巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

onnateikinⅠ

女庭訓(おんなていきん)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

作者不詳  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2019.8.21

作者不詳の翻訳小説

原文が難しい漢字や漢字の当て字を多く使っていること以外は、殆んど現代文に近い文章なので、漢字の当て字は当て字で無い漢字に直し、難しい漢字はなるべく使わず、ひらがなに直しました。

原作は各回に見出しは付いていませんが、便宜上各回に見出しを附けます。

taitanbikas7.24

女庭訓

2019年12月1日 第五十三回まで第一回目の校正済み

目次・・・・(一~五十三)

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「第一回 伯父からの手紙」
「第二回 十磅(ポン ド)要る」
「第三回 二人の生い立ち」
「第四回 去った文子」
「第五回 置き手紙」
「第六回 故郷に帰った文子」
「第七回 金造翁の許へ」
「第八回 気に入られる文子」
「第九回 恨む金造翁」
「第十回 姉さんのあの人」


「第十一回 婿取りを薦める金造翁」
「第十二回 客と密談する金造翁」
「第十三回 帰って来た安穂」
「第十四回 長谷田家の召使 お賤」
「第十五回 文子からの手紙」
「第十六回 誉田子爵(ほんだししゃく)の再訪」
「第十七回 誉田子爵邸へ」
「第十八回 安穂の再訪」
「第十九回 敏子にあしらわれる安穂」
「第二十回 伯母路子の遺産」


「第二十一回 赤城村の美人花添嬢」
「第二十二回 美人の名は文子」
「第二十三回 再度赤城村へ」
「第二十四回 絶望した安穂」
「第二十五回 八方ふさがりの文子」
「第二十六回 仕方なく告白」
「第二十七回 冷めた誉田子爵」
「第二十八回 嫌な予感のする昼栗長三」
「第二十九回 瀕死の安穂」
「第三十回 一難去ってまた一難」


「第三十一回 母親は誰」
「第三十二回 昼栗と結婚せよ」
「第三十三回 一滴入れたら」
「第三十四回 毒殺された金造翁」
「第三十五回 殺したのは文子」
「第三十六回 金造翁の遺言書」
「第三十七回 新婚時代の貸間」
「第三十八回 突き放す安穂」
「第三十九回 子供にだけは合わせて」
「第四十回 憐みが湧く安穂」


「第四十一回 連れ戻された文子」
「第四十二回 収監された文子」
「第四十三回 稗村弁護士」
「第四十四回 昼栗の証言」
「第四十五回 追い込む稗村弁護士」
「第四十六回 執事の夜逃げ」
「第四十七回 執事を説得する安穂」
「第四十八回 料理番の証言」
「第四十九回 執事方助の証言」
「第五十回 疑いが晴れた文子」


「第五十一回 昼栗の遺書(一)」
「第五十二回 昼栗の遺書(二)」
「第五十三回 昼栗の遺書(三)」

 完

以下本文

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

     第一回 伯父からの手紙

 冬も早や寒い最中になって、木枯らしが吹き冷える、十二月中ば過ぎの或る日暮れに、英京(ロンドン)のパタルシー橋の袂(たもと)に風を避けつつ、何か気に掛かる様に一通の手紙を、立ちながら開いて読む一少女があった。

 確かに年はまだ少女とも称すべき、十八か九の若さであるが、身に積る苦労の数々は、世の老女より多いと見え、花の顔の色は褪(さ)めて灰よりも青く、最近まで豊だったと思われる両の頬も、肉が落ちて、萎(しお)れた草の様だ。

 身に纏(まと)う衣服を見ても、昔し飾ってあったきらびやかな痕跡は見えるが、その身と同じように零落(おちぶ)れて、猟虎(らっこ)の下着は、早や縫い目の辺りから毛は抜け尽くして、唯垢(あか)に光る鼠色の皮のみと成り、細形(やさがた)の靴の革も足と共に疲れ果て、市街の塵(ちり)に塗(まみ)れた埃色(ほこりいろ)の間から、唯指の所だけが五つの畝と為って、黒い地を現わしている。

 姿と言い、目鼻立ちと言い、世にも稀な程で、世間一通りの家に住む少女ならば、嫁に来よ、婿に行くと騒がれる身であるはずなのに、この様に道端に捨てられては、寒さに急ぐ往来では振り向いて見る人すら無い。淋しそうに読むその手紙には、何事が認(したた)めてあるのだろう。

 「花添文子よ、私は御身の亡父の兄として、両親に死に分れた御身等姉妹三人の身の上を、我が子の様に思っては居るが、その日にも追われる田舎医者の身として、御身等の出世を図るべき通手も力も備えて居ないことは、申し訳ないことだ。

 しかしながら此の度、御身等に取って確かに出世の階段と思われる意外な珍事が起った。それは御身の亡き母の兄上、富淵(とみぶち)金造翁が商業に飽きたと言って、一切の事業を止め、印度から帰って来て、此の村に隠居した一事である。

 金造翁が印度で、数知れない大財産を起した事は、前から御身の母親が自慢話としていたほどで、此の土地の人で知らない人は無く、唯だ到底この様な辺鄙(へんぴ)の地に帰る事は無いだろうと思われて居たのに、不意に帰って来たので、土地の人々は宛(あたか)も近郷近在まで急に潤(うるお)い渡る様に喜び、商人なども我先に翁の御用を務めようと、機嫌を伺うのに忙しい許りである。

 御身の妹里子は取分け翁の心に叶い、私の家から屡々(しばしば)翁の許に通い、数百万円もする翁の馬車に乗り、翁と共に物見遊山に寒さをも知らない程である。末の妹敏子は何分にも行儀作法を知らない為め、翁に叱られる事が多く、此の月の初めから翁の注意で、村の女学校へ通学を初めたけれど、往き帰りに村の子供達と喧嘩する癖が未だに無く成らない。此の様子では当分行儀など習い覚える見込みは無い。

 翁は今まで金作り一方に心を寄せ、妻も持たなかったので、後の相続の子供も無く、今は老い先が淋しいので、頼りにするのは姪だけだと言って、前に述べた様に里子を愛するが、里子よりも一層御身を大事に思う様に、日として御身の事を語らない日は無く、今日も速やかに御身を都の奉公先から呼び返せとの事なので、この様に手紙を出すものです。

 御身は姉妹三人の長たるのみか、綺倆知識とも村中で評判なので、翁もその評判を聞き、御身を傍に置き度(た)いと言うのは無理も無し。特に御身等三人は、血筋の上で翁の最も近い身寄りなので、翁も最早や取る年なので、御身か里子かのうちを相続人に定めようと思って居るのは明かである。御身が帰えらなければ、里子が相続人と定められ、御身は唯だ幾分かの片身分けに与(あずか)る丈になるでしょう。

 御身が帰って来たならば、里子よりも気に入られるのは必定で、その上に長女であるので、英国屈指の大財産は遠からず御身の物となるに違いない。翁は気候の悪い印度の土地で、多年刻苦した為に、大いにその健康を損じ、自ら余命は永くないと覚悟している様子である。

 御身は宜(よろ)しく奉公先の長谷田夫人に、一月の暇を乞い、帰って来なさい。一月の暇を得る事が難しければ、半月でも好い。一度帰って来たならば、また都に出て行って、内教師などと言う薄給の奉公を為し、大勢の子供の面倒を見るには及ばない。全く苦労の知らない身の上となるだろう。
                     汝の伯父

と有り。女は読み終わって、非常に恨めしそうに、
 「伯父さんは未だ何にも知らない。薄給な内教師などと、アア今の有様から見れば薄給な内教師が何れ程幸福か知らない。持って生まれた性格からとは言う者の、疾(とっく)の昔に長谷田夫人の許を出て、今では明日食べる物の蓄えさえ無い身の上。
 
 それを知らずに矢張り長谷田夫人の許に居るものと思い、それでも此の手紙は長谷田の下女の親切で今の宿まで送り届けて呉れたけれど、今は此の身も花添嬢では無く、田守夫人、伯父にも知らさず田守と言う夫を持って、明日にも貧民の群れに入る程の窮(さも)しい有様。今更出世の階段が出来たから帰れと言われても遅い、遅い。」

 独り呟(つぶや)いてホロリと滴(こぼ)す一雫は血の涙とも言うべきか。又暫くにして、
 「イヤイヤ泣いて居ても仕方が無い。」
と言い、涙だけは止める事が出来たけれど、思いに沈んだまま頭を垂れて悄々(しほしほ)と橋を渡り、帰って行く家は何所だろう。

第一回 終り

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述
        

     第二回 十磅(ポンド)要る

 花添文子と手紙の宛名に記されたこの女は、とぼとぼと橋を渡り、今読んだ手紙の事ばかり考えながら帰って行くその家は何所かと見ると、狭く穢(きたな)い町を過ぎて、非常に狭く、更に穢(きたな)い町に入って行くばかり。更にどんどん行って、とある煮売家の前に来ると、鼻を掠(かす)める許かりに漏れて来る煮込みの匂いに、文子は忽ち思い出した様に、

 「オオ、夫の夕飯の品物を買う積りで、質屋まで行ったのに、手紙の中に書いて有る、富淵金造翁の事が気に掛かり、買い物を忘れて帰る所で有った。」
と言い、立ち止留ってその店を覗き込んだが、自ら店の中に入って行く程の勇気も無いのは、まだこのような買い物に慣れていない為め、何となく恥ずかしいからに違いない。

 そうと見てか、内から馳せ出る店の者は、
 「貴女、おいしいお料(かず)が色々出来て居ますよ。」
と言うので見れば、成るほど色々並べて有り、どれも貧窮人の食い物で、匂いばかり高い割に、値段は至って安いけれど、文子は安い中の又最も安い魚肉一片を買い求め、心の内に、

 「是では唯一人分だけれど、良人(うちのひと)さえ食べれば、私は懐妊(みもち)のせいか、何も食が進まないから、食べるには及ばない。」
と呟(つぶや)き、極まり悪そうにして、逃げる様に此の所を立ち去って、デキソン街と言う所まで来て、一軒の安下宿屋の前に留まり、暫(しばら)く四辺(あたり)を見廻した末、中に入った。

 内は非常に暗く陰気で、今点(とも)した硝灯(ランプ)さえ、毀(こわ)れた火屋(ほや)を紙で張り繋(つな)いである程なので、唯そこだけ薄明るい状態で、その近くにいる人をさえ照らさい。文子は首を差し延べて帳場を覗き、そこに番をして居る女主の顔を認めて、

 「良人(うちのひと)はもう帰って来たでしょうか。」
と問う。
 女主「帰って来たら、お払いを頂こうと私もこうして待って居るが、未だ帰っては見えませんよ。」

 二言目にはお払いをなどと言われるその夏蝿(うるさ)さも、仕方が無く慣れて、今はそれほど苦にはならないのか、それとも苦にしても仕方が無い為か、文子は聞き流して、

 「今に帰って来ましょうから、それまでこのお料(かず)が冷めない様に、温めて置いて下さい。」
と買って来た魚肉一片を渡して置き、自分は家の屋根に接する非常に高い四階の一室に上って入り、煤(くす)ぶっている暖炉(ストーブ)に、僅(わず)かばかりの炭を次ぎ、何とか寒さを凌(しの)いで待つ間も、又手紙の事を思い出し、

 「富淵金造と名を聞いた許かり、未だ顔も見た事の無い金満の伯父さんが印度から帰って来てーー、私が今家に帰り、その伯父の機嫌を取れば、必ずその財産の相続人になるとは、本統に夢の様だ。

 私より綺緻(きりょう)も劣り、とても私ほどの出世は出来ないと人も言い、自分も断念(あきら)め、片田舎に引っ込んで居る妹里子が、数百万円もする馬車に乗り、寒さも知らない物見遊山。

 それに引き替え、出世は目の前に在ると言われて都に出た私は、この様な有様。と言って幼い時から子の様に育てられた花添露伯と言う大恩ある伯父にも知らさず、自分独りで夫を持ち、そうして零落したからと言って今更帰る顔は無い。イヤ夫を捨てて帰るにも帰られない。

 自身で身を誤った報いと言うもの。本統に運の尽きだ。数知れない大財産の相続も、心がけが悪いからだと捨てなければ成らない事なのかも知れない。イヤイヤ自分だけならば捨てもする。捨てても惜しむ事は無いが、お腹の赤児(あかご)がーーー。私に伝わる財産はこの子の財産。

 母として我が子の物と為る大財産を捨てるのは、子の財産を奪うにも均しいとは、何かの本で読んだ事も有る。何すれば好い事やら。」
と、深く深く思い沈んでいる折り柄、この部屋へ入って来る年廿八九、色は少し黒いけれど、目元口元に一種人に秀でた相貌(そうぼう)がある一男子は、是こそ夫田守安穂(たもりやすほ)であるが、今はその秀でた相貌も持ち腐れと言うべきか。

 毎日職業を求める為め、朝から市中を奔走し、今日も奔走に疲れ果て、気も魂も尽きてしまい、食う物にさえ有り付く事が出来ず、思案投げ首で帰って来たものだ。一年前まではこの安穂の顔をさえ見れば、文子は一切の苦労を忘れ、

 安穂もまた文子の愛には、世の憂きをも憂しとせず、夫婦互いに愛情に酔っていた程の有様だったが、その日の食い物さえ無い今と為っては、互いに顔を見ただけでは、痹(ひ)もじい腹の足しも成らず、明日を支える当てさえ無い心配は、暫しの間も忘れる事が出来ないので、文子は更に考え込むばかりであるが、安穂は蹌踉(よろめ)く様にその傍に寄り、

 「何か食べる物は無いか。俺はもう倒れそうだ。」
 文子は
 「少しばかり買って有ります。」
と答えたまま他に何も言わず、立って自ら下に行き、先の魚肉と麺包(パン)幾片かを持って来て夫に供し、自分も一緒に食事には取り掛かったけれど、自分は唯だ安穂が味も分からずに貪り食らうその残りを、僅かばかり食べただけ。

 安穂は漸(ようや)く腹が出来ると共に少し気力も附き、今日奔走したその結果を妻に語ろうとする様に、
 「イヤもう人間は衣服だけでも揃って居る間で無ければ、何れほど奔走しても無益だ。今日も新聞の広告を見たり、知る人に聞いたりして十四五軒ほども尋ねたけれど、第一にこの汚れた身姿(みなり)を見て、誰も相手にして呉れない。職業を任せる丈の信用も無い男と見て取ると見える。」
と言い、悔しそうに吐息をつくと、

 文子は何とも返事せず唯だ黙然と俯向いて居たが、およそ十分間も過ぎたかと思う頃、
 「では今日も昨日と同じ事ですね。」
 安「そうサ、昨日も一昨日も同じ事で、唯だこの宿から追い払われ、夜寝る家も無い事になるその期限が、一日だけ近く推し寄せたと言う迄の事だ。」

 文子はワッと声を放ちて泣き出した。安穂も流石に我が言葉の余りに剥(む)き出しだった事を悔いてか、周章(あわて)て文子の背を撫で様々に慰めたので、文子もヤッと泣き止んだけれど、一語を発する気力も無く、唯静まって又も思案に沈み込むばかりだったが、頓(やが)夜の九時頃に至り、文子は非常に心配そうに、初めて口を開き、

 「貴方がそう心配ばかり成さる中で、この様な事を言っては済みませんが、言わなければ猶更(なおさら)仕方無くーーー。」
 言い掛けて少し口籠り、
 「ネエ貴方」
と言って又淀み、

 「何うしても私はここで十磅(ポンド)のお金が無くては。」
と言う。安穂は驚き、
 「エエ、十磅(ポンド)の金は今に限らず、昨年の蜜月(ハネムーン)の旅をして、二人で巴里に行き、巴里から帰ってこの家へ宿を取って以来、何時も欲しいと思って居るがーーー、」

 文「アレ又密月の旅などと言って下さるな。アノ時には倹約すれば二年や三年困らない丈の蓄えが有ったのを、貴方が金は世界の廻り持ちだと言い、無暗に私へ高い品物を一時に贅沢した為に。」

 安「オオ、俺が悪かった。悪かった。和女(そなた)と一緒に為った嬉し紛れに、前後の思慮も無く使い捨て、そうしてこの様な零落を招いたのは重々俺の過ちだ。昔なら十磅(ポンド)の金は塵ほどにも思わなかったが、それにしても今何で特別にその金が要る。」

 文子は問われて夫の耳の辺りに口を寄せて呟(つぶや)くと、人たる者の情として、遠からず我が子が生まれると聞いては、貧苦の中にも又嬉しくない筈は無い。顔の色が初めて晴れ、

 「オオそうだ。もう着る物やその外の支度をしなければ。そうだツイ浮か浮かと気も附かずに居たが、好し十磅(ポンド)の金は何うしても調(こしら)えて遣る。何の様な恥ずかしい思いをしても好い。我が子の為だ。譬(たと)え親代々の敵富淵金造にでも頭を下げる。」

 富淵金造の名を聞いて、夫安穂に縋(すが)っている文子の身体は、安穂の手に響くほどドキリとして震えた。

第二回終り

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     女庭訓 作 不詳  涙香小史 訳述
         
         第三回 二人の生い立ち

 今の身に取り十磅(ポンド)は肝を潰すほどの大金ではあるが、我が子を育てる用意と聞いては、心嬉しき親の情、如何ほど辛い事を為しても、必ず調達しようと言うのは無理は無い。
 しかしながら安穂が、
 「たとえ親代々の敵、富淵金造にさえ頭を下げても。」
と言うのを聞いて、文子は悸(どき)りと身を震わせ、我知らず、
 「エ、富淵」
と問い返すように口走った。

 安穂は周章(あわて)て、
 「ナニ驚く事は無いよ、親代々の敵(かたき)と言っても、何もこの国に居る人では無く、私が生まれない先に印度へ行き、カルカッタ府とやらで商売をして居るそうだ。幾等私が貧乏をしても、まさか親の敵とも言うべき人に金は借りられない。今言ったのは唯だ譬(たと)えに引いた丈の事サ。此の十磅(ポンド)の金は、親の敵に頭を下げるほどの辛い想いをしてでも拵(こしら)えると、唯だ決心を示したのサ。」

 文子は今まで富淵金造と我が夫、田守安穂は何の縁も何の由縁(ゆかり)も無く、全くの他人に違いないと思って居たのに、今親代々の敵と聞いては、少し心に催して居た望みも絶え、残り惜しい気がさせられるので、それと無く言葉を廻し、
 「ダッてその後、印度から帰って来たかも知れないでしょう。」
 安「それは如何(どうか)は分からない。私とは勿論音信不通で、イヤサ私はその人の顔さえ知らず、唯だ知って居るのは、その人が昔し私の親父の財産を横領し、私の家を零落させて、自分が非常な金満家に成ったと言う丈の事サ。」

 文子は何とかして此の二人の間を丸く治める見込みは無いだろかと思い、安穂の心を引こうとする様に、    
 「では幼い頃から貴方はその人を憎んで居たのですか。」
 安穂は今もまだその憎さを忘れる事が出来ないと言う様に、殆ど顔の色まで変え、

 「憎んだとも。今でも私は金造を八つ裂きにして、その肉を喰らうても飽き足らない程に思う。」
と両の拳(こぶし)を握ったので、文子は到底我が夫と金造翁とを、和合させる見込みは無いと、秘かに非常に失望して無言(だま)り込んだが、それからは唯だ何事をか思案するだけだった。

 このようにして翌朝となったので、安穂は何うにか十磅(ポンド)の工面をしなければと、何時もより早く起き、是と言う当ては無いけれど、寒い朝風を事ともせず宿を出て行った。

 抑(そもそ)も此の夫婦は如何なる身の上なのだろうと問うてみると、既に一通りは分かったことと思うが、妻文子はヨルク州赤城村(レッド・カスル)の産にして、早く父母を失い、二人の妹と共に花添露伯と言う伯父に養われていた。

 女学校に入り、教師その他の人々から、此の綺緻(きりょう)さえ有れば、後々の出世は思いの儘(まま)に違いないなどと褒められるのを頼りに、自ら学校をば卒業したなら、昔話にでも有る様に、何所からか貴公子が現れて来て、私を立派な儀式の場所に連れ行って、非常に華々しく婚礼し、浮世を夢よりも楽しく送られる事の様に思い、一心不乱に勉強をし、第一等の成績でその学校を卒業した。

 とは言うものの、昔話の貴公子も現れて来ず、再び伯父の許に厄介となって居たが、才学容貌兼ね備わった身で、何時までも片田舎に埋まって居るのは惜しいものだと、人も言い自分も思って、或る時新聞紙の広告に、
 「女学校を卒業した女にして、品行宜しい者が在れば、充分の給金を以て或屋敷に家庭教師として雇い入る可し。」
と有るのを読み、

 之が若しや身を立てる糸口に成るかも知れないと、遥々(はるばる)都に出て来て、長谷田夫人と言う物持ちの邸に住み込み、数人の子供の教育を引き受けたが、一年二年と過ごしても、身の定まる見込みは無く、唯だ夏蝿(うるさ)い主家の子供に、日々無理を言われるだけで、自分でさえもまだ子供同様の年頃なので、殆ど辛抱も仕切れないほど辛い事に思う折り柄、

 時々その家へ遊びに来て居た田守安穂と言う少年と、思い思われる事とはなり、二人とも初恋の情火熾(さ)かんにして、深く後々の事までには思い至る事も出来ず、暇を取って夫婦と為ったものだ。又田守安穂も文子と同じ頼り無い身ではあるが、僅かばかり親の遺産が有ったが為め、それを持って外国に遊学し、語学一通りを卒業して国に帰った。

 愈々(いよいよ)事業を求める前に、更に自分をば煅(きた)え固めようとして、志願して兵士と為り、一年の役を終えて、未だ事業にも取り掛かって居ない前に、フト文子を見染め、片時もその傍を離れる事が出来ないほどの想いがする迄に到ったことから、この様な女を妻としたならば、事業の上にも如何ほどか励みになるか知れないと、その意を明かして夫婦とは成ったが、二人とも外に目上の人も無い気楽さに、蜜月(ハネムーン)の旅に上り、蓄えの有る間は、夢中の有様で先から先に行き、

 漸く旅費の尽きたのに驚き、愈々事業を初めようとして帰って来て見たが、世はそう容易に渡ることが出来るものでは無い。文子が心に描いていた、昔話の目出度い境遇は扨(さ)て置いて、今現在の事が話にも成らないほどの苦しい此の有様に陥っているのだ。

 安穂は十磅(ポンド)の工面に出で行ってから、如何なる事に直面することに成っただろう。

第三回 終わり

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     女庭訓 作 不詳  涙香小史 訳述

       第四回 去った文子    

 先刻よりチラチラと降り初めた雪は、未だ地上に積もる迄には到らないが、顔を払う北風は刀より鋭く、寒さは頬を殺(そ)ぐ許りなので、往来(ゆきき)の人は外套の襟を耳の上まで捲(まく)り上げ、用事を早や終わりにして家に帰って行くが、中に一人まだ帰ることも出来ず、着物も薄くて寒さを凌(しの)ぐにも方法が無く、身震いしながら倫敦(ロンドン)の市街を当て度も無く歩む一人があった。これは田守安穂である。

 十磅(ポンド)の金を工面しようとして、今朝家を出てから足に任せて四方に奔走し、知っている家には、大抵既に不義理な借りが嵩(かさ)んでいるのも構わず、事情を話して更にもっと借り集めようと、恥を忍んで幾軒も尋ねたけれど、日の暮れになってもまだ一銭をも借りる事が出来ない。

 此の上は何所に行こうか。この様な場合が有ると知っていたら、以前から知って居る家の内に、一軒ぐらいは手を付けずに置くべきだったなどと、今更悔やんだが後の祭りで、若しやこれまでに立ち寄った家の外に、行き洩れた家は無いだろうかと、心に繰り返して数えてみたが、遠く離れたウインチスルと言う片田舎に、同姓田守路子と言って、寡婦(やもめ)暮らしをしている一人の伯母があるだけで、その外には一軒も残って居なかった。

 しかしながら此の伯母へは、多年音信をもしていないので、この様な急場の間には合わないと、殆ど困まり果て、今自分が何の町を歩るいて居るのかも、上の空の状態だった。その中に骨まで徹る程の寒さに、足も進まない状態になったので、蹌々(よろよろ)して一方の庇(ひさし)の陰に寄ると、此の時その家の窓の中から、

 「オヤ田守さんでは有りませんか。」
と言う声が聞こえた。驚いて見上げると、是れは安穂が、数年前に下宿していた小畑と言う家で、声を掛けたのは、我と同じ年頃である此の家の息子時介と言う者だったので、田守は変わる姿に面目が無かったが、
 「オオ、小畑さんか。」
と答え、親切に呼び入れられるまま、暫しの寒さ凌ぎにと内に入った。

 幾等田守安穂が窮したと言っても、自分より身分の遥かに下の、下宿屋の者等から金を借りる気は無い。取分け此の小畑と言うのは、母一人子一人で、使って居ない二間ほど有るのを人に貸し、母はそのかたわら賃仕事をし、息子時介は学校で図面を画く稽古をしたのを幸いに、出版社の為に地図の下絵など作って、どうにかその日を送っているのだ。

 安穂は唯だ暖炉(ストーブ)の前に座らされるのを、困り果てて居た時の大恩と思い、有難く礼を述べると、母も此処に出て来て、変わり果てた田守の有様を見て、気の毒そうに傍から今の様子を問う。前述の事情から、安穂は強いて心を引き立て、非常に快活に、

 「イヤ、貧の病と疱瘡と言う病は、顔に明らかな痕が見えると、諺にも言うほどですから、私の今の有様は、顔色を見た丈で分かりましょう。」
と言って打ち笑ったのは、まだ貧に落ちて貧を恐れない、壮年の血気あるが為に違いない。是より様々の事を問いつ答えつする中に、安穂は隠し切れず、今日十磅(ポンド)の金の為に奔走している事情をまで語ると、

 富者に親切少なくして、親切は常に同じ貧窮の味を甞める貧しい人に多く、母子は自分の事の様に心配そうに額を寄せ、密々(ひそひそ)と相談した末、母は傍(かた)えの手文庫を開き、五磅(ポンド)の金を取出だして、
 「之は来る聖誕辰(クリスマス)の諸払いに溜めて有る金ですが、之が無くても此の家は何うにか彼(こ)うにか行きますからお持ち成さい。」
と言い、

 息子時介は用事がありそうにして家を出て行き、暫くして之も五磅(ポンド)を持って帰って来て、出版社から、地図引きの賃銀を、前借りして来たと言って、双方を十磅(ポンド)に取り纏(まと)めて、安穂の前に並べた。安穂は夢かと怪しんだが、まだ之を借りようとはしない。

 幾度も辞退したが、貧しい時は相見互いだと言って、母子が頻りに説き勧めるその真心に感奮し、安穂は忽ち涙を浮かべ、
 「では何時返す当ても無いですが、借りて行きます。此の恩は言葉には尽くせません。ハイ何にも言いません。」
と言って懐(ふところ)に納めると、時介は更に安穂の為に相応な職業を周旋する見込みも有るので、明日再び来てくださいと伝えた。

 安穂は伏して拝まぬ許(ばか)りに、早く此の金を見せて妻文子に安心させようと分れを告げ、寒さも忘れて馳せ帰り、心配そうに沈んで待つ文子の前に、
 「是で生まれる子の餓え凍えもしない様に、早く用意を仕て呉れ。」
と差し出すと、文子は金を見る嬉しさよりも、良人(おっと)に無理な金策をさせた我ままが恥ずかしくてか、極まり悪るそうに頭を垂れ、殆んど安穂の顔を見る事が出来なかった。

 安穂は此の有様を少し異様には思ったが、神ならぬ身の文子の心に如何なる思案が有るのかも知らなかったので、深くは怪しみもせずに終わったが、やがて文子は何時もより少々奮発した美味と良酒とを買って来て、安穂に供(そな)えたので、安穂は久し振りの事と言い、且つは一日奔走に疲れての事なので、非常に気持ち好く飲み食いしたけれど、文子は何時に無く鬱(ふさ)ぎ勝ちであった。

 心の底にはまだ花添露伯から受け取った手紙の事を思い、富淵金造翁の大財産を相続せずに捨てるのを、惜しんでの為ででも有るのに違いない。しかしながら此の夜は何事も無くて済んだ。翌日に到って安穂は、昨日小畑時介が職業を周旋してやると言ったのを頼りに、又時介の許を問い、同人の手引きで二三の商店を廻り、そこの頭取又は事務長などに逢って、空いた職務の有る時には、何とぞ私を雇って下さいと頼み込むと、

 どちらも多少望みがある返事だったので、早や妻文子と共に貧苦を脱する事が出来る時節が近づいた様に思い、日の暮れになって、心も非常に軽く宿に帰ると、怪しことに何時に無く文子の姿が見えず、部屋の有様が、何となく残っていた少しの品物を取り集めて、何所かに立ち去った感じがした。

 しかしながら安穂は今まで甘苦を共にした妻文子が、我を捨てて逃げ去ったとは真逆(まさか)に思い至る筈も無い。

第四回 終わり 

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     女庭訓 作 不詳  涙香小史 訳述

         第五回  置き手紙

 文子の姿が見えないが、真逆(まさ)か夫である我を捨てて逃げ去ったのに違いないなどと思う筈も無く、部屋の中の有様に、何やらいつもと変わる所は有ったが、今に帰って来くるに違いないと、強いて心を落ち附けて待ていたが、夕飯の刻限を過ぎてもまだ帰らない。

 今までこの様な事は無かったのにと、物淋しそうに部屋中を見廻すと、チラリと眼に留まったのは、食卓の片隅に有る一通の手紙である。安穂は何げ無く取り上げると、封皮(おもて)には確かに妻文子の手で、
 「安穂様」
と記して有る。

 その様は書置きにも似ているので、悸(どき)りと驚いて開き読むと、
 「私は思う仔細があり、今日から当分の御暇を戴き、分れ去り申します。思えば貴方様と私しとが、身を支える職業も定まらない前に、結婚した事は、大いに早まり過ぎたもので、今日此の頃の苦労艱難も全くその為に御座います。」

 安穂は読み掛けて思って見れば、今日小畑時介の周旋で職業を求めている中に、もし南洋の豪州(オーストラリア)へ出張するのを厭わなければ、随分面白い仕事があると言われた事も有り、土地狭くて人ばかり多い此の国で、多くの人と競争するより、広い南洋に渡って行けば、男子の手足を伸ばし広げる事業も必ず寛(ゆるや)かに違いない。

 妻文子に相談の上、その方面に決めようかと思い、今が今までその事を考えて居た程なので、職業の定まるのも遠く無かったのに、文子はそれを待つ事が出来ずに、気短くこの様な文句を並べるのは何事だと、早や残念な想いがして我慢が成らなかった。しかしながら思案は後にして更に次を読み下すと。

 「この様な中で産気でも附く事と為っては、如何しようも有りません。生まれる子も可哀想で仕方が有りません。結局貴方様が職業に有り付く事が出来ないのも、妻と言う荷厄介のものが有る為で、もし私さえ御傍に附き纏(まと)って居なければ、身も軽く奔走も自由なので、如何なる職業を得るのも容易になるはずです。

 ですから唯今此の所を立ち去ることは、一つは貴方様の御為とも存じます。二つには又私しに取りましても、貴方様の妻田守文子と言う身分では、唯だ貴方様の荷厄介と為り、足手纏(まと)いとなる外に、何の働きも出来ません。今もし夫の無い独身の境遇に立ち返り、元の花添文子嬢と言う身と成れば、確かに身を立てる見込みも有ります。今分かれるのが貴方様の御為、私の為、又生まれる子の為と存じます。

 貧苦の折に夫を見捨てる薄情の女めと、御思い違いも成さることかと存じますが、三方四方を考え合わせて見て、全く後々の為と見て、辛サを忍んでこの様に致します事で御座いますので、切ない心根を御察しの上、幾重にも御許し下されますようお願い申し上げます。

 夫婦は二世の縁とやら申しますので、たとえ三、五年分かれても、縁が切れる筈は無く、唯だ出世して何の艱難も無い地位と為って再び貴方様と共に暮らすのを楽しみに、今日は立ち去ります。分かれても生涯の妻と思(おぼ)し召し下さるようお願い申し上げます。

 私の心は絶えず貴方様の安全と立身をのみを祈り暮らす所存です。積る御詫びは今から幾年の後かは分かりませんんが、目出度く再会の時を待ち、幾重にも申し上げる積りで御座います。」
 終りに唯だ、
 「心変わらぬ妻文子より、生涯の夫 田守安穂様」
と記してあるだけだった。

 安穂は茫然とし、幾度か読み直したが、誠に意に落ちない事ばかりだった。如何に貧苦だったからと言って、二世と契った我が妻を、荷厄介だと思う筈があるだろうか、貧苦は妻がある為では無い。妻が無くても貧する時は貧し、妻が在っても幸いの来る時は来る。

 夫婦は全く同体にして、貧苦も妻と共にすれば凌ぎ易く、幸いも妻と共ならば又一層嬉しい筈なのに、その心を察せずして、自ら荷厄介などと言うのは何と余所余所しく又何と水臭いことか。この様な文子だとは思っても見なかったが、天魔にでも見入られたので無いだろうか。

 特に又田守安穂の妻としては出世の道が無いのに、独身の花添文子に立ち返れば、確かに出世の見込みが有るとは何の意味だろう。既に田守の妻と為り、明らかに田守夫人たる身分が、我が傍を離れたからと言って、独身の処女と為り元の花添文子に成り返られる筈は無く、唯だ人の知らないのを幸いに、花添嬢であって田守夫人では無いと言って、出世を計れば、是れは世を欺いて出世することである。偽りに由って出世が出来る筈は無い。

 それとも真に出世する事が出来る見込みが有るのならば、何で明らかに我に打ち明け、許しを受けて立ち去らないのか。妻の正しい望みと有れば、今迄一度も拒んだ事の無い私であるのに。或いは私には打ち明け難い、一種不義の望みであるのか。否、否、不義の富貴を望む様な曲がった根性が毛ほども無いのは、今迄の振舞いで好く分って居ると、そばから考え廻すと、安穂の心に浮かんで来る推量は唯だ一つあるのみ。

 この様な手紙を残して置き、その実、気の小さい女の常として、身でも投げて此の貧苦を逃れる心ではないのか。そうだ、我が留守に心細い事ばかり考え続け、思いが堂々巡りをして、死ぬ気と成ったが、我に心配を掛けまいとして、この様に事も無さそうに書き残したものに違いない。

 安穂はここまで思い到って、
 「好し」
と叫び更に
 「倫敦(ロンドン)中の川の底を悉(ことごと)く捜(探)らせる。」
と、宛も数千金の費用をも出す事が出来るかのように言い、狂気の様に下の店を目指して馳せ下りたが、店に此の家の女主人の居るのを見て、更に念の為にと、文子が立ち去った時の様子を問うと、

 文子は今日午後の二時頃に古い鞄(かばん)を引っ提げて出で行ったまま、帰らないと答えた。身を投げようとする者が鞄を携(たずさ)え行く筈も無いので、事は愈々(いよいよ)分からなくなった、再び四階の部屋に上り、破れた長椅子に身を投げて、
 「エエ情け無い事に成った。」
と男泣きに泣き沈んだ。

 若し此の安穂にして、一昨日文子が許へ、郷里から如何なる手紙が来たのかを知ったならば、又幾分か思い当たる節も有るだろうに、それを知らないので、益々疑って益々惑うことは仕方のが無い事だ。
第五回終り

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

     第六回 故郷に帰った文子

 懐妊(みもち)の儘(まま)に、夫を捨てて姿を隠したあの文子は、何所に行ったのだろう。文子に捨てられ、落胆して泣き沈んだ夫、田守安穂は如何(どう)したのだろう。数か月の後に至っても、全く知る方法が無かった。

 抑々(そもそ)も文子の故郷赤城村と言うのは、英国の片隅の街道から離れた山間に在り、町とも附かず村とも附かず、物持ちの人が多く住んでは居るが、互いに親密に交際することは稀で、唯だ金銭財産を貴び、金を多く持って居る人を貴人として敬い、曾(かつ)て身分が真に貴かったか否かは問わず、金が無ければ身分系図は正しくても、人は皆見捨てて顧みない。

 だから前年、以前から大金満家と噂のある富淵金造翁が、印度から帰り、山手に昔から人も住まずに打ち捨ててある別荘を買い入れ、修繕して居を定めてからは、土地の紳士も商人も、翁に交わるのを第一の栄誉と心得てか、様々の通手(つて)を以て、翁の機嫌ばかりを取ろうと勉めて居て、

 却(かえ)って翁よりは身分が高く、血筋正しい文子の伯父花添露伯などは、唯だ医者として病人の有る度に仕方無く迎えられるに過ぎず、日頃は一口に貧乏医師と言われ、振り向いて訪問する人も無い。

 時は早や四月の中程と為り、広くもない庭に、手入れと言うほどの事はしていないが、樹木は自ずから時を知って花を着け、相応の眺めが有るので、今しも花添露伯は病家を一廻りして帰って来て、夕日に暖かく顔を晒して、文子の妹である里子、敏子の両人と共に、庭を散策しながら、遥かに聞こえる郵便馬車の音を聞き、都の空を思い出してか、

 「アア文子は何うした事か。昨年の十二月に伯父金造翁の帰った事を知らせ旁々(かたがた)、直ぐに帰れと言って遣ったのに、帰ると言う返事だけで、既に四月も経ったけれど、未(いまだ)に帰って来ない。その後二度ほども催促して遣ったけれど返事が無い。」
と言い掛け、背後(うしろ)に季(すえ)の敏子が、悪戯(いたずら)にも桜の枝にブラ下がるのを見て、

 「コレ先(ま)ア和女(そなた)は又してもその様な悪い事ばかり。それでは富淵金造翁が目を掛けてくれないのも最もだ。」
 伯父姪一同、金造翁に目を掛けられるのを、この上も無い幸福と思っている事が知られる。
 三姉妹の真ん中の里子が進み出て、
 「富淵金造の翁(お)じさんは、余り姉(ねえ)さんの帰りが遅いから、都に逢いに行くと言って居ました。帰らないのは姉さんが悪いのだから、私は捨ててお置きなさいと言いましたがーーー。」

 露「又しても和女は、兎角姉の事を善く言わないが、同胞(はらから)で有りながらその様に言うものでは無い。取做(とりな)して置くのが当然と言う者だ。」
 里「ダッテ姉さんが帰って来れば、富淵の翁(お)じさんは私には構ってくれません。誰からも私より姉さんの方が大騒ぎをせられますもの。」

 折しも先の郵便馬車が此の家の前に来て停まると、敏子は悪戯者(いたずらもの)だけに早くも目を留め、
 「ア、姉さんが帰って来た。帰って来た。」
と言って門前へ飛んで行こうとする。露伯は驚き、
 「ナニ文子が」
と言いながら老いの目を擦(こす)って見て見ると、成るほど文子が馬車から下り、一個の古びた鞄(かばん)を受け取り、此方へ入って来た所だったので、嬉しさに馳せ寄ろうとすると、彼方(むこう)から早や馳せて来て、

 「オオ伯父さん、漸(やっ)と今帰って来ました。」
と言い、縋(すが)り附くのは確かに文子である。文子は昨年の暮れ、夫の田守を捨て去ってから、今まで何所に何をして居たのかは知らないが、何さま艱難は引き続いた者と見え、その時よりは痩せ衰え、色も一層青くなって、殆ど産後の人かとも思われる程であったが、露伯は唯だアタフタとするだけで、その様な所までは気も附かなかった。

 「オオ好く帰って来てくれた。余(あんま)り帰りが遅いので、私はもう和女(そなた)が金造翁に見限られはしないかと思い、どんなにか心配した事か。」
 此の言葉で金造翁がまだ見限って居ないのは明らかなので、文子は先ず一まず安心した様であったが、敢えてその様子は見せず、

 「私もその伯父さんには初めてお目に掛かる事なので、早く帰り度いと思いましたが、容易に主人から暇が取れず。」
 全くの偽りである。疾(と)っくに主人から暇を取り、夫まで持った事を知る人が居ないのが幸いである。

 中娘の里子は早や金造翁に取り入って居るが、我身を追い払う大敵が来たと、まさかそれほど迄には思わないが、何となく不機嫌に姉の様子を眺めて居たが、挨拶よりも先に、
 「先(ま)ア、姉(ねい)さんの着物の汚れて居る事、都で此の様な姿をして居たのですか。」

 文子は急所を刺される程の思いではあるが、
 「そうとも、大勢の児を預ッて、子守同様に働くのだもの、着物などは堪(たま)りはしない。」
 里「ですが姉さん、荷物は何うしました。未だ馬車へ残して有りますか。」
 文子は益々困まり、
 「荷物は此の鞄(かばん)ですよ。」
 里「イエッ、それでは無いのですか。着物や飾り物などを入れて有る大きい荷物は。エッ、その鞄には狭くて着物などは入れて居ないでしょう。」

