裁君主になることが出来るのだ。それを思えばどのような事でも嫌(いと)いはしない。

 なぜか冽はこの慰め方を少しも有り難いと思わない。ほとんどうるさいと言う風で品子を押しのけようとした。丁度その時、この部屋の戸へ、外から柔らかにさわった者がある。そして品子がまだ充分夫の首から離れ切らないうちにその戸を開いてこの部屋に入って来たのは、誰だろう。たった今呼びにやった河田夫人である。

 河田夫人はただ黙ってこの様子に対し、そして確かに自分の位置を品子に奪われている有様を目の当たりにした。夫冽が悲しんでいるのは、私が産んだ良彦のためである。そうすれば冽を慰めているのはこの自分であるべきはずである。

 自分が冽を慰めもし、また冽から慰められもしているべき場合である。その自分がいるべきところに品子がいて自分がなすべきことを品子がしているけれど、冽の顔に、何だか品子に慰められるのを喜ばない風があって、品子を押しのけるようにした様が、それよりも更に深く澄子イヤ河田夫人の目に留まり、そして異様に心の底にしみ込みこんだ。

 本来澄子はねたましいことと有り難いと思うことを二つ並べて一緒に見せられれば、先ず恨みよりは有り難さの方を余計に感じる性質の女である。
 総て心の行き方が真に天使のように出来ているのだ。



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