巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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         (二百四十九) 帰国

 梨英と網守子とが英国に帰ったのは、倫敦(ロンドン)の最も賑わう六月の初めであった。多くの芝居や展覧会なども開かれ、人の心も浮き立って、何事の催しも賑わい盛って居た。
 もう梨英は、非常に名高い人と為って居た。彼等夫婦の一挙一動は、新聞紙の電報で通信せられる程であった。両人は先に此の国を出発した時と同じく、非常に忍びやかに、殆ど誰にも知らさないほどにしたけれど、到る処で写真のレンズを向けられた。

 無論両人は網守子の元の住居(すまい)には入ったが、梨英は此の住居が非常に変わって居るのに驚いた。
 彼は曾て、此の住居で、江南の銀行券を裂き捨てて逃げ去った時以来、足踏みしたことも無い。此の時と言っても、好くは見なかった。唯立派だと思う丈であった。今と其の時と、何の様に違って居るかは、詳しく知らないけれど、立派の上に又幾らかの立派さを加えたことは明らかである。

 其れはその筈である。網守子が、旅行中も絶えず捨部竹里と手紙の遣り取りをして居たのは、竹里に万事を頼み、造作会社に、此の住居の内部を、作り直させる為であった。大体の意匠は総て自分の心から出たので、初め自分の居室(いま)であった所を、取広げて梨英の画室にした。是ほど好く出来た画室は多く類が無いであろう。

 外に美術品蒐集室も作り、寒村(サムソン)島の家に伝わって居た珍品は、大抵取り寄せて陳列した。余り広くは無いけれど、一私人の美術室としては、希世の陳什(ちんじゅう)に富んで居る点に於いて、如何なる旧家の其れにも劣らないであろう。中にも中古の西班(スペイン)の画家の作品などは、ここより外に見ること出来ない逸品も少なく無い。

 只此の一室だけの為にも、両人の名は社交界に響き渡るに足りたであろう。
 最初網守子の考えでは、梨英の名を以て蛭田江南の名を圧倒しなければ、必ず梨英の地位が江南に圧倒せられ、色々不愉快なことが有るだろうと気遣い、全く梨英の地位を、江南よりも優絶させる為に、特別にこの様な点に、力を入れたので有った。けれど今は江南が逃亡した為、又梨英の名が一時に高くなった為、其の心配が無くなった。

 網守子は此の住居に落ち着いて、改めて結婚披露をする積りである。其れも通例の披露とは違い、実は画家としての梨英の地位を高くする為であるから、美術の批評家や愛好家を主として。知ると知らざるとの別けなく招待状を出したが、其の招待状は殆ど羽が生えて飛ぶほどに所望された。

 けれど梨英の心には、余り妻の世話にのみなると云う、一種の心苦しさが、人知れず徘徊して居た。


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