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nyoyasha28

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 5.4

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如夜叉    涙香小子訳

                 第二十八回

 (長)この家が博徒(ばくちうち)の巣窟か。大層立派じゃないか。
 (筆)立派でも巣窟は巣窟だ。今夜の十二時頃茲に居たまへ、茶谷立夫が博徒だということが分かるから。
 (長)夫が分かれば朝までも構いはしない。併し之は何うした家だエ。
 (筆)ここへ出入りする者は皆之をクラブと言うのサ。
 (長)フム、クラブか
 (筆)クラブでも巴里中で是ほど評判の悪いクラブは無い。外のクラブで鼻ッ摘みにされるような奴ばかりがここへ来るのだ。

 (長)では君が如何して此の会員だ。
 (筆)僕は画工だもの、師匠から勧められて此の頃会員になったばかりさ。それハもう此のクラブの歌牌室(カルタしつ)へ入り、良く気を付けて人々の顔を見ていれば、負けて失望するのもあり、此の金を失ってはならないと心配すのるもあり、画工や彫刻師にはこれ以上はない好い手本だ。

 (長)而(し)てみると君は人の顔を見るために入っているのだな。
 (筆)爾(そう)とも。怒ったり笑ったり泣いたり喜んだりする人の顔や癖などを良く見るにはこれほど良い所はない。尤も爾(そう)と知れては怒られるから僕も外の会員と同じ様に見せ掛けて少しは賭けることもあるのサ。

 (長)併し外のクラブで鼻ッ摘みになるような連中ばかりなら、何れも財産のない奴だろうね。
 (筆)爾は限らない。金持ちでも不正のことをして俄かに財産ができたとか政府に賄賂を使って一代に財を起こしたなど云う連中ハ他の紳士クラブには入れないけれど、このクラブは誰彼の差別無く、博打さえ打つ者なら誰でも入れる。それに又常雇いのポン引きと云うものがあって好い鳥を連れてくるのだ。

 (長)ポン引きとは何だ。
 (筆)世間に広く顔が知れその実嚢中(のうちゅう)無一物と言う見掛け倒しの輩が内々ポン引きを勉めるのサ。鳥を引くには例えば公園の様な人込の場所に行き、散歩に来た紳士の中で知った者があれば直ぐにその傍に行き、何うだ今夜は、これこれのクラブで面白い勝負があると言って僕も決闘状受けているけれど一人で行くのも可笑しいから君一緒に行こうではないかなどと言葉巧みに言い回して連れ込むのさ。驚きなさんな君、アノ茶谷がそのクラブのポン引きを勉めて居たのだぜ。

 (長)何だと。茶谷がポン引きを。
 (筆)素より是は内々の職務だから誰も茶谷がポン引きとは知らないけれど、僕は同じポン引きの猿田と言う者から聞いた。猿田と茶谷はポン引き同士で商売忌み敵と言う者か大層中が悪く、それに茶谷は此の頃亀子嬢と婚姻すると言う風説が立ってから急に融通が利くようになり前の週間からポン引きを止めこの四,五日はクラブ中で第一等の大勝負をやり生憎と又運が好くて連戦連勝だから殆ど飛ぶ鳥を落とす勢いがある。それだから猿田と言う奴が一層羨ましがって昨夜も僕に長々と茶谷のことを話したが、彼奴(きゃつ)最初は食事だけ只で食わして貰おうと言う全く浅ましい約束でポン引きを始めたそうだ。尤もそれハ彼奴(きゃつ)が一番零落した時であったけれどその後沢山に鳥を呼ぶものだから手柄に由って第一等のポン引きに進み再び世に出て交際も始め亀子嬢にも見初められる様になったということだ。

 長々ハ聞く事毎に驚いて、
 「では君この様な事を三峯老人の耳に入れても差し使いハないだろうか。」
 (筆)ないとも、特に老人が茶谷を買い被っているのだから言ってやるのが忠義と言うもの、夫に猿田に問えばまだ詳しいことが判るかも知れない。
 (長)もう少し早くこの事を聞けば充分為になったけれど今では老人が茶谷に惚れ込んで仕舞い、その上亀子の婚礼も直ぐ次の週間に行うと言う事から、僕が言い出しても却って讒訴と思われるかも知れない。兎に角中に入って茶谷が博打を打つ所を見届けよう。自分の目で確かに見たと言えば是に増す証拠は無いから。併し君茶谷が僕の顔を見れば驚いてそのまま帰るだろう。

