巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

simanomusume11

島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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       (十一) 一日又一日

 「アレ先(ま)ア」
と云う網守子(あもりこ)の一語の中には、真実の驚きと深い失望の態(さま)があって、殆ど痛々しい程に見えた。梨英は自分の言方が、余り突然に過ぎたと思い、
 「イヤ、残念に耐えませんけれど」
までは云ったが、後の続け方を思い当たら無い。

 網「貴方は何が気に入らないの?何が其の様に厭に成ったの?」
 梨英「イヤ何も気に入ら無いの、厭に成ったのと言う訳では無く、初めての家に長く居ては、済ま無いと思いまして。」
 網「初めての家だって、私が引き留めるのに。」
 梨英「貴女はまだ子供です。貴女だけの言葉に従って逗留してはーーーー。」
 網「イエ、祖母さんも、昨夜好く来(いら)しったと、云いました。」

 こうまで云われては、其れでもと云う勇気は出ない。
 「では今一日、貴女の言葉に甘えましょう。」
 今一日、今一日、其の一日が梨英にも網守子にも実に愉快であった。二日と為り、三日と為り、果ては制限も忘れた様に、毎日梨英は下絵帖を持ち、海へ出るには網守子と二人で漕ぎ、山へ登るには網守子が案内に立つ、何しろ島の数が百四十もあり、変化極まり無い波の動きや雲の佇(たたず)みを写すので、一週も過ぎ二週も尽きて、未だ写生の種は尽き無い。

 夜は網守子が胡弓を弾き、老夫人に目を覚まさせるのが、定まった務めと為って居る。此の老夫人は昔音楽に堪能で、自ら胡弓を下田の夫に教え、下田から網守子に教えた由である。今は胡弓の音が耳に入る間だけ、人心地に復(かえ)り、其の外は常に昏(うつ)ら昏(うつ)らとして、目を覚醒(さま)さ無い。

 雨の降る日は梨英が教師と為り、網守子に絵画を教え、又都の様子などを説き聞かすと、読み書きは人通り出来るけれど、都の女なら七、八歳かと思われるほど幼稚な事柄もある。
とは云え、悟りの早い事は全く驚くべき許りで、何事も人並み以上に上達する天性を、与えられて居るらしい。其れに、強い熱心もある。

 けれど教えれば教えるだけ、網守子は更に知り度いとの欲が増し、又一方には、今の自分の不満足に気が付いて、自ら其の身を恥じる様な気も、出て来ているかと思われる。
 梨英がその様に心付いた頃である。網守子は殆ど涙ぐんで、

 「私の様な、何にも知ら無い者が、人並みの女に成るでしょうか。」
と問うた。是には梨英も返事に困り、唯だ、
 「貴女は人並み以上に生まれていますよ。」
と答えた。網守子は梨英の一言一句を、今は言葉のままに信ずるのである。

 「本当にそう?本当に?」
と云って、少し嬉しそうな顔に復(かえ)った。
 此の様にして、終に三週間を過ぎた。
 最早や梨英も、帰京しなければ成らない事となった。


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