simanomusume192
島の娘2 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(百九十二) 初めから貴方のもの
両人(ふたり)が話して居るうちに、午後の日は漸く海の彼方に傾き、両人の座して居る岩も、全く日陰と成ってしまった。云わば人懐かしい黄昏の時である。けれど両人は、時の移るのも知らない。
梨「其れで谷川弁護士が、何時かお話のあった鰐革の嚢を、私へ引き渡そうと云うのです。」
網守「其れは当然の事ですわ。」
梨「イイエ、当然とも限りません。谷川氏が云うには、是は先祖の遺産を相続するのとは違い、完全に寒村網守嬢の所有品で、嬢が自分の随意に、誰へでも与える事が出来る故、権利として受け取る可きでは無く、云わば貰い受ける様な者であると云うのです。
成るほどそう聞けば、私の方に我物だと主張する筋が有りませんので、私は貰い受けるのなら要らないと云い、一旦は断りましたけれど。」
網「先(マ)ア何だって谷川さんは、其の様に分からない事を云うのでしょう。あの紅宝石(ルビー)の話が出さえすれば、キッとそう言うのです。是は自由贈与であるから、遣るのは惜しいなどと。
良く考えると私の為を思って、そう云って呉れるのでしょうけれど、私としては、自由に人に遣るのでは無く、全くの義務ですよ。祖母(おばあ)さんが、是は古江田利八へ渡すのだと幾度も云い、私もハイと請け合いましたから、自分の自由には何うすることも出来ません。古江田利八の子孫へ渡さなければ、私の義務が済まないのです。」
梨「貴方の方ではそう思っても、私の方では受け取る権利が有るとは云われませんから、私は受け取ろうか受け取らないか、兎も角も、篤(とく)《じっくり》と貴女に相談した上で無くてはと思い・・・」
網守は考え考え聞いて居たが、忽(たちま)ち何事をか思い出した様に、殆ど飛び立って、
「アア私が間違って居ました。祖母さんは古江田利八の子孫に渡せとは云わず、古江田利八へ渡せと云いました。其れで祖母さんの云う古江田利八とは貴方の事です。爾(そう)です。爾です。祖母さんは、貴方を古江田利八と呼び、貴方に向かって、
「鰐革の嚢を其のまま返します。」
と確かに言い切りました。
其れを私が、古江田利八の子孫へ渡す事と心得たのは、全く私の間違いです。あの品は、あの時から貴方の物と為ったので、私は貴方へ渡す義務が有ります。貴方より外の誰へも渡しては成らないのです。何で私は今まで、此の様な明白な事を思い違ったのでしょ
う。」
網守子は、殆ど悔し気である。
「貴方はあの時、祖母さんと握手成さった。其の握手で、祖母さんは、もう貴方に鰐革の嚢を返す目的が達した者と思い、約束が済んだのです。あの品は、今更受け取らないも無く、初めから貴方の物です。」
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