巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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         (二百四十五) 展覧会

 谷川は自殺する様な無責任な人では無いけれど、自殺の外に道が無いかと思われる。彼は実際に机の引出しから短銃を取り出した。そうして、宛(あたか)も自殺と決心した人の様に、其れを持ったまま考えた。

 彼の考えは夜の明けるまで続いた。事務所の窓が白む頃になり、静かに短銃を本の引出しに納めた。けれど更に考えた。爾(そう)して朝の八時頃に及び、何う思い定めたか、馬車を駆って検事長を尋ねるため事務所を出た。
 此の様な正直な気質の人に、此れほど困難な問題の降り掛かったのは実に気の毒の極みである。
 *    *     *     *     *    *     *
 谷川は此の様に困って居るのに、呑気なのは網守子と梨英である。両人は何の用意もせず、咄嗟に結婚の登記を済ませて、咄嗟に蜜月の旅に出た。唯だ金銭に困らないだけにーーー、困れば網守子の手紙一通で、幾らでも銀行から取り寄せることの出来るだけに、其れから其れへと旅行した。殆ど帰るのを忘れたかとも疑われた。

 けれど網守子は手紙の遣(や)り取りを怠らなかった。其の第一の相手は捨部竹里である。尤(もっと)も竹里へは、梨英も度々手紙を寄越した。第二は柳本小笛である。第三は従妹藤子である。外に唐崎夫人とも手紙の交換があった。

 この様にして両人は、絵の修行になる様な土地は残らず廻り、眺めもし、写しもしつつ、仏国から伊太利、独逸にまで行ったが、其の間に三月を経た。

 谷川弁護士は其の間に果たして身代限り《破産》をしたであろうか。勿論両人(ふたり)は、谷川が自殺の身構えで一夜を考え明かし、たことなどは知らない。唯だ紅宝石(ルビー)の事と谷川の事とは折々思い出すけれど、両人とも口に出す事を避けたのみならず、谷川の事に就いては、誰からも何の知らせも無い。

 頓(やが)て倫敦(ロンドン)の社交季節として知られる、五月の月に入った。梨英が心の底で待って居た絵画展覧会も、此の月から開かれるのである。梨英は竹里から何とか便りの有る事を心待ちに待って居たが、果たして竹里からの手紙が来た。

 其の中には、
 「君の依頼の通り、君の「古家庭」の絵を君の名で出品して置いたが、合格して陳列せられた。今年は蛭田江南の絵が出ないので、失望して居る人も有るが、其の代わりに、新たなる作家の中に、必ず人を驚かすのが有るであろう。」
と記して有る。

 是は暗に、梨英の画が、大評判に成るだろうと思う心を仄(ほの)めかしたのである。梨英は是だけの文句では物足りない様に感じたが、次の便で唐崎夫人から網守子へ来た手紙は、全く梨英の帰心を、矢の様に急なものにした。


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