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島の娘2 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(二百二十六) 神ならぬ身の
谷川は考えながら、
「此の紅宝石(ルビー)を貴方の所有とすれば、何時売ろうと貴女の御随意で有りますが、若し貴女の所有で無く、既に路田梨英の物であるとするとすれば、梨英の身が愈々無罪に成るまで、売らない方が無難だろうと思います。実際は何方(どちら)でしょう。貴女の所有物ですか、梨英の所有ですか。」
網守子は少しも考えない。
「無論梨英の物なんです。けれど是から売ることは、梨英が私と相談しての上ですから、貴方は私の言葉通りにして下されば好いのです。」
谷「爾(そ)うは行きません。貴女の物なら貴女のお言葉通りに致しますけれど、梨英の物ならば、梨英の言葉を聞かずに、貴女のお言葉通りにすることはーーー。」
網「其れは何うでも宜(よ)いのですよ。誰の物としても、茲(ここ)で実物を商人に見せ、何時でも引き取ると言う約束だけ定めて置けば。」
実に物堅い谷川であるけれど、
「其れは爾です。兎に角、何時でも引き取ると言う約束だけは定めて置きます。」
愈々紅宝石(ルビー)を―ーーイヤ紅宝石に似せたゴム細工を、紅宝石の積りで、専門の商人に見せる場合とはなった。
果たして是を見れば、人々の運命が何の様に成り行くことで有ろう。今と成っては此の紅宝石ーーーの如き贋物が、全く一同の運命を支配して居る。
第一網守子は真の持ち主で有り、許嫁の夫が、此の紅宝石を売った上で、結婚すると言うことに成って居るから、此の品が贋(にせ)であると本物であるとは、大変な相違である。更に梨英自身は、是が贋物と分かれば、何の様な失望と不幸とに沈むかも知れない。
第三に谷川は、此の紅宝石の実際の保管者であるから、是が贋物と為って居れば、保管の宝を紛失させたと言う為に、重大なる責任を負わなければ成らない。第四に添子は実際に紅宝石を盗み取った盗人である。是が贋物と分かれば、自分の罪の露見する緒口(いとぐち)であるから、たとえ網守子に沈黙を誓わせて有ると言っても、自分の身に何の様な刑罰が降りかかって来るかも知れない。
けれど、誰よりも眼前の危険を伴って居るのは、蛭田江南である。彼は此の紅宝石の為に、大なる罪を犯して居るけれど、唯贋物が看破せられない為に、人の疑いを免れて居るのである。既に夜逃げの用意をまで定めて居るとは言え、是が贋物と分かって後に、果たして其の身の安全を、得られようか。夜逃げぐらいでは、中々刑罰を免れることが、出来ないのでは無いだろうか。
今は谷川も網守子も、此の様な重大な運命が、此の宝石商人との面会に繋(つな)がって居ようとは、神では無いので、露ほども知らないのである。
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