 手厳しく攻め込まれて、
 「着物は此の外には有りませんよ。大勢の子供を相手で、家から持って行ったのは皆台無しに成り、永く世話に成った女中などに遣って仕舞って帰ったのサ、新しく拵(こしら)えても直ぐに又着古すから。」

 里「では一年四十磅(ポンド)の給金を、二年と六カ月分、手就(つ)かずに溜めて来ましたか。そのお金で早く着物を拵(こしら)えなければ、貴女は外へ顔さえ出されませんよ。此の土地の人は皆、貴女が倫敦(ロンドン)の流行をその儘(まま)持って来るだろうと言って待って居ますから。」

 文子はここに到って返事をする事が出来ず、鉾先(ほこさき)を避けようとして、又伯父の方に振り向くと、露伯はこの様な事に気も留めず、
 「何しろまあ好く帰って来た。明日は早速金造翁の許に行かなければーーー。」
 里子は猶(なお)も口を出し、

 「此の外に着物が無くては、あの翁(お)じさんの所に行かれますものか。」
 露伯は叱る様に、
 「和女のを貸して着せれば好い、和女は暮れからもう三襲(みかさね)も翁に拵(こしら)えて貰ったじゃ無いか。一枚は姉さんに貸しても。」

 里「イエお気の毒さまですよ、今では姉さんより私の方が背が高く、姉さんが着たら裾を曳きますよ。」
とは十七歳にして十九の姉より成長した事を誇るものである。
 露「長ければ揚げも出来る。その様な事を言う者では無い。サア丁度夕飯の時刻と為った、先(ま)ア内へ入り緩々と話もしよう。」
と言い、露伯は文子に振り向いて、初めて其の寠(やつ)れ方の一通りで無いのを見て、

 「オオ可哀想に、人の子供を預って苦労の痕が現れて居る。ドレ私が興奮剤を調合して遣ろう。」
 苦労の痕がまだ残って居ると見られるのは、何よりも辛いけれど、
 「イイエ伯父さん、家へ帰ったのが何よりも薬です。もう安心して気も清々致しました。」

 真に安心した様子である。今から足掛け三年以前に、この様な田舎に出世の道は無いと、住み飽きて出て行ったその家を、今は広い世界に又と無い場所として帰って来た。思い遣れば又憐れむべき身の上である。

第六回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

     第七回 金造翁の許へ

 この夜、食事が終った後、文子は妹里子と共に寝室に退いたが、愈々(いよいよ)伯父金造翁に取り入り、出世の緒口(いとぐち)を開くべき時が来たと思うと、疲れていたけれども眠く無い。不機嫌な妹を或いは煽(おだ)て或いは賺(すか)し《機嫌をとってなだめる》、明日翁の許へ着て行く着物を借りようとするが、

 妹里子は姉の貧しい様を見て、自分が急に姉より位が高い令嬢と成った様に思い、言葉の端々に角を立てて、それとなく姉を窘(いた)ぶるのも、却(かえ)って親しい同胞(はらから)の常であろうか。

 文子は脛(すね)に十分な傷を持っている状況なので、土産物の無いのを問われ、或いは奉公先の有様を問われ、総て胸に釘を打たれる様に必死必死(ひしひし)と応(こた)えたが、大事の前の小事と諦め、仕方無く我慢して受け流し、漸く妹に衣服箪笥を開かせると、着のみ着のままである我が身とは大した違いで、余所行きの着物だけでも三枚も有るので、その中の一枚を借りる事とし、

 文「是は皆金造翁が拵(こしら)えて呉れたの?」
 里「憚(はばか)りながら、私は人に着物まで拵えては貰いませんよ。唯翁がお金を呉れたから、それで私が拵えました。」
 文「では矢張り拵えて貰ったも同じ事サ。翁は大層気前の好い人と見えるネ。」

 里「イイエ大違いですよ。五磅(ポンド)のお札を一枚呉れるのに、紙入れから出して、惜し相に眺め、溜息を吐(つ)いた上で渋々とヤッと渡しますの。三度貰ったのに三度とも同じ事。私はその度に翁が一旦出した金を又紙入れへ入れて仕舞う気に成ったかと思い、気が変わらない中に早く手を出そうかと思いました。」

 文子は中々容易ならない相手と見て、
 「アアそれほどお金を惜しむから、それで大金持ちに成られたのだろう。だけれど、和女(そなた)も私しも翁の姪で、今気に入られてさえ置けば、その財産は二人で相続する事になる。五ポンドや十ポンドのお金に手を出し度い様な、小さい了見では仕方が無い。翁に少々邪険にせられても、二人で気を揃えて、翁の機嫌を取らなければならない。和女と私とで少しの事を争っては居られない場合だ。」

と言って、懇々(こんこん)と利害を解き聞かせると、里子も漸(ようや)くその意を呑み込み、快く衣類をも貸す心とは成ったので、二人で夫々の支度を調え、やがて夜の十二時に至って二人枕を並べて寝には就いたが、文子は心に穏やかならない所があると見え、夜終(よもすが)ら夢とも無く現(うつつ)とも無く夫、田守の名を呟き、
 「安穂さん許して下さい。決して不実で逃げ去ったのではありません。」
など寝言が絶えない程であったが、幸いに聞く人は無かった。

 翌朝は九時頃に文子里子は伯父露伯に連れられて、山手の翁の許に行くと、翁は自ら働いて金を溜めた丈に、給金出す雇人にはその給金だけ働かせなければ気の済まない質(たち)で、早や庭に出て花壇を見廻り、雇人に厳しく手入れを指図して居る所だったが、三人の姿を見るなり、一歩は高く一歩は低く、非常に醜く歩んで出迎えた。

 文子は今まで此の翁の人柄を知らない。さてはこの様な跛足(ちんば)で有ったのかと更に良く眺めると、赤道直下の烈日に焦げた顔は、寒国に帰っても急に白くはならないと見え、殆ど赤銅の色にして、人相も非常に憎そうに見え、如何に財産の為と言っても、此の人の機嫌を取るのはと、二の足を踏んだが、

 今からこの様な事ではと、秘かに自ら励ますうち、里子は既に翁の傍に行き、
 「伯父さん、昨日都から姉(ねえ)さんが帰りました。今朝は一緒に来ましたが、ここへ連れて来て宜(よろしゅ)う御座いますか。」
と聞いた。

 翁は恐ろしいその顔に笑みを浮かべ、
 「オオ、文子が帰ったか。宜(よ)いとも、早く連れて来い。俺は余りその帰りが遅いから、近々都まで迎いに行こうかと思って居た。サア連れて来い、オオ彼所(あそこ)に立って居るのが文子だな。成る程之は美しい。イヤ噂に聞いたより優って居る。」
と言って、この様な人にもこの様な心情は有るものなのかと、疑われる程に喜び、跛足(びっこ)引き引き更に此方(こちら)へ進もうとする。

 文子も此処が大事と、非常に懐かしそうに馳せて寄り、
  「富淵の伯父さんですか。阿母(おっか)さんが亡くなる時まで、貴方の事を言い暮して居りました。」
と言って縋り附くと、翁は誠か偽りかは知らないが、我を忘れた様で、
 「ホンにホンに美しい、子や孫を持った事は無いけれど、真の孫子より可愛い。」

と言って文子の頬に接吻し、暫しは放す事も出来ない様な風情である。此の様を見る里子は、早や我が身よりも姉文子が、深く親しまれるかと、妬(ねた)ましさ羨(うらや)ましさに、着物を貸したことを悔(くや)んだが後の祭り。是れから翁は文子を連れたまま、広い庭の中を此方彼方へ徘徊し、下にも置かないと言った様子である。

 露伯と里子とは去ることも出来無くて、ただそ其の後に就いて行く有様であったが、文子は又都の事から或いは幼い頃の事など、睦まじそうに翁に語ると、文子の言葉は一々翁を喜ばせないものは無かった。この様にして数時間を経た後、翁は文子に向かい、

 「私が何より感心したのは、和女(そなた)が都へ奉公に出て、金満の伯父が印度から帰ったと聞いても、急には帰って来ないその心根だ。何でも人は自分で稼(かせい)で身を立てると言う独立の心が無くては行けない。男でも女でも同じ事だ。その気の無い者は、何れ程の大財産を受け継いでも、持ち堪(こた)える事は出来ない。」

 是れは暗に文子の気質を見込み、大財産を譲ろうとする心の端を洩らしたのでは有るまいか。愈々(いよいよ)そうならば、急に帰る事が出来なかった不幸は、却って幸いとなった者である。翁は更に、
 「和女は二年の上も奉公して居たとの事だから、随分小使いは溜めて来たで有ろうな。」
と問う。文子はハッと赤面した。

 翁は早くも察し、
 「オオ貧しい医者殿の家へ仕送り、自分では一文も溜めずに帰った来たのか。それは猶更(なおさら)感心だ。」
此の時幸いに、伯父露伯も妹里子も少し離れて居たので此の言葉は耳には入らない。文子は奉公して一文たりとも伯父露伯へ仕送っては居ないのに、この様に思わせては、第一大恩ある露伯に済まないと、心の中は穏やかでは無かったが、イイエとは猶更答える事が出来なかった。

 唯益々その顔を赤くするばかりだったが、翁は衣嚢(かくし)の財布の中から、
 「それでは之を当座の小遣いに。」
と言い、二十五ポンドを取り出したが、真に里子の行った通り、惜し相にその金を眺めて考え、熟々(つくづく)深い嘆息を発し、身を切られる程の辛さを示して、漸くに渡した。昨夜里子を叱った文子も、実にその間に早く手を出し度いほどであった。

 第七回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

      第八回 気に入られる文子

 この様にして、唯一度文子と逢った丈で、富淵金造翁は早くも文子をその大財産の相続人と思い定めた様だ。口にはそれとは言わないが、万事の様子から非常に明白である。
 だからこの日帰って来て、文子が何と無く嬉しそうなのに引き替え、妹里子はその身の地位を急に奪われた様に思い、非常に機嫌が悪く、夕飯のテーブルを囲んでも、
 「何(どう)して先(ま)ア姉さんは、アノ様に空々しく金造翁の機嫌を取れるのだろう。」
と言う。

 文「何も空々しく機嫌を取りは仕ませんよ。翁は亡くなった阿母(おっか)さんの唯一人の兄では無いか。私は本当に懐かしく思って居たから。」
 里「オヤ、好くマアその様な事が言えますね。何時だったか、姉さんは金造翁の話を聞き、その様な人は大嫌いだと言ったでは有りませんか。」
 文「何時私がその様な事を言いました。」

 里「アレ姉さんの記憶は大層勝手な事、自分に都合の好い事ばかり覚えて居て、都合の悪いことは皆忘れてサ、何時かソレ、伯父さんが翁の話をした時に、姉さんはそう言ったでは有りませんか。主人に忠義と見せ掛けて、そうして主人の財産を奪い、主人の息子が相続すべきものを自分が相続し、そうして大財産を起すなどとは人非人だと、ハイそう言いましたよ。ネエ敏子さん。」
と言い末の妹をまで味方に引き入れようとするのに、敏子は、
 「私は知りませんよ。」
と答えた。

 里「敏子さんは未だ年行かないから忘れたのだ。私は好く覚えて居ます。そうしてその主人の名は何と言ったっけ、そうそう、田守種穂と言いました。田守種穂の息子が立穂で、立穂の相続すべき所を、翁が旨(うま)く種穂に取り入り、立穂を勘当させ、而(そう)して自分がその財産を奪ったから、翁は悪人で、此の悪人に相続権を奪われた、本当の息子の立穂が可愛想だと、姉さんは確かに言いました。」

 その立穂の息子安穂が、今は我が夫であるので、文子は赫(くわっ)と赤面し、夫を捨てて、却ってその敵とも言うべき金造翁の機嫌を取る、我が振舞いの罪深さが、今更の様に胸に答え、此の夜も夜終(よもすが)ら心の安まるのを得る事が出来なかった。

 しかしながら一旦思い込み、夫までも捨てた今と為り、その大望を翻えして、夫の許へ詫びて返られる筈も無いので、文子は益々心を固め、金造翁から貰った廿五磅(ポンド)の金で、至急衣服などを作り、日々立派な翁の馬車に送り迎いせられて、翁の許に通うと、土地の人々は文子の美しい顔を見て、且つは金造翁の大財産を嗣ぐべき身の上と推量して、中でも息子を持っている親達は猶一層眼を注ぎ、又息子達も自ら口実を設けては、それと無く翁の許へ尋ねて来る者が、日々に多くなった。

 この様にして幾週の後には、翁の頼みで、文子は翁の家を我が家として、翁の許に住み、伯父露伯の許へは三日に一度、五日に二度ぐらい、唯だ暇を見て尋ねて来た。時々は妹里子を連れて行き、馳走して帰すなど、全く翁の相続人としか思われない有様と為り、一日の仕事と言えば、唯だ翁に新聞紙を読み聞かせ、或いは茶を注いで出す程の事で、極めて安楽の身の上とはなったが、

 安楽に連れて又、益々夫安穂の事を思い出し、安穂が今は何の職業も無く、憂世の苦労艱難を一身に引き集めて、殆ど乞食同様に世を渡っているのは明らかなので、それを余所に見て、我が身一人安楽に日を送るのは、妻の道に背(そむ)くのは勿論、人たる者の情に非(あら)ずなどと思い、殆んど空恐ろしい気がして、身体は益々安楽にして、心は愈々(いよいよ)苦しさを加えるばかりだった。

 しかしながら又思えば、是れも畢竟(ひっきょう)は夫安穂の為である。金造翁の財産は祖父種穂から父立穂に伝わり、立穂から今の安穂に伝わるべきを、翁が種穂を欺いて立穂を勘当させ、中途にて奪い取った者なので、翁から安穂に返すのが当然である。

 しかしながら、此の儘(まま)に捨て置いては、安穂に伝わらないのは勿論とし、安穂の妻である私にも伝わらないのは必定なので、私が暫(しばら)く安穂の妻と言う名を捨て、本来の花添文子に立ち返って、翁の財産を嗣(つ)ぎ、その財産を身に着けて、再び安穂の許に帰るならば、安穂の為に先祖以来の損害を取り返すにも均しいので、少しも道に欠けた所は無いなどと、漸く道理を附けて我が心を推し鎮めて、益々翁に仕えると、翁は天性の吝嗇(りんしょく)《けち》であるのにも似ず、文子の身には存外の金を掛けて着飾らせ、時々は、

 「和女(そなた)ほどの綺緻(きりょう)が有れば、何の様な婿でも取れる。何が何でも大金持ちを見出して夫にせよ。」
などと言う事がある。文子は是れをも又、胸に支かえる程の難題なので、
 「イイエ伯父さん、私は夫は持ちません。此のまま貴方の傍に居るのが何よりも仕合せです。夫などを持って、自然貴方へ粗略になる事でも有れば、阿母(おっか)さんの遺言に背きます。」
など体好く予防の線を張ったが、金造翁はセセラ笑って、

 「ナニ誰でも婚礼前は否(いや)だ否だと言うけれど、又その時が来れば結婚する気になる者だ。私はもう和女(そなた)に大金持ちの婿夫を取るのが何よりも楽しみだ。」
 アアこの様な大財産を持ちながらまだ足らずして、金満の婿を求めようとするのだろうかと、文子は殆ど呆れる程で、それとは無く只管(ひたすら)に予防に手を尽くしたが、

 伯父の許を尋ねて来る若者等は、日に日に増加するばかりで、その上どの人も、その気があるように文子の機嫌を取ろうと勉め、翁も成る丈は見ない振りをして、結婚の機を熟させようとする様子なので、文子は虫が知らせると言う者か、時々我身の後々が、恐ろしく思うことすら有るように成った。

 第八回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

       第九回 恨む金造翁

 日を経るに従って、金造翁が文子に金満の婿を迎えようとする心は、益々募る様子なので、文子は気が気では無く、あれこれ考えて見たところ、その婿の定まらないうちに、金造翁が死去する事が有れば、我が身は此の難題から逃れる事が出来るに違いないという結論に至った。しかしながら翁の死去は、何時の事やら図り知ることは出来ない。

 取分け姪の身として、かりそめにも、伯父の死去を願うなどとは、唯思う丈でも気の咎める事なので、どれほど結婚が恐ろしいからと言って、まさか翁が早く死ねば好いのになどとは、思える筈は無い。いっその事、自分が既に結婚し、その夫が今現在、この世に生きて居る事を打ち明けようか。

 それが一番良い。
 之を打ち明けるより外には、一徹な翁をして、婿取りの意を思い止どまらせる事は出来ないと、文子は殆ど思い定めたが、之を打ち明ければ、自分が今まで翁を欺いて居た事も分かり、我が心が唯翁の財産にのみ注がれている事をも悟られ、たちまち愛想を尽かされて、今迄の苦労が総て水の泡と為るのは必定である。

 それとも翁がもし若い時に、我が夫の父である田守立穂の相続権を奪った事を悔い、何とかしてその罪を償(つぐ)なおうなどと、密かに心掛けて居はしないか、老いて若い時の事を悔いるのは、誰しもの常だと聞くので、翁と言えども、今は七十に届いた身で、若かりし時の過ちを、まさか何時までも改めずに置きたいとは思わないだろう。

 真にその様な後悔の念が有れば、その念の現れた時を見済まし、私がその田守立穂の息子、安穂の妻であると打ち明けたならば、或いは案ずるより産むが安く、かえって翁に喜ばれるかも知れない。いずれにしろ翁の心に、その後悔が有るか無いかを見定めるのが肝腎であると、漸く思案を定め、此の後は唯だ翁が田守の事を話し出す機会ばかりを待って居ると、

 翁は経歴の正しく無い人だけに、余り自分の昔話を持ち出さず、偶(かり)に持ち出すことが有っても、田守一家のことは全く語らなかった。是れは後悔の為だからであろうか、将(は)た又、未だ後悔するには至って居なくて、隠し切る事が出来そうだとの思いが有る為だろうか。

 文子はどちらとも決められず、空しく月日の経つのに任せていると、或時翁は頭痛がすると言って、文子に頭を冷やして呉れと頼んだ。文子は冷や水などを用意させて、急いで翁の頭に手を当ると、怪しい事に、その深い髪に隠れて、非常に大きな古傷があった。日頃は撫で附けた髪の下と成って、見えなかったが、何しろひどい痕なので、文子は驚き、

 「オヤ伯父さんは若い時、戦争にでもお出で成されましたか。」
と問うと、翁は忽ち腹立たしそうに顔を顰(しか)め、
 「その傷は田守立穂に附けられのだ。」
 翁の口から田守の名を言うのは、実に今が初めてで、又と無い機会だと思ったので、文子はその頭を冷やしながら、

 「オオそうそう、貴方がお若い時に、田守家を相続したとは阿母(おっか)さんからも聞きましたが。」
と何気なく言う胸の中には、聞こえる程に動悸が打ていた。翁は非常に不機嫌に、
 「相続したのに不思議は無い。」

 文「でも何うして田守立穂に、此の傷を負わされたのですか。」
 翁「立穂は田守家の長男で、父が死ねば自分が相続人に成れる事だと思って居たところ、父は立穂の放蕩に愛想を尽かし、アノ様な者では、財産が持ち切れ無いと言い、死に際に俺を相続人に直したのサ。」

 幾等我が子が放蕩者(どうらくもの)だからと言って、その子を捨て、雇人に相続させるとは、人情に外れた事柄なので、何か魂胆が有った事と文子は思った。
 翁「愈々(いよいよ)その父が死に、遺言書を読み上げて見ると、息子立穂の名を消して、俺の名を書き入れて有ったから、息子は立腹し、きっと父の遺言書を窃(ひそ)かに書き替えたのに違い無いと言い、その夜俺が外へ出た所を捕らえ、俺が気絶するほど打擲(ちょうちゃく)《殴打》し、その果てに高い崖から下へ蹴落として立ち去った。

 その時頭へ此の傷を受け、俺は死人同様に倒れて居たが、巡査の世話で病院へ擔(かつ)ぎ込まれ、半年ほどの介抱で、漸く命は取り留めたが、生まれも附かない生涯の頗足(びっこ)に成った。」
 父の財産を奪われたからと言って、別に法廷に訴えて、その財産を取返えそうともせず、半死半生に打ち懲らして立ち去るとは、血気盛んな年少紳士の磊落(らいらく)《度量が大きくさっぱりしていること》なる気性が見えた。

 その人の息子田守安穂が今に至って、翁を親の敵と言って罵(ののし)るのも無理は無い。翁は更に怒って語を継ぎ、
 「俺は此の国に居ては面倒だと思ったから、直ぐにその財産を纏(まと)めて印度へ渡ったノサ。馬鹿息子め、どの後で散々に俺の行方を捜した相サ。でも印度までは好く追っ掛けては来なかったよ。」

 そうだとすれば人の財産を引っ攫(さら)って、印度へ逃亡したのにも同じ。流石の文子も翁の根性が是ほどまで曲がって居るかと、今更の様に不快な思いを為しつつ、
 「でもそれは一昔し以前の事で、今では互いにその恨みを忘れて仕舞った事でしょう。」
と遠廻しに問い試みると、翁は口の辺に泡を吹き、

 「互いにと言っても、先方では何も俺を恨むことは無い、自分が放蕩から父に見限られた事は誰の所為(せい)でも無い。俺の方では骨身を粉にする程の艱難辛苦で只管(ひたすら)主人に忠義を尽くし、その褒美として財産を譲られたのは、勿論当然の事で有るのに、その当然の事の為に、半死半焼生の目に逢されたのみか、此の国に住んで居られないほど窘(くるし)められ、そうして生涯の片輪に成った此の恨みが、何して忘れられよう。

 今まで暑さ寒サには、此の頗足(びっこ)の足と頭の傷が、耐えられないほど痛むので、俺はその度に立穂の冷酷さを思い出し、腹が立って身も砕ける程に思う。今日此の頭が痛むのも彼の為だ。彼れはもう多分死んで仕舞い、此の世には居ないだろうけれど、彼の子でも残って居れば、俺は尋ね出して叩き殺して遣り度い程に思う。」
と言い、悔しそうに拳(こぶし)を握り固めた。
 恩を忘れて怨みのみを何時までも心に記(しる)すのは、曲った人の常の事だ。

 文子は恐ろしさに耐えられない上に、此の様子では自分が立穂の息子安穂の妻である事を打ち明けては、一切の望みが総て消え、其の上に更に何の様な目に逢うかも知れないと、殆ど身を縮めて小さくなった。

第九回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

     第十回 姉(ねい)さんのあの人

 金造翁が執念深く田守立穂を恨むのみか、更にその息子安穂をまで憎々しげに罵(ののし)るのを聞き、文子の望みは全く絶えた。この様な執念深い人に向かい、自分とその安穂とが夫婦である事を打ち明けたら、翁の財産を受け継ぐべき見込みは全く切れ、更にその上に、翁の所に居る事さえ出来ない事になることは必定である。

 私に夫の有る事は最早や毛ほども知らせては成ら無い。だからと言って此の事を知らせなければ、翁は益々私に、婿を取らせたい言う思いが強く成るばかりなのを、如何したら好いだろうと思案に暮れ、気も武者苦者し、打ち鬱(ふさ)ぐのみなので、此の翌日は気晴らしの気持ちで、用事に托し伯父露伯の家に帰り、幼い頃から住み慣れた庭の面に出て、独り思案しながら散歩していると、この様な所へ、何か秘密の話でもしようとする様に、四辺(あたり)を見廻して非常に静かに伺い寄って来るのは、末の妹敏子である。

 文子は其の姿を見るやいなや、
 「私は考え事をして居るから、和女(そなた)はここへ来るのでは無いよ。」
と叱る様に退けると、
 敏「姉さんの考え事は知って居ます。あの人の事ですよ。」
 文「あの人などと、私には其の様な人は無い。唯だ自分の事を考えて居るのだから。」
 敏子は容易に退かず、却って様子ありげに声を潜め、

 「イエ隠しても知って居ますよ。ハイ姉さんの帰らぬ先から知って居ます。けれどネ、他の人に話しては悪いと思い、貴女に聞いてからの事と、今まで黙って居たのです。貴女の帰るよりズッと前に、此の村へ尋ねて来ましたよ。私は屹度(きっと)貴女の好い人に違い無いと思いました。」

 此の村へ尋ねて来たとは何の事だ。若しや我が夫、田守安穂が我が身の立ち去ったのを怪しみ、行方を尋ねて此の村へ来たのでは無いか。文子は忽ち聞耳を立て、
 「エ、何の様な人が。」
 敏「それ御覧なさい。貴女の心に覚えが有るでは有りませんか。乞食の様な姿をして、汚れた着物を着て居ましたが、それでも何所か都の紳士の様にも見えましたから、私は直ぐにそう思いました。」

 益々安穂の事に似ているので、文子は悶(もど)かしくも又気遣わしく、
 「それは何時の事だエ。初めから順にお話しよ。」
 敏子は十二の小娘にしては、非常に長(ま)せた仕草で再び四辺(あたり)を見廻しながら、
 「イイエ、貴女の帰るよりズッと前です。今年の一月二日でした。ハイ二日の日の暮れでしたー。」

 愈々(いよいよ)夫、安穂である。私が此の家へ帰り着いたのは四月であったが、安穂を振り捨てて、倫敦(ロンドン)の宿を立ったのは、旧冬十二月の末なので、安穂は直ちに乞食同様の姿で、乗り合い馬車に乗る旅費さえ無く、辿り辿って一月の二日に此の土地まで尋ねて来たものと知られる。

 「それから。」
 敏「ハイ私が庭で遊んで居ると、生垣の外から私を招く人が有るのです。私は其の傍へ行きましたが、余り其の人の身姿(みなり)が穢く、顔もお腹の空いた様に弱り果てた色が見えて居ましたから、私は乞食と思い、丁度伯父さんに貰った元日のお小遣いが猶(ま)だ残って居ましたから、それを差し出しますと、その人は悲しそうに笑って、ナニ乞食の様に見えても乞食では有りません。少し尋ね度い事が有ると言いました。」

 文子は流れ出ようとする涙を隠して、
 「それから。」
 敏「ハイそれから、貴女は花添敏子さんですかと問いました。不思議でしょう。その人が私の名を知って居て問いました。私がハイと返事すると、貴女の姉さんは文子さんと言いましょう。ハイ文子と言いますが、ズッ前から倫敦(ロンドン)へ出て奉公して居ます。

 オヤ奉公先から未だ帰りませんか。ハイ帰りません。デモお宅(うち)では、近々帰って来るだろうと待って居らっしゃるでしょう。イイエ、先日も手紙が来ましたが、帰る様には書いて有りません。デハ全く未だロンドンから帰らないのですネ。ハイ帰りません。何でもロンドンで内教師を仕て居ますから、預って居る子供達が、中学校へ行く年頃になる迄は、帰れないでしょう。

 宅(うち)では皆そう言って居ますと、私がこう返事しますとネ、その人は腰を抜かす様に、垣の根へ据(す)わり、デハ何所へ行ったのだろうと呟(つぶや)いて、何度も何度も溜息を吐(つ)いて居ました。」
 余りの痛ましい話に文子は我知らず、
 「先ア可哀想」
と言うと、

 敏「ソレ姉さんはその人を知って居るでは有りませんか。年は廿七、八で背(せい)が高く、色は少し黒いけれど目が大きくて口許が締まって居て、ハイ私は本当に好い男子だと思いましたよ。何でもロンドンで姉さんを思い染めた人に違い有りません。それが何かの都合で田舎へ来て零落(おちぶ)れて、若しや貴女が此の土地へ帰って来ては居ないかと思い、ソッと尋ねて来たのです。

 それで無ければ私の名まで知って居る筈はありません。私はそう思って良く見ましたが、余りお腹が空いて居る様子なので、可哀想に思い、待たせて置いて勝手へ行き、麵包(パン)を持って行って遣りますと、その人はもう何所へか立ち去って姿も見えませんでした。姉さんの恋人なら私の為には義理ある兄さんですから、先ア貴女に聞いた上で無ければ、容易に人には話されないと思い、今まで黙って居たのです。」

 非常に小癪(こしゃくな)な考えではあるが、是が為に我が秘密が、今まで洩れずに居る事が出来た思えば、文子は有難く、更に充分に大事を取り、
 「此の後も、人にその様な事を話すと私が笑われるから、誰にも言うのでは無いよ。私に何でその様な恋人などと言う者が有る者か。」
と言い、更に威(おど)しつ賺(すか)し《機嫌を取ってなだめる》つして、充分にその秘密を堅く守らせる事にして、敏子を傍から追い払ったが、後で文子は、夫安穂が艱難辛苦して我が身を捜す有様が目に見える様に浮かんで来た。

 自分を責め、夫を憐み、殆ど自分の身の置き所も無い迄に悲しく、それにしても夫安穂は、その後如何したのだろう。飢え死にしたかも知れない。或いは餓え凍えて病と為り、野倒(のたれ)死にしたかも知れない。それとも又貧苦に追われ、一方には我が不実を恨み、淵や川に身を投げたかも知れない。

 せめてその後の行方くらいは突止めなければ、妻たる義理にも背くと思い、その夜の中に、以前に奉公していたロンドンの長谷田家の下女で、良く文子の事情を知り、文子の為に幾度も手紙の取り次ぎなどをした、草野お賤(しず)と言う女に手紙を遣り、委細の取り図らいを頼むと、是から三日目に到り、ロンドンタイムズ新聞の「愁訴広告」の欄内に、下の広告文が現れた。

 「田、文」印より
 「田、安」印へー、
 決して御身を忘れた訳では無い。御身に操を立て御身の利益の為に働きつつ有り。重ねて共に暮らす日を楽しみに御身も気永く待て。落胆する勿れ。御身は今何所(いずこ)にて、何を為しつつ有るのか。

 ヘール外の郵便局留置きにて「田、文」印へ宛て、至急に返事の手紙を送れ。此の身も無事健全なり。云々

第十回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

    第十一回 婿取りを薦める金造翁

 「田、文」より「田、安」に宛てた此の広告は、数週間引き続いて「タイムス」の紙上に現れ、その間文子の命を受けた彼の長谷田家の下女草野賤(しず)女は根気良く郵便局へ訪ねてに行ったけれど、田守安穂からは何の返事も来なかった。安穂は早や既に亡き人の数に入ったのだろうか。

 まさか若い身空で、如何に絶望したからと言って、容易に死すとは思わないが、五カ月が過ぎ、半年と経つに従い、文子は安き思いも無く、唯だ打ち鬱(ふさ)ぐのみ。それにその間にも金造翁が文子に婿を迎えようとする心は益々募り、様々工夫しても殆ど逃れ難い様子なので、文子もこの上は唯だ及ぶだけ翁の機嫌を取り、翁をして片時も此の身を、その傍から手放すことが出来ない様に至らせる外は無い。

 この様にすれば自然に婿を選ぶ時も延び、その中に翁自ら死去する事にもなるだろうと、苦しくも思い定め、是からは又一層厚く翁に仕えて居たが、この年も早や暮れに及んだ或る夕に、翁は何時(いつ)もの様に文子を傍に置き、熱い茶の用意をさせながら、その身はタイムス新聞を読んで居たが、たちまちその記事に驚いた者の様に、

 「ヤー、是は。」
と打ち叫び、遽(あわただ)しくその紙面を畳み、顔色を青くして非常に心配気に何事をか考え初めた。文子も彼(あ)の広告より後は、非常に新聞紙の記事に気を留めて居るので、翁が何の事柄を読んで驚いたのだろうと非常に気に成ったので、
 「伯父さん、新聞紙に何が出て居ました。ドレ私が良く読んで上げましょう。」
と言い手を出すと、翁は之を見られて堪(たま)る者かと言わない許(ばか)りに、その新聞を自分の衣嚢(かくし)《ポケット》に納め、且つは毎(いつ)に無く不機嫌に、

 「ナニ和女などの知った事では無い。」
と言い放ち、その儘(まま)己が部屋に退いたが、そのまま気分が悪いと言い、数日の間打ち臥(ふ)して起きて来なかった。文子は益々怪しく思い、この後幾度と無くその新聞を捜したが、翁が焼き捨てたのか、深く秘密の箱にでも仕舞ってしまったのか、遂に見当たらなかった。

 幾日かの後、翁は寝床を離れたものの、一層体が衰えた様で、食欲も減り元気も減り、又今までの矍鑠(かくしゃく)とした老人では無く成った。この様子では、翁の大財産を受け嗣ぐ日も、遠くは無いと文子は宛も闇地に徘徊(さまよ)う者が、遥か彼方に一点星よりも微(かす)かなる光を認めた様に思い、心の底に喜んで、愈々(いよい)よこの財産が我が物と成ったなら、金を厭はず人を雇い、何よりも先に夫安穂の行方を探り、夫婦再び共に棲(す)む事にしようなどと、心に後々の仕合せを描きつつ此の年をも過ごした。

 明ければ安穂に分かれてから、早や三度目の春とはなったが、或る日村中一の物持ちと聞こえた銀行家何某の家で、郡中の主だった人を招き、大宴会を開くとの事で、翁と文子との許へも丁重な案内状を寄越したが、翁は健康が優(すぐ)れない為、出席する事が出来なかったので、文子に唯一人行く様にと命じた。

 この様な宴会(パーティー)に行っては、又如何なる人に見染(みそめ)られ、何れほど逃れ難い縁談を、申し込まれる本と為るかも知れないので、甚だ気が進まなかったが、翁は又婿を作るには、この様な宴会(パーティー)より良いものは無いと思って居る様で、故々(わざわざ)美しい衣服まで仕立てさせて、強いて文子を出席させようととし、帰る刻限には又馬車を以って迎えに遣るなどと言うので、文子は止むを得ず出席した。

 勿論都にすら珍しい容貌なるが上に、この数年来、世帯の苦労を知らずして安楽に暮らした事が相まって、又一層の美しさを添え、それに既に夫をも持ち、子をまで儲けた事なので、姿は令嬢ではあるが、何の世味をも甞めて居ない剥き出しの処女の様に、少しの事に顔を紅(あか)め、人に圧倒されて挨拶さえも充分には言うことが出来ないなどの不手際もなく、物悲しそうな顔の中にも、優(ゆた)かに落ち着いた所があり、筆にも尽くされないほどの趣を備えているので、客一同は今更の様に感動し、老いも若きも先を争って文子の傍に群がっていた。

 この様な中で、最も人々が羨(うらや)んだのは、この隣郷の郷主で英国屈指の富豪として知られる、貴族誉田(ほんだ)家の当主光麿と言う当年廿九の貴公子である。この君は此の土地の二十里(80Km)四方に唯一人の貴族と言う事に加え、数知れない財産の主人であるので、到る所で神の様に尊(うや)まわれ、誉田子爵(ほんだししゃく)の来臨と言えば、大抵の家では子孫まで誇るべき栄誉と心得る程であるので、今日の此の宴会(パーティー)でも主人は素より、来客一同、此の君が来られた事を肩身の広い事に思い、手を尽くして持做(もてな)した。

 この君も早くから眼を文子の姿に注ぎ、親しく言葉を交えた上で、宛も此の美人こそ我が未来の妻だと言う様に、片時も文子の傍を離れない。文子自らもこの様な貴公子と親しく交わるのは、実に此の日が初めてなので、非常に名誉ある事に思い、日が暮れるのをも忘れて居るうち、やがて夜に入り、興も尽き一同帰る刻限とはなったが、如何したことか、文子だけは迎えの馬車が来なかった。

 家を出る時金造翁が、確かに馬車を送ると言ったのにと、非常に怪しんで待つ文子の様を、貴公子は見て取って、
 「サア花添嬢、私が此の馬車でお宅まで送って上げましょう。」
と言い、自ら手を取って馬車に載せた。此の君、貴族の当主であるのに、今以て夫人を迎えて居ないので、此の様を見る人々は皆、花添文子こそは未来の誉田子爵夫人に違いないと心の中に羨みも嫉みもしたが、文子は自ら恐れる所が無くはなかったが、辞退するにも辞退できず、仕方無くその意に従い、子爵と共に馬車に乗った。

 この様にしてその馬車は、金造翁が家の前に来たので、子爵又自ら文子を卸(おろ)し、
 「どちらにしろ近日改めて伺います。」
と曾(かつ)て平人に向かって発した事も無い丁寧な言葉を発して分かれ去った。

 文子は何故翁が約束の馬車を送らなかったのか、その仔細を聞きもし、又今日自分が誉田子爵から受けた栄誉を語りもしようと思って、家に入って直ちに翁の部屋の入口に行くと、怪しいことに、入口の戸が半ば開いて居て、その間から常よりも非常に明るく硝燈(ランプ)が光輝いて漏れて来た。

 文子は部屋の中を静かに覗くと、今まで二年間、夜中に客と言う者が来た事は無く、来ても又通した事の無い翁の部屋に、年壮(わか)き一紳士、翁と対座して居るのを見る。誰だろう此の紳士、真に誰だろうとは第一に文子の心に湧き出る疑いであった。

第十一回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

    第十二回 客と密談する金造翁

 伯父金造翁と対座する一紳士、真に是れ何者だろうと、文子は戸の此方から差し覗くと、翁もその客も戸口の方へ横顔を向けていたので、十分に知る事は出来なかったけれど、客は顔は白く無く、総体に黄色がかった肌であるのは、確かに東洋の人種である。その衣服は全く英国紳士社会に流行しているものと同じだけれど、英人にこの様な顔色の人は居ない。多分は翁が多年印度に出稼ぎして居た為め、東洋で知り合った人に違いない。

 それにしても夜中に翁の部屋へ通されるとは、余程親しい間柄と見える。若しや此人、私と同じく深く翁の気に入られ、翁の死後には、その財産の幾分かを、受け継ぐことに成る身分では無いかと、文子は何より先にその心配が浮かんだので、更に詳細に様子を見ると、翁と此の人との間には商業上の簿記かとも思われる、厚い帳面が幾冊か横たわり、此の人が翁に向かってその内訳を説明して居る様子だった。

 しかしながら此人は、声が柔らかにして且つ小さいことと言ったら糸の様で、その言葉は文子の耳までは届かなかった。更に又その振舞いも、声と同じように穏やかに見え、帳面を指さす手は、殆ど骨が無いのではないかと思われる程で、優(しなや)かであることは、ゴムの細工にも似ている。

 顔容(かおかたち)は別に非難する所は無いけれど、是れも唯だ余りに落ち着き過ぎて、薄気味の悪い所がある。恐ろしい金造翁の顔とは全く鋳型を異にはするが、油断の出来ない雰囲気が有るのは同様である。

 翁は此人の飴の様な言葉を、どのように聞いて居るのかは知らないが、顔の筋々に血が漲(みなぎ)って太く膨(は)れた有様は、先に文子に向かって田守立穂の事を罵(ののし)った時よりも、更に恐ろしそうで、今にも此人の言葉が終わるのを待って、太喝一声に叱り附けようとするのに似ている。

 翁がこの様に不機嫌であるからは、先ず我れと此の財産を争う人では無いだろうと、是れだけは安心したが、此の人は又、敢えて翁の怒りを恐れはしないかの様に、彌(いや)がうえにも落ち着いて居るのは、満更翁に叱り飛ばされる身分の人では無いのかなどと、更に様々に怪しんだが、これ以上窺いて居て、見咎められては成らないと思い、二階にある自分の居間へ退いた。

 それから暫くして、下にある翁の部屋から、翁が荒々しく叱る様な声が幾度も洩れ聞こえたけれど、客の声は少しも聞こえない。何にしても翁が非常に立腹しているのは明らかなので、或いは昨年、翁が新聞を読んで非常に驚いた事なども、矢張り今夜と同一の事件ででもあったのではないだろうか。

 いずれにしても、この様に夜の更けている事なので、此の客は明朝まで一泊するに相違無く、朝になったら幾らか合点の行く事も有るに違いないと、文子はそのまま寝床に入った。

 翌朝はいつもの様に起き出して、翁の為に茶の用意などをして居ると、翁は昨夜の不機嫌をまだ幾分か顔に留めて起き出して来て、定めの席に就いたので、文子はその機嫌を取ろうとして、

 「昨夜は大層遅くまで起きて居らしゃいましたネ。」
と言うと、翁は又も顔を顰(ひそ)め、
 「和女(そなた)はそれを何して知って居る。」
と咎める様に聞き返えした。
 文「昨夜私は大層遅く帰って来ましたから、それで良く存じて居ります。貴方が迎いの馬車を寄越して下さる事と思い、それを待って居てツイ遅くなりました。」

 翁は忽ち思い出し、
 「オオそうだ。馬車を送って遣る事をスッカリ忘れて居た。」
 隅から隅まで気の届く、厳密な此の翁が、昨夜に限り忘れるとは、余程大切な用事であったのだと見える。
 文「でも幸い、誉田子爵が馬車に乗せて送り届けて呉れましたから、少しも困りは仕ませんでした。」

 誉田子爵と聞くやいなや翁は顔を崩して眼を光らせ、
 「何だと、近郷近在で神様の様に言われて居る大金持ちの、アノ誉田子爵が馬車で和女(そなた)を。」
 文「ハイ此の家の門口まで送って呉れ、そうして近々尋ねて来ると言いました。」

