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島の娘2 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(百二十六) 軽々と振った
網守子は全く思案も尽きた。再び江南が両手を広げて進み寄るのに、最早や罠に罹(かか)った小鳥の様な者である。唯だ虚呂虚呂(きょろきょろ)と四辺(あたり)を見回した。其の目には絶望の光が満ちた。
此の時網守子の目に留まったのは、部屋の一方に懸かった、古代の武器である。是は此の頃の流行を追い、部屋の飾りとして、種々(いろいろ)取り揃え、高く壁に吊るしてある。若し此の武器が自分の身を救わなければ、他に救いの神は無いと思った。
江南が抱き締めたと思った両手の間を、網守子はヒラリと抜けて、早くも窓に攀(よ)じ登り、身を斜めにして壁の上方に手を伸ばした。其の有様は、殆ど軽業師にも近い。江南は只管(ひたすら)に呆れ、何事とも、良く其の意味を解し得ることが出来なかった。
併し是れは怪しむに足りない。網守子は、幼い頃から島に育ち、毎日の様に険しい岩角に攀(よ)じ登って居た。其の熟練が、此の際は我知らず現れたのである。
この様にして網守子の手は、古代武器の中にある、印度の大斧(おおまさかり)に触れた。重さは何貫匁(何キログラム)あるだろうか。良く日本から来る絵に在る、金時の持って居るのに良く似て居る。頭(かしら)は風子形(ふうじなり)に広がり、恐ろしい刃が付いて、堅い木の柄がすがって居る。
此の斧に、網守子の手が触れると共に、ドシンと重い音を立て、網守子の身体と共に床に落ちた。
網守子は直ぐに其れを取り上げて立ち、軽々と両手で振った。
生まれてから十六歳の時まで、英国第一の荒海を、朝から晩まで櫂一挺で乗り切って居た島の娘の腕には、都の婦人の腕には無い力がある。
男にも振り難い大斧が、網守子の腕には、其れほど重そうにも見えない。
此の時の、江南の驚きほど酷い驚きは、又と起こることは無いだろう。彼は腰の力さえ半ば抜けて、其の身を支え兼ねる様に、身体が中腰に低くなり、眼は丸く開いて殆ど眼窩から飛び出るかと疑われる。網守子は大斧を杖の様に突き、江南の前に直立して、
「戸をお開き成さい。」
江南は返事する言葉が出ない。多分は舌の根も剛(こわ)ばったのであろう。ここに至っては、全く主客が転倒した。今が今迄江南の手の中に、籠の鳥同様の惨めな有様であった網守子が、江南をアベコベの地位に立たせ、
「サア、入り口の戸をお開き成さい。」
と一歩網守子が詰め寄れば、江南は踏みも定まらない足で蹌々(よろよろ)と一歩退いた。
注;風字形(ふうじなり)・・・・風の字の様に斧の刃の部分が広がっている様子
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