巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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      (二十六) 竹里の当惑

 捨部竹里(すてべちくり)は、相変わらず背の低いズングリした男であるけれど、名誉は必ずしも低く無い。今では新進批評家の中に、多少の重きを為している。取り分け芝居の批評は、最も其の長所で、其の向きの交際も甚だ広い。また今は独身では無い。既に捨部夫人と云う、立派な瘤が出来て居る。
 竹「私が何うして貴女を忘れましょう。命の親では有りませんか。成るほど斯(こ)う申して居るうちに、段々五年前のお姿に、帰る様に思われます。」

 網守子は、今までの蛭田江南の重苦しい話と違い、竹里の快活な言葉を聞いては、何の気兼ねも無い様な心持になり、殆ど昔の様な口調で、率直に自分の目的を述べた。
 「竹里さん、路田梨英は何うしましたか。」
 竹里は急に返事をしない。唯網守子の首に輝く、古王妃の金環を眺めて居る。勿論彼は、此の金環の事をも忘れない。是で見ると、網守子の心の中に、路田梨英の記憶が、大切に保存せられて居ることも合点せられる。網守子は重ねて、

 「今梨英は何処に居ます。」
 斯う云う中にも、少し離れた所から、蛭田江南の眼は、時々此の二人の様子に対して、光を投げて居る。
 竹里は当惑気に、殆ど答え兼ねて見えたが、漸(ようや)くに、
 「その様にお尋ねを受けて、実は返事に困りまりますが、・・・・。」

 網守子「貴方は、親友と仲違いにでもなりましたか。」
 竹「ナニ、其の様な事では有りませんが、有りのままに申しますと、彼が何処に居るかを、知ら無いのです。」
 網守子は驚きもし、心配にも思い、
 「貴方が梨英の居る所を知ら無いとは---。あれほど親しい友人でお在り成さったのに。」

 竹「ハイ、一緒に命の瀬戸際へ流れ寄り、一緒に貴女の舟に助けられた二人ですから、知って居なければならない筈ですけれど、全くの所、此の数年来、噂を聞いた事も有りません。」

 網守子に取って、是ほど意外な事は無い。最早会い見ない五年の間に、必ず梨英は都に於いて「大発展」を遂げ、其の名前は、誰の耳にも轟いて居る筈であると思って居た。のみならず、多分、都の社交界は、新進の天才画家、路田梨英の臨席を得なければ、物足りない程であろうと思い、今夜も、或いは彼に逢うことが出来るのではないかと、期待して居た。

 其の大天才の地位が、蛭田江南の様な、別な人に充たされて、梨英自らは、親友にさえ忘れられて居るとは、何かの間違いでは無かろうかとさえ思った。竹里は、自然に現われる網守子の失望を察し、気の毒と思う様子で、

 「然し、聞き合わせれば、分かるかも知れません。其の時はお知らせしましょう。」
と慰めの言葉を与へ、頓(やが)て自分とは反対に、ヒョロ長い自分の妻を、網守子に引き合わせなどした。


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