 翁は早や小躍(こおどり)りして、
 「オオ、子爵がそれほどに言う様子では、きっと宴会(パーティー)の席でも、和女と子爵とは親しくしたで有ろうナ。」
 文子が、昨日子爵が常に自分の傍から離れなかった有様を、詳しく語ると、翁は幾度も微笑んで、

 「それは何より有難い、到頭好い婿が見つかった。文子喜べ、子爵が和女を見初めたのだ。今日でも明日でも子爵が尋ねて来れば、早速俺に知らせて呉れ。俺が良く挨拶するから。」
 文子は急に、何物か胸にに痞(つか)えた程の面持ちと為り、

 「又してもその様な事を仰る。私は何時までも貴方のお傍を離れませんよ。ハイ夫などは持ちませんよ。」
 翁「ナニ、金持ちの夫を持って呉れのるが何よりの孝行だ。」
 この様な大財産を持って、更に金持ちの婿をと言う、余りにその強欲が恨めしいので、

 文「私は金の為に身を売る様な縁談は嫌いです。」
 「之は良く言うものだ。和女の気質で金の無い夫を持たれる者か。幾等気に入った夫でも、貧乏して共々にその日に困る事と為れば、和女は逃げ出し度くなるよ。」
と偶然に言う言葉も、文子の身には必至(ひし)と堪(こた)えた。

 夫安穂の貧苦を捨て、逃げて此の家に来たこの身の始末を、或いは見抜れたのではないかと迄に危ぶみ、又一語を返すことは出来なかった。漸くにして言葉を他の道に振り向けて、
 「伯父さん、昨夜のお客は未だ起きては見えませんか。」
と紛らすと、間の悪い時は悪い者である。此の一語は又も翁の機嫌に障り、

 「何だと、昨夜の客、それを和女が何して知って居る。」
 文「イエ、私が帰った時、貴方のお居間へ行こうと思いますと、中で聞き慣れない声が聞こえましたから。さてはお客かと私は二階へ上がって寝て仕舞いました。」
 翁は無遠慮に、

 「戸の外から、部屋の中の様子などを立ち聞きする者では無い。昨夜の客は昨夜の中に帰って仕舞った。何も此の家へ泊まり込む様な人では無く、同じ印度で取引した商人だ。」

と言い、再び昨夜の立腹を思い出してか、二度と口を聞かず、眉を顰(ひそ)めて無言(だまり)込んだ末、やがてその部屋を退いたので、文子は何う仕様も無く、唯一人食事を済ませて、そのまま庭の面に出て、する事も無く樹の下へ腰を卸し、心の移るがままにあれこれ考えていたが、

 相も変わらず気に掛かるのは相続の事。婿取りの事、夫、安穂の事などである。子爵の様子は、如何にも私を思い染めた者なので、此の上どの様に成って行くのか見当が付かない。若し縁談を申し込まれったら、断る事の難しい事だけでなく、それを断ったならば、此上も無く翁の不興を蒙って、相続までする事が出来なくなる事になるかも知れない。

 翁は既に片足を棺に入れた年齢であるが、今以て相続の事を一言さえも発しないのは、私に婿が定まるのを待って居るのに違いない。何うか縁談の来る前に、翁が病死し、財産が自然に我が物となる様な好運とはならないだろうか。真にその様な好運と成ったならば、安穂を迎えて仕合せを分かつものを。

 それにしても今安穂は何所に居るのだろうか。以前の話では、到底此の英国は人が多くて仕事が少く、資本の無い者は、身を立てる見込みが無いので、土地が広く人の少ない南洋豪州に渡たろうかなどと言って居たが、或いは豪州に渡ったのだろうか、知らない他郷の淋しさに、きっと私の事を思って居るに違いないなどと考えるに従って、心自ずから沈み込み、知らず知らずに、殆ど涙を催おそうとしていると、此の時誰やら文子の背後に立ち、
 「何事をお考えですか。」
と問う。

 文子は驚いて顔を上げると、是こそ昨夜の子爵が、早や約束の通りに尋ねて来た者だったので、文子はハッと顔を紅(あか)めた。

第十二回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

     第十三回 帰って来た安穂

 誉田子爵の不意の来臨に、文子は驚いてその旨を金造翁に伝えると、翁は先刻の不機嫌も何も彼も打ち忘れ、只管(ひたすら)に喜んで下にも置かず子爵を持做(もてな)し、子爵と文子の間に、縁談が出て来る様にとばかり勉めたので、子爵も殊(こと)の外満足の様子で、他日再び来る事を約して、午後になって漸(ようや)く立ち去るが、それにしても文子がこの様に一歩一歩縁談の日に近づく間に、その夫である田守安穂は、今何を為しつつ有るのだろう。

 田守安穂は全く文子の推量した様に、南洋豪州の地に渡ったのである。彼れ絶望の余り、唯だ一人の友とする、彼の小畑時介の周旋で、豪州貿易会社に社員として雇い入れられた。当時会社は業務を拡張する時期に当っていて、多数の人を雇って居たが、どの人もロンドンで使われるのを好み、遠く南洋に派出せられるのを嫌がる傾向があった。

 偶々(たまた)ま嫌がらない者があっても、或いは健康が充分で無かったり、或いは容貌と言い、弁舌と言い、遠く異域に出て、会社の利益を拡張する任務を充分に果たせそうも無い等の欠点があった。独り安穂のみは最も適当な資格がある者と認められて、思って居たよりも重く用いられ、自分も又、心変わりした妻の行方などを捜すよりは、広い新天地に手足を伸ばすのが男児の本望であると思い、勇み進んで渡航した。

 その後も便船で小畑時介へ向け、貧苦の中に十磅(ポンド)を貸してくれた恩と、又自分をこの様な仕事に周旋《斡旋》して呉れた厚意などを謝する手紙を送り、更に万一妻文子の居所が分かる事が有ったなら、早速知らせて呉れなどと言って遣ったが、勿論文子と何の縁も無い時介に、文子の居所が分かる筈も無く、そのままで音信が絶え、今は早やその時から満二年の月日を経、時介も以前程は貧しく無かった。

 賃仕事の地図を引く片手間に、学校用の新地理書を著したところ、非常に児童の心に入り易い文体であるとの評を得て、少しの間に数版を重ね、又賃仕事などを引き受けなくても、容易にその日を送る事が出来る程と為ったので、自然心にも余裕が出来て、時々は田守安穂を思い出したりして居た。

 満二年を経た春になって、豪州から来る便船オロノコ号に一船客があった。年は三十に足るか足らずか。遠征旅客の非常に凛々(りり)しい打扮(いでたち)で、気も軽そうにロンドンに到着し、先ず豪州貿易会社に入り、社長に逢って幾時間か懇話した末、再び市街に立出でたが、これから何所に行く当ても無いのか、右左を見廻して、

 「アア満二年目にやっと帰っては来たが、故郷と言うのも名ばかりで、差し当って帰る家も無く、待って居る人も無い。我が子の事が案じられて、見物する気もしないが、その子は安否も行方も分からない。之を思えば随分詰まらない世の中だ。

 差し当り何所へ宿を取って好いやら。何処にしても他人ばかり。矢ッ張り豪州に居て、事業に夢中に成って居る方が安楽だった。ナニ報告の為め呼び返され、その報告も済んだから、一月経てば又豪州へ出て行くのだ。その間に我子の居所をさえ捜し当てれば、そうだ可愛い顔が見られる。

 その子を連れて南洋に行って仕舞えば、再び此の地へ帰って来たい事も無い。何も彼も過ぎ去った夢と忘れて仕舞うのサ。」
と、悟った様に又悟る事が出来ない様に呟(つぶや)き、暫しの間思案して居たが、忽ち又思い出した事が有る様に、

 「オオそうだ。」
と言い、是から足を早めて歩み、町を右に左に折れ、誰れの家を指して行くかと見れば、遂に辿り着いて踏み止まったのは、彼の小畑時介の住居である。先ず入口の様子を見て、

 「オオ先年よりは何と無く様子が好い。アノ様な善人だからきっと何か幸いな事が有ったのだろう。」
と言い、直ちに案内の鈴を引くと、内から、
 「オウ」
と出て来たのは主人時介自身である。

 戸を開いて此の客の顔を見るやいなや、非常に嬉しそうに驚き、
 「ヤ、ヤ、田守安穂君、何うして先ア帰って来られた。」

 第十三回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

    第十四回 長谷田家の召使 お賤

 安穂は万里の異域豪州に二年の艱苦を甞めたが、唯だ心に掛かるのは、妻文子が逃げ去る時、その腹に宿って居た我が子の事である。勿論夫の情として妻文子を想わないことは無いが、文子が自分を振り捨てて逃げ去った振舞いは、何としても妻の道に背いている。その時文子が残して置いた手紙は、今もまだ肌身に在る。
             
 幾度か読み直したけれど、我れと貧苦を共にする辛さに、我を捨てた者としか思われない。文句の中には、何うやら金満の親類が有って、その財産を相続する積りかと思われる節も有るが、何しろ妻として夫を捨てるのは、薄情の至りなので、安穂は強いて自ら諦め、文子の事を思い出す度に、否々この様な薄情な女に、少しも未練を残しては成らないと我が心に意見して、漸く思い切る事が出来たが、

 一人の知り人も無い旅の空で、寝覚めの淋しい夜々の夢に、又妻の事を思い出さずに居られようか。妻にも有れ、友にも有れ、将(は)た他人にも有れ、話しの相手と為る者があれば、たとえ我が心を慰めて呉れなくても、心が紛れることになれば、如何ほどか旅の月日が送り易いことかと、嘆く心は子を思う心と為り、

 妻は捨てるとも、現在に我が血を受け、妻の身に孕(こも)って居た我が子を、捨て去る事は以ての外だ。今頃はきっと這いもし歩みもしているだろう。父の愛を受けない為、育ち方が遅くはないか、父の顔を知らない為め、幼心が物淋しくは無いだろうかなどと、思い来たれば唯だ腸(はらわた)が断たたれる許りにして、翼が有れば飛んで帰り、貧苦も知らず罪も知らない清いその姿を抱き〆て、早く父を慕う心を教え、愛に崩れる笑顔を見たいと、後には唯だその事を思うばかりと為った。

 此の度は少しの間では有るが、帰って来ることに成ったのは、第一の目的は唯だその子の居所を探すのに有る。男の児か女の児か。無事に育って存(ながら)えて居るか。将(はた)不幸にして闇に去ったか、それすらも知る事が出来ないけれど、何様その子を尋ねるには、先ずその母である文子を尋ね出だし、文子の口から聞く外は無い。

 それとも文子が、今尚、自ら連れて、自ら育てて居るのかも知れないが、文子の置き手紙には、人の妻としては出世の道が無く、未だ婚礼しない花添嬢の身分ならば、大いに見込みが有る様に記して有るので、文子今は単に花添嬢と名乗り、曾(かつ)て人の妻であった事は無かった様に見せ掛けて居る可能性が有るので、その子も窃(ひそか)に何人にか預け、世間へ知らさず育てて有るに相違無いなどと、何から何まで思い定めた。

 それで安穂は旧友小畑時介の家を尋ね、時介が非常に喜んで、その居間へ迎え入れられたが、語る所は唯だ我が子の懐かしさと、妻文子の現在の居所の二つである。時介は素より、文子の居所を知る筈が無いが、安穂の心中を察して遣り、それを尋ねる間、我が家を宿とせられよなど、親切に申し出たので、その厚意に従って、その家に身を落ち着ける事と為った。

 そこで是から妻文子を捜す順序を考えて見るに、曾(かつ)て文子が奉公して居た長谷田家に、草野賤女と言う召使いが在った。此の召使いは文子の為には奴隷の様に立ち廻り、文子の郷里の伯父花添露伯から来た手紙なども、総て此の召使いが取次いで、文子に渡して居た程なので、此の召使いが或いは、文子の今の居所も知って居るに違いない。

 だから第一に、此の召使いを尋ねて問い糺(ただ)し、此の召使が若し知らないと言うならば、次には文子の郷里赤城村に尋ねて行って、その伯父花添露伯一家に尋ねよう。先に文子が逃げ去った頃、乞食同様の姿で赤城村へ尋ねて行き、文子の妹敏子と言うのに聞いた時は、その一家では、まだ文子が長谷田家に奉公して居る者とばかり思い詰めて居て、少しも真の居所を知らなかったが、

 二年余を経た今日が日まで、伯父姪がまさか知らない事は無いだろうと、安穂は時介にも相談して、この様に思い定めたので、其の日のまだ暮れ無いうちに、長谷田家を尋ねて行くと、長谷田夫人は旅行中との事で、家は門を閉ざして人を入れない。仕方が無いので門番に頼んで、草野賤女を呼び出して貰うと、怪しみながら出て来た草野賤女は、安穂の顔を見るやいなや、その驚く事と言ったら並大抵では無かった。

 「オヤ、田守さん、貴方はもう疾(とっ)くの昔し、此の世には居ない人だろうと思って居ましたのに。」
と云う。
 田「何で其の様に思ったのです。此の通り達者で此世に居る者を。」
 賤「でも昨年中、文子さんが、イヤ貴方の奥様が、アレほど新聞紙に広告して尋ねたのに。何のお返事も有りませんから、定めし此世を立ち去った事と思いました。」

と言いながら遽(あわただ)しく家に入り、古い新聞紙を持って来て、安穂に示した。安穂は怪しみながら開いて読むと、如何にも文子が私の行方を気遣って尋ねた者で、その文面を味わい見れば、満更自分が思って居た程薄情でも無く、又不実でも無い様に思え、読み終わっては又読み返す間に、強いて自ら諦めて居た愛の心が、自(おのず)から湧き出で来て、殆ど両眼が潤むのを覚える程とはなった。

  第十四回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

     第十五回 文子からの手紙

 さては妻文子が、新聞に広告してまで、私の安否を尋ねるほど、我を恋慕って居るかと、安穂は今までの恨みを忘れて、ほとんど涙に暮れ、
 「では是から直ぐに文子の許へ逢いに行こう。文子は今何所に居る。」
と彼の草野賤女に問い掛けると、

 「イヤそれは了(いけ)ません。奥さんは貴方に逢い度いと言うのでは無く、唯だ貴方の安否を知り度いのです。直ぐに私から手紙を出し、貴方が無事で居る事を知らせて上げましょう。」
 安「ナニそれには及ばない。サア文子の今の住居は何所だ。」
 賤女「そればかりは言えません。誰にも住居(すまい)を知らせては成らないと、堅く断わられて居ますから。」
と言って、幾度問うても文子の居所を明かさない。

 安穂は苛(いら)だって、
 「では文子の許へ電信を出して貰おう。」
 賤女「了(いけ)ません。電信では奥様の居るその家の人達が、何事かと疑います。矢張り私から手紙を出し、そうして今の住居を貴方へ知らせて好いか悪いか問合せます。」
と言って一歩も譲る景色が無いので、安穂は腹立たしいけれど仕方がなく、

 「では私が直々に、文子へ宛てて手紙を書いて来るから、その手紙をお前から文子まで送って貰おう。」
 賤女「ハイそれなら、宜しゅう御座います。」
 安「だが幾日掛かれば、文子の許から返事が来るのだ。」
 賤女「通例四日目には返事が来ます。」

 四日目とは非常に待ち遠しい次第だが、外に行う方法が無いので、安穂は近辺の飲食店に行き、一通の手紙を認め、それを持って再びやって来て、至急に出して呉れと言い、賤女に渡した。其の文言は、

「文子よ、余を捨て去って後、汝が何所で出世して居るのかは知らないが、余は相変わらず健康である。汝に捨てられて絶望しても首も縊(くく)らず、南半球に旅行して二年余を経た今日、初めて帰って来た。余は汝の腹に宿って居た我が子を見たい。

 委細は手紙に尽くし難いので、逢っての後に語ろう。汝は今何所に居る。居所を知らせれば私は直ちに出張する。汝が私を振り捨てたのも、全く貧苦に圧迫され、私の身を軽くして、共々に出世の道を開こうとの心だったと言うならば、私は咎めない。汝の心さえ変わらなければ、私は喜んで汝の罪を許そう。唯目下の住所を知らせよ。至急、至急。」

 是だけの非常に味も無い手紙である。之を賤女に渡してから向こう四日の間、安穂は或いは我が雇われている貿易会社に行き、報告の不足を補い、頭取の後々の見込みを聞き、或いは小畑時介の家に帰って雑談に時を消すなど、四日を一年よりも永く思って漸くに日を送り、やがて約束の時に至り、再び賤女の許を問うと、文子からの返事だと言って一通を渡された。

 見れば封表の文字からして、一旦我が最愛の妻とした、文子の筆である事は間違い無いので、何と無く心嬉しくそのまま持ち帰って開き読むと、
 「御手紙海山(うみやま)嬉しく開き候、今日まで夜昼気遣って居た心配も一時に解け、取分け私の罪を御許し下さるとの御言葉には、嬉しさの余り幾度か神に謝し、涙を止める事が出来ない程でございます。

 私の今の身の上は、安楽又健康ですので、少しも御気遣いなされませぬように。二年余の辛抱で最早や心願の届く時と成り、この上唯だ僅かの辛抱で、何も彼も意の如く成り行くことは、確実で御座いますので、今暫し御待ち下され度く存じます。住居(じゅうきょ)を申し上げ、貴方様が直々御出で成される事ともなれば、今までの苦労も水の泡ですので、ここは一辛抱、ホンに僅かの間御待ち下されますよう、呉々もお願い申し上げます。

 是と申しますのも、貴方様と私しと双方の為でありまして、此の辛抱を成し遂げれば、再び何の苦しみも無く、非常に安楽の身と為って、再会せられる事になりましょう。此の後も草野賤女に任せて、屡々(しばし)ば便りをお聞かせ下されますようお願い申し上げます。辛抱の間にも、まだ貴方様に見捨てられずに、再会の時が有ると思えば心軽く、百倍も辛抱が致し易くなりました。

 私からも屡々(しばしば)手紙を差し上げる所存では有りますが、唯だ、今の住居のみは暫く問わずに御置き下されますようお願い申します。又生まれた小児は無事息才に育って居ますので、少しも御心配に及びません。私が此の辛抱を仕遂げた日には、愛らしい児の顔をも、貴方様に御見せ致す積りで御座います。」
云々(しかじか)とあり。

 安穂は読み終り、非常に腹立たしそうに、
 「エ、エ、此の女、気でも違ったのか。」
と打ち叫ぶのは無理も無い。愛の言葉は並べて在れど、肝腎の居所を知らさないばかりか。生まれた子の男なのか、女なのかさえもも知らせない。殊にその児を我に引き渡そうなどと言う気は毛ほども無い。アア我はこの様な、言葉ばかりの気休めを得ようとして、豪州から帰ったのでは無い、好し、此の上は直ちに赤城村に在る、文子の伯父花添露伯の許に尋ねて行き、今の居所を突き留めて、直々にそ誤った考えを言い破り、当人をば捨てるとも、我が子だけは必ず連れて来ようと言って、安穂は其の翌日赤城村を指し出発した。

第十五回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

    第十六回 誉田子爵(ほんだししゃく)の再訪

 安穂は文子を捜し出そうと、今現に文子が住んで居る赤城村を指して出発したが、その後事は暫く置く。
 話しは更(かわ)って、是より前、文子は夫安穂の手紙を得て、非常に打ち喜び、その無事なのに安心はしたが、今若しこの場へ我が夫に来られては、今までの辛苦が総て水の泡となる恐れがある。

 何に付けても都合の悪い事ばかりなので、我が住居を押し隠して、気安めの手紙を出したが、一旦こうと思い込んだ事は、実行しなければ止まらない性格の安穂なので、必ず伯父露伯に聞き合わせようと、自ら此の村へ尋ねて来るに相違無い。何とかして之に応じる工夫をしなければと、あれこれ心を砕く折しも、我が身を見染めたあの誉田子爵が、再び此の家に尋ねて来たのには困ってしまった。

 誉田子爵ともあろう者が、少しの間に二度迄も尋ねて来るとは、一通りの熱心さでは無い。だから子爵が初めて此の家へ来た時、近辺の人々は、早くも子爵が文子に縁談を申し込む下心であることを推察し、様々に噂を立てた。
 どれ程の女でも、子爵の妻と為るのは実に出世の極(きょく)なので、広い世界でも、此の君の縁談を拒む様な馬鹿者は有る筈がなく、文子も轉々(ころころ)喜んで、身の果報を祝するに違いないなどと評し、既に文子を子爵の許嫁の様に見做(みな)し言做すに至ったが、

 今日は子爵もその下心を隠さず、自分の姉御寮を同伴して来た。是れは勿論姉に親しく文子を見せ、その鑑定を経て、然る上で益々深く懇意を結ぼうとする心に違いない。文子はそうと気付いたけれど、我が肌身には、今現に夫安穂から受け取った手紙がある。夫の手紙を肌に着けて、如何して我が身と結婚したい思って居る人と、打ち解けて語らう事が出来ようか。

 悪い所へ来た者だと、宛(あたか)も針の山にでも追い詰められた心地ではあるが、まさか逃げ隠れ出来ないので、成る丈冷淡にして控えていると、子爵は今まで、自分に向かって冷淡な女を見た事が無かったので、此の女こそは浮世の栄華を願わない、真の超凡脱俗の天女では無いかと思い、之を取り逃しては又とこの様な清浄な気風の女が、此の世に有る筈は無いと思う様に、益々文子の機嫌を取ろうとした。

 厳格な姉御寮も、今まで多くの女達が、訳も無く唯だ我が弟に媚び、その愛を買おうとするのに、独り此の女は端下無く人に媚びて、その心を見透かされる様な事をしない。この様な気高い女こそ、貴族の妻として、多くの下々に臨むのにふさわしいと、是れも非常に文子に親しさを見せるので、文子が益々心苦しく思うのに引き替え、

 金造翁は自分が足で歩むべきか、はたまた頭で歩むべきかをすら忘れた様に、殆ど逆さになりながら持て遇(な)していたが、やがて子爵が好い加減に切り上げて返るに臨み、
 「明日は必ず文子を引き連れてお庭拝見に参上します。」
と約束した。

 曾(かつ)て文子は学校に通って居た頃、卒業さえすれば、宛(あたか)も昔し話しに在る様に、貴公子が現れ来て、我が身に花嫁の立派な服を着せ、天国よりもっと安楽な仙境に、我が身を連れて去る様に思って居たが、その後学校を卒業しても、昔話しの様な仙境が来るどころか、その日に困る餓鬼道に落ちて居た。

 その貴公子を欲し無い時に為って、却(かえ)って貴公子が現われて来て、我が身に花嫁の服を着せようとするのは、何と言う儘(まま)ならない世であろう。若しも子爵の妻と為ったならば、夢の中に見た様に、栄華の中に婚礼して、逢う人々に羨やまれるところなのに、それも是れも今は遅いと、様々な想いを胸に浮かべ、暫し茫然として控えて居ると、翁は嬉しそうに進み寄り、

 「ソレ私(わ)しが言った通りだろう。到頭大金持ちの婿殿が、天から雨降(あまくだっ)て来おったワ。和女(そなた)もさぞ嬉しかろう。」
 文子は恨めしい心を露出(むきだ)しに、
 「何の嬉しい事が有りましょう。私は何時までも貴方のお傍から離れないと先日も申しましたのに。」

 翁「オオサ、それは未だ婿殿の立派な姿を見ない中の事サ。何うだアノ子爵の品の好い事は、エ、到る處で令嬢達が大騒ぎするのも無理は無い。俺が若し女なら、アノ様な殿御とならば、乞食を仕ても厭(いと)わないが。エ、あの姿で大金持ちと来て居るから、和女は本当に幸せ者だ。明日私とお庭拝見に行って見るが好い。

 アノ子爵が和女の手を引き、内々で縁談の意を通じ、間が好ければ直ぐに申し込むが、若し明日その機会が無ければ、先から更(あらた)めて再び和女と私を招待するワ。事の順序はチャンと極まって居る。三月と経ぬうちに和女は誉田子爵夫人だ。エ、子爵の立派な顔が目の前に浮かんで忘れられ舞い。」
と諄々(くどくど)しく繰り返えした。

 今迄、翁の言葉には一言も逆らう事が出来なかった文子であるが、今は無言(だまっ)ては居られない場合と、思い切って、
 「アノ様な人は大嫌いですよ。ハイ私は虫が好きません。」
と又一点の疑いをも残さない様に打ち叫ぶと、翁は目を丸くして驚き、
 「何だと、あの子爵を嫌いだとな。コレサ、コレ文子、嬉しサの余り発狂してはいけないよ。」

 文「発狂では有りません、初めから嫌いです。」
 翁は屹(きっ)と文子の様子を見、
 「ハテな、アノ子爵を嫌いとは、まさか外に邪魔する男が有る訳では無いだろうなあ。」

 急所を突く痛い言葉に、文子は顔を火の様に赤くした。

 第十六回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

   第十七回 誉田子爵邸へ

 女の身として、何一つ申し分無い、彼(か)の誉田子爵を愛さないとは、実に有ってはなら無い事柄なので、金造翁が怪しんで、外に男が有るのかと問い聞いたのも無理は無い。文子は此の問いに、急所を突かれるよりも痛く感じ、全く顔色を変じたがここが大事な所と思い、

 「何で私に男などが有りましょう。有れば田舎へ帰っては来ません。伯父さん、もう結婚の事は言って下されますな。貴方が若し私にお飽き成さって、傍に置くのが嫌だから、早く婿でも探して、その婿の許へ追い遣り度いと思し召すなら、私は何時でも此の家を立ち去り、不自由ながら伯父露伯に養われるとも、再び内教師の奉公するとも、何うとも致しますから。」
と、又一点の疑いをも残さない程に言い切ると、金造翁は却(かえ)って安心した様に、

 「オオ外に男さえ無ければそれで良い。ナニ結婚と言えば何所の娘も、初めは嫌がるけれど、今に見ろ、早く子爵の妻に成り度いと、恋焦がれる様に此の俺がして遣るから。」
と言い、独り納得した様子で家へ退いた。

 後に残った文子は、又も夫安穂の事が気に掛かり、こう言う中にも、若し此の村へ尋ねて来られては、我が身の今までの偽りが悉(ことごと)く露見して、金造翁に見限られるのは勿論の事、どんな恥ずかしい思いをする事になるか分からない。実にこのままにして置いたら大変な事に成りそうなので、何とかその予防をしなければ成らないと、何度となく考えた末、先年安穂が尋ねて来た時、旨(うま)く追い返したのは末の妹敏子なので、今度も敏子の力を借りる外は無い。

 尤(もっと)も先年は、私が全く此の土地に居なかった爲め、敏子が有りの儘(まま)を述べて追い払ったが、此の度は、私が此の通り、此の土地に居るので、偽りを以って追い返すことは、先年よりもっと難しけれど、幸い敏子は年に似合わない怜悧な性質なので、何とか旨く追い払って呉れるに違い無いと思い、金造翁へは用事があって出かけると言い置いて、直ちに伯父露伯の家に行った。

 折好く此の日も敏子唯だ一人、庭の表で遊んで居たので、文子は様々な土産などを与えて、充分に機嫌を取った末、先年私を尋ねて来た乞食の様な人を覚えて居るかと問うと、充分に覚えて居ると答えたので、若し再び其の人が尋ねて来る事が有ったならば、決して私が、此の土地に居る事を覚らせない様、旨い具合に話して追い払いなさい。

 中でも金造翁の事は、少しもその人の耳に入れてはいけません。又此の事を他人の耳に入れては一大事なので、堅く秘密を守り、和女唯だ一人で取り計らうようにと、懇々(こんこん)と諭して頼むと、敏子は以前から軍談の書などを読み、昔の人の物堅さに感服して居て、総て小説らしい事柄を、此の上も無く面白く思う気風なので、まるで小説の口調で、

 「姉(ねえ)さん、私には何れほど秘密を打ち明けても大丈夫ですよ。譬(たと)え敵軍に捕らわれ、身は八つ裂きにせられるとも、人に頼まれた秘密を洩らす様な事は決して致しません。」
と誓ったので、文子は少し安心の思いがして、もし此の事が旨く行ったなら、日頃欲しがっている、簪(かんざし)を買って上げようなどと、厚く褒美を約束して帰って行った。

 此の翌日は、昨日誉田子爵へ約束したからと言って、朝の間に翁の馬車に載せられ、気は進まなかったが、翁と共にお庭拝見と言う名目で、誉田子爵の邸に行くと、子爵もその姉御寮も待ち受けて居て、文子を持做(もてな)すことと言ったら並大抵では無かった。

 先ず英国中の駿馬を集めたと噂される、高大な厩(うまや)を見せ、次には天然の山水を取り込んだ、限り無い庭の一部を示し、最後には各国の古代の絵画を懸け列ねた美術室を案内されたが、文子は曾(かつ)て奉公した、長谷田夫人の家の外には立派な所を知らない。長谷田夫人の家とは殆ど比べ物にも為らない美麗宏壯な有様に、王宮と雖も之には優(まさ)らないだろうと迄に思い、

 この様な大家の当主に見染られ、女主となって此の家を生涯の我が家にすることは、実に女の身に取って又とは無い栄誉とし、女王の位に上るよりも、もっと仕合せな心地がするので、少しの間唯だうっとりとしていた。昔し学校に居た頃、夢の様に心に描いた仙境も是ほどでは無かった。

 その後、此の世には最早や幸いは無いとまで、絶望した事の有る我が身にも、是ほどの仕合せが備って居たのだろうかと、不思議に思い、又疑う様に思い廻すうち、日も漸く傾いて来たので、この様な場合の駆け引きには、少しも抜け目の無い金造翁の如才の無さで、又の来訪を約束し、此の日は適当に切り上げて、再び翁と共に馬車に乗ったが、翁は馬車の中に於いても又結婚の話を始め、女の身として誉田家の令夫人となるその幸いをのみ説いたが、文子は昨日までしていた様に、何が何でも翁に逆らおうとすることはしなかった。

 だからと言って、勿論世の中の掟として定まって居る、夫有る身が更に他人の妻と為る事は、到底出来難い事なので、まさか貧しい夫田守安穂を捨て、誉田子爵に乗り替へ度いなどと言う心は無かった。唯だ何となく、今翁の機嫌を損じては成らないとの思いで、好い加減に聞き流して家に帰った。

 話は更(か)わって、妹敏子は姉からの褒美の約束も有るので、あの日から後は、なるべく門外の方に気を配り、若しあの人が尋ねて来たならば、誰よりも先に自分が出て迎えなければならないと、油断なく心を注いで居たが、三日目の昼過ぎになって、玄関の次の部屋の窓に立ち、只管(ひたす)ら見張って居ると、遥か彼方から此の家を指して歩み寄る一紳士、二年前の正月二日に見た時とは身姿(みなり)は全く変わって居たが、顔は其の人に相違無かったので、

 「来た。来た。」
と心に叫び、
 「早く何か言わなければ。この様に断わろう。」
など、忙がしく思案して待つ間も無く、其の人は既に門の前に到着して居た。

 第十七回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

   第十八回 安穂の再訪

 この家の門口まで来た安穂は、先ず門札を眺め、暫し思案する様子である。窓の内でそれと見る敏子は、姉文子から細々と言い附けられた指図を一々に考え廻し、こう言うふうに言って追い払おうと、充分に思案を定めて待つと、安穂はやがて門の戸を開き、玄関に入って来て、案内の鈴を引き鳴らした。

 敏子はその鈴の音が、誰の耳にも入らない間にと、急いで出て行って、戸を開くと、安穂は敏子の顔を見て、まだ充分に覚えて居ると言った様に、
 「アア貴女は敏子さんでしたネ、貴女に逢ったのは誰に逢うよりも好都合です。」
と言い、早や上がって来る様子である。

 敏子は全く仮忘(うすとぼ)けて、何事も覚えて居ない様子を示し、
 「貴方はお薬取ですか。お薬ならば晩の七時頃でなければ、伯父さんが帰りませんからー。」
 「オオ、私の顔を見忘れましたか。薬取では有りませんよ。二年前の一月二日に、庭の垣の外から貴女を呼び、文子さんの事を貴女へ尋ねましたが、尤(もっと)もその時は、私が乞食の様な風をして居ましたから、見忘れるのも無理は有りませんが。」
と言ってどうしても思い出させようとする。

 敏子は巧みに首を傾け、
 「そうそう、そんな事も有りましたが、貴方の顔までは覚えていません。しかし私へお話が有るなら、サア此方へお通りなさい。」
と薬局へ案内すると、安穂は嬉しそうに従って来て、部屋の様子を見廻して、先ず我が妻文子の、居そうにも見え無いのに落胆してか、力無く腰を下ろし、

 「敏子さん、今日も先年と同じ用事で来ましたが、文子さんは今何所に居ます。此の家ですか。それともーーと言い掛けて後は出ない。敏子は心配の色を示して、
 「実に姉(ねい)さんほど、分から無い人は有りませんよ。伯父さんを初め、私しまで二年越しに心配して居ますのに、未だ奉公先から帰って来ません、」

 安穂は忽(たちま)ち顔を曇らせ、
 「エ、奉公先とは。」
 敏「ハイ先年ロンドンの長谷田夫人とか言う方の家に居て、それから暇を取り、先から先へと奉公して、何故かその居所さえ充分には知らせて来ません。」
 さては我に対して居所を隠すばかりでなく、伯父や妹にまで隠して居るのかと、不審に思うと同時に悲しみ、

 「では此の家にも居ず、今の居所も分から無いと仰(おっしゃ)るのですネ。」
 敏「ハイ」
 安「それにしても時々は手紙でも来るのでしょう。」
 敏「ハイ其の手紙が五カ月目に来たり、十月目に来たり。そうして来る毎に差し出しの場所が違って居ます。」

 安「この頃来たのは」
 敏「この頃は参りません。今から八カ月ほど前に来たのが、一番新しいので、その後は何の便りも有りません、」
 安「その手紙は何所から出したのです。」
 敏子は少しも詰まらず、

 「ハイ、セルシー区から参りました。セルシー区の町で中村夫人と言う家に奉公して居ると有りましたが、今でも其の家に居ます事か。此方(こちら)から手紙を出しても返事さえ参りません。」
 安穂は全く思案に暮れ、独り言の様に呟(つぶや)き、

 「こうまで心配する人の気も知らずに、その居所を隠して居るとは、実に非道(ひど)い。余りに酷(ひど)いと言う者だ。」
と呟(つぶや)くと、敏子はこの人と姉文子とは、如何なる間柄なのだろうと怪しみ、

 「他人の貴方へ知らさないのは不思議でも有りませんが、現在妹の私にも知らさないとは本当に意地悪です。」
 安穂は更に嘆息(ためいき)を止める事も出来ず、
 「イヤ貴女より私しへは、猶更(なおさ)ら知らさなければ成らないのです。私は文子の夫ですから。」

 此の一語に、敏子は殆ど凭(もた)れて居る椅子から落ちる程に驚き、
 「エ、エ、貴方が文子の夫、それでは姉さんは貴方の妻ですか。貴方と姉さんは結婚をしたと仰るのですか。」

 安「ハイ、神の前、人の前で正式に結婚しました。それなのに私を振り捨て、二年の余も居所を知らさないから酷(ひど)いと言うのです。
 当家のご主人花添露伯殿に逢って聞けば、或いは幾分か詳しい事が分かるかも知れません。私はそのお帰りを待ちましょう。」

 伯父の帰りを待たれては、何も彼も露見する一大事。
 敏子はハッと胸を衝かれた。

 第十八回 終わり

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     女庭訓   作  涙香小史 訳述
 
     第十九回 敏子にあしらわれる安穂

 今此の人を伯父露伯に合わせては、姉文子の身の一大事なので、敏子は躍起と為って、
 「イエ、いけません。そればかりはお許し下さい。」
 安穂は非常に怪しんで、
 「エ、何をお許し下さいです。」

 敏「イヤ、伯父さんにお逢い成さった所で、私が今申した丈の事です。伯父さんも、姉さんが此の八カ月前に、ゼルシイの中村夫人の方に居た事しか知りません。その後矢張り引き続いてその家に居るか、それとも先から先へ歴廻(へめぐ)って居る姉さんの事ですから、主人の伴でもして、外国へでも行ったのか、ハイそれは伯父さんに逢った所で分かりません。」

 安穂は思案に沈んだまま、
「それにしても念の為です。逢って見ましょう。」
 敏子は中々に気性鋭く、人に臆しない少女なので、
 「私が是ほど言うのに、貴方は聞いて下さらないのですか。伯父さんは厳しい人ですから、文子が人知れず結婚して、貴方と言う夫が有ると知れば、伯父にも相談せずに、我儘(わがまま)勝手な事をする不届者と、立腹するのは必定です。

 姉文子だけが叱られるなら未だしもですが、何にも知らない里子と私までが、事に由ると此の家から追い出されるかも知れません。」
 全く出鱈目な事を誠しやかに話すと、
 安「ヘエ、伯父露伯殿と言うのは、文子の為に二人の妹を追い出す様な、そんな分からず屋ですか。」

 敏子は心ならずも止むを得ず、
「ハイ分から無い人ですとも、本当の分からず屋ですよ。御覧の通り、豊かでも無い暮向きで、三人の姪を世話するのは随分骨が折れますから、何か落ち度を見出して、追い出し度いと、普段から目を皿の様にして居ます。姉文子が我儘すれば、それを理由に私達へまで当たり、その様な者の妹なら世話をしても、何うせ碌(ろく)な者には成らないと、ハイ愛想を尽かすに極まって居ます。イイエ、それはそれは本当に頑固な伯父さんですよ。」

と言葉の末を強調すると、まさか十四か十五ばかりの一少女が、意地悪でも無い伯父を、意地悪の様に言い做(な)すだろうとは思いもしないので、
 「それはお可哀想ですがーー。」
 敏子はここだと、
  「ハイ可哀想と思し召すなら、何うぞ伯父にお逢い成さるの丈はお許し下さい。私し共が明日から路頭に迷うかも知れません。」

 安穂は深く嘆息して、
 「アアそう聞けば、無理に面会する訳にも行きません。仕方が有りませんので、ゼルシイへ行ってその中村夫人とか言う人を尋ねて見ましょう。」
 敏子はホッと安心し、
 「ハイ何うかそう成さって御覧なさい。今はもうゼルシイに居無いかも知れませんが。それにしてもゼルシイから尋ね始めれば、それからそれへと必ず今の居る場所が分かりましょう。分ったら何うか一筆私へもその居所を知らせて下さい。」
と飽く迄も真実の様に言う。

 年にも似合わぬ賢い少女(むすめ)に、安穂は鈍くも欺かれ、
 「ではゼルシイへ行きますが、ゼルシイの何町とかもっと詳しい所は分かりませんか。」
 敏「ハイ唯だゼルシイの中村夫人と許りで、その外は少しも分かりません。」

 安穂は中村夫人の名を深く心に留め、此の土地を立ち去って、二日の旅路をも厭(いと)わず、汽車に乗り船に乗り、海峡島(チャネルアイランド)として知られる、聖ヘリヤ島に行き、その島の一市区であるゼルシイで只管(ひたすら)に捜索したが、中村などと言う姓は到る所に多いけれど、一つも心当たりを得ることは出来なかった。

 一夜此の島に逗留し、手の届く丈調べたが、何の甲斐も無かったので、力無く無く此の地を立ち、最早や長谷田家の下女である草野女に再び逢い、何が何でも、その口から文子の居所を白状させる外は無いと、是から又もロンドンを指し、サウザムプトンの停車場まで来たが、折悪しく汽車の出た所で、六時間の後でなければ、次の汽車は出ないと言う。

 六時間とは待ち遠しいので、如何(どう)しようかと思案するうち、フト心に浮かんだのは、此の所から遠くない、ウインチスルと言う田舎に、亡父(なきちち)の従妹田守路子と云う老婦人が、寡婦暮しをして住んで居る(此事前に出づ)。曾て文子の為に十磅(ポンド)を借りようとする時、此の伯母の事を思い出したが、旅費が無い為に、尋ねて行く事が出来なかったのだ。

 今は別に用事は無いけれど、自分に取っては、此の世に残る唯一人の親戚なので、この様な折に尋ねなければ、再び尋ねる時は無いだろうと、フトその田舎まで行く気に成り、道を尋ねてウインチスルを指し、足に任せて歩み行くと、幼い頃に、幾度か来た事の有る土地なので、その家の間近まで行くと、一木一石皆知己の想いがあり、非常に懐かしい思いに心が揺さぶられた。

 やがて其の村の中程に在る寺院の前に着いたが、伯母路子の家は此の寺の後ろに当たり、田守荘と言う広い地所を控えた広大な屋敷で、此の寺の庭を抜ければ十町(1Km)ほども近道なのだ。安穂は此の寺の庭も、幼い頃に幾度か通ったことがあったがと思いつつ、その中に歩み入り、急ぎもせずに裏手に行くと、一個目立つほど大いなる新石碑があった。

 きっと土地の豪家が此頃死去したのに違いないと、何の気も無くその表面の文字を読むと、これは如何した事だ、歴々と彫り附けて有るのは、「田守荘(しょう)の女主人、田守路女の墓」
と言う十余字である。尋ねる伯母は夥しい家産を残して、既に亡き人の数に入ったのか。それにしても誰が其の後を継いだのだろう。

