巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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nyoyasha40

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 5.16

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如夜叉              涙香小史 訳

                  第四十回

 松子夫人がもし『まあ坊』でなかったら尋ねて行ったお皺婆はきっと極まりの悪い思ひをすることだろう。長々もそれを察っしないわけではないが、今まで調べ上げた所では十が十まで同人に相違なく、今は外に探偵の方法がないので長々は度胸を据え間違えたら又その時に考えればよいと高を括って婆に向かい、

 「実はね。お前が『まあ坊』から古着でも買い取ってその代価を払った上、『まあ坊』の自筆で書いた受け取り取って来て貰いたいのだ。」
(婆)「それは了(いけ)ないよ。私と『まあ坊』は受け取りのやり取りをするような他人行儀の間柄じゃない。今までも書付なしに借りたり貸したりして居たのだもの。」

 (長)「それにしても金主あって、その金主に受け取りを見せなけレばならないとか何とかうまく言へバ好い。」
 婆は彼の金子を調べ、アア丁度二十ルイある。成る程是でお前は私の金主だから爾(そう)言ってハ見ようけれど、一体お前ハ何故その様に『まあ坊』の書いた者を欲しがるのだエ。」

 長々ハ言葉巧みに、
 「それが此方の秘密と言うものサ。お前だから聞かせるが実はネ。先夜公園で踊った時『まあ坊』に逢ったのだ。まあ如何した機(はず)みか『まあ坊』が俺に思いを掛け無理に俺の手を引いて休息室へ連れて行くやら大騒ぎ。それを外の奴等が嫉妬(やっか)んで俺を殴り殺すなどと言ひ出したから夫でアノ夜お前の店へ泊めてもらったと言う者だ。

 所が此の頃『まあ坊』が己等(おいら)に文を寄越し或る所まで忍んで来て呉れと書いてあるけれど、それが真実『まあ坊』の書いた者かそれとも俺を殴ろうとする外の奴の計略(はかりごと)か知れないから、何(どう)にかして『まあ坊』の書いた者を手に入れその文と比べて見たいからサ。」

 (皺)ジャアこうしよう。私が」『まあ坊』に会い、内々で聞いて見よう。お前にその様な文を出したか出さないか。」
 (長)馬鹿を言いネエ。其の様な事を言っては『まあ坊』が俺を意気地なしと思うから俺の名前はおくびにも出しては(いけ)ない。
 (皺)大層お前は気難しいよ。アア好いことがある。其の文を私にお見せ、私が一目見れば『まあ坊』の書いた者は直ぐに分かるから。

 (長)所が生憎に今其文を持っていない。
 (皺)ではお前宿へ帰って取っておいで、それが一番近道だよ。
 (長)爾(そう)するとお前大事の儲けを取り逃すぜ。今『まあ坊』に逢い外国の古着でも買い出せば、アノ様な女だから只も同様の値段で呉れるかも知れないよ。
 (皺)それは爾(そう)だが。若しお前が『まあ坊』の書いた者を手に入れて、それで何か『まあ坊』に悪戯(いたずら)でもしないかと私しゃ何だか心配だから。」

 流石は年の功だけあり早や長々の目的を疑い、我が大事の得意とする『まあ坊』を保護しようとする。長々は必死になり、
 「何その様なことがある者か。俺がその筋の探偵じゃあるまいし」
と言って更に様々に説き廻すと、婆は漸(ようや)く合点して、
 「夫なら好いけれど後で若し私が『まあ坊』に恨まれるような事にでもなれば損が行くから、それで念を押して見たのサ。」

 (長)「じゃその様な事がないと分かったから早く行ってくれな。」
 (皺)これから直ぐにかい。
 (長)「爾とも、今夜忍び逢うと言う約束だから、今のうちに行かなければ出てしまう。」
と真顔になって促すと、婆も初めてその気になり、

 「よっぽどお礼でも貰わなければ、引き合わないよ。」
と言い是から共々にアンジョー街を指し行ったがやがて真近くなった頃、長々はとあるコーヒー店に入り、
 「ここにおいらは待って居るから。」
と云うと婆は心得、軽根夫人の宅を目指して行った。このような事には慣れた女なので、先ず玄関に立ち取り次ぎの女に向かい、
「夫人は未だお宅だろうね。」
と言いながらつかつか上がろうとする。

 女は驚きながら、
 「了(いけ)ませんよ。夫人は誰にも逢いませんから。」
 婆は少しも遠慮しないで、
 「何だって、誰にも会わないって。お前私を知らないね。この儘(まま)私を追い返して御覧よ。後で夫人から叱られるから。」
と言い、更に声一杯に張り上げて、手厳しく言いまくると松子夫人は内からこの声を怪しんでか密(そ)っと合いの襖(ふすま)を開き、美しい顔を出して差し覗く。

 婆はうまくいったと付け込んで、
 「ソレお見な。他人と違ひ私だから夫人ハ逢って下さるじゃないか。」
と言い女を突き退け松子夫人の鼻先まで押し寄せて行く。夫人は婆の顔を見て打ち驚き、
 「オヤ」婆さんか。能(よ)くまあ尋ねて」
と云い掛けて身を引いたのは中へ入れとの意に違いない。

 婆は勝ち誇る顔付きで彼の女を尻目に掛けその儘(まま)襖の内に入ろうとすると、この時中から悠々と出で来る一紳士があった。高い帽子を戴いて非常に横柄に構えているのは、いずれ身分のある人と見える。この人はお皺婆には目もかけず、知らない顔で玄関から戸外(おもて)の方に出て行ったので、婆は引き違へて中に入り、

 「オオお前本当に好く帰って来たよ。私しゃ最う二度とお前には逢われない事かと思っていたが、まあ好かった。安心した。エ『まあ坊』イヤサ松子夫人、お前今まで何処へ行っていた。今度何処から帰って来た。だがお前は好くないよ。帰り爾々(そうそう)昔の情夫を引き入れてサ、お隠しでない。今出て行ったアノ紳士がお前の一番の好い人だよ。その様な事ハちゃんと知って居るワネ。

 お前が借金で此の土地にいられなくなり、夜逃げ同様に外国へ逃げたのも皆アノ人に入れ揚げたからの事だワネ。ナニ私が他人などに多舌(しゃべ)るものか。どの様な事を知っていてもお前は大事のお得意だもの。だが本当にお前は感心に年が若いよ。八年前から少しも異(かは)らず却ってズーっと若くなった。

 イーエ本当だよ。頬の傷などもアレまあ少しも見えなくなってサ。でも未だいくらかへこんでハいるだろうが私の目にさえ見えないから、他人には誰にも見えない。随分私が傷を隠す秘伝を教えて遣ったっけがネエ。
 何しろお前は幸せ者だ。本当に剛(えら)い者だよ。此の通り立派な婦人になって帰って来てサ。」
と久しぶりに逢い見た嬉しさの余り止めどもなくしゃべり立てる。

 『まあ坊』の松子夫人、未だこの婆が我が敵なのか見方なのか充分見極めていないため、すぐには返事をする様子は無い。

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