巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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島の娘2    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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      (百七十八) 夫婦の合名会社

 夫婦の間に、此の様な気不味(きまず)いとも何とも言い様の無い衝突が有っては、此の上、夫婦の儘(まま)で同棲することが出来ないのは勿論である。けれど蛭田江南は、今添子と別れることは出来ない。此の家の事を、何も彼も添子が切って廻すことと為ったのみならず、江南の生命とも云うべき、幽霊の使い分けまで、総て添子の腕一つに在る。

 今若し添子と別れては、江南は殆ど木から落ちた猿と同様であろう。
 されば添子が、分かれようか、世間体だけ仲良く見せ掛けて、夫婦関係を続けて行こうかと問うた時、江南は返す言葉が出ない。彼の癖である様に、只ウンウンと呻(うな)った、爾(そう)して暫くして、
 「今夜は、其の様な事など考えることは出来ない。」
と云い、間も無く、自分の部屋へ引っ込んで了(しま)った。

 此の翌日である。添子は又も其の問題を持ち出した。
 「ねえ貴方、もうお別れする以外は無いとは思いますけれど、別れては貴方もお困りでしょう。私も差し当たり、行く先も無く、旨い仕事も有りません。愈々別れるとなれば、芝居道へでも帰る道を開きますけれど、一旦蛭田江南の妻と披露した身が、直ぐに又離婚などと云うのも、世間体が面白く有りません。

 其れで私の考えでは、貴方と私とで、此の家を美術会社と見做し、両人が株主で、美術の営業と云う方針を続けて行こうでは有りませんか。ここを夫婦のホームだと思うことは出来なくても、事務の為の会社だと思い、貴方も此の会社へ出勤して居る積り、私も其の様な積りで、双方重役同志の関係になれば、家も、イヤ会社も円満に行き、世間の人は相変わらず両人を仲の好い夫婦だと思い、二人の名誉を支えて行かれるでは有りませんか。」

 夫婦の家庭を会社にして夫婦関係を重役関係に直して、引き続き世間を欺いて行くなどは、余り類の無い営業である。けれど江南は否とも云わない。
彼はまだ非常に不機嫌であるけれど、
 「先ア、何か好い思案の浮かぶまで、当分の所、其の様にでもして置こうか。」
と不詳無精に答えた。実を云うと此の外に答え様が無いのである。

 添子は是に力を得たらしく、
 「爾(そ)うと極まれば、貴方は是から直ぐに谷川弁護士の所へ行き、贋(にせ)の紅宝石を、嬉しそうに引き取ってお出でなさい。爾して世間へ、百万円の身代が出来た様に見せ掛ければ、一時に此の家の、イヤ此の江南及び添子合名会社の信用が高く成り、世間の美術商人が何れ程貴重の品をまでも、安心して茲(ここ)へ委託する事に成りますことか。」

 成るほど名案では有る。けれど江南は、贋と知りながら彼の紅宝石を引き取る様な勇気は出ない。
 「イヤ、爾(そう)は行かない。」
と彼は答えた。


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