巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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    (二百二十四) 愈々紅宝石売り払ひ
 
 夫江南だけ、逃亡の為め旅行し、妻添子が後に残って、家財を取り纏(まと)めながら暫く様子を見て居ると言うのは、此の上も無い横着(《図々しい》な相談では有るけれど、彼等両人(ふたり)に取っては、止むを得ない次第であろう。

 其れは扨(さ)て置き、網守子は此の翌朝、毎(いつ)もより、遅くまで眠った。全く体も心も疲れ果てた為である。
 十時頃に起き出ると、机の上に新聞紙が広がり、其の中の一項に赤い鉛筆で記(しる)しが附いて居る。是は多分小笛が網守子に見せる爲め、此の様にして置いたと思われる。

 網守子は取り上げて見るが否や、顔を赤くして驚いた。其の記事は筆捨市とワルシー市との登記所で戸籍の原簿を切り取った者が有って、其の疑いが路田梨英と言う、名も無い画工に落ち、既に捕らわれて調べられて居るとの簡単な報道である。是を見て網守子は自分の名誉が、大なる打撃を受けた様に感じ、殆ど新聞紙を引き裂き度いほどに思った。

 そこで、暫く思案した末、何事か思い付いた様に小笛を呼び、
 「貴女は直ぐに、兄さんの所へ行き、兄さんを何処へか至急に引っ越す様に仕て下さい。其れが出来次第に、私は今までの住居へ帰ります。」
 小笛は別に驚く色も無い。
 単に、
 「心得ました。」
と答えた。

 実を言うと、先日来小笛の兄阿一からの手紙で、彼も追々芝居道の人に知られ、自分の作った戯曲が、何うやら興業せられる運びにも至りそうな見込みが附いた上に、多少の内職も出来た爲、其の様な事に便利な土地へ、引っ越し度いとの希望が有り、既に網守子と小笛との間に、幾度も其の引っ越しの相談をしたのであった。

 小笛が心得て去った後に、網守子は簡易な朝餐を済ませ、又も谷川弁護士の許へ尋ねて行ったのは、早や午後の一時過ぎで有る。谷川は昨日別れた時とは打って代わるほど機嫌良く迎えて、

 「好い所へ来て下さった。先刻意外にも梨英の保釈が許される沙汰を得ました。」
 扨(さ)ては昨夜送った二枚の原紙が、早や効能を現したと見て取り、
 「では何うすれば好いのでしょう。」
 谷「イヤ既に私が事務員を迎えに出しましたから。手続きの済み次第に、同道してここへ帰って参りますよ。」

 網守子は非常に真面目に、
 「谷川さん、梨英が帰って来れば、直ぐに私は彼と結婚します。」
 谷川は又呆れて、
 「エ、直ぐに」

 網「爾(そう)です。彼を犯罪人と疑う様な記事が、新聞紙に出て居ますから、直ちに結婚を披露して、彼が許嫁の妻から、深く信じられて居ることを、世間へ示さなければ成りません。」
 谷川が返事する言葉さえ思い出さないうち、又も新しい来客が取り次がれた。其の名刺を見ると、紅宝石(ルビー)買取の宝石商である。


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