simanomusume169
島の娘2 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(百六十九) 紅、紅、紅宝石
古江田利八の名を聞いて、何故に添子が驚くのであろう。
何か添子と「古江田利八」と云う名前との間に、因縁が有るのでは無いだろうか。先頃網守子が、鰐革の嚢(ふくろ)を、古江田利八の子孫に返したと話して聞かせた時も、添子は何の為であるか、聞くと同時に気絶した。尤も其の時は病気の際であった故、或いは病気の為に気絶したのかも知れない。但し其の晩に添子は網守子の家(うち)から立ち去ったのであった。
添子の驚く様が江南の目にも附いた。彼は直ちに問うた。
「オヤ和女(そなた)は、古江田利八と云う名を聞いたことでも有るのか。」
添子は、
「イイエ、イイエ」
と首を振った。
江「では何を其の様に驚くのだ。」
添「何も驚きはしませんよ。余り不思議なイヤ有難い話ですから、ツイ心が騒いだのです。先(ま)ア早く其の後を聞かせて下さい。」
江「そうだな。実に不思議な!実に有難い事である。詳しく話せば長い事だが、大体だけを話して聞かそう。」
添「ですが其の人の財産が、今迄隠れてでも居たのですか。」
と今は何気も無く問うけれど、何やら心の底に、大なる或る者を、推し隠して居るらしい。
江「先ア静かにお聞き。先日谷川弁護士から、何か転がり込む品物が有る様に言い聞かされ、ツイ一万円(現在の約一千万円)か其処らの物だろうと想って居たが、愈々(いよいよ)引き渡されることに成り、良く聞くと今云う通り、八十万円以上の品さ。
是は私の曽祖父(ひいじいさん)に当たる、今云った古江田利八が稼ぎ溜めたのだけれど、難船の為に海の底へ落としたと見える。其の時紛失して居たが、其れを其の後、海底からか海浜からか拾い上げた人がある。其の人の子孫が私へ返して呉れたのさ。」
話す間(うち)に添子の顔は青く青く成って行く様に見えた。今は殆ど問返す声も出ない様子である。
江南は語を転じ、
「私が不思議と云うのは、其の返して呉れた当人が、実に、実に意外な人だ。和女もきっと驚くで有ろう。彼の網守子だよ。網守子が其の宝を保管して居て、私へ返して呉れた。」
網守子と聞き、添子は宛(あたか)も発条(ぜんまい)に跳ね上げられた様に飛び上がって、
「エ、何ですと、網守子ですか。」
江「爾(そう)さ、だから不思議だと言うのだ。此の私へ、仇ばかりする様に見えた彼の網守子が、私へ此の様な幸福を授けて呉れるとは。」
添「シタが、其の財産と云うのは何ですか。早く、早く、早く其れを聞かせて下さい。何ですか。」
添子の様子は全く只事で無い。
江「鰐革の嚢に入れた沢山の紅宝石(ルビー)だ。」
添「エ、エ、紅、紅、紅宝石?イエ、イエ、他(ほか)の品(もの)、他の品ーーー紅宝石では無いでしょう。」
添子は全く我を失った様である。抑々(そもそも)何故の驚きであろう。
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