巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

simanomusume97

島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

since 2016.4.7

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

     (九十七) 能(よ)うく知って居ます

 江南は暫(しば)し淀んだだけれど、彼は淀んだまま沈み込む男では無い。
 直ぐに平気な様子に復(かえ)り、
 「実は今日、生涯に二度と無い大事な用事で、貴女の御承諾を得に参りました。」
 是だけの言葉に早や大体の目的が仄(ほの)めいて居る。今淀んだ後としては、驚くべき勇気である。

 彼は確かに人を説き伏せる術を知っている。言わば頭から浴びせ掛けて、否応を言わせないのである。取り分けて彼は、「女」と言う者を、非常に安く踏み、自分から縁談を申し込めば、何の様な令嬢でも、転がり込む様に承諾すると思い、言い出し難い事を言い出すのでは無く、向こうの歓迎する事を、言うのだと信じて居る。是だけの自信が無ければ、彼の今迄の位置は、支えられない筈である。

 網守子は怪しむ様に、
 「其の様な大事な御用事を、ツイ昨今の私へ御相談とは、貴方も余り馴れ馴れし過ぎるでは有りませんか。」
 全く其の通りである。実に世間に例の無いほど、馴れ馴れし過ぎて居る。
 江南「イヤ立ったままでは、話も出来ません。先ず何うかお掛け下さい。」
とてベンチに腰を卸させ、自分は其の前に立ったまま、

 「昨今と仰(おっしゃ)っても既に度々―ーー或時は殆ど毎日の様に御目に掛かり、世間の人も、貴女が私へお許し下さる親しみを、尋常とは思って居ません。最早や私も貴女を知り、貴女も充分に私を御存知で有りましょう。」

 網守子は言葉に異様に力を込めて、
 「ハイ、貴方の事を此の頃は、良うく知って居ます。」
 良うく知って居ますとの一語には、深い深い意味があって、殆ど其の意味が、嘲(あざけ)りの様な語調で洩れた。今は島娘の網守子も、談話に於いて都の紳士と、負けず劣らずに、太刀打ちすることが出来る。

 況(ま)して心の底で、今こそは心弱くては成ら無い場合だと、充分の覚悟を定めて居る。昨夜は側面から彼を攻めたけれど、今は事に由ると正面から攻撃しなければ成らない。
 江南は、
 「知って居ます。」
との言葉を、嘲(あざけ)りの意味とは取らず、却(かえ)って自分を励ます言葉の様に取り、

 「第一に貴女と私は趣味が同じです。貴女の御贔屓下さる柳本兄妹は、兼ねて私も目に掛けて居りますし。」
 網「ハイ、貴方が何の様に目をお掛け成されたかも、私は良うく知って居ます。」
 江「御存知の如く、私は芸術界に於いては、同業者の先頭に立って、自分の口から申すは如何で有りますけれど、殆ど一代の芸風を導いて居りますし。」

 網「貴方の様な芸術家を、私は見た事も聞いた事も有りません。」
 江「イヤ、そうまでお褒め下さっては痛み入りますが、貴女も深く芸術をお愛し成さるし。」
 網「イエ、私は贋(にせ)の芸術は愛しません。」
 江「その点も全く私と同一です。今の世に贋作の多いのはお互いに同感です。」


次(九十八)へ

a:466 t:2 y:1

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花