巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

simanomusume144

島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

since 2016.5.24

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

         (百四十四) 彼は盗棒(どろぼう)の如く

 不意に五十萬圓(現在の約五億円)以上の財産が転がり込めば、何の様な心持ちがするだろう。余ほど嬉しいに違い無いのに、何故か蛭田江南は、嬉しさよりも一種の恐れを感ずる様に見える。真逆(まさか)に、其の財産を網守子に取り返されはしないかと、気遣うのではないだろう。

 彼は青い顔をして我が家に入ったが、妻添子は留守である。多分新しい幽霊と、何か交渉する為に出て行ったのであろう。机の上には、早や新しい幽霊から送って来た原稿と思(おぼ)しく、様々の書類がある。此の向きならば、雑誌の編諿(へんしゅう)は自分よりも妻添子の方が適任らしい。多分添子の手で何事も予期の通り運ぶで有ろうと、彼は結句荷を卸した様な気がした。

 彼は其のまま部屋の片隅に腰を卸し、深い溜息を発して考え込んだ。時々は独語の様に口が動く。
 「アア是が運と云う者だろうか。余りに不思議だ。アノ綿密な谷川が何うして此の様なーーーイヤ運だ、運だ。何にしても、一旦転がり込んだ者を、今更取り逃がしては成ら無い。

 是さえ有れば、先ず処世の苦労は消えた。之を良く利用すれば何の様な名誉でも、何の様な利益でも、アア全く運が向いて来た。そうだ。取り逃がさない工夫が何より先だ。」
 やがて思案の定まった様に、彼は次の室(ま)に入った。

 ここには古い用箪笥などが置いて有る。前代から伝わった者で有ろう。彼は他人の物をでも、盗むかと見えるほどに四辺(あたり)を憚(はばか)り、幾度か見廻した末に、箪笥の引き出しを開き、彼れ是れと検(あらた)めて、終に一束の書類を取出して、

 「アア是だ、是だ。」
と云い、束を解いて、手早く一通一通に検めるのは、古い古い手紙である。凡そ三十分ほども検めて、漸く見当ったと見え、其の中の一通を幾度も読み返し、
 「そうだ、祖母の姉妹梅子の縁附いた先は是だ。妙な苗字だなあ、是から直ぐに出張して、仕事をしなければ成らない。」

 彼は書類を元の通り箪笥に納め、更に画室へ出て来て、急いで妻添子に当てて置手紙を認めた。其の意味は、
 「急用の為地方へ出張するが、事に由れば両三日掛かるかも知れない。けれど心配するには及ばない事なので、留守中を宜しく頼む。」
と云うのである。

 彼は直に家を出て停車場に馳せ付けた。丁度目指す汽車の発する少し前である。彼は大勢の人に揉まれて札売り口に立ち、切符を買ったが、彼より二、三人も背後に居た一紳士が、異様に彼の切符を覗き込む。彼が何所にへ行くかと怪しむ様である。けれど彼はそうとも知らず、其のまま発車の方へ歩み行くと、其の紳士も彼の後に附いて来て、軽く彼の肩を叩いた。

 彼は宛(まる)で見露(みあらわ)された盗棒(どろぼう)の様に、身震いして振り向いた。



次(百四十五)へ

a:424 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花