nonohana14
野の花(前篇)
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トーマス・ハーデー著 黒岩涙香 訳 トシ口語訳
野の花
十四 「それは我がままというものだ」
一々記し切れないが、この後は総てこの様な有様で、澄子はますますいじけるばかりだった。果てはなるべく人前にも出ず、なるだけ口数もきかずに謹慎する以外はないと、心細い考えを持つようになった。
もし、初めに親身の親切を以て励ましたり、教えたりする人がいたなら、悟りの早い女だから少しの間に、何事も心得てしまっただろうに、母親さえもしばらくうち解けたように見えたにもかかわらず、いつの間にか、次第によそよそしくなった。時々親切な言葉を吐き出すが、決して親身な情はない。とりわけ品子に至っては、全く澄子の身を、滅ぼしにかかっているようなものだ。
ある人の言葉に、「人を動かす雄弁と言うことは、男子には非常に必要であるが、あいにく少ない。女子には非常に有害であるが、あいにく多い。これだけは造化の神の失敗だろう。」とあるが、品子は特に造化の失敗だと見え、実に口がうまいだけでなく、知恵の回りもすばやい。
うまく言葉に裏表の意味を込めて、冽(たけし)の目には非常に澄子に親切の様に見え、そして、その実は不親切だ。何事でも澄子のすべきことを自分でしてやる。そのたびに冽には褒められて、そして、澄子が物事に慣れると言う場合を奪うのだ。
時々澄子に教えもし、かばいもする。そのたびに冽から感心されるが、そのたびに澄子との優劣を感じさせ、ますますいじけさせる種を作るのだ。この様子では主婦人の実権も遠からず品子に渡ってしまい、澄子はほんの飾り物同様になってしまいはしないか。この家に澄子がいなくても済むが、品子が居なくては治まりがつかなくなると、冽がこう思うように成りはしないか。早くこのようにしてしまうのが品子の作戦計画らしい。
この年のクリスマスの宴会の時なども、客同士が素人芝居を催したが、良くあるやつで、甲の貴婦人と乙の貴婦人が役争いを始め、双方とも良い役を取ろうとして争いが止まなかった。この様なことは主婦人である澄子が、取り裁くべき地位なので、客の一人から、何か仲裁してくださいと言って来た。
貴婦人と貴婦人との争いの仲裁など、澄子には全く用いるべき言葉も知らない。しばらくは途方に暮れていたが、ありのままに自分の出来ない事を白状する以外はないと思い、
「イエ、私にはとてもそのようなことは出来ません。」と答えた。
もし、澄子が不評判の主婦人だったら物笑いとなって終わるところだったが、内気ながらも自然に人に優れたところが備わっていたので、同情を抱く人が有っても、悪く言う人はなく、特に、その紳士が案外親切な人であったので、噛んで含めるように教え、
「ナニ、子爵夫人、訳もないことですよ、一通り双方の言いぐさを聞いた上で、どっちでも、貴方が気に入った方に向かい、なるほど、そう言われればそうかも知れません。その役は貴方がなさってくださいと言い渡し、そして、失望した方の夫人を影に呼び、貴方ならこそ、こらえてくださったのです。なにしろ、相手がご存じの通りの我が儘者ですから、言い分を立ててやらないと、お互いに後がうるさいではありませんかと。こう言えば、双方ともに満足し、貴方を行き届いた方だと褒めるのです。」と言った。
さては、社交とはこの様な偽りのみのものかと、ほとんどあきれてしまったが、やさしいことはやさしいが、到底そのような偽りが、自分の口で言えるとは思われない。
「私にはそのやさしいことが出来ないのです。」客の方でもいささかあきれた様子だ。
そこへ品子が来て、澄子に向かって、「どうして、貴方にこの大役が勤まりますものか。」と小声で言い、その客を引き連れるようにして、「私が子爵夫人に代わり仲裁しましょう。」と言って立ち去った。冽も他の人からこの役争いを聞いたと見え、引き違えに澄子のそばに来て、「総てこの様なことは、貴方が引き受けなければ、仕方がないではないか。」といくらか恨みを帯びて言った。
「もう、品子さんが引き受けてくれましたよ。」「イヤ、外のことと違い、主婦人が自分で仲裁しなければ失礼に当たる。貴方が出来なければ、サア、私と一緒に行って仲裁しよう。」
澄子は拒んだけれど拒みきれない。引き立てられるようにしてそのところに行ってみると、早や、品子がどこをどういう風にしてうまくやったものか、両夫人とも全くうち解け合い、別々の役を稽古している。
冽は深く品子の手際に感心すると同時に、我妻が少し品子に似ればよいと思った様子で、やがて二人差し向かとなった時、「貴方は少し稽古でもして、品子に見習いなさい。子爵夫人には子爵夫人だけの義務がある。それを知らずに、何時までもおられるものではない。」と何時になく荒々しい口調である。
それを知らずにはおれないと思うからこそ、結婚の前に断ったのだ。それほどならば何故品子を妻にしないと、普通の女なら愚痴を言いたくなるところだが、澄子はただ自分を責めた。
「稽古して出来ることなら、心配はしませんが、幾ら稽古しても私には社交と言うことは出来ません。」
「それは我がままと言うものだ。」
厳重な一言に返すべき余地もない。
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