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nyoyasha74

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 6.20

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如夜叉              涙香小史 訳

                第七十四回 

 頬をしたたか殴られて長々はかっと怒り、容赦も遠慮も総て忘れ、
 「己(おのれ)この俺を殴ったな」
と言うよりも早く茶谷の首に飛び掛り両手を掛けてその首を締め付けながら、荒々しく後ろの壁に押し付けた様はこのまま命までも取る決心かと疑われる。

 許(もと)より長々は筆斎と事異なり是非とも決闘を以てただ一思いに茶谷の息の根を断つ他なしと思い、茶谷がこっちを荒立てればこっちもまた彼を荒立て、今まで決闘の方へばかり話を向けていたが、今は唯怒りの余り決闘の儀式も忘れて彼の喉を絞めたのだ。 茶谷も決闘を望めばこそ長々を殴りもしたが彼が出し抜けに我が喉を襲うとは思いも寄らなかったので、締め上げる手を捻じ折ろうともがいたがその甲斐なし。罵(ののし)るにも言葉は出ず、筆斎はこうと見て走り寄り、

 「長々君、これ、乱暴は止したまえ。この悪人を警察へ引き渡せばそれで済むことだから。」
と様々に長々の手を解こうとするが長々は中々聞かず、
 「この様な奴はウヌ絞め殺しても腹が癒えない。これでも閉口しないか。これでもか。」
 (筆)コレ長々君、ここで悪人を絞め殺してなんとする。放し給え、放し給え。兎も角一先ずは放し給え。

 長々ももし絞め殺しては我が身も罪を免れない事に気づいたのか更に茶谷を四足ばかり引き出し、
 「アア、こうして放してやるわ。」
と言い力を込めて突き飛ばすと彼はよろめいてその体の中心を失い背後の壁に突き当たってようやく倒れる足を止めた。長々はなお罵(ののし)り、
 「コレ悪人、こうなれば決闘せずに済まされないだろう。好し、闘ってやる。直ぐに闘ってやろう。」

 茶谷は喉の痛みに枯れ果てた声を絞り、
 「直ぐに町外れの野原に出て闘おう。」
と答える。
 (長)いや、町外れへ行くうちに逃げて仕舞っても仕方がないから、直ぐに今この部屋で決闘しよう。
 この異様な言葉を聞き、筆斎は怪しんで、
 「君は又何を言うのだ。」
 (長)「何も言わない。当たり前のことを言うのだ。頬を殴られたこの恥辱は決闘の血で洗う他はない。」
と言いながら早くも其の辺に落ち散った先の折れたサアベルを拾い上げ、

 「サア悪人、手前の持つ剣も折れている。丁度五分五分だから闘おう。サア直ぐに。」
 (茶)撃剣室で決闘が出来ると思うか。馬鹿め。
 (長)「ウヌ、もう怖気が差したのか。手前の先祖は四辻の常夜灯のしたで闘ったじゃないか。撃剣室で闘かわれないことがあるか。」
 流石の茶谷もこの言い込には呆れた様で返事もしない。躊躇したがなお手に持っている剣はは捨てず。

 (長)サア何をグズグズしているのだ。手前の剣は俺の剣より二寸(6cm)も長く、その折れ方が尖っている。手前は小手や胴を付けていて俺はこの通り平服だ。殊に手前は今朝から稽古していたから俺より利益が優っているが、そのような事は構はないからこのままで闘おう。
 (茶)利益が平均していないからなお更ここでは戦われない。それに又俺の方には未だ介添え人も定まらない。

 (長)「医師淡堂を手前の介添え人にすれば好い。彼は医者だけに後で傷の手当するのにも都合が好かろう。」
と言えば淡堂も早やこの異様なる決闘に賛成を表する様に、
 「伯爵、私が努めましょう。殊に貴方を介抱するのは初めてでもありません。」
と暗に村越お鞠の家で彼に治療を施したことを含んで言うと、茶谷は顔の色変えたが、様々に思い回しこの部屋で秘密に決闘すれば却って後の都合が良いだろうと見てとって、まさに断然たる返事をしようとする。

 唯筆斎は茶谷の撃剣の腕前をも聞き知って、深くこの決闘の不利益なのを知っているので、
 「その様な馬鹿げた決闘があるものか。それよりも約束通り茶谷君を警察に引き渡そう。」
 (長)君は自分の頬を殴られないからその様なことを言うけれど、殴られて見給え、耐えられるか。僕の頬は未だヒリヒリと痛んでいるが。
 (筆)それにこの撃剣室へは何時何時会員が入って来るかも知れない。
 (長)「それは内から錠を卸して置けば好い。」
と言う言葉の終わらないうちに淡堂は入口に進み行き、戸の錠を卸終わった。

 (長)「見給え、淡堂君も既に賛同しているじゃないか。それにここで決闘をする時は一方が殺されても、撃剣の稽古中過って急所を突いたと言えば、人が信じる。先の折れた剣は危険でややもすれば人を殺すことがあるから誰も折れた剣で稽古はしないが、我々は決闘の儀式服を着ている訳ではなし、一方は現に稽古着を着ているから、稽古の際、手が滑って殺したと言えばそれで済む。殊に又この剣とても人を殺す目的でわざと先を折り尖らせたものではない。その前から折れていた事は今帰った撃剣の先生が証人だから何より確かだ。」
と言い、更に茶谷立夫に向かい礼儀正しい言葉を用いて、

 「貴方はそう思いませんか。」
茶谷も今は言葉を正し、
 「同意です。しかし幾らか条件がありますよ。」
 (長)条件とは。
 (茶)第一最も私を辱めたのは筆斎君ですから先ず筆斎君と闘いましょう。
 (長)それはいけません。貴方は私の頬を殴ったではありませんか。この決闘は貴方から求めたのではなく私から求めたのですから先ず私と決闘し、私を殺した上で更に筆斎へでも淡堂へでも決闘をお求めなさい。

 筆斎は口の中にて、
 「僕は罪人と決闘をするのは嫌だ。」
と言い、淡堂は、
 「剣は嫌ですが、ピストルでならば何度でも相手をしましょう。」
と言う。
 (茶)「成程それでは長々君と第一に闘いますが、次には両君が順順に戦いますか。」
と早や長々に勝ち得る見込みを付けたように言う。

 (長)それはいけません。ここで三人が皆闘えば誰も撃剣の稽古だとは思いません。後で警察の調べが面倒です。よって私より他の者と闘うなら改めて他の場所で。
 (茶)宜しい。分かりました。その代わり私が先ず幸いにして貴方を殺すとすればその時両君はやはり警察へ向かって全く稽古の過ちだと言い開いてくれますか。

 (長)勿論です。
 (茶)その時になって貴方が殺されたのを遺恨に思い種々私に迷惑を掛ける様な事があっては困りますが。
 (長)それは決してありません。
 これにて決闘の条件は全く定まった。世にこれほど不思議な決闘があるだろうか。

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