simanomusume132
島の娘2 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(百三十二) 添子の条件
到頭江南は、添子に征服せられて了(しま)った。是からは、何事も添子の指図に従うと約束した。夫たる者が、自分の妻に服従を約束するとは、随分辛い事で有ろうけれど、仕方が無い。
添子は此の機に乗じてと言う様に、直ぐに付け入り、
「ではここで私から条件を持ち出しますから、貴方はキッとお従い成さいよ。」
何の様な条件であるか、聊(いささ)か気味悪くも思うけれど、否とは云えない。
江「従うよ。」
添「では之を一週間、タイムズ新聞へ広告なさい。」
と云い、一枚の広告文を取り出した。其れは三年前に江南と添子が秘密に結婚した時の登記の写しである。
結婚登記の謄本を、新聞に広告することは、何にも珍しい事では無いけれど、三年前の結婚を今更広告すれば、様々に世間の噂にも登り、疑いも受けるに極まって居る。江南は聊(いささ)か当惑の色を示した。添子は叱る様に、
「何ですねえ、貴方は、先日も網守子から三万五千円の金を借りて呉れれば、必ず結婚を披露して、私を蛭田夫人として、正式に披露すると、約束成さったでは有りませんか。今は私が網守子から借りた金でなく、自分自身の金を、而も四万円持って来たのに、貴方は否だと仰(おっしゃ)りますか。」
江「ナニ、否とは云わない。けれど何とか然るべき口実が無ければ、今まで何故に結婚を披露せずに、他人らしく見せ掛けて居たかなどと、世間の人から非難されるよ。」
添「ナニ、其れも私は考えて有ります。親類の遺言に妨げられたと言えば、好いでは有りませんか。」
江「親類の遺言とは?」
添「ナニ、そう詳しく説明するには及びません。唯親類の遺言に妨げられ、別々に分かれて、他人らしく生活しなければ成らない事情が有ったけれど、其の事情が突然消滅したのだと言えば、世間の人は、小説にも無い奇談の様に思い、益々貴方と私との名が高く成りますよ。」
何から何まで行き届いた添子の知恵に、江南は殆ど感心し、
「では其の通りにしよう。」
と答えた。
添「貴方は名馬を飼っていますが、馬は売り払って自動車にお買い替えなさい。蛭田夫人は是から大いに活動しなければ成りません。多くの幽霊を使うだけにも。」
江「成るほどそうだ。其れも宜しい。」
添「其れから雑誌はーーーー。私の手で経営してズッと分り易い、通俗な、面白い読み物に改良します。イイエ通俗で無ければ決して人気を引き集めることは出来ません。其の手心は、私が芝居道に居た丈に、良く知って居ます。そして人気を集めさえすれば、売れ高もズッと増し、其の収入だけでも、可也の贅沢が出来ることに成りますよ。」
江南は之にも感服したけれど、添子の知恵は是だけに止まらなかった。
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