巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

nyoyasha57

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 6.3

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

更に大きくしたい時はインターネットエクスプローラーのメニューの「ページ(p)」をクリックし「拡大」をクリックしてお好みの大きさにしてお読みください。(画面設定が1024×768の時、拡大率125%が見やすい)

如夜叉              涙香小史 訳

                 第五十七回

 アルツ街の家を忘れたかとの問いに茶谷立夫は非常に静かに、
 「アルツ街の家とはどの家です。」
と問い返した。さては彼は全く彼の家を忘れてしまったのかと淡堂は怪しむほどだったが、傍で見ていた長々の目には茶谷の顔色が急に青くなったことまで分った。
 (淡)それを貴方が忘れるとは不思議です。私は医者ですからその家に住んでいた女に招かれて、むさ苦しい二階に上がったところ、丁度貴方の頭には重い傷を受け、右の手の腕先にはピストルの弾を受けてその女のベッドに寝ていました。

 (茶)それは貴方の思い違いででも有りましょう。その患者が私に似ていたかもしれませんが私では有りません。
 (淡)イイエ容貌の似ている為にそう言うのでは有りません。全く貴方であったから貴方だと言うのです。それにその女が貴方の名前までも私に告げ、伯爵茶谷立夫と言うのはあの人だと言いました。

 (茶)それは貴方が騙されたたのでしょう。その女が何(どう)かして私の姓名を聞き知っていて口から出任せに言ったののを直ぐに真実と思うのは余りに迂闊ではありませんか。
 (淡)「イヤその女には偽りはありません。偽りがあるなら貴方にあるのです。」
とこれまでは淡堂も唯初対面の紳士に対する様に平穏な調子で述べていたが、ここに至って様子を変え、突然茶谷の右の手を確(し)かと取り、

 「論より証拠、サア貴方の腕にある此の傷が物を言います。」
と彼の飾りシャツの腕をまくり上げると、茶谷も同じく様子を変え、急に淡堂の手を押し退けて、
 「これは怪しからん。此の上貴方の戯言を聞く耳は持ちません。全体私に喧嘩を買う目的ですか。」
と非常に鋭く言い放った。この時筆斎は進み出て、
 「イヤ喧嘩など買うのではなく我々は唯貴方の言い開きを聞きに来たのです。」

 茶谷はぎょっと驚いて、
 「何と仰る。貴方までも此の人の戯言に加担スるのですか。」
 (筆)「ハイ、加担するのみならずその上の証拠を持ち出します。貴方が医師淡堂先生に治療を受けたその前夜、テネル街に住む建築師長谷川と言う者の窓を破り押し入ろうとした賊があります。その賊は長谷川とその細君の為に頭には重い傷を受け、腕にはピストルを射込まれて逃げました。その傷までも残っているのに貴方が覚えていないとは言われないでしょう。」

 茶谷はキット怒ったように下唇の片端を噛みながら、
 「益々奇怪なことを仰る。私をその賊だと言うのですか。」
 (筆)勿論
 (茶)よろしい。その様な失敬な言い分に対して弁解をしたとあっては却って私の名に障ります。勝手にそれを誰の前ででもお喋りなさい。私が無言で居ても誰も私をその賊だとは思いません。その代り貴方方の失礼は懲らす方法を尽くして懲らします。貴方方もそれを否とは言わないでしょうな。」

 アア彼、三人があらかじめ思った様に早くも決闘を吹き掛けようとする。彼が懲らすの方法とは決闘を言うこと。もとより疑うべくも無い。
 (筆)承知です。決闘の相手にもなりましょう。貴方が望む通りの満足も与えましょう。しかし貴方が第一に今言う賊でないと言う事を明白に言い開き第二には彼の西山三峯老人にあれ程の迷惑を掛けたアルツ街の人殺し事件に関係していないという事を確かに証拠立つ上で無ければ決闘の満足は与えられません。

 (茶)何だ、私に賊と言うだけではまだ足らず今度は人殺しと言うのですか。貴方は全く狂人です。
 (筆)狂人か狂人で無いか先ずお聞きなさい。貴方を介抱した女と言うのは貴方の前の情婦で村越お鞠と言う者です。医師淡堂を迎えたのもこの女、アルツ街の家を借りていたのも此の女です。この女はアルツ街のその家で縊(くび)り殺されていましたが、その曲者の一人は危なく警察の手に捕らわれるところを屋根から落ちて死にました。三峯老人が目を焼き抜かれたのもこの犯罪の引き続きです。即ち毒薬を持った恐ろしい曲者がその家に隠れていたのです。それらの事は私が話さなくても貴方はとっくにご存知でしょう。三峯老人の娘亀子と結婚しようと企んでいるほどですから。」
と一言は一言より痛く責め寄ると、亀子の名を聞くと同時に茶谷はたちまち嘲りの色浮かべ、

 「アア分りました。貴方が音もない事を並べ頻りに私を傷付けるのは私を追い払って自分が亀子嬢の婿になりたいと言うのですな。心の底が分りました。発狂ではなく嫉妬でした。」
と毒々しく言い退ける。

 筆斎も別に騒がず、
 「それは貴方の推量ですから何とでも勝手に仰い。我々の中に嫉妬などと言う賎しい根性で彼これ言う者は一人も無く、全く目の見えない三峯老人を憐れむためです。貴方のような者を婿にするのは老人の後々の不為ですからそれで貴方に結婚の念を断たせようと思うのです。若し亀子嬢を思い捨てなければ我々は貴方の性質を三峯老人に知らせます。」

 (茶)なる程それは脅しですか。今思えば先夜貴方が長々君とこのクラブに遣って来たのもこの脅しの下見でしたな。私と談判《問題解決交渉》するのが貴方の役目で、三峯老人へ言い付けるのが長々君の受け持ちでしょう。」
と彼の言葉は益々傲慢無礼に出た。今迄黙然として控えていた長々も今我が順番の来たことを見て進み出て、

 「イヤ伯爵、三峯老人は既に貴方の性質を知っています。既に我が目を焼き潰した女までも知りましたが、唯その女と貴方の間に深い関係があると言う事だけはまだ知らないのです。もっともこれも私が充分な証拠を挙げ近々話して聞かせますから、遠からず知るでしょう。」
と言う断然たる言葉を聞いては、茶谷も恐ろしくはないとしても我が敵が何ほどまで我が悪事を知って居るのかと気遣うのは悪人の常なので、彼はその深さを探ろうとするように、却って嘲笑う色を見せて、

 「フム、証拠建てられるものならどれ証拠立てて御覧なさい。」
と言う。

次(五十八)へ

a:775 t:1 y:0
 

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花