第19回終り

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     女庭訓   作  涙香小史 訳述
         

     第二十回 伯母路子の遺産

 伯母路子の墓碑を見て、安穂は非常に驚いた。先ずその碑の後に廻(ま)わって調べて見ると、死んだ月日とその年齢を記して有った。死んだのは昨年の春で、即ちこの自分が豪州に出発してから一年余の後、今よりは一年ほど以前である。行年は八十二歳とある。

 年に不足の無い身なので、その死んだのは、自然の寿命ではあるかも知れないが、唯だ一人の親戚の死んだ事を、一年後の今まで知らないで居たとは、何とした事だ。
 それにしても伯母の屋敷は、誰が受け継いで、今は何(ど)うなって居るのだろう。

 きっと伯母の死に際まで介抱した人が、遺産として譲られ、此の碑を建てたのも、その人に違いないなどと思い、更に良く見ると、碑の横面の下の方に、此の寺の住持が建てた旨が刻んで有った。益々その家が、今どの様になって居るのか怪しまれるので、安穂は此の寺の庭を抜け、伯母の家の前まで行って見ると、家は門の戸を鎖(とざ)し、昔手入れを怠らなかった生垣さえ、今は延び茂るがままに放置されていて、住んで居る人が有るとも思えなかった。

 非常に広い屋敷で、四辺(あたり)には、問える人も無かったので、更に裏手の方に行くと、裏庭の外に在る井戸の傍で、洗濯に余念の無い一老女があった。安穂は宛(あたか)も此の家を借り度いと言う風を示して、此の家は貸家であるかと問い掛けると、老女は洗濯の手を休めて立ち上がり、安穂の優しそうな姿を見て、安心の様子で様々の事を語り出した。

 その話の大要を記すと、
 此の家は主人の路子が死んでから、相続人が無い為め、近々政府の物と為ってしまう。それまでは路子の財産管理を托せられた、寺の和尚と此の村の法律家何某が預って居て、ここで洗濯しつつある此の老女は、長年路子に使かわれていた者で、台所の女中にして番の為、此の家の裏手に在る、小使い室の様な所に住んで居る者である。

 路子は十年ほど以前に、既に遺言書を作り、自分には、同じ田守の姓を名乗る甥同様の男が一人あると言い、その者を相続人とは定めたが、その者は何故か、一度さえも路子の許(もと)を訪ねて来た事が無い。しかしながら路子は、その中にその者が来るに違いないと言って居た。

 又同姓の親戚が有るのにそれを捨てて、血縁の無い人に此の家を相続させる事は出来ないと言い、且つは自分が急に死ぬとも思わなかったので、急いで遺言書を書き替えようともせず、唯だ死ぬ迄には、必ず一度は此の者が来るに違いないと言って捨てて置くうち、病気と為り、少しの間煩(わずら)って死去したので、遺言書はその儘(まま)で、

 即ち此の屋敷は、その他の財産一切と共に、同じ田守の姓を名乗る甥とやらに移るべき物であるが、その甥は今以て現われて来ない。後の始末を托された法律家は、充分に調査し、今もまだ調査中との事であるが、その甥の居所も生死も分からない。

 正規の年限が経てば、自然に此の家は、国家の財産として、政府のものに成る筈であるとのことを、非常に惜しそうに語ったので、安穂は非常に心を動かされた。

 伯母路子が同性の甥と言うのは、即ちこの私の事では無いだろうか。私の外に一人も血続きの者が有るのを知らない。そうだとすれば、伯母の財産である此の家も此の土地も、一切が私の物となるのかと、殆ど夢の心地になり、立って居る両足をそれとは無く踏み占めて見ると、地の土までも何やら新主人が現れて来たのを喜ぶ様に、足に一種の踏みごたえが有った。

 気の所為(せい)かは知らないが、今まで踏んだ他人の地面とは厚さが違う様な心地がせられ、胸一ぱいに嬉しさが込み上がるのを、漸く押し鎮めて、更に言葉を廻し、その路子の財産は如何ほどだろうと聞いてみると、老女は、世界中に路子の財産を知らない人も有るのだろうかと、怪しむ様に安穂を眺めて、

 「イエ、もう土地は田も有り山も有り果物畑も材木の林も有り、幾十町歩《ヘクタール》か村の人さえ数え切れないと言う程です。そうして年々上がって来るものは、路子様唯お一人の事で有りますから、使うと言っても知れたもので、その上倹約の方なので、金に替えて残らず蓄え、四、五十年来積り積もったその金だけでも、何十万ポンドとかに殖(ふ)えて居ると言う事です。」

と言って、自分の財産でも誇る様に数え立てるのに、安穂は一方には、生前に一度も此の伯母の許を尋ねなかった我が無沙汰を悔い、又一方には自分に図らざる幸運が落ちて来た事を喜び、更にその法律家の住居(すまい)を聞いて、適当な頃合いを見てここを去り、法律家の事務所に行き、直々に其の人に逢って、田守路子の相続人は誰なのかを問うた。

 だが法律家は縁も由縁(ゆかり)も無い人に答えるような者では無い。如何なる争いが起こるかも知り難いのでと言って、殆ど国家の大秘密でも守る程に厳重なので、安穂は、
 「イヤ縁も由縁(ゆかり)も無い者では有りません。」
と言い、自分の名刺を出し示すと、法律家の驚きは並大抵では無く、驚いて又疑う様にその眉を顰(ひそ)め、

 「フム、貴方は田守安穂、之れは何(ど)う言う田守安穂です。」
と問う。その様は全く遺言書に在る相続人の現れたのを知り、若しや大財産を奪う為め、名を騙(かた)る詐欺者では無いかと疑って居る様子なので、

 安「ハイ田守立穂の息子です。祖父は田守種穂と言いました。」
 法「シテ今までは何所に住んで居たのです。」
 安「満二年余も以前から豪州へ行き、此の頃帰って来まして、此の近辺へ参りましたから、久々で伯母の安否を問う積りで、此の村へ立ち寄り、初めて伯母の死を知りました。

 伯母路子には多分私より外に、血続きの者は無いだろうと思いますから、それ故その財産なども何(ど)うなったか、それを聞き度くて上がりました。
 法律家は深く眉を顰(ひそ)めたまま考え込み、

 「唯だ貴方の言葉だけでは、イヤ名刺だけでは法律上の問題を決する事は出来ませんが、兎に角、真に貴方が田守路子の血縁ならば、その遺産の処分に付き、私に様々の事を聞き度いのは当然です。私としても真に貴方の身分が分かれば、職務上、知らすべき丈の事は知らせて上げます。兎に角貴方は、御自身が田守路子の血縁である田守安穂に相違無いと言う事を、充分証明してお出でなさい。」
と厳重に言い渡す言葉の中に、多少尊敬の語気も見える。

第二十回 終り

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     女庭訓   作  涙香小史 訳述
         

     第二十一回 赤城村の美人花添嬢

 田守安穂が田守安穂である事を証明するのは、水を水と言う様なもので、非常に簡単な事なので、安穂はその法律家に向かい、幸いロンドンには祖父種穂の時代から父立穂に至るまで、田守家の財産を管理した公証人が居るので、その人に向け、伯母田守路子の遺言書の写しを送って頂きたい。そうすれば、その人が私の為に一切の証明を為し、遺言に就いて一切の事を執(と)り行ってくれるに違いないと言うと、是こそ全く正式の手続きなので、法律家も安心した様子で、然らば早速その通りに致しましょうと答えた。

 是で安穂はロンドンに引き上げたが、我が家累代の公証人である何某と、伯母路子の財産を管理する彼の法律家が、彼れ是れ交渉する間に、自分は再び長谷田夫人の家に行き、その下女草野賤女に逢い、ひたすら文子の居所を問い合わせたが、賤女は頑として少しも動かない。何分にも堅く文子から口を留められている事なので、此の後更に文子から、その口留を取り消すと言って来なければ、何と問われても答えられ無いと言って、賺(すかし)《なだめる》ても威(おど)しても、甲斐が無かった。

 何とか外に文子を捜し出だす工夫をしなければと、非常に落胆して分かれたが、是から十日と経ないうちに、彼の公証人の尽力で、安穂が全く田守立穂の息子であることが証明出来たので、田守路子がその遺言書の中に記した相続人は、即ち此の安穂であることが分かり、安穂は直ちに田守荘(しょう)の主人として、数知れない財産の持ち主と為り、伯母路子の住んで居たその家へ住む事とはなった。

 勿論、田守荘は地面も屋敷も森林も幾百年来、田守家の血筋が所有したものなので、終に安穂の手に落ちたことは、意外な幸いではあるが、少しも怪しむ所は無く、安穂は是で全く貧人の境遇を離れ、先ず中等以上の財産家と為り、再び豪州へ出て行くにも及ばないので、早速貿易会社を辞職し、安楽に此の土地に退いたけれど、その身の安楽と共に又益々恋しいのは、我が妻である。我が子である。

 我が身唯だ一人がこの様な大財産を得たからと言って、何になるだろう。我が身の外に之を歓ぶ人が無ければ、安楽は唯だ我が身一人の安楽である。我が一身は、仮令(たと)え昔のままの貧困であっても、どうしても耐えられないほどの困窮では無い。努力の仕様一つで、随分身を立てる道も有った。

 唯だ妻子(つまこ)が愛(いと)しいからこそ、妻子の為に貧苦を免れようと思って居たので、真に貧苦を免れる事が出来た今と為って、妻も子も行方が知れないとは、実に残念至極だ。

 何とかして妻の居所を尋ね出し、ここへ呼び返して、我が子も共に世を送る工夫は無いものかと、先ずロンドンにある或る秘密探偵社に頼み、費用を厭(いと)わず文子の行方を捜させ、更に淋しさに耐えられないので、此の世に唯一人の友とする、彼の小畑時介をも客分として迎えた。

 彼と心を明かし合うのを、切めてもの鬱(う)さ晴らしと為し、只管(ひたすら)に探偵社からの報告を待つが、文子の行方は一向に分からない。
 だからと言って、安穂は不意に得た此の財産を餌として、文子を釣り寄せようとする心は無い。夫婦は金銭の為に有るのでは無く、愛の為にあるものだからだ。

 愛の為に帰って来るのならば元の通りの妻としよう。何の愛情も無く、唯だ財産に喜んで帰って来るだけならば、是切り夫婦の縁を絶つのが増しであると、小畑時介にも屡々(しばしば)その心を語ると、時介も賛成し、

 「そうとも、君が貧苦の中に立ち去った妻だから、矢張り貧苦の中へ帰る積りで帰って来るのが好い。さも無ければ、決して夫婦の情とは言えない。君を元の通りの有様と思い、それでも帰って来れば、本当に愛の為に帰ったのだ。」
などと言った。

 しかしながら、文子が帰る来る様子の無いのは勿論、その居所の捜索さえ、一歩も進まない有様なので、安穂は耐え兼ねて、曾(かつ)て文子がタイムス新聞に公告した事を思い出し、その仕方に習って同じ新聞の愁訴広告欄に、
 「田、安より、田、文へ」
と題する広告を出した。

 「田文よ、汝の考えは誤って居る、汝が如何に大財産を作るとも、余の知らない手段で作った財産は汚らわしい。止めよ。止めよ。止めて早速余の許へ来たれ。決して貧苦を恐れる勿れ。余は貧窮なれども、汝と子を養う丈の力は有り。決して再び餓え凍えさせる恐れは無い。今帰って来なければ、夫婦の縁は是までと為ると思え。」
と掲げると、その返事は直ちに同じ広告に現れた。

 曰く、
 「田文より田安へ、少し気永くして待て、再会を望む心は御身よりも妾こそ切なれど、二年余の辛抱で、今まで運んだ仕事が、今一歩で成就する間際と為って、捨てられるものでは無い。総て御身の為なので、我慢して少し待て。」
と有り。

 田安は押し返して、
 「然らば小児だけでも余の手許へ寄越して置け。」
 と広告すると、
 「それは出来ない。」
と非常に明白な返事が直ちに又現れた。

 安穂は此の返事を読み、
 「エエ実に薄情極まる女だ。」
と怒り叫んだがどうしようもなく、是からは益々心が打ち鬱(ふさ)ぐのみなので、小畑時介の勧めに従い、多くは昔の学校友達などを招いて来て、或いは物見遊山の会を催し、或いは牧狩りを催すなど、総て我が新領地に於いて出来る丈の遊戯を為し、客に紛れて漸く心の味気無いのを忘れようとして居たが、或時客と食堂に落合った時、話しは美人の噂に移り、客の一人は手柄顔に、

 「ロンドンに美人が多い様だけれど、真の美人は却(かえ)って田舎に隠れて居るよ。僕は先達ってヨークシャー州の赤城村へ行ったが、都にも珍しい程の美人を見たよ。」
 赤城村の美人とは耳寄りの話なので、安穂は直ちに耳を立て、

 「エ、赤城村に美人が居たですと。名は何と言いました。」
 客「確か花添嬢と言ったよ。実に君達に見せ度い程の美人だった。」
 花添嬢と聞くやいなや、さてはと安穂は様子が全く変わる程に怪しんだ。

第二十一回 終わり

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     女庭訓   作  涙香小史 訳述
         

     第二十二回  美人の名は文子

 赤城村に花添嬢と言う美人ありと聞き、是れは我妻文子では無いかとは、第一に安穂の心に湧き出でた疑いである。赤城村は文子の郷里にして、我が曾て尋ねた時は、文子はその土地に在らずとの事であったが、同じ赤城村に同じ花添嬢と名乗る者が、他に有りとは思われない。尤(もっと)も文子には、妹二人あり。

 二人とも花添嬢には相違ないけれど、末の妹はまだ美人の中に数えられる年に達していない。中の妹里子とやらは、美しい容貌では無いことは、幾度も文子自身の話に聞いて居た。こう思って来たので益々疑いが湧き出て、安穂は殆ど顔色を変えずには居られない程だったので、暫し心を落ち着けようと、無言で控えていると、客一同誰もが美人の話には耳を傾ける年頃なので、我先にと問いを掛け、

 「シタが美人にも色々ある。今言ったその花添嬢とは、何う言う種類の美人だ。一寸写真を見せ給え。」
 「オオ是は無理な事を言う。唯だ田舎の交際社会で、一二度逢ったばかりだもの、写真などを貰って来るものか。」
 「オヤオヤ、美人の噂を持ち出しながら、その写真を見せる事が出来ないとは、君にも似合わない失態だよ。何も紙に写したものばかりが写真では無い。口に写すのも写真だろう。その美人は目が何うだとか、口許がこうだとか。君の言葉で以て、我々一同の前へその写真を描いて見給えと言うことサ。」

 「そうか。言葉の写真か。それは何よりも易い事だ。僕の雄弁を以てしても到底口には尽くされない程の姿だと言うことサ。こう言えば是が最も適切な写真だよ。此の上を写す事は決して出来ない。」
 「それはそうだ。本当の美人は決して口の写真に写るものではない。」
 「詰まる所三十二相皆揃って居ると言うのだね。」

 「所が三十二相の外に、まだ吾々の垂涎す可き所が有る。非常に金満家の伯父(おや)を持って居る。何でもその伯父が殆ど老病の有様で、遠からず死ぬであろうが、死にさえすれば、その大財産が残らずその美人に転がり込むと言う事だ。」

 「では早速僕はその赤城村へ出掛けて行こう。実に待てば甘露の降る日和とはこの事だ。見給え、僕がロンドンの令嬢達から、ヤイノヤイノを極められるのに、それを邪険に振り払い、今まで妻帯せずに居たのは、全くこう言う口が有るだろうと思ったからよ。虫が知らすと言う者で有ったと見える。シタが君、その花添嬢の名は何と言う。」
「名前からして美人だよ。文子と言うのサ。」

 文子と聞いて安穂は、愈々(いよいよ)我が妻であることを知り、漸く押し鎮めた心が又再び動き出し、急には口も開く事が出来ず、更に一同の問いつ答えつするのに任せるに、
 「文子、文子、僕は最もその名前が好きだ。」
 「イヤ、幾等君の方で好きでも、既に先約があるから仕方が無い。」
 「何だと、先約。それでは君が既に許嫁の約束をして、そうして其の惚気(のろけ)を我々に聞かせて居たのか。是れはひどい。」

 「イヤそうじゃ無い。ヨーク州第一等の金満家で、誉田子爵と言うのが有るだろう。」
 「フム、有る。有る。丸持鑑に出て居るわ。」
 「その子爵が文子を見染め、未だ公然と許嫁には成らないけれど、近々縁談を申し込むだろうと、近辺の大評判だ。勿論子爵から申し込めば、その縁談を断る筈も無い。噂では既に縁談の調ったのも同じ事だと言う事サ。」

 さては我が妻、我を捨てただけで無く、早や世間から縁談の噂を立てられる様な、浮いた素振りを示しつつ有るのかと、安穂は業の煮えたぎる許りである。
「金満の伯父が有るのに、未だ欲張って子爵の妻に成ろうと言うのか。」
 「所がその伯父言うのが、長年印度に居て、何でも奴隷売買の周旋や阿片の密輸出など、総て禁制を侵す様な商売もした奴と見え、欲に底の無い人間で、大金持ちより外は文子の婿にしないと言って居る相だ。」

 安穂は漸く心を推し鎮めて言葉を発し、
 「シタがその伯父の名は何と言う。」
 「待ちたまえよ。名からして何でも金持ち様に聞こえた。そうそう、金造翁と言ったよ。その姓は余り聞いたことが無い、イヤ富淵よ。富淵金造翁と言った。」

 人も有ろうに富淵金造とは、是れは実に安穂の親以来の敵にして、物心を覚えない先から、殆んど共に天をも戴かない仇として、憎く憎く言い聞かされて居た。自分の多年の貧苦に付けても、我が父の相続権を彼、富淵金造が奪わなかったならば、この様な境遇には沈まなかったのにと、忘れる間も無い程に憎んだその人なので、安穂は心中に、火が燃える思いで、

 アア我が妻文子は、その人非人の汚らわしい財産を、相続する爲め、夫を捨て義理を捨て、かつ身分を偽ってまでその人非人の傍に侍(はべ)って居るのか。我に向かって気永く辛抱せよと言い、やがてその財を分かとうなどと言うのも、全くその富淵金造翁の恩を受けようとする為であるか。餓え死ぬことに成っても、彼の汚れた財産を受け継ぐ事を望むものか。

 それを我が妻でありながら、その人の相続人になろうとしている。知らなければ兎も角、知ったからには、一刻も許して置くべきでは無い。好し、我れは直ちに赤城村に行き、妻文子を連れて帰ろう。文子が若し毛ほども翁の汚れた財産に、未練を残す様子があれば、断然夫婦の縁を切り、唯だ其の子をのみ引き取って、我が手許に養って置く事としようと、忽ち思い定めたので、此の翌日を以て、取る者も取り敢えず、安穂は赤城村を指し出発した。

第二十二回 終わり  

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     女庭訓   作  涙香小史 訳述

   第二十三回 再度赤城村へ

 安穂は妻文子が赤城村で、家代々の仇敵(かたき)とも言うべき、富淵金造の許に潜んでいることを聞くや、嬉しさ腹立たしさに、深く思案をする事が出来なかった。取る者も取り敢えず赤城村を指して出発したが、思えば文子は、彼れ金造の偽り深いその血筋を引いている丈に、矢張り偽りの心があり、今以て我が妻であることを、押し隠して居ると見える。

 特に先年貧苦の中に我を捨て去った様に、実に妻としての道に外れて居る。
 我を愛する様に見せ掛けていても、矢張り偽りの心だったのか。偽りの姉に偽りの妹あり。彼の敏子とやらが先頃私が尋ねて行った時、姉の居所は分からないなどと、誠しやかに言い繕(つくろ)い、私をゼルシイまで追い遣ったその心の恐ろしさよ。

 十四か十五の小娘にして、これほど迄偽りを述べるとは、思いも寄らない所で、是れも結局は、我が父の相続すべき財産を、欺(あざむ)き取った、極悪の金造の血筋を引いて居るが為に違いない。憎さも憎い奴等かなと、様々に思い廻らし、やがて赤城村に着いたのは、翌日の日暮れだった。

 先ずその村で宿屋と名を付けた、物淋しい家に投じ、一宵泊る旨を告げ、主人に逢って土地の噂などを聞くと、金造翁の財産は驚くべき程だと見え、土地の商人(あきんど)達は、誰れもがその御用を勤めようとして、翁に売った品物は、一年が二年でも代価を請求せず、唯だ多く多く貸し込もうと競争しているなどと言う。

 又我妻文子も人に羨やまれる種と為って居ると見え、主人は、文子が近々に、誉田子爵と結婚するに違いないなどと言う、世間の噂をその儘(まま)に話し出した。これ程まで此の土地の評判と為って居ることを、今迄知らずに捨てて置いた鈍(おぞ)ましさよと、益々自分の不覚を悔い、即(やが)て晩餐を済ますや否や、金造翁の家を尋ねて行った。

 先ず玄関に行き、強く案内の鈴を鳴らし、出て来た取り次ぎの男に名刺を渡して、大切な用事で主人に逢い度いと申し入れた。安穂は主人金造に逢い、明らかに文子が我が妻である事を述べ、夫の権利を言い張って、連れて行く心である。

 文子の振舞いは憎いとは言え、又恋しい所も有り、文子を元の様に妻と為さば、我が幸いは充分であると、口にも心にも言わないけれど、腹の底の何所かに、微(わず)かではあるが、その様な思いがある。玄関番は、居眠りして居たと見え、目を括(こす)りつつ、安穂の顔を見、初めての人と知って、不愛想に構えたが、

 曾(かつ)て此の家へ、宛(あたか)も今夜の様に、初めて来て、直ちに翁の許へ通され、殆ど徹夜で翁と何事をか語たって居た東洋の人が有ったのを知っているので、此の人も或はその様な用事かも知れないと、忽(たちま)ち思い出して、忽ち恭(うやうや)しく、

 「誠にお気の毒ですが、主人は数日前から病気で寝て居られます。何人をも取り次ぐなと言付けられて居ますけれど、取り次いで見ましょうか。」
 主人が病気ならば、必ずしも逢うには及ばない。取分け親の敵とも思う彼に逢い、憎さに我が心を制し兼ね、余計な悶着を起す様な事があっても面倒だと思い、

 それでは文子嬢に逢っても好いと言い直すと、取り次ぎは直ちに文子の部屋に行った。文子は此の家に在って、全く一種の大狂言、大陰謀を企みつつ有る者なので、人の前に在ってこそは、何の苦も無く愛らしい女であるが、夜に入り、我が部屋に退いた後では、昼間隠していた心配が、悉(ことごと)く現れて来て、彼れを思い、此れを思って、一刻の安心も得る事が出来ずに居る。

 今夜も我れと我が心の底を探り、苦労に余って独り潜々(さめざめ)と泣いて居たが、取り次ぎの足音に、驚いて涙を拭い、殊勝げに聖書を開いて、余念も無く読む様に見せ掛けると、取り次ぎは彼の名刺を出し、
 「此の方が旦那様にお目に掛かり度いと言いましたが、旦那様の御病気の旨を答えますと、それでは貴女様に逢い度いと申されます。」
と告げる。

 夜中に翁に逢おうとするのは、曾(かつ)て帳面を開いて、翁と争って居た、彼の気味悪いほど優(しとやか)なる東洋の客ででもあろうかと、文子もこう思いつつその名刺の表を読むと、
 「豪州貿易会社雇人、田守安穂」
と有る。
 安穂はとっくに会社を辞し、今は一個独立の裕福な紳士であるが、我が身の裕福なのを知って、我が言葉に従う様な妻ならば、再び妻とするには及ばない。

 貧苦に我を捨てたので、我を貧苦と知っていて、貧苦の中へ帰って来るのを厭わない覚悟ならば、妻とし夫と為ろうと兼ねて思い定めた事なので、殊更に雇人などと言う、見すぼらしい肩書のある分を、紙入れの底から探し出して渡した者と思われる。しかしながら文子は肩書に目を留める暇は無く、唯だ、
 「田守安穂」
の姓名にハッと驚き、驚く中にも、明け暮れに思い暮らした夫が尋ねて来たかと思えば、何となく嬉しさが総身に満ち渡る心地がして、飛び立つ様に椅子を離れたものの、三年此の方心を包み、上辺を飾る苦心の位置に慣れただけに、取り次ぎの者に悟られない様にと、早くも何気ない体を示し、
 「此の部屋へ通してお呉れ。」
 取り次ぎが心得て退く後に、
 「ホッ」
と息し、

 「アア、翁が病気で誰にも逢う事が出来ない様に成って居るのは、私の為には何と言う仕合せだろう。」
と呟いた。この様な所へ取り次ぎは、安穂を案内して来て、此の部屋に入れ、夫婦殆ど三年目にして、顔と顔を合わせて立った。文子の顔は積る苦労に大理石の様に青白いが、身体は安楽な為め、器量は曾(かつ)て安穂と貧苦を共にしていた頃よりは、幾倍も上がって見え、美しく飾った部屋の中に、殆ど置物かと疑われる趣がある。

 我が親の敵とも言うべき人の庇護の為に、この様に贅沢に暮らしていたのかと安穂は、寧ろ冷淡に批評家の様な眼を以て、妻の様子を見渡すと、文子は安穂の男らしい姿に、真に男の中の男ぞと見、懐かしさが胸に溢れて、その手を広げ、

 「オオ安穂さん、安穂さん、好く先ア私がここに居る事を探し出しました。」
と言い、殆んど昔し恋人だった頃の痴態に返って、安穂に縋(すが)り附こうとするが、厳乎(げんこ)として立っている安穂の顔には、侵し難く又狎れ狎れしく近づき難い所がある。文子は忽ち足を停(とど)め、安穂の心中の測り難いのに気を打たれて逡巡(たじ)ろいだ。

第二十三回 終わり  

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    女庭訓   作  涙香小史 訳述

     第二十四回 絶望した安穂

 安穂は厳然として侵し難い顔色で文子の顔を睨んで居たが、貧苦の中に我を捨てその身はこの様な贅沢の裡(うち)に隠れて居たかと思うと、怒りの焔(ほむら)燃え上がり、異様に沈んだ声を以て、

 「そうサ、探し探した上句(あげく)、ヤッとの事で見つけ出した。怨み重なる敵の家に隠れて居ようとは思わなかったが、是で大抵和女(そなた)の考えは分かったよ。前から夫の敵と知って居る富淵金造の家は、サゾ居心地が好いだらう。貧しい夫の家よりは安楽だろう。」
と冷水を(ひやみず)を注ぎ掛ける様な言葉に、文子は恨めしそうに、

 「その様に仰(おっしゃ)らずとも好いでしょう。何も私一身の為では無く、貴方と二人の後々を思えばこそ、辛い辛抱をして居るのです。居心地が好いの、安楽だろうのと、何でその様な事が有りましょう。現在伯父の財産を受け継ぐべき身で、その財産を余所に見て、貴方と共に飢え死ぬより、一時別々に分かれたなら、第一貴方の身も軽く、私も伯父の遺産が手に入る故、その上で元の通りの夫婦になれば、再び貧苦に逢うこと無く、互いの仕合せにも成る事。

 ハイ貴方に書き残した手紙にも、そう明らかには書かなくても、その心の分かる様に認(したた)めて置きましたのにーーー。」
 安「ナニ、今日はその様な言い訳を聞きに来たのでは無い。和女が飽く迄夫を捨て、伯父の財産に縋(すが)り附くか、それとも伯父の財産を捨てて、今直ぐに夫の許へ帰って行くか、二つに一つの返事を聞き度い。

 今以て夫を夫と思う心が有るならば、是れまでの事は何にも言わない。辛苦と言う辛苦を甞め尽くし、死ぬか生きるかの境にまで陥ったのは総て和女の為だけれど、その様な事は水に流し、過ぎた昔と忘れて仕舞う。サア今夜直ぐに、夫に縋(すが)ってその家へ帰って行くか。」

 今夜直ぐにとは無理な言い分。明日にも金造翁が亡き人の数に入り、その限り無い財産が、我手に転がり込む見込みが有るのに、今更ら何でその見込みを捨て、此の家から立ち去られようとは、文子の心に湧き出(い)でる思いである。

 安「何も深く考える程の難しい問いでは無い。夫を捨てるか、夫の敵、金造の不義に汚れた財産を捨てるか。唯此の二つに一つと言う者、尤(もっと)も今私と共々に立ち去った所で、昔の様にその日の食い物に、差し支える程の事は無い。私も幸い職業に有り附いたから、人並に妻子を養う事は出来る。それだけは安心してサア何方(どちら)かに思案を決めてーーー。」

 文「イエその様に仰っても、職業で得る給金が、何で当に成りましょう。年取るか病気の為、勤めが出来ない事になれば、再び貧苦に沈みます。少しの所は聞き訳て下さいまし。金造翁も早や七十を過ぎ、特に此の頃は病気勝ちですから、私の相続するのは決して遠い事では無く、目の前に見えて居るのに、今更それを捨てられましょうか。

 安「捨てられる。捨てられる。金造の財産が何れ程かは知らないけれど、詐欺と不正で集めた金だ。そんな財産で身を繋(つな)げば身が汚れる。私が和女(そなた)を妻にしたのは財産の為では無い。何の財産も無く、人の家に奉公して居る貧しい文子を妻にしたのだ。元と通り財産も何も無い貧しい文子で帰れと言うのだ。」

 文「又してもそんな考えの無い事を仰る。金造翁の財産は、貴方の父上の相続すべきものを、翁が奪ったと言うのでは有りませんか。その財産が貴方に帰るのは、少しも汚らわしく無いのみか、自然の酬(むく)いと言う者です。」
 安「その様な余計な意見は聞くに及ばない。詰まる所は和女の考えは、夫を捨て、汚れた財産に縋(すが)るのだな。」

 文「イエ、そうでは有りません。財産を受け次第に、直ぐに貴方の許へ参ります。それも今から一年とは経ちます舞い。」
 安「一年が半年でも、但しは一月でも十日でも同じ事だ。今夜此の家を立去らなければ、決して私の妻とは思わない。」

 文「それは余(あんま)り無体です。無体です。翁の財産を待ち受けるのは総て貴方の為ですもの。」
 安「詐欺で集めた財産は汚らわしいと、アレ程明らかに言い聞かせたでは無いか。まだその様な事を言う。是で和女の考えは良く分った。好しもう一緒に来るには及ば無い。俺ももう何にも言わない。唯一つ聞き度いのは、子供の事だ。先年和女(そなた)が生み落とした子は男か女か。今何所に居る。」

 文「男の児です。今は人手で無事に育てて居ますから、少しも御心配に及びません。」
 男の児と聞き、安穂は何となく嬉しくて心も弛(ゆる)み、
 「その児は俺が育てるから渡して呉れ。子さえ受け取れば用は無い。人手とは何所の何と言う人の手に育って居る。」
と問うに、文子は何の返事もせず、重ねて安穂が問掛けるのにも、更に無言の儘(まま)なので、安穂は又火っとして、

 「好し、それを言わないならば、法律の力を借りてでも云わせる。男の子が生まれたのに、その子の所在(ありか)を、父親たる夫に知らさないとは、真に許して置き難い犯罪だ。」
と憤り、血相まで変ったので文子は驚き、遽(あわただ)しく安穂に縋(すが)って、

 「実は今言った事は偽りです。貴方が落胆するだろうと、態(わざ)と隠して居ました。その児は生まれて十日目に、ハイ亡くなりました。」
 安「ナナ何だ、亡くなった。それを今まで隠して居た。此の薄情者め。不義の財産を狙う為め邪魔に成るから、自分で殺したのでは無いか。汝(なんじ)の様な考えの腐った女は、何の様な事をするかも知れない。」
と怒りに任せて罵(ののし)るのも無理も無い。

 此の一語には文子も怒り、
 「貴方は先ア、気でも狂いに成られましたか。それは余り疑い過ぎます。意地が悪いです。意地が悪すぎます。」
とて泣き伏すと、安穂は怒りより又悲しさに、
 「エエ大事な息子が亡くなったか。」
と今更の様に叫び、

 「ではもう此の世に何も望みは無い。」
と言い、全く絶望に失心したか、まるでも狂気の様になり、悲しむ文子を振り捨てて此の家を出、心と共に闇の巷(ちまた)に走り去った。

第二十四回 終わり

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     女庭訓   作  涙香小史 訳述

     第二十五回 八方ふさがりの文子

 安穂が絶望の余り、狂人の様に立ち去った後、文子は暫し泣き沈んだが、何時見咎められるか分からないので、自分から心を励まして、起き上がりはしたものの、今まで此の部屋に恋しい我が夫が居たと思うと、その俤影(おもかげ)ばかりが目に残り、更に懐かしい想いがして耐えられなかった。

 この様な男らしい夫と共に住むことが出来ず、三年もの間分かれ分かれとなって居るのみか、偶々(たまたま)逢うことに成っても、打ち解けて語らいもせず、泣きつ恨みつ争って又分かれるとは、何と言う不幸な境涯だろうと、独り自分を恨むに付け、急に身のまわりが物淋しい気がして来た。

 つまりは、夫の顔を見なかったならば、三年以来一人住居(すまい)に慣れた事もあって、何の詫びしさも無かったのが、生(なま)じ一時間でも、その姿を見た丈に、独り身の心細さが染々(しみじ)みと胸に応(こた)え、親に離れた子の様に、殆んど自分が安心して居られる場所が無い気がして来たのだ。

 だからと言って文子は、夫の言葉に背いた事を、悔いて居るのでは無い。たとえ今再び、夫安穂が此の所に現れて来て、金造翁の財産を捨て、私と一緒に立ち去れと口説いても、文子は「否(いなや)」を唱えて、前と同じように安穂と争うに違いない。

 三年近く辛抱した今と為り、翁の財産を見捨てようとの気は毛頭無い。翁の財産は元々安穂の家筋に属す筈の者なので、之を自分が受け継いで、安穂の者とするのは当然の道であると思って居るのだ。確かに安穂が翁の財産を汚らわしいと言い、又今夜立ち去らなければ、夫婦の縁もこれまでだとの意を示したけれど、まさか私が幾百萬と数知れぬ大財産を持ち、謝罪(あやま)って帰って行ったならば、それでも妻では無いとは言い張らないだろうし、又その財産を捨てて仕舞えとは言わないだろう。

 だから、今宵安穂を帰した自分の淋しさは耐え難いが、後々の為を思えば、安穂の言葉に従わなかったことが幸いなのだと、漸く自分の心を慰める事が出来たが、唯一つ失敗した事は、安穂の今の居所を聞き洩らした一条である。

 併し名刺に豪州貿易会社雇人と有るから、まさかの時には、その会社へ問い合わせれば分るに違いないと、是も手軽く思い定めて居ると、この様な所へ入って来た召使いの者、
 「旦那様が貴女をお呼びです。」
と伝えた。

 さては夜の寝られないまま、伽話(とぎばなし)《夜の退屈な時の話》でもせよとの心に違いないと、直ちに翁の部屋に行くと、翁はいつもより少し心地好いのか、起き直って、
 「いつも和女(そなた)は、九時頃に物の本などを読み聞かせて呉れるのに、今夜はもう十時だ。それに一度も此の部屋へ来ないのは、何う言う訳だ。」
と何となく疑いを帯びて聞いた。

 文「お眠りの御様子でしたから。」
 翁「お眠りの様子と言って、此の部屋へ来もしないで、それが分かる者か。眠って居るか覚めて居るか、何故見届けに来ない。今夜は宵から微睡(まどろみ)もしていないわ。」
 さては萬が一、我が許へ尋ねて来た人の有ったのを、悟ったのでは無いだろうかと、文子が悸(ぎょっ)とする間に、

 翁「聞けば宵の中に、若い紳士が私(わ)しを尋ねて来て、私(わ)しが病気だと聞き、それならばと言って和女(そなた)に逢い、今し方まで一時間の余も、和女の部屋に閉籠って居たと言う事だが、誰だ。エ、和女にそう特別に持做(もてな)されるのは、何所の紳士だ。」

 文子は顔の赤らむのを、隠す事が出来ない程であったが、幸い硝燈(ランプ)の陰だったので漸(ようや)く紛らす事が出来、必死の思いで作言(つくりごと)を案じ出し、
 「アレは此の隣村とかへ、新たに救世軍とやらの説教場を建てるとかで、貴方に寄付金を勧めて呉れと言いに来ました。ハイ救世軍の遊説者でしょう。」
 
 翁「何、救世軍、その様な名は聞いた事も無い。」
 文「アレ伯父さん、昨夜読んだ新聞にも出て居ましたよ。」
 翁「その様なものに寄付する金は一文も無い。早くそう言って断れば好いのだ。何も一時間の余も部屋の中へ留めて置くには及ばない。」

 文「ハイ直ぐに私は断りましたけれど、先が中々立ち去りません。その図面やら今後の見込書などを示し、管々しく説き明かして居ましたから。」
と必死になって誠しやかに言い紛らすと、翁は自分が常に作言(つくりごと)を以て世を欺いて来た人だけに、容易には之を信じなかったが、別に見破る様な弱点も無かったので、止むを得ず、

 「フム、そうならそう聞いて置こうが、和女も追々年頃だから、何時までも独身でハ居られない。早く誉田子爵が縁談を申し込んで来れば好いが。」
と言い、此の夜は別に何事も無く済んだが、翌朝に及び、毎日診察に来る医師何某は、翁を診察して立ち去ろうとする廊下で、文子に向かい、

 「ご安心なさい。花添嬢、翁の体格は此の上も無い頑丈な組織で、昨朝までは何だか老病にも成り相に見えましたが、今朝は全く変わり、血色と言い、脈搏(脈拍)と言い、壮年者の通りです。此の様子では、猶(ま)だ十年や十五年は充分の健康を保ちます。ハイ私が保証します。」
と言い捨てて立ち去った。

 文子は、
 「オヤそうですか。それは何より安心しました。」
と答え、嬉しそうに我が部屋へ退いたが、思えば是ほど情け無い事があろうか。昨日までは明日にも相続の日が来る事かと思っていたのに、十年や十五年、アア若い身空を、この様な守銭翁の許に埋め、その死後の財産を得るが為に、空しく青春を捨てて好いものだろうか。

 一方には誉田子爵との押し迫った縁談も有る。是も翁の死が近いと思うので、私の口先の計らいで、それと無く予防して延して居たのだが、限り無く言い延す手段は無く、遅くも三月とは経たないうちに、申し込みが来るのは確実だ。

 既に安穂と言う夫ある身が、他の縁談に応ずることが出来ない事は言う迄も無い事なので、彼の子爵を断ったならば、翁が非常に腹を立て、この様な女に財産は渡されないと言い、私を勘当する事は目に見えて居る。そうだとすれば、今までの辛抱は水の泡である。その時と為って、何の顔下げて夫安穂の許へ帰る事が出来ようか。

 たとえ図々しく帰って行ったとしても、昨夜アレ程に争った後であるから、我が身に愛想を尽かし、再び元の妻としない事は確実である。
 思えば思うほど我が行く末は益々困難に成って来た。寧(いっ)そ、その昔貧苦の境遇から逃げ去った様に、今は富貴の境遇から逃げ去りたい程と為って来た。

第二十五回 終わり

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     女庭訓   作  涙香小史 訳述

     第二十六回 仕方なく告白

 金造翁の財産が何時自分の方に移るかとの見当も附かないのに、一方では誉田子爵との縁談が、日に日に迫って来る有様なので、文子は居ても立っても居られなかったが、逃げるにも逃げられない有様で、空しく自分の心ばかりを悩ませて居るうちに翌年の春とはなった。

 誉田子爵の方から、久々に近郷近在の紳士淑女を招き、大パーティーを催し度いので、一週間ほど泊り掛けの積りで来て欲しいとの、丁寧な案内状が来た。
 翁と文子の心には、子爵が此のパーティーを機会にして、縁談を申し込もうとする下心であることは、何よりも明らかなので、翁の喜ぶのに引き替えて、文子の悲しみは並大抵では無かった。

 病と称して断ろうかと迄に思ったが、断っては非常に翁の機嫌を損ずることは確実なので、殆ど屠所に入る羊の思いでその招きに応じたが、初めの日も二日目も、子爵が文子に親切にする事と言ったら並大抵ではなかった。
 客一同はその心の有る所を見て取り、文子を誉田家の未来の女主人の様に敬って居たが、唯だ万事の混雑に紛れ、子爵から言い寄る機会も無いままで居た。

 三日目は子爵の厩(うまや)に居る駿馬を撰び、来客中の馬術に巧みな人々に割り附けて、領地の内で競馬を開き、客一同に見物させて、福引の様な賭けや景品などを用意したので、一同は興に乗って、日の暮れるのも忘れる程であった。
  
 やがて帰りの刻限と為ったが、前もって子爵が手配りしていた者と見え、子爵と文子とはまるで偶然の様に一同より後に残り、同じ馬車にて相乗りして帰る事となった。折しも日は既に隠れ、一天晴れ渡たって居たが、月は未だ昇らず、幾点々の星の光がわずかに路を照らすだけなので、馬車も早くは進むことは出来ず 静々と歩み出すと、子爵は今こそと、胸に乱れる心を抑(おさ)えて、徐々(おもむろ)に文子の顔を覗き込み、

