巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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      (二十一) 針の穴を通る駱駝(らくだ)

 世の中に金が欲しい、金が欲しい、と云って居る人は何万人あろう。其の欲しがる人へは金が来ずに、欲しがらぬ網守子の様な者へ金が来る。多分金と云う御方は、余り使いたがる人を悪(にく)むと見える。
 網守子は、八十の帆木綿(ズック)の袋も、一個の鰐革の嚢(ふくろ)も、すべて元の通り納めて部屋を出た。

 部屋の外には下田の妻が待って居て、相変わらず潜めた声で、
 「すべて見ましたか。」
 網守子も小声で、
  「見たよ。」
 下「大層な財産でしょう。」
 網「大層な財産ねえ。」
 けれど網守子は、又心配そうに問うた。

 「此の様な大きな財産を持って居るのは、好いことだらうか。若しや悪い事では無からうか。」
 下田の妻は、極めて気の小さい信心者である。是も心配そうに考えながら、
 「余り好い事では無いかも知れません。此の様な財産でも、昔から、この家には吉事が有りませんもの。其れに聖書には、富める者の天国に入るは、駱駝が、針の穴を通るよりも、難しいと有ります。貴女は、余ほど身持ちを美しくしなければ可(い)けませんよ。」

 網守子は深く感じ、
 「そうねえ。私の様な何も知ら無い女には、此の大財産は不相応だわ。捨てようかねえ。私天国へ行かれないわ。」
 下「捨てるのは勿体ない。却って罰が当たります。富める者が天国へ行くのは、難しいと有るけれど、行かれ無いことは有りません。財産相応に身持ちを美しくすれば・・・。」

 網「アア私しキッと身持ちを美しくするよ。」
 此の羨むべき問答の後に、網守子は独りで、毎(いつ)も路田梨英の居る都の空を、眺めに行く、後の小山に登って、ここで様々に考え廻した。

 何にしても、此の身は、財産に相応しない無教育である。今の財産は、貴婦人が持つべきで、此の身は貴婦人では無い。貴婦人の前へ出れば、物を云う事さえ知ら無い。余りに残念である。
 此の様に考えて、忽ち又合点が行った様に思った。アア其れ故に、梨英が此の島へ再び来無いのである。貴婦人をのみ見て居る梨英の目には、此の身は、何れほどか劣った者と見えたであろう。其れが為に、梨英は私に、二度と逢うことが無いだろう、などと云ったのである。

 梨英の逗留中の言葉を思い廻すと、一々思い当たることばかりである。彼は、親切に私を教育して呉れる心であった。其れが為に様々の事を語り、果ては私を泣かせさえした。其れでも、私が何事も良く出来ない為、終に見限ったのであろう。
 網守子は、自ら恥ずかしさに、堪(た)えられないかの様に、両の頬を赤くしたが、やがて跳ね返される様に立ち上がって、

 「アア私だって、立派な婦人に成れないことは無い。此の財産を持って、是から都へ行って、教育を受ければ好い。」
と終に一念を固めて、此の島を出ることになった。


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