巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

simanomusume145

島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

since 2016.5.25

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

         (百四十五)  梨英は何うした

 肩を叩(たた)かれた江南は、驚いて振り向いたが、叩いた紳士は、先刻分かれたばかりの谷川弁護士である。
 「ヤア谷川さん。」
と江南はなるべく平気で云ったけれど、極めて不安の調子であった。
 谷「君は何だって、ワルシー市などへ行くのだ。」
 江「ワルシー市?。ワルシー市?」
 谷「そうさ。君はワルシーまでの切符を買ったぢゃ無いか。僕は今、君の背後から見て居たよ。」

 悪い所で生憎の人に見られた。
 ワルシー市は誰も知るウエールズの一都会で、可也に繁昌の港である。商人ならば兎も角も、都の紳士や芸術家が、今頃行き相な土地では無い。江南は更に口籠り、
 「止むを得ない用事でーーーイヤ写生の為にーーー景色か何かを。」

 谷川は機嫌好さそうに、
 「成る程、彼所(あそこ)には古城の跡が有るな。けれど写生などの為では有るまい。大金持ちに成ったから、早や資本を卸す有利の事業でも捜しにか。其れとも別荘地の選定かな。」
と冷やかした。江南は之を機会(しほ)に、
 「先づ其の様な事柄です。したが貴方は。」

 谷「僕は次の駅で下車するよ。」
と言い、やがて一緒に乗ったが、果たして次の停車場で降りた。
 江南は何の為にワルシー市へ行くのであろう。暫(しばら)く読む人の想像に任せて置き、話は路田梨英の事に移る。

 梨英は網守子に分かれて後、何が何でも今までの浅ましい生活を捨て、自分の名と自分の技倆とで、身を立てなけれ成らないと決心し、殆ど血眼の様で職業を求めて歩いた。けれど振り向いても呉れる人が無い。

 彼の心では、次の美術展覧会へ自分の名で画を出せば、必ず世に出る道が開けると信じて居る。其れ迄の所、仮令(たと)え玩具の絵を書いてなりとも、身を支える道を作らなければと思い、様々に奔走した末、或る新聞紙に、地方の豪家で、室内の粧飾などを修復する為め、風景画の出来る画工を至急に雇いたいとの広告の在るのを見た。

 彼は是を救いの神の様に思い、直ぐに手紙で申し込みはしたけれど、其の所へ行く費用さえも無い。この様な場合に金を作る手段は、殆ど極まって居る。彼は又幾日か奔走を続けて、古い質物を入れ替えなどして、漸くに旅費を作り、遥々と其の家へ尋ねて行った時は、早や他の画工が雇い入れられた後であった。

 彼は進みも退きも出来ない。最早や自分の運が尽き果てたかと、殆ど泣きの涙で其の家を出たけれど、都に引き返す目途も立たない。その夜は安い宿屋に泊まり、一夜を考え明かしたが、こう成っては故郷へ頼って帰るより外は無い。彼の故郷は、江南が尋ねて行ったワルシー市から余り遠くは無い、筆捨(ペンブローク)の市外である。



次(百四十六)へ

a:411 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花