 「此の様な闇の夜道は恐ろしいでしょうけれど。」
と言い掛けて口籠った。
 文「ナニ恐ろしくは有りません、星が出て居れば真の闇夜とは違い、かえって静かで好いことで御座いましょう。それに貴方が御一緒ですから、何かの間違いが有っても保護して下さると思うと、何よりも気丈夫です。」
との一通りの挨拶も、子爵の耳には暗に励ます様に聞こえたのか、又一段と迫込(せきこ)んで、

 「馬車に居る中だけの保護では飽き足りません。貴女の生涯を保護しましょう。ハイ文子さん。」
と言いながら文子の手を取った。その心の在る所は明らかなので、一も二も無く文子は振り払うべき身であるが、英国屈指の貴公子が、この私を妻にしようとまで深く迷い込んだかと思うと、胸に今まで覚えた事の無い、嬉しさか悲しさか名の附けようも無い感じが、非常に鋭く満ちて来ていた。

 唯だ夢の様な心地なので、無下には振り払う事も出来ない。子爵もここに至っては、我を忘れて言葉を早くし、
 「エ、文子さん、誉田子爵家の女主人とお成りなさい。ハイ今逗留しているアノ家を生涯の我が家とし、私の妻に成って下さい。」

 妻と言う一語に、文子は忽(たちま)ち正気に返った様に、
 「了(い)けません。」
と打ち叫んで身を退(の)いたが、子爵はまだその心を解し得ず、再び文子の手を取ろうとするので、文子は我が身は既に定まった夫があるのに、それを押し隠し、偽りを以て世を渡ろうとしたが為めに、罪も無いこの子爵をまで欺くことに至ってしまったかと、我と我が心を責め、我が身の浅ましさに耐える事が出来なかった。

 夫に背き人に背き、併せて又自分に背く。世に此の私ほど罪深い女が有るだろうかと急に自分の罪が恐ろしく成り、馬車の隅に必死に伏し、さめざめと泣き沈むのを、子爵はその何の心なのかを悟ることも出来ず、深く思い廻す暇さえ無く、周章(あわて)てその背を撫で、
 「コレ文子さん、何をその様にお泣き成さる。私の言った事が癪にでも障りましたか。」

 文子は涙の中から、
 「何で勿体ない。貴方の親切なお言葉が癪になど障りましょう。私は今まで貴方を欺いて居た自分の罪が恐ろしくなりました。」
と言い、更に顔を隠した儘(まま)で、自分には夫が有る事から、食うにも困る貧苦の余り、夫の手に帰すべき財産を、自分が受け継いで夫に返そうと思い、貧の境涯を逃れる為め、夫を捨てて金造翁の許に来て、独り身の様に見せ掛け、翁から財産を譲られる時を待っているのだとの次第を包まず隠さず打ち明けると、子爵は余りに異様な白状に、何と言う言葉も無く、暫し呆れて茫然としているばかりだった。

第二十六回 終わり

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    女庭訓   作  涙香小史 訳述

     第二十七回 冷めた誉田子爵

 百年の恋も一時に冷め果てることが有ると言う。文子の白状を残らず聞いた誉田子爵の心は、実にこの言葉と同じで、一時に冷め果ててしまった。今まで文子を清い令嬢とばかり思って居たのに、令嬢では無くて人の妻である。世間の女が皆我に対し、争って媚びを呈する中に、独り文子のみ媚び諂(へつら)う様子が無いのは、財産に目も眩(く)れない天晴(あっぱれ)無欲清浄の女だと思って居たのに、欲も欲、限り無い欲を蓄え、伯父の財産を手に入れる為め、夫をまで捨てたとは、若い女に有ってはならない程の深い考えで、是れほど欲に目が眩らんだ例(ため)しは、今まで世には無かったのでは無いかと思われる。

 今まで夫が無いかの様に人に思わせ、自ら花添嬢と名乗ったのは、徹頭徹尾偽りだったのかと、子爵は只管(ひたすら)に呆れ果て、今までその偽りに欺かれて、恋慕った我が愚かさを悔い、殆ど返す言葉も無く、そのまま腕を組んで、此方の隅へ厳重に身を置いた。その様は宛(あたか)も着物の端が触れるのさえ汚らわしいと言う様であった。

 文子は更にもう少しの間泣き沈んで居たが、漸く涙の裏から声を発し、
 「エエ、もうその通り見下げ果てた女だと、お賎(いや)しみ成さるのはもっともです。貴方は貧苦の恐ろしさを御存知無く、私しハ又飢えても明日食べる麵皰(パン)さえ無く、寒い夜に着る夜被(よぎ)も無く、川へ身を投げる外に、行く所も無い程の境涯に迫まられました。

 人間は身を繋(つな)ぐ丈の定まった財産が無ければ、人間として此の世に立つ事も出来きないと知り、それでこう言う考えに成りました。それも何、他人の物を盗もうと言うのでは無く、血筋の上から当然私に伝わるべき財産で、その上本を糺(ただ)せば、我が夫の父の物。それを受け継ぎ夫と私との物にするのは、それほど女の道に背くものとも思いません。

 唯だ夫の有る身を隠し、処女の様に見せ掛けたのが、何より辛いとは思いましたが、それが為に世間の人を欺くなどと言う心は無く、他人から縁談を申し込まれようなどとは少しも思わず、老い先短い伯父金造翁に、姪相当の孝養を尽くせば、翁の事を言い暮らした亡き母の心にも叶い、三方四方へ都合好く行くことと思って仕た仕事が、自然に貴方をまで欺く様に成ったのは、何とも申し訳有りません。」

と心の底を打ち明けて詫び入ると、子爵も幾分か憐みの念を催し、成る程初めに思った程の深い偽りでも無いとは思ったが、厳重な家庭に育った丈に、女として夫を捨てるなどとは、如何なる事情が有るにもせよ、非常に苦々しく感ぜられ、殆んど許す事が出来ない気がするので、更に無言で控えて居ると、文子は又暫くして言葉を継ぎ、

 「この様な秘密は、生涯誰にも打ち明けまいと、夫にさえも知らさずに置きましたが、今宵は唯だ貴方を欺く辛さに、有りのまま申しました。此の上のお情けで、誰にも此の事を仰らない様にお願いします。特に又金造翁は、何うにかして私を子爵夫人に仕たいなどと旦夕(あけくれ)言い暮して居りますから、今夜私と貴方の間に此の様な事が有ったと知れば、何れほど立腹するか知れません。それで私を勘当するかも知れませんから、何うか翁を初め他の人々へ対しても、今夜、貴方と私の間に何事も無かった様に、何時もと変わらないお扱いを願います。」

と飾り偽る所無く、唯心のままを頼み入ると、子爵は深く深く考えて居たが、思えば文子が、是ほど迄身の恥を打ち明けたことは、寧ろまだ其の偽りは浅いほうである。如何の様にでも偽りを構え、自分の恥と為らない様に、巧みに言い廻して、体好くこの私を断ることは別に難くも無かっただろうに、その様な偽りを構えずに、偽りを偽りと白状し、潔ぎよく自分の罪を述べたことは、全く私を充分な紳士だと信任しての事なので、此の上深く咎めるべきでは無いと思い、少し打ち解けた語調で、

 「イヤ文子さん、貴女の事情は良く分かりました。貴女の振舞いに至っては、幾等貧苦に懲りた為とは言え、私は善い事とは思いませんが、それを悉く打ち明けて下さった丈は満足です。何も善し悪しを説きますまい。唯だ私とても貴女へ縁談がましい事を申し込み、そうして拒まれたと聞こえては、余り名誉でも有りません。それに夫ある女に心を寄せたかと思えば、知らない事とは言いながら今更ら気が咎めて成りません。

 依って今夜言った丈の事は取り消しましょう。ハイ取り消して金造翁は勿論、何人に対しても、今夜貴女と私の間に普通の話より外は何の話も無かった積りに仕て起きましょう。」
と殊(こと)の外呑み込んだ挨拶に、文子は有難く伏し拝んだが、是から子爵の家に着くまでは一語をも発しなかった。

 隅と隅とに分かれて座して、親友とも仇とも附かず、宛も人形の有様で控えて居たが、先に帰って居た人々の中、特に金造翁は今夜こそ文子と子爵との間に、夫婦の約束が出來た事と思って居たので、文子が車から降り、客一同の並んで居る大広間に入って行くや、早やくも傍に引き寄せて、非常に小声で、
 「和女は何か私を喜ばせる話が有るだろう。」
と問うた。

 文子は真に素直でわだかまりなく、
 「イイエ、何にも、」
 翁「イヤ、帰り道で何か変わった事が有ったろう。」
 文「何にも変わった事は有りませんよ。」
 翁は笑顔と共に頷き、
 「フム余り嬉しいから、人に話すのが惜しく、心に畳んで唯一人味わって居るのか。明日でも又緩々(ゆるゆる)と聞く事にしよう。サア恥ずかしがらずに恋人の傍へ行くが好い。」
と言って子爵を初め一同の並んで居る方へ、突き遣る様に文子を送った。

第二十七回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

   第二十八回 嫌な予感のする昼栗長三

 翁が文子を子爵等一同の並んで居る方へ突き遣ると、一同は文子を迎えて団欒(まどい)の中に入れ、様々の話を持ち出して笑い動揺(どよ)めいたが、独り子爵は用事が有る様に、文子の傍を避けて、又他の方に群れ集う紳士の仲間に加わった。しかしながら誰一人子爵と文子との様子に変わった所が有るとは気附かず、晩餐も何時もの様に済み、楽しみが益々深かく成ろうとする所へ、取り次ぎの声として、
 「昼栗長三君がお出でに成りました。」
と伝えた。

 昼栗とは聞いた事も無い、異様な苗字なので、或いは外国の人ででもあろうかと、一同怪しんで振り向く中に、独り彼の金造翁のみは、此の苗字を知って居ると見え、
 「エエ、悪い所へ来た者だ。」
と呟(つぶや)いて眉を顰(しか)めたが、間も無く取り次ぎに案内せられて入って来るその昼栗長三を、如何なる人だろうと見ると、これこそ昨年頃、夜中に翁の許へ尋ねて来て、商業上の帳簿などを開いて、翁と何事をか言い争い、その夜の中に立ち去った東洋の客人である。

 年は三十前後で、顔の色は黄色い様でありまた黒い様でもあり、多分は、白人と印度人の間に出來た、混血児ではないだろうか。人々の中で文子のみは昨年翁の許へ此の人が尋ねて来た事のあるのを知って居るので、何の用事で今夜ここに来たのだろうと、特に怪しんで眺めていると、此の人はその異様に光る眼で、客一同に軽く会釈し、早くも金造翁の顔を見付けて、その傍に進んで行った。

 翁は大事な関心事を妨げられ、未だ解け兼ねる面持ちで二言三言此の人と挨拶した末、此の人を連れて主人子爵の傍に行き、是れは印度で取引していた友人ですと言って引き合わせ、更に今夜急用の相談があって来た旨を述べると、子爵は非常に愛想好く、

 「イヤ貴方の友人ならば私の為には此の上も無い珍客です。急用とお有りなら、サア私の書斎が空いて居ます。何うか書斎で弛々(ゆるゆる)と御話を成されませ。そうして今夜は此の家へお泊り下されば。」
と言うと、昼栗は曾て文子が怪しんだ糸の様な優(しなや)かな声で、

 「ハイお言葉に甘え別室を拝借します。併し忙しい商人の事ですから、折角の御厚意ですが、今夜は話の済み次第に立ち去りまして、又緩々(ゆるゆる)とお礼に上がります。」
と述べ翁と共に書斎へ隠れ入った。一同は是れが為め稍々(やや)興を妨げられた気がしたけれど、自分の事では無いので、そのままに見過ごしたが、凡そ二時間も経った頃、密談も済んだと見え、昼栗は翁と共に出て来て、再び主人子爵に挨拶し、夜の更けたのも厭わずに立ち去った。

 如何なる種類の用事なのかは知らないが、翌朝になって翁は不意に急用が出来たので、一先ず家に帰ると言い出した。子爵は一通り留(とど)めたが、翁は中々聴き入れようとしない。尤も今までならば、子爵が更に熱心に引き留める所なれど、既に文子の秘密を聞き、熱心も冷め果てた後なので、どうしてもとも言わず、その意に任すせたので、翁は文子を引き連れ、共々に馬車に乗って分かれ去った。

 是れは多分、昨夜昼栗が来たのと同一の用事には相違無いけれど、それにしても、その用事は如何なる性質のものだろう。又彼の姓名と同じくらい異様な昼栗は、何者なのだろうなどと、文子は馬車の中で頻りに怪しんで居ると、翁も深くその用事とやらが気に掛かると見え、考え込んで一語をも発せず、漸くにして馬車が赤城村の間近まで達した頃、翁ハ思い出した様に首を上げ、

 「オオ和女(そなた)に良く問う積りで忘れて居たが、全く子爵と夫婦の約束が整ったで有ろうな。」
 文子は平気で、
 「イイエ少しも其の様な事は有りません。」
 翁「無い筈は無い。昨夜確かに馬車の中で、子爵が和女に縁談を申し込んだ筈だが。」

 文「イイエ、何にも縁談らしい事は言って居ません。」
 翁「それは可笑しい。では二時間ほども馬車の中で、子爵と和女は何の話を仕て居たのだ。」
 文「何時もの通りの話ですよ。馬の事やら乗人(のりて)の事やら、それから景色だの美術だの、いつも話す様な事柄ばかりでした。」
 翁「それは不思議だ。アア和女の励まし様が足り無いからだ。此の次に子爵から招かれたなら、充分に励まして、何しても縁談を纏(まと)めなければならないから、屹度その積りで。」

 文子は再び子爵が此の身を招く事が無い事を知って居るので、少しも翁に逆らわず唯だ、
 「ハイ」
と答えたが、翁は稍々(やや)あって言葉の調子を変え、
 「今日帰れば家に大事な客が有るから、和女は粗末の無い様に仕て呉れなければ。」
と言う。

 文「お客とはアノ昨夜の昼栗とやら言う人ですか。」
 翁「そうだ。そうだ。アレは私が印度に居た頃、極めて親しくした友人の息子なので、その積りで持做(もてな)して貰わなければならない。」
と言う中に、馬車は其の家に着き、文子は翁と共に降りて座敷に入ると、第一に出て迎えたのは、彼れ昼栗である。翁は先づ彼に向かい、

 「是が私の姪文子と言う者だ。」
と言って引き合わすと、昼栗は細い眼で異様に文子の顔を眺めた末、
 「オオ、先達てお話しに伺った花添嬢ですか。」
と言う。文子は止むを得ず、手を差し延べて昼栗に握らせると、昼栗の手は実に人間の手とは思われない。その柔らかにして滑らかなること、宛(あたか)も鰻魚(うなぎ)の肌の様に気味悪い程なので、昼栗が更に何事をか言いたそうなのも構わず、文子は着物を着替えるのに仮詫(かこつ)けて、我が部屋へ退いたが、ここで初めて昨日からの事を思い廻すと、子爵に何も彼も打ち明けたのは好いけれど、最早や花添嬢と言う儘(まま)で、図々しく交際場にも出て行くことは出来ない。翁に向かっても、今までの通りの身分を支えるのも容易では無い。

 殊に翁は、此の上幾年、幾十年を生き延びるかも分からないのに、又一方には鰻魚の様な昼栗も現れた。昼栗は何者か。何時までここに逗留するのか。総て未定の事柄であるが、此の人何となく我が身の為にならない様に思われ、一つ屋根の下に住むのさえ、気味悪い心地がせられる。是を思うと三年以来辛抱した目的も、今日と為っては全く飽き果て、一切の望みの綱が、悉く切れてしまったようだ。寧(いっ)そ先の夜、夫安穂に従って此の家から逃げ去れば好かった。アア身に無い富貴を願うよりは、生まれ附いた貧賤に安んずるのが安楽であるかと、心は迷って落ち着く所も無い。
 「もう世の中が厭になった。」
と独り呟(つぶや)いて考え込んだ。

第二十八回 終わり

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   第二十九回 瀕死の安穂

 話は代わって、田守安穂は妻文子が何うあっても金造翁の許を離れないと言い張るのに愛想を尽かし、且つは豪州に居た頃から、夜と無く日と無く想い続けた我が愛児が、生まれて間も無く死去したとの事に落胆し、狂った様に翁の家を走り出たが、それから直ちに田守荘の我が家へ帰った。

 しかしながら安穂は全く此の世の望み尽き果てた心地がして、生きて居る甲斐さえ無い迄に思い、鬱々(うつうつ)として気が晴れない。家に招いて有る客達に対しても、笑顔を示す事が絶えて無くなったので、客も何かの心配が事あるに違いないと察し、一人去り二人去り、唯だ彼の小畑時介の外は、一週間と経たないうちに皆去ってしまった。

 だから安穂の家の淋しさは、宛(まる)で火の消えた有様で、安穂は殆ど一語をも発しない程なので、或る時、時介は見るに見兼ね、野外へでも運動に行くのが好いだろうと熱心に説き勧めたところ、安穂はその気に成った様で、直ちに厩(うまや)から馬を出し、之に打ち乗って出て行ったので、時介は庭に居て其の後ろ姿を見送ると、不思議なことに、日頃馬を大事にして、自分の事の様に労(いた)わる安穂が、今日は力の限り、続け様に鞭を当て、馬を狂気の様に怒らせて、疾風の勢いで山の方を指して馳せさせて行った。

 アレ程早く山路に馬を馳せては、投げ落とされることは確実で、命にも関わることは間違いない。若しや彼れは落胆の余りに、自ら死ぬ気に為ったのではないだろうかと、時介は心も穏やかではなかった。自分も馬をを引き出して之に乗り、その後を追って出たが、早や安穂の姿は見えない。

 しかしながら行く道は一筋なので、馳せに馳せて三里ほど隔たった一村に行くと、大道の傍(かたわ)らに流れ来る水に架けた、一軒の水車屋があった。此の家に近所の人が多数集まって、何やら心配気に評議する体なので、若しやと思い馬を駐(とど)め、入って行って様子を聞くと、今しも此の先で馬から落ちて大怪我をした紳士がある。呼吸も絶えて、生死さえはっきりしないので、此の家へ舁(かつ)いで来て介抱している。今に近郷の医者が来るはずだとの事である。

 さてはと時介は身を震るわせ、座敷に上がってその怪我人を見ると、果たせる哉田守安穂で、頭を酷く打った者か肩の辺まで血に塗れ、全く気絶して生気も無い。
 幸いにして間も無く医師が来て、此の夜一宵介抱すると、息だけは吹き返えしたが、まだ人事不省である。時介は何うにかして、田守の荘に連れ帰り度いと思ったが、今身体を動かしては回復の見込みは無いと、堅く医師が止めるので、仕方なくこの水車屋の最も奥まった一室を借り受け、自分は毎日田守荘から通う事と為った。

 此の家は非常に家族が少なく、主人である五十余りの老夫と、その娘であるに違いない二十歳ばかりの田舎には珍しいほど美しい女と二人である。外に此の女を、
 「阿母(かあちゃん)」
と片語(かたこと)交じりに呼ぶ満三歳程に見える男の子一人、都合三人で、その他に雇女雇男各々一人である。

 此の美しい娘は、名をお倫と呼ばれ、その子と見えるのは唯だ太郎と呼ばれる。お倫は此の村で、多少看護の経験があるとの事で、医師の勧めに由り安穂を看病する事となったが、安穂は唯だ息だけ吹きを返したと言う迄で、幾日もの間、少しも正体が無いので、勿論この様な美人に介抱されて居る事は知らない。

 唯だ時介だけは、安穂の枕辺に在ってお倫を相手とし、見るとも無しにお倫の様子を見ていると、顔の美しさと共に心も又美しく、病人を看病する傍にその子太郎を護り育て、双方に心を配って何一つ行き届かないと言う事が無い。日を経(へ)るに従って、時介とは親しさを増して行った。

 病人が眠って居る暇には、一言二言小声で、短い雑話を試みる程と為ったが、時介は初めから、此の女が子が有って夫が無いのを怪しんで居たので、、或いは此の様に年が若いのにも似ず、早や夫に死に分れたのだろうか。まさかこの様な温良な女が、私生児を生み落とす様な事は無いだろうと思い、幾度か問おうとしたけれど、若し夫に死に分れた者ならば、問うては却って過ぎた悲しみを思い出させる元と為るに違いない。

 それとも私生の児ででも有ったならば、問うのは辱める様な者で、どちらにしても罪が深いと、自ら控えて一月の余を送るうち、病人安穂は漸く傷も癒え、記憶喪失の病にでも為らないかと気遣われた其の脳も、次第に人事を弁(わきま)える程と成って来た。

 一旦恢復の端に向かうと、血気盛んな身だけに、其の進みも速やかで、間も無く部屋の中を独り歩む事が出来る迄に至った。時介がお倫と親しむ様に、安穂は又其の子と見える太郎と親しみ、妻文子の生んだ我が子も、男の子だと言うので、今頃は丁度太郎と同じ位成長して居る筈だなどと思い、何とか此の子を貰い受ける事は出来ないだろうか。

 出来なければ、せめて五、六年も借り受けて、我が傍に置けば、我が身も其の愛に引かれ、過ぎた昔の悲しみを忘れ、妻無く子無くとも此の世の味気無さをこれ程までには感じないだろうになどと思い、或時お倫の入って来たのを見、今まで親切に介抱せられた礼などを述べ、其の後で、

 「此の子は貴女の本当のお子ですか。」
と問うた。お倫は恥ずかしそうに、パッと其の顔を赤らめたが、直ちに又悲しそうに、打ち沈み、
 「未だ夫を持った事の無い私に、何で子など有りましょう。此の子は」
と言い掛けて口籠るので、
 安「貰い子ですか。」
 倫「ハイ貰い子の様な預かり子の様な者です。今でも私は此の子を預った時の事を思うと、悲しくなります。若い母御がアノ様に零落して」
と独言の様に話し出した。

第二十九回 終わり

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    第三十回 一難去ってまた一難

 是からお倫が話し出す小児太郎の身の上は、如何なものだろう。
 「若い母御がアノ様に零落して。」
と言う其の母御とは何者だろう。暫く読者の推量に任せて置き、却って説く安穂の妻文子は誉田子爵に一身の秘密を打ち明け、其の縁談を再び申し込み様の無い迄に断って、伯父金造翁と共に其の家に帰ってからは、先ず子爵の縁談を恐れる丈の心配は消えたものの、前門に虎を防いで後門に狼を入れるとか言う。

 子爵の縁談よりももっと忌わしい難題が起こって来た。それは外ならず、鰻の様な滑らかな彼の東洋の客、昼栗長三と言う者の事である。
 此の客は金造翁と何の縁故ある人なのか知る事は出来ないが、何様通り一片の親密さでは無いと見え、毎日幾時間か翁と共に一室に籠り、何事をか相談し、相談が済んで出て来れば、外の場所には行こうともせず、必ず文子の傍に来て、成るべく文子の機嫌を取ろうとする様に、様々な話をする。

 其の話しは面白く無い事は無いが、其の声は異様に低く、其の言葉は異様に柔らかで、其の振舞いの恐ろしいほど丁寧であることは、一として文子の心に不快を催す種にならないものは無く、何となく厭らしく、何となく薄気味悪い。

 此の人が傍に来る度びに文子はゾッと悪寒に襲われる様な心地がし、殆んど耐え難く思うので、成るべく此人を避けようとするが、此の人の歩き方は、抜き足よりも静にして、何時の間にか文子の背後に来て立っている。

 何時此の人は印度とやらに帰って行くのだろうと文子はそればかりを待ているが、勿々(なかなか)帰り去る様子は無く、二月三月と過ぎる間に、此の人は益々深く翁に取り入り、翁から子の様に持てなされる様に成って来たので、文子は又腹立たしくも有り、我が身が多年の辛苦にて略ぼ翁の相続人と定まったのに、此の人横合いから出て来て、翁の心を動かし、我を跳ね退け翁の相続人と為りはしないかと、この様な疑いも生じて来た。

 果ては心の休まる時も無い迄になって来たので、或る日此の人が用事が有ると言ってロンドンへ行ったのをを幸いに、文子は其の後で翁に向かい、此の人は何時頃印度へ立ち去るのかと問うと、翁は非常に真面目に、

 「それは私に問わなくても和女(そなた)の心に良く分って居る筈だ。アレは和女を妻にする積りで、私の承諾まで得て、此の家に逗留しているのだから、和女と婚礼の済み次第に、和女を連れて、蜜月の旅同様に印度へ行く相だ。早く印度へ遣り度いと思うなら、早く和女がアノ人の妻と為るが好いサ。妻に成らなけれ何時までも此の家に逗留するのサ。」

 文子は魂消(たまぎ)る程に驚き、
 「エ、エ、伯父さん、それは御冗談でしょう。」
と殆ど泣き声で叫ぶと、
 翁「何を冗談など言う者か。和女は先頃誉田子爵の様な好い婿が定まり掛けて居たのに、何でも競馬場から帰る馬車の中で、明らかに子爵を断って仕舞ったに違い無い。アレ程熱心で有った子爵が、忽ち冷淡に成り、再び尋ねても来ない事と為ったから、私が更に昼栗長三を見立てたのだ。

 アノ長三は私の親友の息子で商売に掛けても抜け目は無く、それに誉田子爵よりは更に熱心に和女を愛して居る様子だ。和女に問われる迄も無く、実は私から和女に問い度い。和女は何時頃、長三に連れられて印度へ行く積りだ。エ、文子。」
と寝耳に水の此の言葉に、文子は全く度胸を失い、一刻も翁の前に身を置く事は出来ず、真に這々(ほうほう)の体で自分の部屋へ退いたが、余りの事に何も考える事が出来なかった。

 この様な事が有ると知って居たなら、先に夫安穂が来た時、安穂に縋(すが)って此の家を逃げ出すべきであったのにと、空しく悔やんだが後の祭りで、何とか工夫が浮かぶまで、伯父露伯の家に行き、緩々(ゆるゆる)考えようと思い、其のまま自分の部屋を忍び出て、伯父の家へ行くと、二人の妹は久々に姉が帰って来たのを喜び、様々な事を問うたが、文子は唯打ち鬱(ふさ)いで返事もしない。

 季(すえ)の敏子は気遣わしそうに、
 「姉さん、歯でも痛いのですか。歯が痛ければ薬局の一番上の棚に阿片丁幾(チンキ)と言う薬が、青酸だの硫酸だのと言う外の毒薬と共に在りますから、私が取って来て上げましょう。」
と言う。毒薬の一語を聞き、途方に暮れている文子の心は、忽ち一条の血路を見出す事が出来たように、異様に浮き立って、

 「アア、歯が痛い、歯が痛い。」
と言い、宛(あたか)も狂人が歩く様に、踏む足も定まらず、薬局に入って行った。暫くして敏子は姉文子の様子を怪しみ、薬局まで追って行くと、文子は早や毒薬の棚に上り、其の中の一瓶から何やらん、水薬を他の小瓶に移し取り、其の小瓶を持ったまま降りて来た所なので、

 敏「姉さん阿片丁幾(アヘンチンキ)が分かりましたか。」
 文「アア分かったよ。少し附けたら早や痛みが軽く成った。少し持薬に貰って行く。」
と言いながら早くも其の小瓶を、握り持つ手と共に衣嚢の中に隠したるが、敏子は怜悧(こざか)しい女だけに、忽ち四辺(あたり)の匂いに気を留め、
 「オヤ大層青酸の匂いがする。姉さんは阿片丁幾と青酸とを間違いは仕ませんか。」

 文子は何気なく、
 ナニ貼り紙に書いて有る者、間違える者かネ。」
と云。
 敏「でも姉さん、青酸は大変な毒薬です。少し飲んでも死にますよ。」
 文子は唯だ、
 「それくらいの事は私だって知って居る。」
と言い捨て、初め来た時よりは気も軽そうに、金造翁の許を指し帰って行った。
 如何なる工夫を考え付いたのだろう。

第三十回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

   第三十一回 母親は誰

 毒薬を隠し持って金造翁の家に帰って行った文子の話は暫く置き、ここに文子の夫、田守安穂は、自分が看病を受けつつ有る水車屋の娘のお倫から、お倫の子と見える太郎の身の上を聞き、お倫が、
 「おちぶれた若い母親」
と言ったのに、非常に心を動かし、

 「エ、この子は若い母親がおちぶれた中で、生み落としたのですか。」
と問い返した。我が妻文子の生んだ子が、若し生きて居るならば、丁度是くらいに成長しているはずだと、今まで年頃の似かよった子を見る度に思って居たので、今は又母の年頃と言い、その落ちぶれた中で生み落としたと言う事さえ、互いに似か寄ているのを感じる。

 勿論その母が、まさか我が妻文子であろうとは思わないが、病後の身なので、心が様々に馳せ迷う際であるから、この様な事を引き比べて考え合わすのも無理も無い。お倫は少し考えた末、

 「今年の春でこの子が丁度満三年になりますから、足掛け四年前の四月の初めでした。私が庭の掃除をして居ますと、垣の外に誰やら凭(もた)れて休んで居る様子なので、私は外に出て見ました所、年は廿歳位でも有りましょうか、痩せ衰えた一人の女が、ひどく疲れて垣に縋(すが)り、漸(ようや)く息を継いで居ます。

 衰えて居ても、顔かたちは何所やら美しく、身形(みなり)も汚いが乞食では無く、何かの不幸で旅費も食物も尽きたのだろうと私は可哀想に成り、内に入って緩々(ゆるゆ)る休んでお出でなさいと言いますと、嬉しそうに礼を述べ、重い足を引きながら入って来ました。

 その時まで私はその婦人が児を抱いて居るとは知らず、何か襤褸(ぼろ)に包んだ荷物を持って居るのだと思って居ましたら、その襤褸の中に小児の泣き声が致します。オヤと思って良く見れば、生まれて間も無い赤児で、可哀想に母の乳も充分に出ないと見え、痩せ萎(しな)びて居るのです。

 私は抱き取って父にも見せ、父も非常に憐れみますので、母親には食物を与え、小児には内に居る牛の乳を搾って呑ませました。それから良く母親に聞くと、母親は何か身分の有る人が、落零(おちぶ)れたのだと見え、身の上も姓名も隠して打ち明けず、唯だ仔細あってこの隣の郡へ来たのだが、貧苦の余り養育院へ入れられてこの児を生んだが、産後の力も幾分附いたから、ロンドンへ帰るのだと言い、それ以上の事は問うて下さるなと泣きながら言うのです。

 父も私も深くは問わず、問うた所で返事もしないだろうと思い、兎に角、今少し力の附くまで、この家に逗留して保養するのが好いだろうと勧めました。母親はその親切に涙を垂れ、それならと言って、一週間ほどこの家に逗留するうち、児は益々私に昵(なじ)み、抱かれ心地が好いのか、私の手へ受け取れば泣き止みます。

 そうして七日目になりますと母親は心配そうに私に向かい、
 「もう身体も良く成ったので、倫敦(ロンドン)へ立ち度いが、この児を連れては、家に帰りにくい訳が有るので、誰かこの村でこの児を貰って呉れる人は無いだろうかと、心配そうに申されました。勿論この様な村で、見ず知らずの人の児など貰う人は居ませんので、私はその通り一度は返事しましたが、良く考えて見ると、母親は貧苦の余り、若しロンドンへ行く道で、川へでもこの児を投げ込む様な考えに成りはしないだろうか。

 事に由るとこの家の垣へ凭(もた)れて居たのも水車場へ児を投げ込む心では無かったのかと、この様な疑いが浮かび、不安でたまりません。それから父にこの事を話しますと、父も成るほどと言い、それなら家へ預って置けと言いましたので、私から母親に向かい、

 「他日貴女が迎えに来るまで、私の家で育てて上げましょうと言い、母親には私の溜めた二三両の小使いを、旅費に成さいと言って渡しました。母親は泣いて喜び、一身の都合さえ附けば、必ず迎えに来るから、その時まで預って呉れと言い、名は初めての男の子なので、仮に太郎とでも呼んで呉れと言い、立ち去りましたが、その時からもう三年に成りますけれど、今以て迎えには参りません。」

 安穂はここまで聞いて来て、この家の親子の親切に感動し、又一方には三年も迎えに来ない母親の振舞いを怪しみ、
 「そうしてその母親は今以て音沙汰が無いのですか。」
 倫「イイエ、この子の養育費とでも言う積りか、四カ月目に十ポンドづつ必ず送って参ります。勿論この子を育てるのに、それほどは掛かりませんので、残りはこの子の後々の教育金にと思い、貯金にして預けて有ります。

 安「それではその金を送って来る手紙に、何時頃に迎えに来るとか言う様な事でも書いて有りませんか。」
 倫「何にも書いて無く、唯だ厚い状袋の中へ、お札を封じ込んである許かりです。」
 安「その袋を見せて貰い度いものですが。」
 倫「イヤその様な袋ですから、別に保存しても有りません。若しこの次に来れば取って置きましょう。」

 安穂は聞き終わって、益々怪しく思われて仕方が無かったが、この上は問うても分からず、仕方なく思い止どまったが、そのうちに病気も癒え、再び田守荘にある我が家へ帰る事と為ったので、長々介抱せられたっその礼にと、是から一月ほど経って、主人とお倫と、彼の太郎と三人に、夫々の贈り物を調(あつら)えて、自ら持って行くと、お倫は一枚の状袋を示し、

 「是が太郎の養育金を送って来た封じ袋で、一昨日着きました。」
と言って差し出した。
 安穂は轟く胸を押し鎮めて調べて見ると、字体が酷(ひど)く乱れて居るのは、強いて筆跡を隠して認めた者と覚しく、勿論差し出し人の名前も無く、唯だこの家の名宛をのみ記し、郵便の消印はロンドンと有り、成るほど何の手掛かりにも成らなかったので、残念で残念で仕方が無かった。

 それで封の裏表を繰り返して調べて見ると、隅の方に非常に細かい文字で、この状袋の製造発売店の名が記して有るのを見附ける事が出来たので、目を皿の様にしてその店名を読むと、不思議や、不思議、
 「赤城村文明堂」
の数文字が印刷してあった。

 と言う事は、この手紙の差出人は赤城村に居る者で、太郎の母とは我が妻文子、太郎は即ち尋ねに尋ねた我が子では無いだろうか。死んだと言ったのは、薄情な彼れ文子が、又も我を欺いた者では無いだろうか。安穂は火ッと顔に現れる一切の思いを鎮めて、お倫に向かい、

 「貴女は若し太郎の母親の写真を見れば、今でもその写真と同じ人だと言う見極(みきわ)めが附くでしょうね。尤(もっと)もその写真は、その母親がおちぶれる前に写したので、大いに変っているかも知れませんが。」
 倫「幾等変わって居ても、そう類の無い顔ですから、ハイ、見極めが附きますとも。」

 安穂は此の一語を聞いて、急いで我が家へ引き返して行った。

第三十一回 終わり

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   第三十二回 昼栗と結婚せよ

 安穂は妻文子の写真をお倫に示し、太郎の母と同人であるかどうかを確かめようとの思いで急ぎ我が家へ引き返えしたが、それから如何のようにしたのかは、暫く後の話に廻し、
 さても毒薬を隠し持って、金造翁の許に帰って行った彼の文子は、更に思案しながらその家に入ったが、廊下で行き合ったのは、前から翁の許へ来ている医師何某だったので、ひょっとしたら翁が急病にでもなったのではと、その人に向かって問うと、その人は非常に重大そうに、

 「イヤ翁の健康はどうも分かりません。先日は十年も二十年も生き延びるかと思われましたが、今日は又余程変わって居ます。何分取る年ですから、大いにご用心しなければ、何時何の様な事が有るか分かりません。」
と言って去った。医師がこれ程までに言う程ならば、余程の重体に違いないと、直ちに翁の寝間に行って見ると、翁は打ち伏せたまま、呻吟(うめき)声で、
 「アア今度こそもう長い事は無い。」
と絶望の語を洩らすばかりだった。

 この時からして翁の容態は、日々に重くなって行くばかりだったので、文子は心に済まない事とは知りながらも、我が辛苦艱難の終わる時が近づいた事を喜び、殆んど指を折り数える計りの想いであったが、唯耐え難きはその間にも、彼の昼栗長三が益々我が身に附き纏(まと)う振舞いである。

 彼は早や既に文子の許嫁の夫にでも成った気なのか、居間の中までも入って来て、片時も離れない程の有様なので、文子は或時我慢の緒も切れ、
 「貴方はそう私の傍へ来ず、少しは私を独りで置いて下さる事は出来ませんか。」
と恥ずかしめると、昼栗は怯(ひる)む色は無く、却(かえ)って益々落ち着き払い、
 「イヤ金造翁から貴女を妻にせよと言われて居ますから、貴女の口から直々に私の妻に成ると言う約束を聞く迄は、離れる事は出来ません。」

 如何に作法を知ら無い印度の人とは言え、余りの厚皮(あつかま)しい言い分なので、文子は思い切って、
 「貴方の妻になる事が何して出来ましょう。貴方の顔を見るのさえも胸の悪い程に思います。」

 昼栗は急かず騒がず、
 「イヤ文子さん、その様な我儘を言わずにじっくりと損得をお考え成さい。貴女は金造翁の財産を相続する気で、必死に勉めて居ますけれど、イヤ隠しても無益です。私には良く分って居ます。ハイ貴女の目的は大方届き掛けて居ます。御存知の通り翁はこの四、五日、余ほど容態が悪いので、自分も今度は助からないと知り、既に昨日、私の目の前で遺言書を作りました。」

 有難い、愈々(いよいよ)遺言書を作ったのか。その中に何と記(しる)したのだろうかとは、文子の胸に湧き出る思いである。
 昼「その遺言書には、貴女を全部の相続人と定めて有ります。」
 文子は忽ち、
 「エ、私を財産全部の相続人に。」
と口に出して問うたが、問うや否や、我と我が心の端下無さを披露したのと同じ事なのを悔いた。

 栗「ハイ貴女を全部の相続人に定めては有りますが、但し翁の心では、貴女が私の妻に成る事を見込んだ為です。先日翁は貴方に向かい、昼栗長三の妻となり長三と共に印度へ行けと言ったでしょう。翁は私を自分の息子の様に大事に思う事情が有ります。今私から翁に向かい、文子は何しても私の妻に成りませんと知らせたならば、翁は直ちに遺言状から貴女の名を消し、昼栗長三の名を書き入れます。ハイ貴女をやめてこの昼栗長三を全部の相続人に直します。私を嫌う為に、幾百萬と数知れない翁の財産を捨てるのは短気でしょう。先アじっくりとお考え成さい。」
と言う。

 文子は板挟みの思いではあるが、又思えば翁の命は実に旦夕に迫っており、今と為って、私の短気の為め、その遺言状を書き替えられては、数年の辛苦が水の泡である。何とかして体好くここを言い延し、ここ数日のところ遺言を書き替えない様に防いで置けばその中に翁は死ぬだろう。翁死すればその財産は我物にて、長三の妻に成らなくても、誰に取り返される恐れも無いと、この様な思案が浮かんで来たので、自分ながら好い工夫が出て来たと思えるので、それとは無く言葉を和らげ、

 「貴方の様にそう性急に仰っても、結婚は女の大事ですもの、容易に返事が出来るものでは有りません。少し貴方が外の紳士達の様に、私の傍を離れ、気永く待って下されば、私も成る可く自分の身の為に成る様に、ゆっくりと思案をします。何分今の様に、朝から晩まで私の傍にばかり附き纏って居ては、益々五月蝿く成るばかりです。」

 長三は幾分か嬉しそうに、
 「イヤ貴女がそう仰って下されば、私も気永くして、貴女の心に愛の情の熱すのを待ちますよ。何も片時も貴女の傍を離れては成らないと言うような事情はありません。本当に私を断るのは、貴女の為には成りませんから、何(どう)か愛の心の起こる様に勉めて下さい。」

と言い、是から二日ほどは、余り附き纏(まと)わない事と為ったが、三日目になり、金造翁の容態はどうなったかと思い、文子はその部屋を見舞うと、翁は昼栗長三と共に何事をか相談して居たが、
 「オ、オ、文子か、好い所へ来て呉れた。実はな、この昼栗長三が至急に印度へ帰らなければ成らない事と為った。

 今日は是れ木曜日で、来る月曜日に船が出ると言うから、明日か明後日の中に愈々和女と婚礼を済まさなければ成らないのじゃ。そうして月曜日には和女を花嫁とし引き連れて、印度へ立つのじゃ。明日と言っても婚礼の許しの証書も得なければならない。その外に多少の用意も有るから、明後日には成るだろう。サア明後日、土曜日の朝が婚礼だ。婚礼だ。和女(そなた)もその積りで、今日明日に急いで準備するが良い。」
と異存を言うべき余地さへも無いかの様に言い渡した。

