simanomusume187
島の娘2 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(百八十七) ワルシー市?
何の為に筆捨(ペンブローク)市から警吏が来たのか、又何の目的で此の様な事を問うのか、谷川は少しも知らない。又知る筈も無い。警吏は又問うた。
「其の依頼者の利益と言うのは何の様な利益ですか。」
谷川は此の語気で、無論犯罪の詮索で有ろうと思った。けれど先方が秘密と断って尋ねるのを、問返すのは好く無いと思い、自分からは何も問わずに、唯先の問う儘(まま)の事実を有体に答えた。
警吏は聞き終わって手帳を開き、更に念を押す様に問い返しつつ要点を書き留めた。
「では路田梨英へ六十萬円以上の財産が。」
谷「爾(そう)です。」
警「法律上の遺産では無いけれど、矢張り先祖の遺した物が、彼へ回復せられる?」
谷「爾です。」
警「彼の戸籍の登記を見れば直ぐに引き渡す?」
谷「左様」
警「彼は数年前から、其の品の有ることを知って居たけれど、唯自分が、其の古江田利八の血筋であることを、此のごろ迄知らなかった。」
谷「爾です。」
警「彼は筆捨市の登記所で自分の戸籍を見て、初めて祖母梅子が、其の利八の二女で!」
谷「ハイ確かワルシー市から嫁入って来た様に言いました。」
警吏は忽(たちま)ち聞き咎め、
「エ、ワルシー市から?ワルシー市から?」
谷「確か爾(そ)う云ったと記憶しますが。是は無論戸籍に登記されて有りましょう。」
警「シテ其の路田梨英は今何所に住んで居ます?」
谷川は是をも明確に答えた末、
「シタが路田梨英に何か嫌疑でも有りますか。」
警吏は少し慌てて、
「イイエ、其の様な訳では有りません。」
と云い、更に気が済まないのか、
「谷川さん、私は貴方にさえも、事の理由をお話しする自由を、持ちません。」
谷「御尤(もっと)も、きっと職業上の秘密でしょう。ですが貴方は、其の財産を私が路田梨英に引き渡すことを、暫く待てとでも云うのですか。」
警「イイエ、爾(そ)うは云いません。其れは貴方の御自由で、私の知る事では無いのです。」
扨(さ)ては、何も路田梨英に疑いの係る様な事柄では無いと、谷川は思った。実は斯(こ)う思わせる様に、警吏が仕向けたのであった。
間も無く警吏は礼を述べて立ち去ったが、数刻の後、彼は倫敦(ロンドン)の警察の捕吏二名を借り受け、其れを引き連れて路田梨英の画室に行った。彼は先刻谷川に対し、直接に路田梨英に関係する事柄では無い様に、仄めかしたけれど、実は関係が有ると見える。
頓(やが)て外から画室の戸を叩くと、戸には錠が卸りていて、中から何の返事も無い。捕吏の一人は巧みに錠を開き、三人一緒に部屋の中に入った。中には書き上げた大きな絵が、白布に蔽われて窓の際に在る外、何にも無い。警吏は白布を取り退けて画面を見、柄に無く、
「巧い絵だなア」
と驚嘆した。
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