simanomusume49
島の娘 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(四十九) 美しい贈り物
網守子は、路田梨英の窶(やつ)れ果てた姿を見て帰り、何うしても彼を、昔の状態に帰らせなければ成らないと思い定めた。とは言え、彼の零落が、並大抵のもので無い事を思うと、何と励まして何の様にすれば好いか、殆ど思案も浮かばない。独り部屋に入り、茫然として鬱(ふさ)ぎ込んだ。
今日は何故か、午後に来る約束の、柳本小笛嬢も来なかった。
この様な所へ、いそいそと入って来たのは、侶伴婦人初鳥添子である。
例の様に芝居気沢山な身振りで、網守子に身を寄せて座し、
「嬢様、貴女は何と言う仕合せなお方でしょう。御覧遊ばせ、此の本は、蛭田江南が特別に製本して、先刻貴女へ差し上げて呉れと言って、置いて行ったのですよ。」
と言って、美しい二冊の小冊子を差し出した。網守子は殆ど見向きもしない。
添「此の本は、江南詩集と言うのです。実は一冊でありますけれど、特別に貴女へ差し上げる為に、二冊に分けて製本し、上篇は女色、下篇は男色の表紙を附け、先ア御覧遊ばせよ、美術的な装丁では有りませんか。ここにはこれ、彼の肉筆で、
「謹んで寒村網守子嬢に呈す 著者蛭田江南より、親しき交わりの、弥(いや)が上にも嬉しい実を結ばんことを願いて」
と書いて有ります。
蛭田さんから此の様な贈り物を受ければ、藤子さんや其の他世間の令嬢ならば、肌身を放さないほど尊重しますわ。浮世を忘れた私でさえ、羨ましいと思います。オホホホ。」
と独り語り、独り嬉しそうに笑って居る。
網守子は容赦無く、
「今夜は大事な人が来るのですから、貴女は此の部屋へ来ない様にして下さい。」
添「大事な人と言って、未婚の男子では無いでしょうね。若し未婚の男子ならば、私が傍に居なければなりません。其の為の侶伴ですもの。」
網「未婚の男子でも構いません。」
添子は呆れた身振りで、
「私が、若しお多弁(しゃべり)なら、貴女は世間の人から、何の様な噂を受けるかも知れません・・・・。」
網「構いませんよ。」
此の様な時に、諄(くど)く言っては、却って目的を仕損じると思い、
添「ではお呼びなさる時まで退きますが、其れでも此の本を御覧遊ばせよ。其れは其れは、此の詩集にある詩は、本当の天才で、一度紐解く人は、誰だって読み終わるまで、巻を閉じることが出来ない程です。ここへこうして置きますから。」
と炉の上の棚に、江南の自筆の文句のある表紙裏を広げ、一目で気が付く様にして置いて、立ち去った。
間も無く部屋の戸を軽く打つのは、さては路田梨英が来たかと、網守子は飛び立って出迎えたが、梨英では無く、柳本小笛嬢である。勿論梨英の来るには猶(ま)だ少し時が早い。
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