第三十二回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

   第三十三回 一滴入れたら

 明後日の朝婚礼し、直ちに新夫昼栗長三に連れられて印度に行けとは、寝耳に水の様な言葉なので、文子は驚いて色を失い、様々の不都合を言ったが、金造翁は一つも聞き入れず、唯だ、
 「長三の印度行が一日も延されないので、此の婚礼も延す事は出来ない。」
と言い張るばかり。

 文子はここに到って如何(どう)にも仕様が無く、だからと言って明らかな断りは、翁の立腹が如何(どれ)ほどになるかも測り難く、相続の見込みが全く絶え果ててしまいそうなので、殆ど四苦八苦の思いで、
 「それは居間へ帰り、じっくりと考えて見ましょう。」
と今にも泣きそうな声で述べ、頭を垂れて此の部屋を出て行こうとすると、翁は遽(あわただ)しく昼栗に向かい、

 「コレ長三、妻と話の決まった文子が部屋へ帰ると言うのに、何故廊下へまで見送らぬ。お前は夫婦の情も知らないか。」
と言う。長三は此の言葉に励まされたか、急いで廊下まで追って来て、鰻の様な滑らかな其の薄気味悪い手を以て文子を引き寄せ、接吻しようと俯向き掛かった。文子は絶対絶命の思いで、

 「エエ貴方は」
と打ち叫んで長三を睨み附ける。其の目の中には実に侵し難い程の鋭い光が見えたので、流石の彼も逡巡(たじろ)いで、
 「ナニ明後日は夫婦だから、今は是だけで満足して置きましょう。」
と言い、唯だ文子の手を握った丈で再び翁の部屋へ退いたが、手を握られる丈でも文子にとっては、身を切られるより辛いに違いない。

 この様にして長三は再び翁の枕辺に行くと、翁は寝台の上に起きて座したまま、非常に厳重な面持ちで、
 「サア長三、お前がひどく文子に迷い込み、どうしても女房に仕度いと言うから是まで俺が運んで遣った。否も応も無く明後日はお前の自由、有難かろう。先アそのお礼は後で聞く事にして、ここで取引の約定を決めてしまおう。

 俺は先日から綿密にお前の商売の台帳を検査したが、成る程、此の両三年に大分損をしたには違い無い。併し印度に在る昼栗合名会社の表面上の信用は未だ衰えて居ない。特にロンドンの取引先は孰(いず)れも昼栗合名会社の損失は知らず、充分に貸越すから、お前が今必死になれば、十萬圓の金を借り集める事は出来る。好いか、そうして其の十萬圓を明後日の朝、婚礼の前に私へ渡して貰おう。十萬圓でアノ様な美人が妻と為れば安い者だ。」

 昼栗は恨めしそうに、
 「幾等文子が美人でも、十萬圓では高過ぎます。幾等か負けて下さらなければ。」
と言う。アア翁は文子を此の人に売り付けつつ有るのだ。縁談では無くて明らかに人身の売買である。文子が若し此の言葉を聞いたならば、悔しがって地団駄踏んでも、まだ足りない思いがするに違いない。

 翁は厳然として、
 「十萬圓が何で高い。誉田子爵の妻にすれば幾百萬の財産の女主人と成る代物だ。お前が二十萬圓出したとしても、是ほどの美人は手に入らないよ。アノ様な美しいのを印度へ連れて帰り、是は英国で有名な貴族の娘だと言觸(いいふら)して見ろ。誰が疑うものか。それだけでお前に十萬圓や二十萬の信用は出来る。好いか十萬圓、耳を揃えて持って来なければ、決して此の婚礼は成り立たないぞ。」

 昼「何うも仕方が有りません。若し私が否(いや)だと言えば。」
 翁「否と言えば直ぐに印度へ電報を発し、昼栗合名会社の財産を差し押さえる迄の事サ。そうすればお前の失敗は世に暴露し、一文の信用も無い事に成るのは勿論、お前は破産して帰る家さえも無い人に成る。サアまだ信用の有るうちに十萬圓を借り集めて文子を買い取り、益々信用を高くして栄耀(えいよう)《大いに栄えて贅沢な暮らしをすること》を尽くすか、十萬圓に恐れて乞食に成るか、此の二つに一つサ。」

 昼栗は嬉しいのか悲しいのか唯だ泰然と度胸を据え、
 「では是から直ぐにロンドンへ行き、銀行へ掛け合ってそれだけの金を拵(こしら)え、序(ついで)に結婚の許しの証書をも得て来ましょう。」
と言い、間も無く此の家を出て行った。

 文子は此の日も翌日も唯考え込むばかりであったが、何の思案も浮かばずに、とうとう婚礼の前夜にまで追い詰められた。今まで翁の財産を相続しようとして、辛苦を重ねた我が目的も、殆ど水の泡と為ったので、戦争に敗れた者と断念(あきら)め、此の家から逃げ去ろうか。否、否、逃げ去るのは最後の手である。その前に尽くせる丈の手段を尽くし、他に何の道も無い所に到って初めて逃げ去っても遅くは無い。

 寧(い)っそ毒薬をーーー。否、否、毒薬などと言う恐ろしい事は夢にも思っては成らない。それよりは長三に何も彼も打ち明けて、自分には定まった夫がある事を告げ、此の婚礼を思い止まらせる事にしよう。私から断ればこそ翁も立腹するのだ。若し長三から断ったならば、翁が私を恨む筈は無く、従って遺言状を書き換える事も無いに違いない。

 そうして他日無事に翁の財産を相続したその上で、その半ばを長三に分かち与えようと言えば、長三は恋よりも欲に目が眩(くら)み、体よく翁に説き、暫し婚礼を思い止まったと言うに違いない。そうだ是れ以上の思案は無い。成るか成らないかは兎に角も、当たって見ようと漸く思い定めはしたけれど、長三は金策と婚姻証明を得る為に立ち去って、未だ帰らない。

 その中に又も文子の心に浮かんだのは、今夜若し金造翁が病死したならば如何なるだろう。翁が死ねば財産は自ずから私に帰し、再び長三から迫られる患いも無い。真に翁の死は、我が身に纏(まつ)わる一切の難題を一掃して清くする者であると。

 この様な思いが出ては、翁の容態を見届け度い気もせられ、文子は又深く思案もせず、宛(あたか)も夢地を辿る様に、フラフラと立ち上がって部屋を出て二階を降り、廊下を伝って行って、静かに翁の部屋の戸を開き、

 「伯父さん」
と呼んでその枕辺に立つと、翁は珍しく熟睡して在り、
 「オヤ好く眠って居らっしゃる事」
と言い、差し覗(のぞ)く文子の眼は、是こそ翁の命の底をまでを読み尽くそうとする者である。

 日頃の愛らしい目許(元)であるが、今夜は非常に深い心も籠(こも)っている。
 翁が心地好さそうに眠っている有様は、今日明日に死すだろうとは思われないが、見ると枕邊にある小卓の上に、目覚めた時に呑むべき薬も有る。小盃(コップ)も有る。若し此の小盃の中に、文子が今もまだ衣嚢(かくし)に蓄えている、青酸の一滴を落として置いたなら、一切の難題は翁が目が覚めると共に、霧の様に消え失せるだろう。

 幾日幾月、途方に暮れた境涯から、一躍(ひとおどり)して逃れ出ることの何と易いことか。実にそれは何と易いことか。

第三十三回 終わり

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   第三十四回 毒殺された金造翁

 こうして暫くの後、文子は翁の部屋から出て行ったが、非常に心が打ち騒ぐ者と見え、顔色は土より青く、総身は戦々(わなわな)と震えて踏む足も定まらなかった。多分は翁が快く眠っている顔を見、その急に死ぬだろうとは思われないのに絶望し、愈々(いよいよ)明朝、彼れ昼栗長三と婚礼しなければ成らないと、落胆しての為ででも有ろうか。それとも外に仔細があるのかは、文子自身の外には知る人は居ない。

 やがて文子が二階に上り、自分の部屋へ入ると、間も無くその後から入って来たのは彼れ昼栗長三である。長三も明日婚礼する人の様に嬉しそうには見えないが、早や文子を我が妻と思做(おもいな)す夫の見識は、充分に見える。彼れは衣嚢(かくし)の中から、何か書面を取り出だし、文子の目の前に差し伸べて、

 「文子さん、喜んで下さい。私は昨日からロンドンへ行き、種々の用事に奔走して居ましたが、この通り婚礼の許しの證をも得て来ました。サア此の国の大僧正が花添文子を昼栗長三の妻と認めた上は、今夜からもう天下晴れての夫婦です。昨日貴女に拒絶された接吻を、ハイ今夜は夫と言う権利を以て行わなければ成りません。妻を接吻するのは夫の権利です。否応は言わせません。」
と言って、文子の傍に腰をおろした。

 文子は蛇にでも出逢った様に、我知らず身を引いたが、先刻も思い定めた通り、長三に何も彼も打ち明けて、此の婚礼を思い止まらせるのは今であると思い、殆んど必死の度胸を定め、
 「昼栗さん、改めて貴方へお願いが有りますが。」
 昼栗は嘲笑(あざわら)い、
 「オヤ妻が夫に向かい、お願いなどとは余り改まり過ぎます。サア何なりとお言いなさい。」

 文「今まで私が此の上も無く貴方に余所余所しくしたからこそ、貴方も男の意地とやらで、無理にも私を妻にして見せようと、その様な気を起し成さったでしょうが、私が連れ無くしたのは、貴方にばかりでは無く、総て男には連れ無くしなければ成らない訳が有ります。

 今までその訳を誰にも隠して居ましたけれど、貴方に丈は打ち明けますから、何うか私の身の上を察し、此の願いを聞いて下さい。ハイ私には既に定まっている夫が有ります。今更結婚が出来ないのは勿論、男に対して親しくする事も出来ない身です。

 それ故仕方なく貴方へも連れ無くしたので、特に貴方を忌嫌うの、憎むのと言う心では有りませんから、貴方も今までの意地を捨て、何うか此の結婚を思い止まり、そうしてその事を貴方から今夜の中に、金造翁へ断って下さいまし。その代わり他日私が翁の相続人と為ったなら、翁の財産は半分必ず貴方へ送ります。それはもう何の様な約定書でも作って置きます。」
と訳を話して頼み込むのに対して、昼栗は少しも同情せず、

 「オオ、特に私を忌嫌う訳で無ければ猶更(なおさら)結構です。何も私は貴女が連れ無いから、夫れで意地に成ったなどと言う訳では無く、一目貴女を見た時から、此の女を妻に仕度いと思い、翁にも此の心を打ち明けました。成るほど私が此の婚礼を思止まれば、貴女は財産の半分を渡すと言う契約を成さるでしょう。ナニその様な契約には及びませんよ。貴女を失って財産の半分を得るよりは、貴女を手に入れて財産の全部を得る方が得策です。」

 文子は叫ぶ様に、
 「でも私には既に定まった夫が有ります。」
 栗「それは貴女の言種(いいぐさ)です。その夫が確かに何年何月に婚礼したと言う証拠を以て、此の所へ現れる迄は私は信じません。たとえ又夫が有るにしても、私は既に大僧正の許しまで得て居ますから、明日婚礼するに差し支えは無く、そうして印度へ連れて帰れば、まさかその夫が印度まで貴女を取返しに、追掛けて来る訳では無く、夫が有ろうが無かろうが、私はそんな事に頓着しません。」
と義理も道理も顧みない無法な言い分に、文子は最早や我慢もできず、腹立たしさの余りに、

 「エエ、悪人、悪人」
と罵(ののし)ると、長三は目を光らせて立ち上がり、
 「悪人でも貴女の夫です。サア約束の接吻を。」
と言い、手を差し延べて文子を捕らえようとし、文子が一足退けば二足進み、終に文子を壁の隅まで追い詰めた。
 実に文子は必死の場合、長三の手籠めに逢う外は一寸の逃道も無いので、忽(たちま)ち衣嚢(かくし)から彼の青酸を入れた小瓶を取り出し、

 「貴方が強いてと仰れば、私は是れを呑んで死ぬ許(ばか)りです。」
 長三も是には驚き、
 「エ、その瓶には」
 文「ハイ青酸と言う毒薬が入って居ます。私はまさかの時の用意にと、先日伯父露伯の薬局から持って来ました。」
と叫ぶと、長三ははアッと辟易(へきえき)《勢いや困難に逢ってたじろぐ事》して飛び退(すさ)り、真に自殺をも為しかねない文子の決心した顔色をじっくりと見て取り、非常に腹立たしそうに文子を睨みつけた末、

 「宜しい、貴女が死んでも私の妻に成るのが否だと言うならば、私も考えが有ります。後日に到り後悔なさるな。」
と厳しい一語を残したまま、静かに此の部屋から出て行った。後に文子はホッと息吐(いきつ)く力も無く、唯だ身を悶えて思い悩むばかりであったが、やがて決心した様に、

 「オオこうしては居られない。明朝は否応なく婚礼の式場へ連れ出されるに極まって居る。毒薬を呑んで死ぬか、此の家を逃げ出すか二つに一つ、女の浅ましい似而非(えせ)智慧から、身に備わらない財産に目を附けたのが自分の誤り。今と言う今は思い当たった。こうと知っていれば夫安穂と貧苦を共にした者を、アア夫に背いた天罰と言う者か。苦労と言う苦労を重ね、その揚げ句が、虻蜂(あぶはち)取らぬ此の有様、エエ自分の身が恥ずかしい。

 ホンに女と言う者は夫を頼りとするより外に、此の世に身を置く所は無い。貧苦も富貴も生まれた時に定まって居る。分に合わない富貴より、分を守って貧苦に暮らすのが何れほどの安楽か知れない。もう一刻も此処に長居する事は出来ない。」
と積年の非を真実に思い知り、後悔して遣り場が無い計(ばかり)りなので、直ちに筆を取って金造翁に宛て、自分が今まで夫有る身を隠し、翁の財産を相続しようとして、世を偽って居たその罪を謝(あやま)る旨の手紙を認め、之を机の上に残して、夜の明けないうちに、裏口から孰(いず)くともなく落ちて行った。

 一夜明けた翌朝は、花添文子と昼栗長三とが、目出度く婚礼の式を挙げる予定だったので、此の家の雇人達までも心待ちにして居たが、夜が明けて文子の姿が見えないばかりか、是よりも更に怪しく更に恐ろしかったのは、金造翁が青酸で毒殺せられ、全身紫の色に変じ、寝台の上に死骸と為って横たわって居た一条である。

第三十四回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

   第三十五回 殺したのは文子

 愈々(いよいよ)婚礼と言う朝になり、その家の主人である金造翁が、昨夜の中に死人と為って終わった事が分かり、又花嫁であるはずの文子も、同じく昨夜の中に逃げ去って影も見えない。誠に驚くべき成り行きと言わなければならない。

 第一に翁の死を見出したのは花婿である筈の、彼の昼栗長三である。彼は今日は婚礼の日と思う為め、毎(いつ)もよりは早く、朝の七時に翁の部屋の戸を叩いたが、何の返事も無かったため、翁の執事同様に働いている、此の家の雇人朽原方助と言う者と共に、その戸を開いて入って行って見ると、翁は早や既に死人と為って居たので、二人とも打ち驚き、早速此の旨を文子に知らせようとして、長三自ら文子の部屋に上って行くと、部屋はも抜けの殻であった。

 今更何をしても仕方が無かったが、取り敢えず翁が毎日診察を受けて居た、医師何某を迎えて来て、翁の死骸を見せると、医師は容易ならない面持ちで眉を顰(ひそ)め、
 「死様に怪しい所があるので、その筋の検死を経なければならない。」
と言い、彼の長三が、

 「イヤ老病で自ずから死んだ人に、検視の必要は無いだろう。」
と言い張るのにも頓着せず、医師自ら警察に出張し、其の旨を通報したので、警察からも直ちに相当の吏員が出張し、一通り検視すると、翁が青酸で毒殺せられた事は充分の証拠が上がった。

 その主なものは、翁の顔色が青く紫掛かって居たこと、その爪、その眼が、共に青酸の中毒と認めなければ成らない形状を現わして居る事。翁の枕頭(まくらべ)に在る小盃(コップ)の中に、未だ青酸が幾分か残って居る事等から、少しも疑うには及ばない。更に死骸の胃の中を汲み出して調べたところ、ここにも青酸の分子は有った。

 是れは実に静かである赤城村の様な片田舎では、空前絶後とも言うべき椿事なので、直ちにパッと世間の噂と為ったのみか、警察に於いても捨てては置かれないと言って、上を下への混雑となり、充分な手を尽くし、取り調べを初めたが、翁を毒殺した嫌疑は、異口同音に文子に掛かった。

 翁を殺して利益を得る者は、その相続人である文子の外に誰も居ない。文子は翁に強いられて、厭な人と婚礼することが迫り、之れを断(ことわ)ったならば、翁の機嫌を損じ、従って大財産を取り失う恐れがある為め、止むを得ずその間際に至って翁を毒殺したのに違いない。

 毒殺した上で逃げ去るとは、少し辻褄が合わない様な気もせられ、通例この様な毒殺者は、何食わぬ顔で踏み留(とど)まり、その財産を受け取ろうとする者なれど、文子は女だけに、毒殺の事を果たすや、直ちに一種の恐れに襲われ、此の家に踏み留まる事が出来なくて、狂気の様に逃げ去った者に違いないと、吏員は直ちに此の様に認め、一方に文子の行方を調査し、又一方には文子の部屋などを調べて見ると、

 文子の行方は少しも分からなかったが、その居間には針箱の中に隠して、一個の小瓶があった。之には青酸を入れ置いたことは疑いも無く、しかしその青酸は使った後で、底の方に余歴を残すのみだった。文子はどうしてこの様な劇薬を持って居たのだろうか。

 是も吏員の調査によって、その伯父である花添露伯の薬局から、最近偸(ぬす)み出したことが分かった。それにその薬局に残って居る青酸の分量から推量して考えると、文子は一オンスほど取り去ったもので、その一オンスが僅かに余瀝をのみ残して居るのを見ると、確かに人を殺す目的で充分使用した者に相違無い。

 若し何の罪をも犯さず、何の恐れにも襲われずに、翁の家を忍び去った者ならば、何か言い訳同様な置き手紙でも、残して有るはずだと思い、吏員は之をも調べたが、置き手紙は一つも無かった。何様匆々(そうそう)に急いで去った者と知られる。

 是だけの事情から、文子の犯罪は何よりも明白であり、その行方の捜索は益々以て厳しくなった。
 アア文子は何所に行ったのだろう。その忍び去る時に当たり、確かに金造翁に宛て、言い訳の手紙を認め、それを自分の部屋の小卓の上に残して置いたのに、それさえも見当たらないとは、どう考えても怪しい限りである。

第三十五回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

    第三十六回 金造翁の遺言書

 金造翁が毒殺せられた爲め、その検死から審問の手続きに三日を費やし、四日目に到って、漸く葬式を行ったが、その間に在って最も人々が感心したのは、昼栗長三の振舞いであった。彼は婚礼と言う間際に、花嫁であるべき文子に逃げられた絶望の上に、更に翁にまで死なれたので、非常に力を落としたことは勿論であっったが、傍(はた)の目も気の毒なほど憂いに沈んで居た。

 だが陰気に落ち着いた中にも、良く万事に行き届き、検死の時にも審問の時にも神妙に自分が知っている事を言い立てて、非常に警官達の憐みを引いたのみか、翁の葬儀にも、自ら執事栃原方助を初めその他の雇人達を指図し、一切の事を残らず執り行ったので、見る人は皆その挙動を賞賛し、褒めずには置かなかった。

 之に引き替へ執事栃原方助と言う者は、翁が初めて此の土地に居を定めた時から雇われ、家の万事を打ち任されて居た身にも拘(かか)わらず、翁の死後は唯だ酒にばかり酔って、審問官に答えた返事も不充分な事が多かったので、非常に叱りを蒙ったが、或人は彼の振舞いを評し、主人の変死に落胆し、殆どその悲しみに耐えらない為め、仕方なく酒に憂いを包んでいる者に違いないと言った。

 それはさて置き、翁を毒殺した本人と認められる花添文子の行方は、葬式の日になってもまだ分からない。文子は伯父露伯の家の外には、殆ど行き所も無いだろうと思われる身であるのに、或いは先年ロンドンに奉公した為め、今以て都に知って居る人が有って、その許にでも隠れたのかも知れないとの疑いで、最も腕利きの警官一名を、直ちにロンドンへ出張させたが、是も何の手掛かりも見出すことが出来ないと見え、今以て帰って来ない。

 この様な中にあって、人々の最も知り度い事は、翁の遺言書である。財産の全部を、花添文子に相続させる事に、定めて有るはずである事は必定であるが、それにしてもその総額は幾百萬圓になるだろうか。文子の妹である里子と敏子にも、それぞれの手当は有るはずで、更に親戚花添露伯にも、召使一同にも十分の片身分けは有るはずだなどと言い合い、一方に文子の行方を怪しむとのと同じく、又一方に此の遺言に気を奪われ、我も人も唯だ首を長くして待つ有様であったが、審問の吏員も此の遺言を検める必要が有ると言い、翁の部屋を捜索したところ、翁の手紙文庫の中から自筆にて、
 「遺言」
と題する一書が出て来た。

 勿論此の様な遺言書は、然る可き法律家に托し置くのが本来ではあるが、翁は何彼(なにか)につけ、他人とは変わった癖があったので、遺言書も唯だ自分で認め、自分一人で隠して置いた者に違いないと、誰も深くは怪しまなかった。翁が家の広間を以て、読み上げる席と為し、昼栗長三を始め、露伯、里子、敏子、その他翁に多少の関係ある者一同ここに詰め掛け、吏員の読み上げるのを聞いたが、世に是ほど意外な遺言は無い。

 翁は実にその初めに詐欺を以て身を立てた人だけに、死するまでも大詐欺を働いて居たのである。その文下の如し。
 余富淵金造は、既に七十歳に達し、何時死ぬかも分からない。特にこの頃健康も不安定なので、気の確かな中に懺悔の様に、ここに遺言書を作って置くものである。

 余は六十六歳まで印度で、或る商業を営んで居たが、年取るに従い、若い時の様には働く事が出来なくなった。両三年引き続いて、非常な損失を受けたので、最早や見切り時であると思い、此の商売一切をば、その他の余の財産一切と共に、印度の商人昼栗長三と言う者へ、二十萬圓で売り渡し、即金で十万圓受け取り、残る十万圓は余が七十歳の時、即ち今年受け取る約束で余は印度を引き上げた。

 余は正金十萬と残る昼栗への貸金十萬圓で、充分老い先を安楽に暮らして行けると信じ、我が故郷へ帰って来た。印度を引き上げる為、既に三萬圓ほど費やし、此の土地に着いた時は、僅かに七万圓ほどと為り、甚だ心細かったが、此の土地の人は幸い、余が一頃盛んだった頃の噂を聞き、余を幾百万と数知れない大金満家と思っている様子なので、余はその信用を何時迄も繋(つな)いで置く爲め、有金七萬圓を直ちに此の土地の銀行へ小使い銭であると称して、当座預けとした。

 土地の人はこれに益々驚き、余を尊敬することと言ったら並大抵ではなかった。依って余は更に大胆に五萬圓を投じて、今住んで居る此の家及びその他の贅沢品などを買い、実際は僅かに正金弐萬圓、五年後に受け取るべき貸金十萬圓の財産と為った。

 正金二万圓で七十歳まで五年を支えることは甚だ難しいが、幸い土地の信用は限り無く、いずれの商人も先を争って余に貸し越そうと勉めたので、余は殆ど一文無しでも、数年を支える事が出来る有様で、唯だ実際に支払ったのは、雇人の給料と僅かな小使いのみであった。しかしながら何時信用が落ちるかも分からないので、まだ心細さに耐えられなかった。

 幸い我が姪文子が非常な美人なので、余は我が信用の落ちない中に、早く文子に金満の婿を求めようと勉めた。
 それなのに何故か文子は夫を持つ心無く、初めの中は唯だ少女の恥ずかしさで、夫を嫌うのかとばかり思って居たが、文子が誉田子爵をさえ断ったので、余は文子の決心が甚だ堅固なのに絶望し、一方は又印度から昼栗長三が来て、商売の益々下向きなのを報じたので、余は愈々(いよいよ)困り、長三にまだ幾何(いくばく)の信用が残っているうち、文子を餌として長三から至急に十萬圓を調達しようと図った。

 長三は余に対し十万圓の借金ありとは言え、文子を餌としなければ、余は長三に催促出来ない事情があった。其の事情はここに言うには及ばない。
 余は此の土地に帰ってから、既に正金は殆ど払い尽くし、その上に商人に対し二十万圓に近い借金を作った。余が死ねば、財産は残らずに借金だけが残る。

 余の家、余の財産を売り尽くすしても、その借金を払うのには足り無い。余は破産して死ぬ人である。しかしながら、死んだ後まで破産の事を世には知らせない。依然として信用を繋(つな)いで死す積りである。余の遺産に潤(うるお)おうと待ち受けていた文子を初め、その他の人々へは甚だ気の毒であるが、人々は唯だ余の残す借金に連帯しないのが切(せ)めてもの幸いなりと諦められよ。

 余は人々に残す財産が無いのを悲しむが、自分の借金だけ自分に負い、死ぬまで襤褸(ぼろ)を出ださなければ、余自身の手際としては満足である云々。アア幾百萬の財産を残すだろうと思われたその人は、少しの財産も残さず、借金をのみ残して死んだ。死ぬ際までまだ世を欺いて居た。

 彼れは何という狡猾な人なのだろう。若し文子に此の遺言を知らせたならば、何と思う事だろう。文子は実に翁の機嫌を取り、その財産を受け取ろうと勉めて居たのに、実に翁の為に上を越され、その信用を維持す為の一つの器械に使われて居たのだ。借金が有って財産は無い。この様な詐欺者の為に夫を捨て、無い財産を当てにして、様々な苦労を尽くしたと知ったならば、文子自ら、自分の愚かだった事に、慙死(ざんし)《ある事を深く恥て死ぬ事》してもまだ足り無いと思うに違いない。

第三十六回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

   第三十七回 新婚時代の貸間

 話は替わって、文子の夫、田守安穂は、彼の太郎と言う子供の母こそが、我が妻文子に相違無いと見て取ったので、急いで田守荘の我が家に帰り、前から蓄えてある写真帖を持って、又飛ぶ様に水車場に行き、太郎を育てるその娘お倫に、此の写真帖を見て呉れと差し出すと、お倫は初めから一枚一枚開いて行き、やがて文子の写真に到り、非常に驚いた様子で、

 「アア此の美人が太郎の母親です。」
と叫んだ。最早や疑う所なし。太郎は即ち我が子である。
 我が子が現在、この様に非常に元気に育って居るのに、文子がそれを既に死んだと言い、私を欺いたのはどんな考えからなのか知り難いが、実に許し難い行いだ。私はそれが為に絶望し、世を味気無く思って、死のうとまで決心した程なのにと、安穂は益々文子を恨み、腹立たしさに耐えられなかったが、今はそれを憤ってばかり居られる場合では無い。

 とりわけ死んだと断念(あきら)めた我が息子が、この様に可愛いく育っていたかと思うと、不実な妻の憎さよりも、目前の嬉しさに心が紛れ、幾度か太郎を抱き〆めた末、お倫を初め、その父に向かい、太郎は即ち我が子であるとの事を、細々と説き聞かすと、両人は不思議な縁に驚き、
 「此の児が近郷に並び無き、田守荘の後々を継ぐべき身ならば、是ほど喜ばしい事は無い。」
などと言った。

 しかしながら太郎を表向きに、安穂の子とするには第一に、安穂が文子と正当に婚礼した事を証明し、第二には文子が此の子を生んだのに相違無い事を証明しなければならない。それで安穂は早速其の手続きを行おうとの心で、先に田守荘を預って居た法律家何某にも相談の上、先ず先年文子と婚礼したロンドンの教会に行き、婚礼証書を写して来ようと、其の翌日に直ちにロンドンを指して出かけて行った。

 素より正当に婚礼した事なので、其の写しを得るのも簡単な事で、其の日の中に得る事が出来たので、それから協会を出て、次には再び赤城村に行こうかなどと考えながら歩んで行く途中、図らずも昔文子と共に貧困の底に沈んで住んで居た、彼のヂキソン街と言う所に来た。

 狭い巷に立ち並ぶ非常に貧しそうな家々は、今の安穂の目には、紳士の住める所では無いように見えるが、汚れたる硝子窓、傾いた軒、破れた入口など、一々に見覚えがあり、何となく第二の故郷に帰った様な心地がせられ、あの時住んで居た下宿の女主人は、今も未だ達者で居るだろうか。

 貧苦の折だったので、払いも滞り勝ちとなり、非常に迷惑を掛けた場合も多かったので、ここに居合わせるのを幸い、逢って其の頃の礼をも述べ、切(せ)めては茶代などでも遣りたいと思い、その家の前に行って踏み留まり、先ず懐かしそうに家の様子を眺めた上、昔よりも猶一層具合が悪くなった入口の戸を押し開いて歩み入ると、五十余りになる女主人は、相変わらず達者にしていて、下宿人の夕飯の支度と見え、忙しく竈戸(かまど)の前で立ち働きつつ有った。

 安穂の顔を見て、思って居た程は驚きもせず、
 「サア四階のアノ部屋へお上がり成さい。」
と言う。さては忙しい為め、四階に上って暫し待てとの心に違いないと、安穂は頷(うなず)いて非常に長い階段を上って行くと、昔文子と共に宿って居た部屋は非常に静かにして、何と無く空き間の様に見えるので、

 「アア部屋」
と言ったのは此の部屋の事であったかと、更に懐かしさに四辺(あたり)を見ながら、徐(そっ)と戸を開いて内に入ると、内は非常に陰気で、外から入って来た眼には、十分に見分け難い程であったが、壁に掛けた額を初め、部屋に配った椅子、テーブルまで少しも以前に変わる事は無かった。

 此の様を見ては、昔の貧苦を今更の様に思い出し、又翻(ひるが)えって今身の上を思い起こすと、浮世の有様は全く夢と同じで、人の身の上の遷(うつ)り替わることは、走馬燈籠にも似ていると心に様々の想いを起し、唯だ茫然と立つうちに、眼は漸(ようや)く暗い所に慣れ、隅の方を打ち見遣ると、

 昔文子と共に座した長椅子も、既に褪(さ)めた色は更に其の上に褪(さ)める外はなく、昔に返って人を迎えるのに似ているので、又其の方に進み寄ると、此の時初めて安穂の目に留まったのは、誰やら其の長椅子に、俯伏(うっぷ)して凭(寄)り掛かり、思案に沈んでいる様な姿である。

 気の所為(せい)でこの様な幻影が見えるのだろうか。まさか幽霊では無いだろうと、安穂は更に眼を押し拭って、怪しみながら見直すと、薄暗い中に、茫乎(ぼんやり)として目に見える其の姿は、青白い顔を上げて、先も怪しく思って此方を見詰めているようだった。

 誰だろう、何者だろうと不審に思って居る間に、その青白い顔は益々明らかに成るのを見ていると、全くその昔し、安穂が日々職業を求める爲に、朝から晩まで市中を奔走し、食う物も食わずに疲れ果てて此の部屋に帰る度に、妻文子が淋しそうに此の長椅子に凭(よ)り掛かって居たのと殆ど同じ姿である。安穂は全く幽霊かと思い、一足背後(うしろ)に引き下がると、その姿は声を発し、

 「アレ先ア貴方は」
と呼ぶ。此の声に驚いて安穂は又直ぐに前に進み、
 「オオ文子か、本当に文子だったか。」
と打ち叫んだ。

 第三十七回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

   第三十八回 突き放す安穂

 文子と安穂のこの対面は、実に思い掛けない事なので、安穂が、
 「本当に文子か。」
と首を前に突き出すのも無理は無い。安穂よりも文子は更に一層驚き、長椅子から飛び離れて立ち上がり、昔し恋人だった頃の有様をその儘(まま)に、
 文「オオ安穂さん、安穂さん、何うして私がここに居る事が分かりーーー、好く先ア早く来て下さった。」
と言い、早や縋(すが)り附いてその顔を安穂の胸に押し当てようとする。

 しかしながら安穂は今までの安穂では無い。既に文子の不実に愛想を尽かし、夫に非(あら)ず、妻に非(あら)ずとまで思い定めた上に、我が息子の生存(いきながら)えている事を知ってからは、更に又文子がこの夫である自分を欺いたのを恨み、怒りが少しも解け遣らぬ折柄だったので、唯だ一旦だけ文子がここに居るのに驚いて進み出たけれど、直ちにその恨みの心が頭に燃えて出たので、全くの他人を取り扱う様に、一語の返事をもせずに非常に余所余所しく、非常に静かに我が胸から文子の顔を押し退けた。

 昔ならば心に愛情が満ちて居る為め、文子に巡逢(めぐりあ)ったかと思えば、胸に動悸が躍るほどに嬉しいはずなのに、今は動悸もせず嬉しくも無い。唯だ道端の人を見る様に冷淡に落ち着いているので、文子は躍起となって、

 「安穂さん、何故貴方はそう余所余所しく成されます。」
と言いながら安穂の何の感じも無い顔を見て、
 「それは貴方、意地悪と言う者です。ではここへ私を尋ねていらしたのでは無いのですか。それとも、アア此の家に宿を取って居るのですネ。」

 安穂は一点の情も無い殆ど裁判官の様な語調で、
 「ナニ此の家に宿を取って居るのでも無ければ、和女(そなた)を尋ねて来た訳でも無い。此の前に逢った時まで、富淵金造翁の許に居た和女(そなた)が、この家へ来て居ようとは、思いも寄る筈が無い。それに此の様な貧しい家へ帰る様な和女では無いから、今逢って驚いたのサ。」

 文「イイエ、私は此の家の外に差し当たり身を寄せる所は無く、それに又昔貴方に愛せられ、貴方と艱難を共にした家と思えば、何と無く懐かしくも有り、そんな訳で此の家へ参りました。」
と言い、半ばその頭を垂れて、極まり悪そうに眼を下に注ぐ様は、妻と言うよりはまだ一個の少女にして、安穂の口から厳しく叱られるのを、甘んじて待って居るかの様だった。

 真に是れは安穂が昔し、長谷田夫人の家で見初めた、可憐な姿その儘(まま)で、娜(あど)けないことと言ったら此の上なかったけれど、愛の情は全く死んでしまって、凍りの様に冷えてしまった安穂の心は、融(と)けようともしない。

 「フム、懐かしくてここへ返ったかは知らないけれど、和女(そなた)は既に此の部屋に愛想を尽かし、自分から見捨てて立ち去ったでは無いか。今になって返って来ても、一旦立ち去ったその振舞いが、消える者では無い。勿論私と和女(そなた)の縁は、那(あ)の時に切れて仕舞った。

 それでも私はまだ未練に和女(そなた)の不心得を憐れんだので、その後豪州から帰った時、只管(ひたす)らに和女(そなた)の行方を尋ね、富淵金造の許まで逢いに行った。その時に私が何と言った。今夫と共に帰れば好し、さも無ければ夫婦の縁は、再び繋(つな)ぐ事が出来ないと、明らかに言い聞かせた。

 和女(そなた)は唯だ財産に目が眩(くら)んで、目的が届くのは眼前に在ると言い、私の言葉は耳にも入れず、独り彼の家へ踏み留まったでは無いいか。アノ時限り、夫婦の縁は切って仕舞った。裁判所で言い渡された離縁よりも、もっと明白な離縁と言うもの。今更ら疑うにも及ぶまい。」
と侵し難いほど厳重に言い渡すと、文子は遣る瀬も無い程の悲しい声で、

 「誰がアノ時夫婦の縁を切るなどと言いました。貴方は何でそれほど意地悪です。過ぎ去った過ちを、何故その様に許しては下されません。」
 安「それだけならまだ或いは許しも仕ようが、許すにも許されないのは、和女(そなた)の偽りだ。和女は私の生涯の大事に付いて、深くも企(たく)らんで、私を欺いたでは無いか。」

 文子の今までの行いは、安穂に対して総て一種の偽りに均しいけれど、愛の外に余念も無い二人の中なのに、まさかこの様に攻められる筈は無く、たとえ一旦は攻められるにしても、直ちにその心は解けるに違いないと思って居たので、

 「何も深く企(たく)らんで貴方を欺いたなどと、それほどの偽りはーー。」
 安「言うな。言うな。私が生まれた子は何したと聞いた時、生まれて間も無く死んで仕舞ったと答えたでは無いか。その返事を聞いた時の、私の落胆は、そうさ親として親だけの情の無い和女(そなた)には分からないだろうがーーー。」

 文子は半ば驚き半ば恐れる様子で安穂を眺め、
 「その返事が偽りとは何して貴方にーー。」
 安「オオ、分かる筈が有る。私は自分でその子が生きて居るのを見出した。」
 文「エ、エ、それでは貴方」

 「アノ水車屋が和女(そなた)が子を捨てた所サ。他人の財産に目が眩(くら)み、それが為め現在の我が子を捨て、夫ある身を処女と見せ、人の家に入り込むとは、私の心から見れば、人心では無い、鬼心だ。今はその鬼心が当たり、富淵金造が死亡してその財産が手に入ったと見えるな。そうで無ければ、幾等昔の住居が恋しいと言って、金造翁の許を離れ、この家へ帰って来る様な、人情の有る和女(そなた)では無い。」

 文「イエ、イエ、未だ金造翁は死にません。ハイ私は何の財産をも受け継ぎません。目的とした財産も得ず、そうして貴方の愛は失い、今は昔よりも更に貧しい。更に頼り無い身の上です。」
 安「フム金造翁が死なないのに、その許(もと)を立ち去ったとは、それも矢張り偽りだろう。それが若し偽りで無ければ、余程考えが変わったと見える。」

 殆ど嘲(あざけ)る様に言えば、
 文「イエ私は、財産に目が眩(くらん)だと言われようが、金造翁の死ぬ迄は何うしても、その傍を放れない積りで堅く決心して居ました。それでも翁が余り我が儘(まま)ばかり言いますので、居るにも居られない事と為り、今までの辛苦も全く水の泡と成った者と、何も彼も断念して立ち去りました。」

と言って、彼の昼栗長三と婚礼を強いられて、如何とも仕方が無い次第まで語ると、安穂は少しの憐みをも催さず、
 「それは誰の所為(せい)でも無い。自分の心柄から招いた天罰と言う者だ。」
と非常に無慈悲に言い渡した。

 実に安穂は妻として夫を捨てた文子の罪は、まだ或いは恕(ゆる)すことが出来たとしても、母として子を捨てた罪は到底許すことが出来ないと堅く心に決めて居るのだ。此の場の言い争いは、どのように治まることだろう。

 第三十八回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

    第三十九回 子供にだけは合わせて

 文子は何と嘲(ののし)られても弁解する力は無かった。何も彼も我が過ちと諦めて、また誰をも恨みはしなかったが、唯だ情け無いのは、安穂の愛が全く衰えて消え尽くした一事である。金造翁の財産に目が眩(くら)んだのも、安穂の許(もと)を立ち去ったのも、自分の一身の欲からでは無くて、安穂と共にこの世を安楽に送ろうとの心から出た者て、再び安穂に愛される事があるに違いないと思えばこそ、辛い艱難をも辛いとせずに耐えて居たのに、今安穂に見限られては、何もこの先の見込みは無く、翁の財産を失ったことよりもっと惜しい気がするので、安穂の言葉、安穂の振舞いのどちらかに、一点でも愛情の残っている節は無いかと、安穂の様子ばかり見詰めていたが、悲しいかな、安穂の有様は昔し夫婦であった事をすら忘れてしまったようだ。

 愛情の既に枯れ尽くした心の中に、再びその情を呼び起こす見込みは無い。この様に見て取ると同時に張り詰めていた文子の心は忽ち弛み、最早や何を目的(めあて)にし、何を楽しみにしてこの世を生きて行ったら良いだろうかと言う様に、全く気落ちして再び長椅子に沈んだが、安穂は之をも憐れまず、更に厳重な言葉で、

 「和女(そなた)は何でアノ児を死んだなどと私を欺いた。」
 殆ど詰問する様子である。
 文「ハイ再び貴方の許へ帰る時、アノ児を土産に連れて来れば、貴方の心も弛むだろうと思い、それゆえ何時までも此の児の居所を隠して置く積りでした。生きて居ると言えば、貴方が飽くまでも問い詰ますので、それで仕方が無く、死んだと答えました。

 安「それが為に私が世を去り度いと思うほど絶望するのも構わなかったのか。尤(もっと)も子を捨てる程の意地悪な女だから、それくらいの偽りは何でも無かろう。」
と独り言の様に言った。文子は愛せられるのが当たり前と思う夫に、この様に見下げられる辛さに我慢がならず、又長椅子から立ち上がって、

 「何と言われても致し方は有りませんが、その時の私の有様を察して下さい。私がアノ水車場へ行った時は、二日の間食い物も食わず、乳は出ず、二晩は木の陰に寝て身も疲れ、可哀想に小児は衰えて泣く声さえ聞こえない程でした。親子ともに飢え死ぬ許りの境涯でしたので、切めては児だけも助け度いと、情けある人に預けました。

