simanomusume202
島の娘2 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(二百二) 此奴(こやつ)です此奴です
ここで谷川は、梨英に係る嫌疑の次第を、詳しく網守子に語り聞かせた。
網守子は谷川の言葉の終わるのを待ち兼ねる様に、爍々(いらいら)して聞いて居たが、其の終わるや否や、
「谷川さん、谷川さん、其れでは梨英が罪人で無いのに決まって居ます。戸籍に梅子の孫と有ればこそ、紅宝石(ルビー)を受け取ることと為りますのに、自分で其の戸籍を消す筈が有りません。」
谷川は感心した様に、
「貴女は宜(よ)い所へ気が御付成さる。勿論爾(そ)うです。けれど其れは、梨英を梅子の孫に相違ないと決めた上の話です。若し彼が梅子の孫で無いならば、戸籍を切り取る必要が出て来るのです。」
網守子は少しも躊躇しない。
「貴方は梨英を疑うから、其の様な事を仰るのです。梨英は嘘を云いません。彼が戸籍に梅子の孫と在るのを見たと言えば、爾(そ)う在ったに決まって居ます。」
谷「所が其の言葉を証明する戸籍が消滅しましたから。」
網「戸籍が無くとも、何か外に証明が有りましょう。至急に人を筆捨市へ遣り、路田家の墓所を検めさせて下さい。墓所には梅子の碑も在り、事に由ると古江田利八の第二女と云う事まで記して在るかも知れません。」
谷川は感心の度を深くし、
「実に貴女は良く気がお附きなさる。けれどーーーー。」
全く網守子は梨英を助け度い一心なので、誠心(まごころ)に導かれて其れから其れと、急所を直覚するのである。実に誠心ほど明るい者は無い、」
網「けれど・・・。」
谷川は言葉を改め、
「けれど御心配成さるな、私は其の検事局へも云い、筆捨市の同業へ電報も出し、既に墓所も検めさせました。所が墓碑が欠けたり摩滅したりで、なんの証拠も得られません。」
網守子は悔しそうに、
「でも何か証拠を見出さなければ成りません。谷川さん、私を梨英に逢わせて下さい。」
谷「イヤ重大な嫌疑なので、未だ面会は許されません。取り調べが済むまでは。」
網「でも取り調べは既に済んだ様に仰ったのに。」
谷「其れは梨英を捕縛するだけの仮の手続きです。私は保釈も願ってあるけれど、其れも許されません。まだ公判に移される前に、多少の取り調べが有るのです。」
網守子は痛々しそうに身を震わせ、
「公判?公判?、谷川さん、公判へ移されれば、多勢の傍聴人の前で、被告箱の中に入れられ、活動写真などに在る様に、獄丁《看守》に引き立てられて。」
谷「爾(そう)です。」
網「其れは出来ません。公判よりも前に彼を救わなければ。谷川さん、何とか工夫は無いでしょうか。」
実に無理な願いである。
谷「誠の罪人が、他に在ると分からない以上は。」
網守子は飛び立つ様に、
「誠の罪人は他に在ります。此奴(こやつ)です。此奴を裁判へ引き出して下さい。」
と、又も額の姿に指さした。
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