 (筆)それは何とも分からないから茶谷が愈々(いよいよ)始めるまで君はなるべく其の顔を見せないようにして居るのが好い。
 (長)好し好し、爾(そう)しよう。
是だけの問答はクラブの入り口に立ったままひそひそと話していたことだが、是より二人は石段を上り其の玄関を踏み入ると、ここには一人の番人がいた。恭しく二人に礼をした。筆斎は之に向かい、

 「コレ大糟此の紳士は俺の友達で今夜俺の紹介に由り遊びに来たのだから員外来客帳に付けて置け。もし間違いがあれば俺が引き受ける。」
と言う。大糟と呼ばるる番人は畏まって長々の名を控えた。
 (筆)今夜の勝負は何の様な有様だ。
 (大)ヘイ、茶谷伯爵がまだまだ見えません。ビスマーク公爵が一人勝ち誇って居られます。
筆斎は聞き流して直ぐに歌牌室(カルタしつ)に入ろうとする。

 長々は非常に怪しく思い、
 「ビスマーク公爵とは誰のことだ。」
 (筆)ナニ、此の近辺の青物問屋の主人さ。大きな勝負をするからビスマークという綽名を取って居るのだ。
 (長)爾か。乱暴な綽名を付けるな。
 (筆)乱暴にも何もその様な事は少しも構わない。今の大糟と言う番人も男爵ロスチャイルドと言う綽名を得ているほどだもの。

 (長)ロスチャイルドとは世界一の銀行家じゃないか。何故その様な綽名を番人に付けて置く。
 (筆)ナニ、彼は少しばかりの給金を溜めそれを博打に負けた人へ時貸にして翌朝二割三割の利を付けて取り立てる。それで今はもう可なりの資本を持って居るからと話ながら歌牌室(カルタシツ)に入った。ここには凡そ十四、五人の連中が、楕円形のテーブルを囲み盛んにバカラットと言う勝負を争っていた。

 猶其の外に立ったまま見物をする者もあり。負け尽くして失望しながら立ち帰る者、勝って意気揚々と一同を見下す者、実に様々の顔付きでなるほど画工の身にとっては此の上無い手本である。其の中に大手を広げ熊鷹眼で歌牌(カルタ)を右左に配る者是が即ち堂親にして青物問屋の主人プリンス・ビスマークであるのに違いない。

 一同はただ勝負にばかり気を取られ二人が入って来たことには気も留めないが、唯一人隅の方に腰掛けて勝負には気も留めず出入りの人だけを見張っている一紳士があった。この紳士が筆斎の顔を見て軽く黙礼するのを長々は小声で、「彼は誰だ。」
と問うと、
(筆)あれが即ち茶谷の商売敵と言うポン引きの猿田何某サ
と答え、

 更に又四辺を見回し、
 (筆)茶谷が来ても直ぐには目に留まらぬ様に入り口に背を向けてあすこへ腰を掛けるとしよう。状況によれば僕が金を出して指図するから君も折々勝負を仕給へ。さもなくば怪しまれるから。
 (長)好し、心得た。
と言いつつ二人は一同の中へ割り込んで腰を下すと、此の時ビスマークは最早飽きたという風で一同の顔を見回し、

 「何うも諸君が少し宛(づつ)しか賭けないから我輩は勝っても張り合いがない。宵から汗を垂らして諸君の財布を絞ったけれど未だ千フランにも足らないが。」
と言う。これは新に来た長々を好い客と見て密かに闘いを挑んでいるのだだろう。

 (甲)爾(そう)サ。毎晩君に一万フランの商法をさせて遣りたいけれど生憎君の腕が鈍いから。
 (乙)今に茶谷が来るから其の時に熱を吹け。彼奴(きゃつ)は花嫁の婚資を残らずでも掛けるだろう。
 (丙)爾サ。詰まり只貰う婚資だから。
と様々に嘲弄す。

 ビスマークはまだ不満の色で、
 「茶谷が来れば兎に角も、さもなければもう帰ろう。それとも諸君で大きく張るか。」
と挑む声のまだほ終わらないうちに、何者だろうか長々の背後からり千フランの銀行券を十枚揃え、
 「サア、取れるなら一思いに取って呉れ。一万フラン賭けてやるから。」
と投げ出す人がいた。顔は長々の目には見えないが声は確かに茶谷の声である。

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