 捨てたと言えば捨てた様な者の、それより外に助ける道が無い為です。貴方が毎日職業を求めるのを見ては、妻の身として知らない顔で居られませず、何うかして貴方の苦労を助ける好い工夫は無いだろうかと、心を砕いて居たその時に、印度から伯父が帰り、私を呼んで居るとの知らせが参りましたので、その財産を受け継ぐのが夫を助ける道かと思い、様々に考えた末、貴方を欺いて此の家を立ち去りました。

 今と為って何を言っても皆偽りに当たりますが、それも是も皆私の足りない心から出た過ちです。モシ貴方、許すと唯一言仰って下さいまし。何も悪気で犯した罪では有りません。貴方、貴方。」
と搔き口説き、安穂に縋(すが)り附くその手先に一点力も無く、安穂の胸に添いたまま、唯だ戦々(わなわな)と震えるばかり。

 安穂はまだ木石の様に厳かに控えて居たが、文子の言葉よりも、その震える手先が非常に弱い事に、心の底から一種の憐みを催して来た。宛(あたか)も木の葉が微かな風に揺(うごか)される様に動き出し、

 「フム、過ちは過ちで、自ら悔えれば罪さえも消えると言うから、和女(そなた)の過ちだけは許して遣る。併し夫婦は愛情で持てた者、私の心にはもう愛の情は消えたから、再び元の通り夫婦と為る事は出来ない。若し和女が富淵金造の財産を相続して帰ったなら、それこそ口も利かない積りで居たが、唯だ翁の財産を思い切ったと言う丈に、此の上深くは咎めまい。」

 文子はまだ安穂の胸に泣き伏したまま、
 「ハイ、罪をさえ許して下されば、更に其上に心の腐った私しを、元の通りの妻にしてとは申されませんが、唯だ一生のお願いは、何うか太郎の母として、アノ子の成長した顔を見せて下さいまし。一度アノ子を抱き上げれば、何も此の世に望みとては有りません。アノ子もきっと此の様な意地悪な母を、母とは思いますまいけれど、アノ子に逢わなければ。」
と、言い掛けて涙に咽び、又一語をも発する事が出来なかった。

 その言葉の様子と言い、気合(けあい)と言い、何だか此の世を去ろうと決心した様に見えるので、安穂は眼を張って、
 「文子、和女(そなた)は死ぬ気か。」
 文「イイエ、その様な気では有りませんが、四年の間、力に余る心配を押し隠し、金造翁の許で辛い思いを仕た為に、もう根気も尽き果てて仕舞い、身体も日々に衰える許りです。ハイもう長い事は有りません。アノ児の成長した顔を見れば、それ切りで寿命も尽きるだろうと思います。」

と、言う声さえも痩せ細って聞こえるので、安穂は心配になり、その顔を差し覘くと、先程まで窓に残って居た夕日の影も、今は全く隠れ尽くし、充分には見えないので、燐寸(まっち)を出して有り合わせの硝燈(ランプ)に火を点(とも)し、更に文子の姿を見ると、真にその自ら言うように、四年、五年の辛苦の痕は、それと無く顔に刻まれ、青い中にも艶やかである。

 色は褪めて、宛も死期が近い人の様で、肉も落ち眼も凹(窪)み、美人と言われた面影は無く、浮世の憂いに晒されて、影が薄く萎(しぼ)んで憐れな様を残すだけ。アア艱難辛苦はこれほどまでに早く、人の青春を奪うものかと安穂は何とは無しに憐れを覚えた。

第三十九回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

   第四十回 憐みが湧く安穂

 衰え果てた文子の姿を見ては、安穂も憐みの情が湧き上がり、今まで厳かに構えていた心も弛み、
 「和女(そなた)は先(ま)ア、少し見ぬ間にー。」
 文「ハイ変わり果てた此の姿と為りました。もう今までの様に貴方に愛せられる事も出来ないので、一目アノ子の顔を見たら、早やこの世を去る方が、結局私の身に取っては幸いです。」
と一切の望みを断ち、何事をも諦めたこの言葉を聞いては、憐れさ余って又一種の愛と為り、安穂は初めて文子の手を取り、

 「オオ可哀想に、良く考えれば和女(そなた)が私を捨てたのも、満更ら不実から出た事でも無く、私の後々の事を思う爲だ。元を言えば、私が余り貧苦に沈み過ぎたのが悪かった。翁の汚れた財産を思い切りさえすれば、元の通り妻にして遣る。」
と漸く心を打ち明けたけれど、まだ自分が田守荘の主人と為り、再び貧苦を恐れるには及ばない境遇に成った事は言わない。

 文子は唯是だけの言葉に、身に余る嬉しさを包み隠すことも出来ず、
 「本当ですか、安穂さん。本当に元の通り私を妻にして下さるのですか。」
 安「そうサ。和女が元の通り私と貧苦を共にする心があればー。」

 文「その心が有ればこそ、何も彼も断念して、翁の許から逃げ帰ったのです。自分の身に備わらない富貴の中に暮らすより、身に備わった貧しい生涯が、何れほど気楽か知れません。ハイ私は本当に思い知りました。貴方が元の通りにさえ思って下されば、私はそれを張り合いに、衰えた身も養生して元気になり、更にこの世に存(ながら)えます。

 そうして再び内教師の口を求め、奉公して貴方の手助けを致します。金造翁の許に居る間も、萬一の時はと思う爲め、自分の身の教育だけは怠らずに修めました。今でも内教師は充分に勤まります。」
と早や幾分の元気を回復し、気も大いに引き立った様にく語ったので、安穂も最早や文子の性根が全く入れ替ったのを知り、

 「イヤそれ等の事は追々に相談する事として、先ず聞き度いのは、和女が何してウエンチスルの田舎へ行き、アノ児を生んだ。」
と問い掛けるに、文子はその時の苦労を思い出すのさえ恐ろしい有様で、暫し目を閉じ首を垂れた末、

 「申せば長い事ですが、貴方から欺く様にして受け取ったあの十ポンドの金で、町はずれの職人の家の一間を借り、小児に着せる着物の用意やら、毛糸の編み物などをして日を送りますうち、追々に身も重く、お金も僅か二ポンドほどに成りました。尤(もっと)もその時までも、唯だ倹約第一に日々の食物もパンと野菜の外は食べず、無駄には一銭も使わない様にして居ましたけれど、その中に身体も弱り、その家の奥さんが見るに見兼ねて、一切れ、二切れの肉などを恵んで呉れることも有りましたが、三月めの初めには、愈々(いよい)よ出産の時も近づいた様な気が致しました。

 若しこの他人ばかりの中で、少しお産が重くでも有ったら何しよう。切(せ)めて一人は日頃から知り合った親切な人が居て呉れたならと、心細さに気も鬱(ふさ)ぎ、果ては一日もその家に居るのが恐ろしく成りました。色々と考えますと、以前学校に居た頃に、姉妹(きょうだい)の様に親しくした友達が、ウエンチスルの田舎に居る事を思い出しました。

 その頃、互いに後々何の様な事が有っても、助け合うと約束し、学校を出て後も、暫(しばら)く手紙の遣り取りを致して居ましたので、この様な時にその女友達の所へ行き、訳を打ち明けて頼めば好いのでは無いかと、この様に思いまして、早速汽車に乗り、その土地迄行きましたが、ウエンチスルと言っても広い事で、尋ねては行き、行っては尋ね、四日掛かって漸くその家が、停車場から三十里も離れた所に在るのを探し当てました。

 四日掛かって探す中に、蓄えは一文も無しと為り、その家へ入って聞きますと、その女は既にこの国の北部へ嫁いだと言う事で、家には居ません。北部まで尋ねて行く事は思いも寄らず、それに私の身姿(みなり)の見苦しい為め、その家でも疑う様子で、永居する事も出来ず、この上はどのようにしたら好いかと途方に暮れてその家を出ましたが、間も無く空腹に往来へ倒れたのを、その土地の人に見出され、養育院へ入れられました。

 養育院へ入って二日目に、アノ児を生み、それから又三十日ほど経って、身体も少し回復したので、養育院でも置く事が出来ず、又居られもしない事と為りましたから、子を抱いてその所を立ち出でましたが、その時は一銭の旅費も無く、辛い想いで三日目にアノ水車場の有る所まで行きました。水車場の主人と娘が親切にして呉れなければ、どんな事に成って居たかと、今思い出しても身震いが致します。」

と話し終わろうとする折しも、外から無作法に戸を開き、この部屋へ押し入る男が有った。安穂は腹立たしそうに立って、
 「貴方は誰です。此の部屋は私共の借り切りですが。」
と咎めると、その人は驚かず、
 「この部屋に居るその女を捕縛に来ました。」
 安「エ、何と」

 其の人「イヤ赤城村で、富淵金造を殺して、逃げ去った嫌疑を以って。」
と言う。良く見れば捕吏の服を着けた全くの警官である。

第四十回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

   第四十一回 連れ戻された文子

 夫婦の心漸く解け、泣きつ語りつする所へ、捕り手の役人が踏み込むとは殺風景の至りにして、安穂も文子も、容易に理解する事が出来ないほど打ち驚いたのは道理である。
 だが捕り手が、
 「富淵金造翁を殺した嫌疑で」
と叫んだその声は、はっきりと文子の耳に入ったので、文子は突(つ)と立ち、

 「貴方は先(ま)ア何を言いますか。金造翁は私が赤城村を立ち去る時、まだ生きて居ましたが。」
 捕「イヤ黙って捕縛されるのが宜しい。貴女がここで言う言葉は、却(かえ)って罪の証拠の中へ数えられます。」
 文子は狂乱の様子で夫に向かい、

 「アレ、此の人はアノ様な事を言ますよ、犯罪の証拠などと。私が何の犯罪を犯しましょう。安穂さん貴方は豈夫(よも)や此の人の言う事を、真実とは思わないでしょうね。」
 安穂は騒がず、
 「和女(そなた)が金造翁を殺すなどと、誰がその様な事を信じるものか。」
と言って文子を鎮め、更に捕吏に向かって、逮捕状の一見を請うた上で、

 「成る程、花添を捕縛すると言う正式な逮捕状には違い無い。しかしここに居る婦人は花添文子では有りません。田守文子です。」
 捕吏「何うせ殺人の嫌疑を受ける程の女だから、偽名は幾個も持って居ましょう。名前は何うでも確かにその女です。ハイ我々は赤城村で幾度も顔を見て知っています。どうしても理屈を唱えれば、縄をかけます。」
と言い、早や恐ろしい手錠の様な者を取り出したので、安穂もやむを得ず、

 「イヤ命令に抵抗は致しませんが、文子は病気中ですから」
 捕吏「病気中でも、赤城村からここまで逃げて来る力が有れば、ここから赤城村まで帰る力が、無いはずは有りません。外には馬車を待たせて有ります。馬車で停車場まで行き、汽車に乗り替え、クランプストンから又馬車に乗り替えます。如何(どれ)ほどの病人でも構いません。」

 文子は手錠の音を聞き、安穂に確(しか)と縋(すが)り附いて、
 「何(ど)うしましょう。何しましょう。」
と震えるばかり。
 安「和女が旅に耐えられるなら行くより外に仕方が無い。ナニ恐れるには及ばないよ。私も一緒に就いて行くから。」

 文「でも貴方は私が真にその様な罪を犯したとはーーー。」
 安「何で思う者か。何かの間違いと思えばこそ一緒に行くのだ。何も心配する事は無い。」
と言い早や共に行く支度をすると、文子も大いに力を得、夫が我が身の罪無きを信じる上は、何所へ行こうが厭(いと)わないと決心した様に、今は悪怯(わるび)れもせず、捕吏に向かい、

 「金造翁は何時死にましたか。」
 捕「貴方が立ち去った朝、既に死んで居たのです。」
 文「病死では有りませんか。」
 捕「ナニ青酸で毒殺されたのです。」
 この言葉には又驚き、
 文「エ、青酸ですか。青酸は私が持って居ましたが。」
と言い、初めて我が身に掛かる疑いが、容易には解く事が出来ないかも知れないと思ったが仕方が無い。

 やがて安穂と共に捕り手の待たせて有る馬車に乗り、停車場に着いて、クランプストンまでの夜汽車に乗り移ったが、汽車の中で様々に考えて見るに、誰かが私が立ち去った後で、私が残した青酸を、翁に呑ませたのに相違なく、之を為した者は、或いは彼の昼栗長三では無いだろうかなどと、疑念ばかり胸に徘徊したが、だからと言って、昼栗が翁を殺さなければならない謂(いわ)れも無いので、彼を疑わなければならない形跡も無い。

 何も彼も運の尽きに違いないと断念(あきら)めていると、夫安穂も捕吏から様々な事を聞き集め、心の中に一通りの思案は定めたけれど、勿論捕吏と同席して居て、この様な事を口に出すわけにも行かないので、唯だ胸に畳んで居たが、その中に追々夜が明けるに従い、汽車の窓から射す朝日が真正面に文子の顔を照らすのを見ると、実に文子は、四年五年の苦労で、全く女盛りの顔色を失っていて、頬も落ち眼も窪んで、美人と言われた昔の面影は無く、実に見る影も無い有様であった。

 再び文子を愛することは出来ないと言い切った安穂も、この有様を見ては、唯だ何とも言いようが無く、痛わしさに耐えられなかった。如何にしてもその罪を言い開き、再び我が妻としなければ、後々まで我が心の安きを得る事は出来ないとまで思い詰るに至ったったので、更に深く深く考えて、汽車がクランプストンに着くと同時に、直ちに有名なロンドンの弁護士、何某に電報を出し、至急に赤城村まで来て呉れと言って遣ったが、田舎の事なので、文子が捕縛された事は、既に捕り手からの電報で、口から口に伝わったと見え、出て来て見る人は道の両側に立ち塞がり、憐れんで呟(つぶや)く人も有れば罵(ののし)る人も有り。

 中でも文子と共に安穂が座して居るのを見て、更に疑いに枝葉を附け、是がきっと情夫であって、犯罪の夜、此の地へ文子を迎えに来て、共々にロンドンに隠れて居たのだろうと言う者は最も多い。文子は是等の言葉を聞くと、寧(いっ)そ早く牢に入れられ、何人にも顔を見られない様にしたいと、今まで恐れていた牢の中を、却(かえ)って慕う程の心地と為り、首を垂れて馬車の進むのに任せるうち、漸く馬車は村の最も奥まった所に在る、監獄の前に着いた。

第四十一回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

第四十二回 収監された文子
    
 文子は監獄の門を入って馬車からり下り、夫、安穂の手に縋(すが)って、捕吏の導く儘(まま)に、厳めしい石の廊下を奥深く進んで行き、漸く牢の入口に達すると、ここに控えていた一人の役人は、この村の警察の長官にして、前から文子とは両三度、宴会などで逢った事も有り、又此度の金造翁毒殺事件には、初めから深く関係する人なので、文子の顔を見て、非常に気の毒そうに会釈したが、次には安穂の姿を見て、怪しくて仕方がないと言う様に、
 「貴方は何方(どなた)です。」
と問うた。

 安穂は文子の夫であることを答えて、名刺を出すと、長官は非常に驚いて、
 「それでは夫の有る身でその事を押し隠し、世間へ令嬢と見せて居たのですネ」
と言い、心の中に益々文子を疑う念を深くした様子で有ったので、安穂は之の疑いを解かなければならないと思い、

 「ハイそれには止むを得ない事情が有ったのです。翁の家と私の家筋は敵同士の様な間柄で、文子が田守安穂の妻と名乗れば、老い先短い一人の伯父を、立腹させる許りですので、唯だ伯父の心を休める爲め、田守安穂の妻と言う事を隠して居ました。」
と非常に軽く説明したけれど、長官は、

 「ナニ翁の気を休める計りの為では無く、翁の財産を受け継ごうとする為に、その身分を偽って居たのだ。その偽りが露見し掛け、無理に昼栗と婚礼を強いられる様に成ったから、それで止むを得ず翁を殺したのだ。」
と心の中で呟(つぶや)いたようであった。

 やがて文子は牢の中に入れられたが、牢とは言えど実は嫌疑がどちらともはっきり定まって居ない人を入れて置く所なので、それほど不潔でも、厳重でもなかった。それに幾分か身分の有る被嫌疑人なので、最も上等の室を選んだと見え、新たらしい白布で包んだ寝台なども有る。

 長官は敢えて安穂を追い払おうともせず、随意に文子と口をきかせ、更に自分も傍に居て様々な話を初めたので、安穂はこの様な間にも、文子の罪の無い事を証明する為め、諸種の材料を集めようとの思いもあるので、長官に向かって、

 「ですが翁が死んで、最も利益の得るのは誰でしょう。果たして文子でしょうか。」
と問うと、長官はこの問いをも寧ろ欲心から出た者と思い、
 「此奴まで翁の財産に目を附けて居るのか。」
と言う様に安穂を眺め、

 「そうですね、翁が死んだ爲に損害を受ける者は大勢ありますが、利益を得る者は恐らく一人も居ないでしょう。」
 安穂は充分に理解する事が出来ず、
 「それで、翁の相続人は誰ですか。遺言状を未だ開きませんか。」
 長「遺言状は開きましたが、翁には相続人は有りません。第一相続させる様な財産が有りません。」

 安「エ、何と仰(おっしゃ)る。」
 安穂が益々怪しんで問うのに答え、長官は徐(おもむろ)に遺言状の意味を説き、翁が一文の財産をも残さず、唯借金をのみを残したので、翁と取引したこの土地の商人は、皆、多少の損害を蒙らなければならないと言い、最後に、

 「翁の唯一つの頼みは、文子さんに在ったのです。自分の信用が落ちない前に、何うにかして文子さんに金満の婿夫を持たせ、その婿の財産で、自分の破産を逃れようと企(たくら)んで居ました。」

 さては、翁が幾度も文子に婚礼の事を勧めたのはその爲だったのか。翁が品物を商人から後払いで買うには余り躊躇しなかったが、現金で買うとなると、唯だの一ポンドの金を出だすのにも、非常に惜しそうに見えたのも、是が爲だったのかと知った。

 そうすると文子は、翁の財産を継こうとして、却(かえ)って翁が財産を作る為の道具として使われて居たのだ。文子はこの様に思って、数年来の我が過ちが一時に分り、悲しさと後悔に打ちひしがれた。昨夜捕吏から初めて翁が毒殺された事を聞いてから、今が今まで翁の死を悲しまないでは無かったが、自ら罪の覚えが無い丈け、此の嫌疑が解ける事があるのを信じ、嫌疑さえ解ければ必ず翁の財産は我物になると、大いに心強く思って居たのに、たとえ嫌疑は解けても、翁に一文の財産も無く、唯だ借金のみを残したとは、何と言う事だろう。

 四年五年の我が辛抱は、実に影を掴むような者であったと、悔しさと腹立たしさに、言うべき言葉も無い。それで稍々(やや)あって、長官が立ち去った後に、夫、安穂の前に泣き伏し、

 「本当に私の様な愚かな女は有りません。四年も五年も翁の傍に居る中に、それくらいの事は分かる筈で有りますのに、唯だ欲に目が眩(くら)んだ爲め、翁をこの上も無い金持ちだと思い、貴方の言葉も聞かずに、何の報いも無い艱難辛苦をして居ましたと、恨み叫ぶのも無理もない。

第四十二回 終わり

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    第四十三回 稗村弁護士

 是から安穂は文子を牢に残して置き、自分はこの村の宿屋に投じ、先ず文子の嫌疑を解くに足るべき証拠を捜そうと、やがて文子の伯父花村露伯の許を尋ねて行くと、露伯も文子の妹二人も唯だ文子に、この様な夫が有ったのを怪しむばかりであった。

 別に文子の嫌疑を弁解するに足るほどの事柄は、一つも知らなかったので、安穂は全く落胆し、この外に訪ねる所も無かったので、とりあえず彼の富淵金造翁が住んで居た家に行き、その執事にでも逢って見ようかと思い、翁の家の門前まで来ると、この時翁の家から出て来る一紳士が有った。

 年四十前後にして、非常に真面目な黒服を着ていたが、安穂の顔を見るやいなや、用がありそうに寄って来て、
 「貴方は田守安穂さんですか。」
と言う。安穂は知らない人から、この様に言われる怪しさに、直ぐには返事をする事をためらい、唯だその人の顔を見詰めて立って居ると、その人は遠慮も無く語を継いで、

 「何うも貴方の物思わしそうに鬱(ふさ)いで居る様子から、田守安穂君に相違無いと思いました。私は貴方が電報を以て呼び寄せた、ロンドンの弁護士の代人です。」
と言い、差し出す名刺を見ると、弁護士稗村何某と記してある。成る程稗村とは新聞などで屡々(しばしば)見受けた名前なので、我が頼んだ弁護士が自分の代わりに寄越したのだろうとは思ったが、それにしても今日昼頃にクランプストンの停車場から電報を発し、汽車で来るにしても、一日は掛かるはずの旅路を、僅か数時間で来たのが怪しいので、

 「貴方は何(どう)してこんなに早く来られました。」
と問うと、
 稗「実は先日来、この隣村へ出張して居たのです。そうすると貴方の親しいロンドンの弁護士から先刻電報が参り、自分が行くべき所だけれど、用事の為行かれないから直ぐに赤城村に行き、田守安穂君の為めに骨を折って呉れと言って来ました。

 幸ひ私は隣村で用事が住み、ロンドンへ帰ろうと思って居た所ですので、帰るのを廃(よ)してこの村へ参ったのです。」
と言い、更にその電報をまで示したので、疑いは初めて解け、更にその人柄の中々捷(はしこ)く見えるのを見ては、盲者が杖を得た思いが有り、何よりも頼もしかったので、
「それは実に有難い訳ですが、それにしても何故貴方は金造翁の家などへ」

 稗「イヤ先刻この村の宿へ着き、聞きますと丁度貴方と同じ宿で、花添文子の噂も有り、文子の夫だと言って、田守安穂と言う人が文子と一緒に来たなどと言いますから、さては貴方の用事は、毒殺の嫌疑に付いて、文子を弁護するのに在る事と見て取り、幸いこの村で未だ弁護士と言う事が知られて居ないので、少し調査などして置こうと思い、それでお庭拝見と言う口実でこの家へ入り込んだのです。」

 聞けば聞くほど機敏な働きに、安穂の感心は一方ならず、
 「それでこの家で何か材料を得ましたか。」
 稗「ハイ直接の証拠は何も得ませんが、大いに参考の材料を得て、私の今までの疑いを幾分か確かめました。」
 安「エ、今までの疑いとは。」

 稗「そうですね、先刻宿でこの事件の大体を聞いた時に、さてはこの人とこの人に目を附けるべきだと見当だけは付けましたが、その見当が益々当たり相な事を見出だしたのです。」
 安「この人とは誰です。」
 稗「イヤ追々分かりますが、差し当たり貴方に申して置き度いのは、金造翁の家に、栃原方助と言う執事が居ます。貴方は何うか明日から、それと無くこの男の挙動を見張って下さい。」

 何の理由かは知らないけれど、兎に角文子を弁護する目的から出たのは確かなので、安穂は充分に呑み込んで、是から連れ立って宿に帰ると、宿の主人は第一に一個の電報を持って出迎え、

 「是が貴方へ参って居ます。」
と言って安穂に渡したので、開いて見ると、ロンドンの弁護士から、自分は差し支えるので、幸い隣村に出張して居る、稗村と言う我と同組合の弁護士を廻すので、充分信用して是に委託し呉れとの事を記して有った。是で稗村の身分が益々確かなので、愈々(いよいよ)安心して、先ず二階へ登って行こうとすると、稗村は安穂の手を引き、

 「少しこちらへ来て御覧なさい。」
と言う。安穂は引かれる儘(まま)に従って行くと、この宿に設けてある玉突き室まで誘って行き、中に二人の紳士が玉突きの勝負を争いつつ有る様を安穂に覗かせ、更に囁(ささや)いて、
 「アノ今玉を突いて居る背(せい)の高い紳士が昼栗長三と言うのです。それから棒を持って立って居るアノ低い男は、私が連れて来た書記生です。若し昼栗を逃がしては成らないため、アノ通り書記生を昼栗へ附けて有るのです。」

 安穂はこの稗村の注意は、何所まで行き届いているのだろうかと感心し、それと共に稗村が注意するべき二人と言うのは、金造翁の執事栃原方助とこの昼栗との二人である事をも知った。

第四十三回 終わり

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    第四十四回 昼栗の証言

 翌日は実に是れ文子が審問廷に引き出され、吟味を受ける当日である。それで彼の田守安穂は朝の間に稗村弁護士を同道して牢屋に行き、弁護士と文子の間に十分な打ち合わせをさせたが、その中に審問廷が開かれる時間と為り、文子へ呼び出しが来たので、安穂と弁護士と付き添って出廷した。

 この日取り調べを受けたのは文子一人では無い。第一に文子の末の妹敏子、先に文子が伯父の薬局から毒薬を持って行った時の有様を問われて、有のままに話して終わり、さらに、
 「その方は文子が阿片丁幾(チンキ)と言って、その実毒薬を取って去ったのを疑い、姉が何の為に毒薬を使うと推量したか。」
と問われ、

 「ハイ姉(ねへ)さんは厭な婚礼を無理に強いられたり、色々辛い事ばかり故、まさかの時にはその毒薬を呑んで死ぬ積りだろうと思いました。」
と答えたが、この言葉は実に少女の婀娜(あどけ)ない心を以って言い切った事と言い、それが文子の切迫詰(せっぱつま)った当時の事情をも言い尽くした者なので、深く審問官を初め陪審員の心に入り、文子は人を殺す意で毒薬を用意したものでは無くて、唯己れが身を処する丈の考えから毒薬を持って行ったとの念を起させるものだった。

 是だけは先づ文子の為に利益ある証言なので、並んで聞いた田守安穂も、今までこの敏子を、口ばかり賢い少女と思って憎んで居たのにも似ず、手を合わせて拝み度い程の心地がした。この次には金造翁の執事である栃原方助が調べられたが、彼は前の審問の時と同じく、深く酒に酔い、充分には証言も出来ない程だったので、非常に叱られて退けられた。

 次に文子の順番とは為ったが、文子は既に弁護士から指図せられた事も有るので、自分が翁に向かい、夫ある事を推し隠したのは、唯だ翁が昔から非常に夫の家筋を憎んでいた爲め、老先短い翁の心を痛めないようにとの用心なであったとの旨を述べ、更に何故夫の敵も同然な翁の家へ、夫に分かれてまで入り込んだのかとの問いに答えて、それは亡き母が、呉々(くれぐれ)も翁を大切にせよと遺言した爲であると言った。

 それで、文子が田守の妻だと言っては、到底翁の傍に置かれない事情と第二に文子が母の懇々と遺言した有様を、此の土地の古老達が知っている通りに述べ立てた。是も大いに文子の疑いを軽くする効き目が有るように見えたので、続いて文子は自分が色々に婚礼を迫られて、止む無く逃げ去る事に決心し、若し逃げ去る事が出来ない時は、自殺するだけだと、萬一の用意に毒薬をまで取って来たのだと述べ終わると、今まで文子の外に翁を殺す者無しとまで人々に思い詰められた事情も、何となく不充分に思われ、若しや他の人が文子のその毒薬を取って、翁を殺したのではないかとの疑いが、朧(おぼろ)ながらに人々の胸に浮かんで来る事とは成った。

審問官もその心に成ったと見え、
 「だがその方が毒薬を隠して持って居た事を、誰か外に知って居た人が有るか。」
 文子は暫し考へて、
 「ハイ一人は確かに有ります。」
 審「それは誰だ」
 文「昼栗長三と言う人です。」
 審「フム昼栗長三が何して知って居た。その次第を述べよ。」

 是ばかりは文子も言いだし憎い事情が有るかのように躊躇(ためら)ったが、再三押し問われて、
 「実は」
と言って彼の昼栗が婚礼の許しを得に来て、強いて文子に接吻しようとし、殆ど手籠めにも合わせる有様だったので、文子が仕方無く毒薬の瓶を取り出だし、一歩(ひとあし)でも我が傍に寄ったなら、直ちに之を呑んで自殺すると告げた顛末を述べ立てた。

 今まで何人にも深く感心された昼栗であるが、この申し立てに由り、其の身の信用が二、三段も落ちたように見受けられた。
 審問官は更に
 「昼栗の外には其方が毒薬を持って居た事を知って居た者は無いか。」
 文「私は同人の外は誰にも見せた事ハ有りません。」
 是で彼の毒薬を用いたのは、文子か左無くば昼栗か両人の中の一人と言う所まで押し寄せた。

 しかしながら悲しいかな、文子には金造翁を殺す為の事情が充分に有って、昼栗にはその事情が少しも無い。
 次に審問官は昼栗を尋問したが、彼れは見事に言い開いた。先ず昼栗自身が、今までに覚えも無いほど深く文子を愛した心の中を打ち明け、

 「私しのみならず、この近辺の年少紳士が、どなたも一目見て愛した程の美人を、私が幾日も同じ家に住む間に、ツイ愛し始めたことが無理でしょうか。それも初めを言えば、決して私が向こふ見ずに愛し始めたのでは有りません。金造翁に勧められました。翁が汝と文子を夫婦にすれば己も安心して死なれるから、何うか文子を妻に仕て呉れ、文子の方は己(俺)が何とでも納得させるからと言いました。

 私は此の言葉に励まされ、さてはアレ程の美人を我が妻にする事が出来るのかと思うと、唯だ無上に嬉しく、お恥ずかしい次第ですが、前後夢中の有様で接吻も求めました。ハイその時に文子が劇薬を持って居る事も知りました。その時は私も聊(いささ)か絶望し、翁に向かって嘆きました所、翁がナニその心配には及ばない。文子の心は明朝必ず俺が和らげて遣ると言いました。

 何うして柔らげるかは知りませんが、易々と引き受ける所を見れば必ず和らげる工夫が有るのに相違有りませんから、私は大いに喜び、早く夜が明けて、早く翁が文子を宥(なだ)めて呉れれば好いと、唯だ翁を許かり頼りに致して居ました所ろ、夜が明けて見れば、翁は、死んで、居、ま、し、た。」
と末は涙に咽んて切れ切れに言い立てた其の事情は、実に憐れむほかはなかったので、僅かに昼栗に掛かろうとした疑いは忽ち消え、更に輪を掛けて千斤よりも重く文子の身に復(かえ)って来た。

 如何に熟錬の弁護士で有っても、最早や一分も文子に掛かる疑いを軽くすることは出来そうもない。

第四十四回 終わり

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    第四十五回 追い込む稗村弁護士

 たとえ昼栗長三の身に如何ほど疑わしいところが有るにしろ、彼のこの証言は一切の疑いを掻き消した。彼れは実に金造翁の力で文子を納得させようとしていたので、唯だ翁をのみを頼みに思って居たのだから、彼れの手で翁を殺そうなどと言う事が有ろう筈が無い。翁を殺した者は文子の外に有る筈がないと、審問官初め満廷の人々はこの様に思い詰める事とは成った。

 安穂も今までの見込みに引き替え、最早や文子の逃れられる道は無いだろうと只管(ひたすら)に絶望していると、稗村弁護士は非常に荘重な面持ちで立ち上がり、審問官の許しを得て、彼の昼栗に打ち向かい、
 「少しお尋ね申しますが、金造翁はいつも寝て居る自分の寝室で死にましたか。」
 是れは問う迄も無く、分かり切った事柄なので、昼栗は何の考えも無く、
 「ハイ寝室で死んだのです。」
と答えた。

 弁護士は畳み掛けて、
 「翁の寝室と貴方の寝室は隣合って居て、貴方は夜の何時でも人知れず翁の部屋へ入り込む事が出来ますね。」
と、何うやら疑わしき語調を以て問い掛けるのに、昼栗は今までの様子に似ず、さては油断し難い強敵が現れたと見てか、宛(あたか)も訴えるように審問官に向かい、
 「此の人は何方(どなた)でしょう。この様に私に問う権利を持って居ましょうか。」

 審「ハイ、それは被嫌疑者の弁護人ですから、どの証人にでも問う丈の権利を持って居ます。」
 昼「それでは此の人の問に私が返事をしなければ成らないでしょうか。」
 審「無論です。此の事件に関した事柄ならば何でも返事をしなければ成りません。」
 昼栗は最早や逃げ道は無く、

 「それでは返事致しましょう。ハイ、私しの寝室と翁の寝室とは隣合って居ますけれども、人知れず翁の部屋へ入り込む事が出来るかとのお尋ねは、何の意味だか分かりません。私が寝室へ入り込むには、先ず廊下へ出て、翁の寝室の正面へ廻り、そうして入り込む順序ですから、若しその時に廊下に誰も居なければ人知れずに入り込まれましょう。若し又人が居れば人知れずに入り込まれません。是は誰の部屋から誰の部屋へ行くのでも同じ事です。人に知れると知れ無いのは其の時の事情に依ります。」
と彼の今までの涙を帯びた口調には似ず、三百代言の詭弁とも言う様な有様で証言した。

 流石の稗村弁護士も、是には言いくるめられたかと思いの外、彼は非常に静かに、
 「イエ私が人知れずと問うたのは、その様な事では有りません。」
と言いつつ、鉛筆で書いた略図の様な者を取り出して、昼栗と審問官とへ等分に示しつつ、

 「此の図でも分かります通り、貴方の寝室と翁の寝室との間には、厚い壁が有って充分の隔てと為って居ますけれど、その壁には潜り戸が有ります。此の戸を潜れば、廊下に幾人の人が居ようが、その人の目に触れずに翁の寝室へ入り込まれます。私が人知れずとはここの事を言うのです。」

 如何にも翁の寝室は、家の主人である者が用いるための作りになっていて、その隣である昼栗の寝室は、その妻君の寝る所に充てて作った者なので、廊下へは出ずに壁を潜って行き通うことが出来る様に成っている。昼栗は驚いて、否寧ろ腹立たしそうに、

 「成るほど潜り戸は有りましょう。併し私はその戸から出入りした事は有りません。ハイ若し翁の寝室へ行く用事が有れば必ず廊下を廻ります。」
 稍々(やや)拙(つたな)い言い分なれど、稗村は押しては問わず、更に他の事に移り、
 「もう一つ伺い度いのは、翁の死ぬ前夜に、貴方は翁の枕元に立ち、翁と財政上の話を成さったでしょう。」
 是れ暗に翁が昼栗に向かい、十萬圓の金を渡さなければ、文子と婚礼させないと言ったのを指す者に違いない。稗村は如何にしてこの様な秘密を探ったのだろう。彼れは実はこの村に到着するや否や、書記生と両人で充分な調査を始め、前に記した様に、翁の家へも庭拝見と言って入り込みつつ、給仕の中の一人が、確かに翁と昼栗の間に前夜十萬万圓の話が有ったのを漏れ聞いたと言うのを小耳に挟み、更にその給仕に押し問いて実を得たものである。

 流石の昼栗も、稗村が益々急所を目掛けて攻め寄せるのには、その落ち着いた顔色をばかり粧(よそお)う事が出来なかった。何と無く不安気に様子が変わるのを何とか必死で押し隠し、

 「ハイ、翁と私は毎夜の様に財政上の話を致しますから。」
 稗「でもアノ晩は特別にいつもと変わる話が有ったでしょう。」
 昼「イエ、別にいつもと変わるほどの話は有りません。」
 稗村はこの事を争って、件(くだん)の給仕を証人に呼び出す丈の手続きは既に調べてある事なので、更に深く攻め入る事は容易(たやす)いけれど、故(わざ)と控えめに、

 「オヤそうですか。私は又翁の遺言にも、本年貴方から受け取る可き残金が、十萬圓有ると書いて有りましたから、或いは十萬圓の話でも成さったかと思いました。」
と言って止めた。しかしながら十萬圓の語は脛に傷有る昼栗に取っては、何気なく聞き流す事が出来ず、

 「ハイ私から翁に払うべき十萬圓の義務は有りますけれど、その後翁の台帳に夥(いちじる)しい遠算の有る事も分かり、今でハ僅かに一万圓足らず払えば済む事に成って居ます。それも今年の終りですから、未だ八カ月程の猶予が有ります。是等の件々は、翁の死後、今日でも帳簿及び書類が残って居ますから、充分に証明する事が出来ます。」
と言い切った。

 弁護人の問方には、まだ何となく物足りない様な所も無いわけでは無いが、それでも是だけで、
 「若しや昼栗長三がその負債を逃れようとして翁を殺したのではないか。」
との疑いを、暗暗の裏に一同へ起させることが出来たので、弁護士もそれ以上は問わない。是で此の日の審問は終わったが、その帰り道に稗村は安穂の問いに答え、

 「イヤ、余りひどく問い詰めてはいけないのです。未だ確かに彼が殺したと言う直接の証拠は上がって居ないので、彼れは何とでも言い抜けます。それよりはアレ丈の問で、彼れに不安の想いを起させて置けば、彼れは恐ろしく成って、必ず印度へ逃げ帰ろうと致します。その所を捕らえれば、彼の言い抜けが立たなく成りますから、今日問い詰めずに置くのは計略です。」
と言ったので、安穂も流石に玄人の考だけはあると密かに感心して頷(うな)ずいた。

 第四十五回 終わり
 

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  女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

    第四十六回 執事の夜逃げ

 審問が終った後、田守安穂は妻文子を牢の中まで送って行き、この次の審問には何か必ず新しい証拠を持ち出し、無罪放免になるようにするからなどと賺(すか)し慰め、夜の九時頃になって漸く分かれて帰ったが、その帰る道々も今日の審問を思い返すと、彼れ昼栗長三の言い開きは如何にも巧みであったが、流石稗村弁護士の問方は、更にその上を越し、昼栗の言い抜けをほとんど水の泡にし、審問官の心を、大方昼栗を疑う方に押し向けた。

 どのみち彼れが行った事には相違無く、彼れは金造翁から十万圓の金子を催促され、切迫詰まって翁を殺すに至ったことは、殆ど疑い無いけれども、唯だ直接の証拠を挙げることが出来ないことは残念だ。この上は何とかして次の審問の時までに、その証拠得なければならないと、唯だそればかりを思い続け、歩む足もはかどらず、漸くにして彼の金造翁が住んで居た、その家の前まで来ると、怪しいことに、その門前に一輌の田舎馬車があった。

 家の中から持ち出して来た荷物をば、弥(いや)が上にも積み重ねる有様は、宛(あたか)も誰かが転居しようとしているようだ。
 安穂は是を見て、すぐに、昨夜稗村弁護士が金造翁の執事、栃原方助の挙動に目を附けよと、呉れ呉れもこの安穂自身に忠告した事を思い出だしたので、この馬車と言い荷物と言い、万一栃原方助が夜逃げしようとする支度ではないだろうかと疑い、先ず馭者に向かって、この馬車は何処まで行く約束で雇われたのかを問うと、馭者はクランプストンの停車場までだと答えた。

 さては同所を通過する終列車に乗り込む心に違いない。昼間充分支度が出来るのに、わざわざ夜に入って終列車を選ぶ者は、夜逃げの外に有る筈なしと、更に進み入って、門番に逢い、数ペンスの銀貨を与えて、この馬車の雇主は誰かを問うと、執事栃原方助が、妻子を纏(まと)めてリバプールへ行く爲であると答えた。

 そうか、そうか、彼れは心に気が引けることがある爲め、次の審問の来ないうちに、夜に乗じて逃げ去るのだ。方助に目を附けよと注意した稗村の言付けは、ここであったと且つ喜び且つ感心し、更に言葉を重ねて、栃原方助の故郷はリバプールなのかと問うと、今まで何処とも聞いた事が無いけれど、先刻初めて彼れ自ら、同所を故郷だと言ったと言う。

 いよいよ以て間違いない。彼れは同所から船に乗り、米国へ出発する目的である。前から彼が物を言う所を聞いて居たが、言葉の訛りは決してリバプール近辺の人では無い。
 安穂は咄嗟の間に思案を定め、我れ一足彼より先に廻り、停車場に行って彼を待ち、彼と共に乗車して彼れを見張り、彼れの挙動に怪しい所が現われるのを伺えば、その時にこそ何か方法が見つかるはずだと、急いで翁の家の門前を立去り、我が宿に馳せ帰って、稗村弁護士に自分の考えを告げながら、その賛成を得た上で、自分も直ちに馬車を雇い、停車場へ馳せ附けたが、見れば栃原の馬車は未だ来ていない。

 是れ幸いと切符を買い、隅の方に身を潜めて待つと、終列車の将(まさ)に発せんとする頃に及び、栃原は妻の外に子供二人を引き連れ、息せき切って切符を買い、馬車の荷物を汽車に移し、妻子を引き立て、あわただしく下等室へと乗り込んだので、安穂も続いてその室に乗り込んだ。この停車場からリバプールの町迄は、素より短い距離では無い。途中で何度か乗り換えて、翌日の昼頃に漸くその町に着いたが、方助は第一に為替局に行き一千磅(ポンド)の金子をば受け取った。

