simanomusume223
島の娘2 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(二百二十三) 負けず劣らぬ悪人
斯(か)くて添子は幾分か安心した様な様子で、我が家へ帰ったが、家には江南が未だ寝もせずに心配気に待って居た。
「何うした。何うした。」
と江南は問うた。
添「あの二枚を網守子へ売り付けましたよ。」
江「エ、売り附けた。幾らに。」
添「ザッと百万円にサ。」
江「百万円、先ア、冗談は云はずに幾等に。」
添「本当に百万円ですよ。もうあの紅宝石(ルビー)が贋物(にせもの)と分かった所で、網守子は決して訴へもせず、又私共を、責めもしない事に約束をしましたから。」
と言って事の次第を物語った。
江南は聞き終わって考えつつ、
「成るほど、和女(そなた)は是れで紅宝石盗人と言う罪を責められないかも知れないがーーー。」
添「責められない許かりで無く、本物を返せなどと言われる事が無い様に成ったから、百万円に売り付けたのも同じ事です。」
江「爾(そ)う言えば、爾うだ。けれど紅宝石は偽物と何時分かるか。分かった時にはーーー。」
添「偽物と分かったとしても、私が盗んだと見破るのは網守子一人です。其の網守子が無言で居れば、誰も見破る人が有りません。大丈夫です。私は唯網守子一人を恐れて居ました。今は其の口を塞ぎましたから。」
江「和女は自分の為ばかりを計って、私の為には、百万円は扨(さ)て置き別に安心を増しもしない。」
添「其れやア貴方、貴方の様に悪事ばかりで固まって居る人には、何うせ大安心と言う者は有りませんわ。けれど、私の今夜の計らいで、何れほど安心を増したかも知れません。第一あの二枚の原紙が登記所へ返れば、ズッと捜査が弛むと貴方が言いました。」
江「其れは爾(そう)だ。」
添「捜査が弛(ゆる)んだ上に、網守子が全く沈黙して了(しま)えば、先ず安全では有りませんか。其れでもまだ貴方の悪事が露見するなら、天命です。致し方が有りません。」
江「貴方の悪事、貴方の悪事と、余り耳障(ざわ)りだ。悪事はお互いでは無いか。負けず劣らずの悪人では無いか。」
添子「でも私の方は、網守子の無言で、殆ど露見の恐れが無い程に遠のきました。貴方の悪事の方も、余ほど露見が遠くなったに違い有りません。」
夫婦の間に此の様なる問答の交わされる家庭が何処にあるだろう。
夫婦は猶(なお)も争いながら、又相談しながら夜を更かしたが、結局は、是で弛々(ゆるゆる)と逃亡する猶予だけは確実に出来たから、先ず江南だけ旅行して、安全の地に身を置き、後で添子が家財其の他を取り纏(まと)めて、成るたけ多くの金を作り、追って行って一緒に成ると言う事に決まった。
けれど、若し運好く何事も露見せずに済む様ならば、逃亡せずに居座る積りであるから、詰まる所、逃亡の用意だけ定めて、静かに形勢を見て居るのである。
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