 この時もまだ油断なく彼の後に従っていた田守安穂は、この金高まで見て取り心の中で計算してみると、薄給な執事の身が如何に倹約したからと言って、四年五年で千磅(ポンド)を残すことが出来る筈は無い。それに妻も有り子供二人も有る彼れの身にとって、この金子は益々怪しく、誰かが彼に口留めとして与えたのではないかとも思われるので、更にこの上に彼れの挙動を見て居ると、彼れは妻子と共に、但(と)ある飲食店に入り、食い物を注文するよりも前に、給仕に向かって先ず米国(アメリカ)行きの汽船は何時に出帆するかと尋ねた。

 彼がこの土地の人では無くて、出奔の為めこの土地に来たことは愈々(いよいよ)明らかである。次に彼は給仕から米国行きの汽船は今から三時間の中に発すると聞くと大いに喜ぶ様子で妻に向かい、
 「丁度好い所へ来た。食事が済み次第に、直ぐに乗船の切符を買わなければ。」
と言って又暫し考えて、

 「この子供二人は無賃で乗れるだろう。若し間違った所で半人前払えば好い。」
と言った。最早や一刻も猶予はならないと安穂は給仕に金を与えて別室を借り受け、突然栃原の前に身を現はして、
 「兎に角別室まで来て下さい。」
と彼れが怪しんで目を見開く間に、早や彼の手を取って否応言わさず別室の中に引き入れた。

 是から果たして如何しようと言う考えだろう。

 第四十六回 終わり
 

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    第四十七回 執事を説得する安穂

 栃原方助を別室に引き入れた田守安穂は、先ずその戸口で案内して来た給仕に向かい、小声で、
 「至急に巡査を呼んで来て、この戸口に立たせて置け。」
と命じると、給仕は、
 「アアあの人は貴方の金を持ち逃げして、アメリカへ出奔する所をここで貴方に捕まったのですネ。そうして貴方があの人を巡査に捕縛させて連れ帰るのですか。宜しいその様な事には最も慣れた巡査が居ますから、直ぐに呼んで来て逃げるにも逃げられない様、この戸口に立たせ置きます。」

と言い、独り合点して立ち去ると、後に残った安穂は方助と共にその部屋に籠り、自分が金造翁を殺した嫌疑人、花添文子の夫である事を述べ、続いて方助の怪しい挙動を一つ一つ数え上げ、この様な次第なので、汝方助は必ずこの事件に付いて、何事をか知って居るに相違無く、その知って居る事柄を、審問官に問われるのが恐ろしい爲め、他国へ逃げて行く者に相違無いだろうと詰問し、若し実状を明かさなければ、直ちに巡査に引き渡し、汝を法廷に引き出そうと、充分な決心を示して攻めつ脅(おど)しつ問詰めると、方助は素より気が小さい男なので、長くは言い争うことが出来ず、安穂の推量に違いないことを述べ、且つは自分がアメリカへ逃げようとするに至った次第を事細かに言い立てた。

 安穂はその言い立てを聞いてみると、我が妻文子に罪の無い事を証明するのに充分なので、早や文子を救う事が出来た様に喜び、更に方助に向かい、

 「お前が知って居る丈の事を、残らず審問廷に言い立てて呉れれば、文子が助かることは確実なので、我は必ず褒美として、お前の生涯の身の立つ様に、充分な資本を与えよう。だからアメリカ行きを止め、是から直ちに赤城村へ引き返し、この次の審問廷へ証人として出席して呉れと言うと、

 勿論知らないアメリカへ引っ越すのを好んで居るのでは無く、唯だ欲と恐そろしさの為に行く者なので、この地に居て十分な資本を与えられると聞いては忽(たちま)ちその心を翻(ひる)がえし、且つは知って居る丈の事を有体に申し立てるのは、心の重荷を卸すためで、更に恐る可き所無しと、懇(ねんご)ろに安穂の諭すのを聞き、其の臆病の性根も去り、更にあれこれと考えた末、再び赤城村へ引き返す事と為った。

 安穂は用心の為と思って停車場まで彼の巡査の付き添いを乞い、無事に方助の一行を汽車に乗せ、巡査へは然る可く礼を為し、翌日の夕刻に再び赤城村へ着いたが、実に方助は肝腎な証人なので、若し彼の昼栗長三へ、方助が此の次の審問廷に現はるる事を悟らせては、準備の裏を書かれる恐れも有るので、極めて秘密に方助親子を花添露伯の家に推し隠し、その上で宿に帰り、内々にて稗村弁護士に事の顛末を報ずると、弁護士も安穂の留守中に多少の材料を集めることが出来たと言って其の詳細を語り、猶も次の審問に応ずべき手筈を評議した。

 次の審問は即ち此の翌日で、朝の間より誰言うと無く、今日こそは意外な証人が現れて来る筈であるなどと口で言い伝え、村中の評判は並大抵ではなかった。やがて其の時刻と為れば土地の人々傍聴席に余地無きまでに詰め掛け又被告席には文子があり、その背後(後)ろには付き添いとして安穂が控へ、安穂と並んで稗村弁護士も座を占めた。

 外に彼の昼栗長三も文子の伯父花添露伯も前と同じく出席したが、頓(やが)て定めの時刻と為ると、人々は如何なる証人が現われのだろうと、一斉に首を延すと、第一に呼び出されたのは、金造翁の家に勤めていた料理番である。是は安穂が方助を追掛けた留守の間に、稗村弁護士が調査して審問官にここへ証人として呼び出す事を請うた者である。

 此の料理番が入って来るのを見るや、昼栗はこの様な奴輩(やつら)が何を知るものかと嘲笑(あざわら)う様子で、冷ややかにその顔を眺めたが、審問官はこの様な事に構わず、先ず金造翁が毒死した前夜に、如何なる食物を料理したかを問い、その料理の中に何か中毒の恐れがある品物を、用いなかったかと問うたのに、一つもその様な食料品は用いて居ないと答えたので、審問官は更に、

 「其方の寝室は、執事栃原方助の寝室に隣合って居ると言う事だが、金造翁の死んだ夜、何か変わった物音でも聞かなかったか、又その夜栃原方助の挙動に付いて何か其の方の心に留まった事は無かったか。」

 料理「ハイ私は極めて耳敏(さと)い性分で、大抵の物音には必ず目を覚まします。特に当夜は翌朝が昼栗さんと文子さんとの婚礼と極まり、寝過ぎては成らないと思って居ましたので、充分には眠らない程で有りましたが、ハイ色々な物音を聞きました。」

 色々な物音とは何の事なのか分からない。どのような物音だったのだろう。此の一語に傍聴人は、一同の耳を澄ました。

 第四十七回 終わり
 

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  女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

    第四十八回 料理番の証言

 料理番が様々な音を聞いたと言うのに、傍聴人は言う迄も無く、審問官も急に耳を欹(そばだ)て、
 「何の様な音を聞いた。それを順々に申し立てよ。」
 料理「私が一眠りした時ですから、夜の一時頃でも有りましたか、裏口の戸が静かに開き、其処(そこ)から誰か忍び足に出る様な音が聞こえました。

 私は夢であるか本当の音で有るか、半ば現(うつつ)の有様で充分には判断もつきませんでしたが、どうしても気に掛かりますので、起きて行って確かめますと、戸は締まって居ましたけれど、数日前から錠前が狂って居るので、錠が掛かって居ません。

 さては誰か忍び出てから元の通り閉めたのか、それとも宵に〆た儘(まま)で、誰も忍び出たので無いか矢張(やっぱ)り分かりませんから、念の為にとその戸を開けて裏庭を見ましたけれど、夜の事ですので確かには分からず、暫(しばら)く耳を澄まして聞きましても、何の音も聞こえませんでしたので、さては人が忍び出たと思ったのは、夢であったかとこう断念(あきらめ)て、再び其の戸を閉め、部屋へ帰って眠りました。

 翌朝に成って見ると、裏庭の木戸も開いて居たと他の者達が言い、又花嫁と決まって居る文子さんが居なく為ったなどと言いますから、初めて前夜の音は夢では無く、文子さんが忍び出る音で有ったと気が附きました。」
 審問官は直ちに、

 「それでは、その音を聞いたのは何時頃で有った。」
 料理「ハイ確(しか)とは申されませんが、多分一時から二時迄の間で有りました。」
 此の答えは実に文子の身に取って、値千金にも替え難いものであった。文子の忍び去ったのを、夜の二時より以前とすれば、翁の殺されたのは五時頃の事と医師の鑑定した所なので、文子の仕業で無い事は自ずから明瞭である。唯だ証人自ら夢かと疑う程の事を申し立てた朧気(おぼろげ)な言葉なので、充分に採用する程の価値が無いのは仕方がない。

 今までの証言を聞いて昼栗長三は、我が身が次第に危うくなろうとするのを見てか、突(つ)と立ち上がり、
 「若しその様な事柄を、この証人が知って居るなら、今までの審問に何故(なぜ)申し立てなかったのです。若しや誰かに頼まれて、この様な事を申し立てているのでは有りませんか。」
と叫ぶ。

 審問官は是を制し、
  「是までの審問に、何故申し立てなかったかと言っても、この証人はこれまでの審問に召喚された事は無い。今日が初めてで有る。」
と言い捨て、更に又料理番に向かい、
 「其の外に何を聞いた。」
 料理「ハイ、是は暁方(あけがた)の五時五分過ぎで有りましたが、私しの隣室に寝ている執事栃原方助が起きて主人金造翁の部屋へ行く足音を聞きました。」

 審「五時五分過ぎと如何して分かった。」
 料「私は其の少し前から目が覚めて、未だ起きるには早いだろうと思い、丁度その時に時計を見ました。」
 審「それから」
 料「ハイ是は方助が翁に薬を呑ませる為に毎朝起きて行くのですが、いつもは四時を合図に行きますのに、其の朝はいつもより一時間ほど遅れて、今申す通り五時五分過ぎに行きました。それから丁度三十分程経って方助が再び翁の部屋から帰り、自分の寝間へ入って寝る音を聞きました。」

 審「三十分経ったと如何して分かった。」
 料「ハイ私は普段煮物を致しますのに、心で時を計ります。私が三十分間と思えば決して五分とは違いません。煮物に依っては五分間煮過ぎては喫(たべ)られない者も有ります。ハイ心で時間を計る事が出来ない様では決して料理人として十分な給金は取れません。」
と際疾(きわど)い所で我が職業の腕前を披露するのを審問官は聞き流し、

 「三十分経って方助が帰ったのには何か意味が有るのか。」
 料「ハイいつも方助は十分間ほどで帰ります。薬を呑す丈ですから十分とは掛からない程ですのに、其の時に限り三十分掛かり、且つ帰って来る足音も何だか不揃いで、それに又寝間へ入って機関車ほどの溜息を突きました。其の声までも聞こえましたから私は怪しみ、翌朝金造翁が死んで居る事が分かった時、方助に其のことを申しました。そうすると方助は立腹して、何も俺は機関車の様な溜息は吐(つ)かない。人の事に口を出すなと一言に叱り附けましたので、それ切り私はこの事を人に言わずに居たのです。」

 何となく文子の外に追々怪そうな所の有る様に見えて来たので、審問官は更に次の証人を呼び出そうとすると、稗村弁護士はちょっと止めて、自ら料理番に向かい、
 「貴方は前夜寝るよりも前に、金造翁と昼栗長三とが何か話をして居る所を聞いたとの事ですが、それを審問官の前で申し立てて頂きましょう。」
と言うと、料理番は心得て、

 「ハイ私は別に立ち聞きした訳では有りません。唯だ主人の部屋の前を通り合わせた時に、丁度其の声が漏れて来たたから聞こえましたが、金造翁は昼栗氏に向かい、明日の朝婚礼の前に、きっと十万圓、耳を揃えて俺に渡せ。その金が出来なければ決して文子と婚礼はさせぬぞ。それのみならず直ちにインドに電報を打ち、その方の商売を止めて仕舞うぞと言いました。

 そうすると昼栗氏の声で、 
 「ハイ、きっと十万圓調(ととの)えます。それが出来なければ何とされても致し方が有りません。」
と言いました。
 この証言こそ実に昼栗長三に取り、一大打撃と言わなければならない。

 今まで昼栗が、老人を殺さなければならない理由が有るとは思われなかったのが、是で見れば切羽詰まった十万圓を作るのに方策が尽きて、翁を殺したのかも知れない。昼栗は躍起と為り、
 『此の証人は全く偽証です。私は翁に払わなければならない十万圓の約定は有っても、先日すでに申しました通り、台帳に間違いが有った為め、その十万圓は大方消えて居ます。

 たとえ消えて居ないにした所が、今年の末で無ければ、その清算の起源は来ません。それ等の次第は充分な証拠書類を以て証明する事が出来ます。何で婚礼の前夜に其の様な話を致しましょう。察する所、是は私を恨む者が、翁の遺言状から考え出して捏造し、そうして是なる証人に賄賂を与えて、偽証させる者と見えます。

 私は花添文子に夫が有る事とは知らず、文子と婚礼の間際まで押し寄せました為に、今に及んで飛んだ恨みを受ける事と為りました。此の辺の事柄は審問官に於いて、宜しくご賢察を願います。」
と暗に文子の夫、田守安穂が賄賂を以て此の料理番に偽証をさせた様に言うのは、更に彼の栃原方助までも連れられて来て、今現に証人として呼び出されるのを待ちつつ有る事を、昼栗は夢にも知らないが為に違いない。

 審問官は昼栗の言葉にかまわず、やがて栃原方助を呼び出した。彼は何事を申し立てようとするのだろう。

  第四十八回 終わり
 

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

   第四十九回 執事方助の証言

 審問官の呼び出しに応じて栃原方助が入って来たのを見ると、昼栗長三は非常に恐ろしい物にでも逢った様にその顔色を全く変え、誰の目にも著しいほど狼狽しつつ、やがて何やら方助に目配せする様に見えたが、方助は昼栗の方には見向きもせず、踏む足も非常に確かに、一直線に審問官の前を目指して出て来たが、是れまで数回の審問に、生酔いと為って出たのとは違っていた。

 この時まで被嫌疑人文子は、唯だ何事も運と諦め、この様な恐ろしい疑いを受けると言うのも、結局自分が女の分限を忘れ、欲のために夫を振り捨てた為とのみ思い、この後如何様に成り行くとも仕方が無いと、一切の望みを断ち、唯だ安穂の言うが儘(まま)、為すが儘に任せ、自分は再び嘆きさえもしなかったが、今この審問廷の有様を見ると、どうやら自分に掛かっている疑いが、少しづつ軽くなる様子なので、思い諦めた身も急に幾らか喜びを浮かべ、是れも全く良人の尽力から出る事と思えば、唯だ有難い思いがするばかり。

 その中に方助は審問官からの二三の問いに答え、更に又語を継いで、
「私は今までの審問に言洩らした事が有ります。私が言わなくても、必ず何処からか分かる事と思い、胸に納めて居ましたが、何うも言わなければ気が済みません。ハイ誰にも言わずに米国へ移住する積りで、既にリバプールまで行きましたけれど、益々心が落ち着かないため、自分で引き返して参りました。」
と言って、安穂に捕らわれて仕方無く帰って来た事は少しも洩らさず、更に「主人金造翁の死んだ時、私はその死に際を見ました。毎(いつ)もは朝四時に翁へ薬を呑ませに行きますが、その朝は一時間寝過ぎました。五時の時計に目を覚まし、驚いて翁の部屋へ行きましたが。」
とここ迄まで述べると、昼栗は聞いては居られなくなった様に口をはさみ、

 「この証人は酔って居ます。この前二回の審問にも酔って辻褄の合わない事ばかり言い立てました。」
と打ち叫んだ。審問官は非常に鋭く昼栗を睨んで、
 「その様な事は貴方が言うべき事では有りません。」
と制し、方助にその言葉を続けさせた。方助は、

 「ハイ、私は今日許りは少しも酔って居(おり)ません。その時の事を思い出せば、中々酒などは呑まれません。」
と断って置き、
 「それから急いで翁の部屋の方へ行きましたが、翁は枕許で高く物音のするのが嫌いで有りますから、やがて私しは足を鎮め、密(そっ)と入口の戸を開きますと、昼栗さんの寝間と翁の寝間の間に在る潜り戸が開いて居て、昼栗さんが翁の枕辺に立ち、私の代わりと為って、翁に薬を注いで遣ろうとして居(お)られました。

 さては私が寝過ぎた為め、翁が誰か来て呉れと呼んだのか、それで昼栗さんが起きて来たのかと、私はこう思いましたが、その時昼栗さんは小さな瓶を取り出して、その瓶から翁の薬の中へ、何か水薬の様な物を注ぎ込みました。」

 昼栗は又も聞いて居られなくて、
 「偽証にも程が有る。実に聞捨てられません。」
と大声に叫んだが、方助も審問官も構わず、
 方「私はハッと思い突々(つかつか)とその傍に進み寄りましたが、この時翁は早やその薬を呑みました。ハイ呑むや否やアッと叫んで、ガクリと寝台の上に倒れ、その儘(まま)頓死して仕舞いました。

 私はまさか頓死とは気付きませんが、それにしてもただ事では無いと思い、驚きの余り昼栗さんの手に縋り、貴方は何を成されましたと問うたところ、昼栗さんも驚いた様子で、実は枕許の薬箱の中に、同じ様な瓶が幾つも並んで居た為に、薬を間違えたと言い、非常に後悔の様子でした。

 その中に青酸の臭気(におひ)が劇(はげ)しく鼻に入りましたので、私は若しやと思い、翁の手を取り調べましたが、全く死んで居ましたので、私は再び昼栗さんに向かい、過ちにもせよ、貴方は金造翁を殺しましたと責めました。」

 この時審問官はしばらく止(とど)め、
 「それにしても、全く金造翁の枕許(元)に、その様な薬箱が有って、中に間違う様な同じ瓶が、何個も入って居たのか。」
 方「ハイ翁は日頃から薬箱を枕許へ置いて有りました。その中には同じ瓶が十二本入った居ました。」

 審「それでその中に青酸の入った瓶が有ったのか。」
 方「それは何うだか存じません。」
 稗村弁護士は立ち上がりて
 「その薬箱を取り寄せて戴きましょう。」
 審問官は頷(うなづ)いて小使を呼び、その事を言付けた上、又も方助に向かい、

  「それから昼栗は貴方に何と言いました。」
 方「ハイ全く間違いで有るから、何うか此の事はは無言(だま)って居て呉れと拝む様に言いました。勿論私も間違いと思い、昼栗さんの有様が気の毒になりましたので、それでは無言って居ましょうと請け合いました。」

 審「その時昼栗は貴方に向かい、口留の褒美を約束しはしなかったか。」
 この問いには方助も答える事を好まない様に、様々に避けようとしたけれど、終に避けることが出来ず、

 「実は直ぐに米国へ移住すれば、千ポンド遣ると言いました。その内五百ポンドはリバプールで受け取り、残る五百ポンドは米国で受け取る様、双方ともにその土地へ為替を組んで置くと言いました。成る程リバプールでは受け取りましたが、米国で受け取ると言う分は嘘では無いかと思います。一旦米国へ移住すれば、為替の金が着かなくても、まさか催促に帰って来る事は出来ませんから。」
と胸に在る丈の事を、残らず言い立て終わった所へ、先刻の小使は彼の金造翁の薬箱を持って入って来た。

 第四十九回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

   第五十回 疑いが晴れた文子

 たった今、小使が持って来た金造翁の薬箱を、審問官は受け取って調べると、紫檀で作った横長い箱で、如何にも方助の言葉に異ならず、中に十二個の瓶を並べて有り、一々に仕切りを設けて有る。審問官は医師にその瓶十二個を残らず調べさせると、どれも普通素人が用いるような無害の薬品で、青酸の様な劇薬は一つも無かった。

 取り分け瓶の表面には、金造翁の肉太い筆跡ですべて薬名が張り付けある。是で見れば、彼の昼栗長三が、この箱の中から間違えて青酸を取り出したと方助に告げたことは全くの偽りである。如何に間違ったからと言って、青酸の無い箱から、青酸を取り出すことが出来る筈は無い。そうだとすれば、彼が翁に青酸を呑ませたのは、過ちでは無くて、翁を殺す目的に出たことは必定で、又その青酸は前から文子が携えて居たのを、彼昼栗が盗んで用いたことは明白である。

 是で真に局面が一変したので、審問官は又も此の審問を延期する必要ありとし、この日は是で終りとしたが、昼栗はこうと見るや恐れの念を押し隠して、強いて傍聴人一同の方を眺め、
 「実にこの様な馬鹿馬鹿しい審問が有りましょうか。幾日も幾日も延した爲め到頭、被告の弁護人に、贋証人を雇入れる猶予を与えました。アノ料理番と執事とに賄賂を贈り、無根の事を言い立てさせれば、どのような人をでも罪に落とす事が出来ます。」
ともっともらしく罵(ののし)ったけれど、誰一人是に返事する人も無し。

 今まで文子を疑っていた一同は、その反動として一層深く昼栗をば且つ疑い且つ憎み始めたようだ。昼栗は更に口の中で、
 「この様な馬鹿げた審問が有る者か。」
と呟(つぶや)きつつ、傍聴人一同と共にこの廷を立ち去ろうとすると、出口に到って無手(むづ)と昼栗の肩を捕える人があった。是こそ先にロンドンから文子を捕縛して連れ来た、彼の探偵吏何某である。昼栗はそうとも知らず振り向いて、

 「何を成さる。」
と鋭く叱ると、
 「イヤ殺人犯の嫌疑を以って、貴方を捕縛するのです。」
 昼栗は驚いて、
 「エ、私を、是は実に怪しからん。」
と叫んだが抵抗する丈無益と知っているので、敢えて力を以て争そおうとはしなかった。
 
 土より青い顔の儘(まま)で、まだ自分の身に覚えが無い人の様に、肩を怒らせ、
 「宜しい。捕縛するなら捕縛なさい。ですが何の罪をも犯さない者を、他人の偽証で捕縛すれば、貴方は勿論、審問官まで、後で職務上の過失になります。ハイ私は簡単に言い開いて、貴方がたの過失を充分に明らかにしてお目に掛けます。」
と脅迫の様に言ったが、探偵は微懼(びく)ともせず、唯だセセラ笑いながら昼栗を引き立てて牢屋の中へ連れて行った。

 此の翌日又も審問が開らかれたが、その日は被告席に文子と昼栗と並んで座し、又弁護士席にも稗村と、昼栗の雇入れた弁護士とが並んで座った。此の弁護士も稗村と名を等しくする其の道の達人なので、稗村が文子の疑いを払い退けた様に、良く昼栗の身に掛かる疑いを払うことが出来るかも知れないと、一同更に一層の熱心さを以て傍聴したが、審問の有様は昨日と異ならなかった。

 同じ料理番と同じ栃原方助に同じ事を問うたのみ。昼栗の弁護人は外に弁護の工夫も無く、唯だ此の二人が賄賂の為に有りもしない事を偽証する者だと言って、その偽証の証拠を挙げる為、料理番と栃原に向かって、縦横無尽に問いを発し、返事の曖昧に行き詰まる所を捕らえようとのみ勉めた。

 その問方の巧みなのには誰もが感心したとは言え、勿論二人は偽証では無い。他人の入智慧では無い。知って居る事柄を其の知って居るが儘(まま)に答える者なので、少しも澱み躓くことが無い。憐れ偽証であることを証明しようとする弁護士の骨折りは、全く水の泡と為り、却ってその偽証では無い事を充分に確かめる結果と為った。嘘は実(まこと)に勝つことが出来ないと言うのが世の習い。これは仕方の無い所と言わなければならない。

 此の問答の終わるや、稗村弁護士は直ちに立ち、審問官に打ち向かって、最早被告文子がこの殺人事件に関係しないことは明白なので、被告の名誉に一点の汚辱も残らない様、公明に放免してもらいたいと述べると、審問官は暫(しば)し陪席の人と相談した上、その請いを容れ、

 「文子は金造翁の毒殺事件に関係した証拠が無いので放免する。」
と言い渡された。弁護士は更にこの言い渡しにも充分に満足することが出来ない様子で、更に審問官に向かい、既に文子が被告の地位を脱したからは、更に之をこの事件の証人と見做し、一二の箇条を問うて述べさせて欲しいと請うと、審問官は之をも、もっともとし、改めて文子を証人の席に立たせた。

 第五十回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

    第五十一回 昼栗の遺書(一)

 被告文子は放免せられ、改めて証人文子となった。証人として文子が申し立てた事は、先に翁の家から逃げ去る際、委細の事を認めた一通の手紙を机の上に残して置いた事と、あの青酸の入った瓶を部屋の中に忘れ、置いて来たと言う二ケ条である。

 金造翁が殺された翌朝、直ちに文子の部屋を捜したが、その置き手紙は見当たらなかった。若しその手紙が有ったなら幾分か文子に掛かる疑いを軽くする所であったが、その手紙が無くなっていたことは、全く昼栗が己の罪を文子に被(き)せる爲め、逸(いち)早くその手紙を取り去ったのに相違無しと、何人もこう思った。

 又青酸の瓶も翌朝空と為って文子の部屋から出て来たところを見れば、之も昼栗が、嫌疑を文子に被せる為め、使った後で文子の部屋に持って来たのに相違無しと、一同の憎しみは文子の身を離れて、昼栗にのみ集まった。誠に天運が廻って来た者と言うべきか。

 しかしながらこれ以上昼栗を取り調らべるべき所も無いので、審問官は愈々(いよいよ)昼栗を裁判所へ廻す事とし、彼に「有罪」の宣告を下したが、此の翌日になって、非常に意外な一報があって、赤城村の人々を驚かした。それは外でも無く、昼栗が獄の中で首を吊って自殺したとの一事である。

 彼れが自殺の少し前に牢の中で認めた書置きは、此の犯罪の顛末を明らかにするに足りる。其の文に曰く、
「余は最早や逃がれる道は無い。死するに臨み、有った出来事を書き残す。
 余は昼栗と称すれども実は富淵長三である。富淵金造翁の一子であるからだ。金造翁は印度で一人の舞妓(ぶぎ)を囲い、その腹に余を儲けた。しかしながら、余を自分の子である事を認めるの嫌い、生まれ落ちるや、充分な手当を附けて、余の母の私生児とした。昼栗とは余の母の姓である。此の事は余、幾度も母から聞いた事なので、確かな事実に相違無い。

 余は年頃に及び、自ら翁に迫り、表向き子となって、翁の相続人になる事を乞うと、流石に幾分か恩愛の情が存すると見え、取り敢えず余を手許に引き取り、翁の従事する商社へ、余を雇人でもなく見習いでもない形で従事させた。

 数年を経て、余が商業上に手捷(ばしこ)さを見せたため、ならばと言って、余を組合人と言う位置に引き上げたが、其の後、相場の変動を初め、種々の事情があって、其商会は重ね重ねの損失を受けたが、翁は最早や高齢にになった事もあって、再び損失を取り返す勇気は無く、最早や引き上げ時だとして、二十万圓で余に其の商会全体を譲り、正金で十萬圓を受け取り、英国に帰ったことは、翁の遺言書に見えた通りである。

 余は其の後で、商会を昼栗商会と名付け、必死と為って働いたが、既に傾いていた上に、十万圓の流通資本を引き去られた事などもあって、時々は儲けも有ったが、総体に於いて年々衰えて行くのを免れなかった。其の中にあって、余は五年の後に、翁に払わなければならない後金十万圓が気に掛かるので、更に売買当時の台帳を引き出して、詳しく調べてみると、翁は実の息子である余を迄も詐欺していた。

 無い財産を台帳には有りと記し、有る負債を無いと記すなどの類多く、若し此の過ち正せば、余から後金十万圓を、払うにも及ばない程の内容なので、余は早速其の帳簿を携え、英国に出張して翁に厳しく誤りを正した。翁は容易に余の言葉を聞き入れず、たとえ台帳に誤ちが有るのを認めるにしても、既に商会を二十万で売り渡す約定を結んだ上なので、台帳の過ちの為め、其の約定を取り消したり、又は改正する事は出来ないと言い張るので、余は止むを得ず、翁に対して詐欺取財の訴えを起こすと迄言い張った。
 是には翁も驚いて、然らば更に熟考するので、兎に角一年の猶予を与えて呉れとのことであった。

 勿論余は英国に長居も出来ないので、其の猶予を承諾して一先ず本国へ帰ったが、其の後翁からは何の沙汰も無く、本年は既に後金取引の期限に近づいて来たので、余は再び出て来たのだ。尤も商会の営業は益々衰え、再び昔日の様にはならないため、余は英国の取引先に、まだ幾分の信用が残っているのを幸いに、英国で幾らかの資本を集め、新事業を開こうと思い、印度の事務は半ば畳んで出て来たのだ。

 来て翁に逢うや、翁は何事も思わしく運ばないとの繰り言を並べ、再び余に彼の十万圓の催促を始めた。今から察すれば、翁が何事も思はしく運ばないと言うのは、彼の文子に金満の婿夫を迎えようとして、其の事が意の様になら無いことを指していたのに違いない。余は素より、あの金を払うべき謂(いわ)れは無く、若し翁が飽く迄強情を張るならば、今度こそ翁を詐欺取財の被告にする決心をして居たところ、悲しいかな、余は文子を見初めた爲め、其の決心も行なわれない事と為ってしまった。

 第五十一回 終わり

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   女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

    第五十二回 昼栗長三の遺書(二)

(昼栗長三書置きの続き)
余は二度目に翁の許(もと)に来て、初めて文子の姿を見て、何も彼も打ち忘れる程に、心が迷った。今まで商売の掛け引きにばかり気を配り、女の力が如何ほど男子を動かす事が出来るかと言うことは多くは考えなかった余なれど、今は実に女の力が非常に恐ろしい事を知った。余は何事に付いてもこれ程まで心を動かした事は無い。

 余は如何にしても此の女を我が妻にしようと思った。此の目的を達しなければ、生命も財産も何になると迄に思った。
 しかしながら、余は金造翁の非常な欲心を知って居るので、迂闊に此の愛情を翁に示してはならない。彼の残金十万圓取り消しの話し合いを首尾好く済ませ、前の約定を破り尽くして、その上で文子を我が手に入れようと思っていたが、悲しいことに、翁は余の上を超す策士である。

 早くも余の心中の秘密を見破り、文子を囮りとして余に彼の十万圓を払わせようとし、翁自ずから文子の事を言い出し、彼の十万圓に付いては、定めし汝も言いたい事が多いだろうが、何事をも我慢して綺麗に払い渡せば、文子を汝の妻にさせよう。汝若し此の言葉に応じなければ、余は至急に文子を他の金萬家へ縁付かせると言った。

 余は此の言い出しを拒むことが出来なかった。翁に払うべき十万圓の金は無いけれど、何うにかして文子を手に入れようと決心した。余が文子を愛する思いは実にこれほどまでに強かったのだ。余の最初の考えは何とかして文子の心に余を愛する念を起させ、翁の承諾の有無に拘わらず、文子を連れ去ろうとするに在った。

 その積りで一方に、翁に向かっては、出来る限り媚び諂(へつ)らって、その機嫌を取ったが、悲しいことに文子は余が機嫌を取れば取る程、益々余を嫌い、翁も又中々油断せず、早くも余にどうしても、彼の十万圓の払い渡しを避けることが出来ない様に、毎日その念を押し、果ては余に借用証文を作らせ、先づ証文を受け取って置こうとまで言い張るに至った。

 是れ丈は余は断固として退け、唯だ婚礼の日を以て、現金で払うとの口約束で承知させた。
 やがて婚礼が近づくと、文子の余を嫌うことは益々甚だしく、或いは毒薬を示して自殺すると言うのみか、果ては既に定まった夫が有る事をまで白状したので、余は実に絶望した。

 夫ある身にして今まで其の事を押し隠し、余を進退極まる地位に到らしめたかと思うと、実に可愛さ余って憎さ百倍となった。おのれ此の恨みを必ず思い知らせて呉れようと、余は実に復讐の一念を定めた。如何にして復讐するかその工夫は未だ定まらなかったが、其の夜に到って翁の請求は又益々強くなり、余は腹立たしさに思い乱れていた際だったので、翁に向かい、然らば文子をも思い切り、十万圓の払い渡しをも断ると言うと、翁は怒って、汝が最後にその様な事を言う恐れが有ったので、余は充分に工夫を定めて置いた。

 たとえ文子を思い切っても、十万圓は最初の約束から生まれたものだから、搔き消す事は出来ない。婚礼の有無に拘わらず払い渡せ。若し払い渡さなければ、直ちに印度へ電報を発し、汝の商会が最早や債務に耐える事が出来ないことを一般の取引先へ知らせてやると余を脅迫した。

 勿論余の商会は数年来、債務に耐える事が出来ない有様だったが、唯だ上辺を粧(よそお)って、僅かに信用を繋(つな)いでいたものなので、前の持ち主である金造翁から、このような電報を発せられたら忽(たちま)ち瓦解して、余は印度にも此の英国にも身を置く所の無い境遇に陥ってしまう。

 それで余は仕方無く、再び翁の言葉に服したが、その夜人の寝鎮まった後、余は最後の手段として、更にもう一度文子を説得して見ようと決心した。たとえ文子に定まった夫が有っても、或いは賺(すか)し《機嫌を取ってなだめること》或いは脅迫して、一時印度へ連れて行く事にしよう。そうすれば印度で文子の事を、貴族の娘の様に言い触らせば、並大抵でない信用を作る事も出来るに違いない。

 金造翁には取り敢えず約束手形を渡して置くのも好し。又今ならば五万位の金はロンドンで調達することが出来る信用が有るので、半金は現金で渡すのも好し。是さえも翁が聞き入れなければ、人知れず翁を殺すとも仕方がないと余は実にここまで決心した。

 それで余は文子の部屋へ上って行った。此の時は既に何人も寝鎮まった後であった。取り分け余の足音は、余自身にすら聞こえないほど静かなので、彼の料理番さえも聞き洩らした者のようだ。やがて文子の部屋に入ると、不思議や文子の姿は見えない。テーブルの上に唯一通の手紙が残っているだけだった。余は其の手紙を開いて読んで、初めて文子が此の家から逃げ去ったのを知った。

 第五十二回 終わり

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 女庭訓 作者 不詳  涙香小史 訳述

   第五十三回 昼栗長三の遺書(3)

(昼栗長三書置きの続き)
アア文子は余をこの様に進退極まる場合に陥らせて置いて逃げ去ってしまった。此の上は余は唯だ彼の十万圓の為に、金造翁からひどい催促を受けるのみ。文子が最初から夫ある身の上である事を知らせてあったならば、余もここまでは到らなかったのにと、余は腹立たしさ、悔しさに我が身の置き所さえ無い迄に思ったが、今では何と言っても仕方が無い。男泣きにに泣いて我が部屋へに帰ろうとした。

 此の時忽(たちま)ち目に留まったのは、文子が先程まで携えて居た彼の青酸の一瓶である。周章(あわて)た者か、之をもテーブルの傍に残して有った。
 余は此の時、別に殺意が有ったわけでは無い。又自殺しようとの気持ちが有った訳でも無かったが、真に絶望の底に沈むと、何と無くこの様な恐ろしい品物が恋いしい者だ。それで余は其瓶をも、寧ろうれしそうに拾い上げた。

 察するに文子が青酸を持って居たのも、矢張余が今其の青酸を拾い上げたのとと同じ心であったのに違いない。別に使用する直接の目的は無くても、唯だ何と無く当惑の心を慰める用意の品と為るのだ。
 この様にして余は青酸と置手紙と二品を持ち、又も我が部屋へ帰ったが、身の振り方に困り果て、眠ろうにも眠ることが出来なかった。

 夜が明けたら如何にして翁に会い、彼の十万圓をば再び取り消して此の後の我が身を立てようなどと、繰り返し繰り返して暁(あ)け方の五時に至った。若しいつもの様に、彼の方助が四時に翁の許(もと)へ来ていたならば、余は何事の罪をも犯さずに夜を明かしたに違いない。悲しいことに、方助の一時間の寝過ごしは余の生涯を誤る元となった。

 五時少し前に翁は目を覚まして、方助が来ないのを怪しんだと見え、誰か居ないかと呼び立てた。余は直ちに起きて行って、其の用を問うと、枕許にある薬を注いで呉れとの事であった。此の一語に余は忽ち殺意を生じた。今薬の中に青酸を入れたなら、現在の心配事を逃れることの何と容易なことか。

 翁は再び余にひどい催促をする事は無く、多分病死として誰にも怪しまれずに済むに違いない。若し毒殺との疑いが起こったならば、其の疑いは余に掛からずに文子に掛かるに違いない。昨夜から思って居た文子への復讐も是で行われる。真に一挙両得である。

 余は昨夜からの苦心に神経も非常に昂進(たかぶ)って居た所なので、其の外は考える事が出来なかった。この様に思うと同時に、直ちに青酸を注ぎ入れて翁に与えた。其の後の事は方助の言い立てによって明らかだろう。
 余は方助の口をさえ塞げば、更に恐れる所は無いと思い、文子の置手紙は焼いて灰にし、青酸の空瓶は再び文子の部屋へ納めた。

 是で何も彼も余の思う通りに運び、疑いは文子に掛かって余は寧ろ人から気の毒がられる程の地位とはなったが、誠に悪事は容易に成就しない者である。金造翁の箪笥の中から、彼の十万圓の事を記した遺言書が現れた。余は此の時最早我が運は尽きたと思ったが、幸いこの遺言書は金満と思われて居た彼の翁が、却って無一物の人である事を記してあった為め、其の驚きのせいか、人々は余を疑う遑(いとま)もなかった。

 しかしながら、間も無く四方八方から疑いが起こって来て、終に言い抜けの道も無い今、此の有様とはなった。
 余は印度に生まれ、死を恐れない印度の宗教に育てられたので、今は嘆きもせず此の世を去る。生存(いきなが)らえても、法律で殺される外は無い。たとえ逃れても、終身の懲役で身を苦しめる外は無い。

 萬が一助けられて世に出ても、最早や財産は無く職業も無い。人に笑われて飢え死ぬ身である。罪の顛末を白状して冥途に行くのが、最も身の為であると信ず。」
云々。

 是で何も彼も分かり、文子の身は雪の様に白くなった。更に今まで疑われた反動で文子を又と無い女丈夫の様に言い囃やす人も有る。夫ある身を処女と見せ掛けた偽(いつわ)りすらも、却って貞節の心から出たのだと誉る人すら有る。しかしながら文子は此の村に長居するのを好まなかった。

 五年の間、影よりももっと儚い(はかな)い金造翁の財産に目が眩(くら)んで、夫を捨てて身を誤った一身の愚かさを深く悔い、心を入れ替えて、是から再び奉公すると言い、頻(しき)りに夫安穂に頼むので、安穂は敢えて止めはしなかったが、兎に角長々の苦労で文子の健康も衰えて居たので、暫(しばら)く保養して、其の上の事にするのが好いだろうと言い、夫れまでに彼のウエンチスルの水車場に預けてある息子に逢い、公に親子の名乗りを為し、我が手元へ引き取る事にしようと言って、是から数日の後、文子、安穂両人で此の土地を立ち、汽車の旅なので間も無く其の所に到着した。

 仮に太郎と名付けた其の子の成長は、驚く許りで、争われない血筋の所為(せい)か、安穂にも文子にも良く昵(なじ)むので、安穂は之を引き連れて我が家である田守荘に入ると、文子は勿論之を安穂の家とは知らない。誰か親しい人の別荘ででも有るのに違いないと思い、一日二日と送るうち、其の中の有様を良く見ると、唯だ庭園が限り無く広くて、良く手の行き届いているだけで無く、真の田舎には二つとは無いだろうと思われる高尚風雅な作りで、万事の贅沢も備わって居るので、文子は寧ろ心配気に安穂に向かい、

 「此の様な所に逗留して癖が附くと、外に行く気が無くなります。其の癖の附かないうちに、早くここを引き上げて私は奉公に出ます。貴方も何うか職業の口を求めて下さい。」
と言うので、安穂は様子有り気に笑みを浮かべ、

 「私はもう此の家に逗留の癖が附いて、外へ行く気は無くなった。」
と言ってここで初めて此の家が我が家である事を明かし、財産も近郷に並び無い巨万の富を重ねて有るので、奉公に出るにも及ばない事を告げた。文子は冗談とのみ思い、容易には信じなかったが、安穂が昔の血筋から田守路子の遺言書や其の筋の公証の書類など示したので、初めて冗談では無い事を知り、益々自分が金造翁の許(もと)を動かなかった愚かさを恥じ、女の小賢しいのは身を誤る元である事を知り、真に心を入れ替えて、天晴田守家の賢夫人と敬まわれるに至ったと言う。

 この様にして先年安穂が貧苦の頃から、安穂を見捨てなかった彼の小畑時助は、太郎を育てた水車場の娘お倫を妻として、同じく此の土地に居を定め、文子の二人の妹も此の後、安穂の情けで立派に嫁入りをし、花添露泊も高齢になったので業を止めて、此の家に隠居の身と為り、四方八方残り無く満足に世を渡ったとは、実に世の若い女子達の教え草ともなる実話なので、この様に書き綴って世間に示す一事と為した。
 目出度し目出度し。

 女庭訓 完

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