巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune109

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.2.10

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         捨小舟  後編   涙香小史 訳

                  百九

 「生みの父、生みの母より5千ポンドの金が大事か。」
 是古松が最後の時迄蓄えて置いた一語である。
 園枝は物心附いた頃から、其の身に真の父母が必ず外に在るに違いない事を思い、古松を父と呼びながらも、実の父では無い事を知り、嬉しい時も悲しい時も、時に触れ折に応じ、実の父母を思い慕わないことは無かった。
  
 特に父の面影は、幼心に見覚えの今も、猶朧ながら我が心に残る様な気がして、既に判事に向っても、時々目の前に浮んで来ると語った程なので、此の語を聞いては、如何しても心が動かない訳には行かなかった。

 それに其の父が、我が身を蝶よ花よと護り育てて居たのを、此の古松が奪って来たのだと聞いては、恨めしくもあり悲しくもあり、又我が身を奪い去られた父の悲嘆は、如何ほどだったろうと思い廻すと、只管(ひたすら)涙だけが咽(むせ)び来て、よよとばかりに声を放ち、
 「エ、其の父に逢わせてお呉れ、逢わせてお呉れ」
と泣き伏した。

 古松は非常に静かに、
 「だからサ、何も逢わして遣らないとは云わない。五千ポンドの年金さえ約束すれば、父母の名前を知らせて遣るのは勿論の事、対面の出来る様にも仕て遣ると云うのに、和女(そなた)が、けちな考えで、父母よりも良人(おっと)の金が大事だと云うじゃないか。」
と云えど、園枝はまだ泣き沈んで、返事もすることが出来なかった。
 流石の古松も茲(ここ)に至って、幾分の憐れみを催したのか、殆ど自ら悔いる様な調子で、

 「己(おれ)も若気の向こう見ずに、随分様々の悪事を働いたが、後でアア気の毒な事をしたと思ったのは、和女(そなた)を盗んだ事ばかりだ。和女の父はそうサ、今の常磐男爵に立ち優る身分が有って、家柄と云い、財産と云い、世界中に是程迄幸福な人は、そうは居ないだろうと羨(うらや)まれ、遠近(おちこち)の美人たちからは、何うか良人(おっと)に、良人にと媚諂(へつ)らわれ、朝廷へ出ても、交際社会へ出ても、飛ぶ鳥を落とす程の勢いであった。

 二十八歳の時に、当時国中第一等と評判の、或令嬢と婚礼したが、其の令嬢が和女(そなた)の母よ。今思うと、顔の具合が和女に生き写しで、唯和女ほど体が丈夫でない丈に、和女ほど血色が好くなかった。婚礼して二年目に和女を生んだが、可哀相に、肥立ちが悪く、産後幾日か煩(わずら)って、黄泉(あのよ)の人と成って仕舞った。

 和女(そなた)の父は、当分の間悲しんでばかり居たけれど、和女が日に日に愛らしく育つので、漸(ようや)く其の悲しみを忘れ、妻を愛したより猶大切に和女を愛し、一刻も和女の傍を離れない程に育てて居た。其の中に二度目の妻に成りたいと運動する美人も周旋する紳士も有ったが、二度目の妻を迎えては、娘の後々が可哀相だと云い、一切世間の交際を絶つ程にして居たが、是を思うと、和女ほど大切に育てられた児は又とは居ないだろう。

 その後己(おれ)に盗まれて苦労をする事に成ったのも、余り大切に育てられた罰かも知れない。
 己は聊(いささ)か和女(そなた)の父に恨みがあって、復讐の積りで少しの隙を窺い、和女を奪って逃げ去ったが、後で聞くと、和女の父の悲しみは、それはそれは痛(ひど)い事で、八方に手を配って探索したのは勿論、金銭に糸目を附けず、手の届く丈尽くしたけれど、一月経っても三月経っても、少しも和女の行方が分らないから、絶望に絶望を重ね、浮世が厭(いや)に成ったと云い、その後半年を経て、フラリと家出をして仕舞った。

 勿論一家の主人で、外に足手纏(まとい)がないので、何処へ行くのも勝手だが、家出の目的が分ららないから、世間では、或は発狂したと言い、或は身を投げただらうなど評判したが、そうサ、大抵の人ならば、アレ程の悲しみだから、きっと発狂もしたで有ろう。身も投げかねない程の場合だ。所が幸か不幸か、和女の父は心の確かな人で有って、発狂もせず、三月の後に何処からか、一艘の遊覧船を買い求めて帰って来た。

 遊覧船と云うのは贅沢の様だけれど、贅沢の目的ではなく、是に乗って世界中を思う通りに乗り廻り、一つには和女の行方を尋ね、又一つには、変わる風景に悲しさを紛らせる積りで有ったと見え、直ぐに家屋敷を畳んで仕舞い、船で生涯を送る用意を整え、自ら其の船の船長となって、其の儘(まま)本国を立ち去ったが、そうサ、夫(それ)が今年で丁度十七年か八年めだ。

 其の後十年ほどは東洋にも行き、米国へも行き、或は英国或は地中海など其処に一月、此処に三月と立ち寄って居たが、もう捜索の見込みがないと断念(あきらめ)たか、此の六、七年と云うものは、何処へ行ったか更に音沙汰もなかった所、和女(そなた)が丁度男爵と婚礼した頃、不意に其の船が南洋から帰ったと云って、英国の或港へ着いた。

 己(おれ)は、其の船が沈没する迄安心の出来ない身なので、絶えず其の船に目を着けて、其の時も手を廻して、乗り組みの水夫に近づいて探って見たが、和女の父は船に乗ってから、二十年近く一度も笑った事がなく、特に此の頃は、早く海に沈んで死ぬのが増しとでも思って居るのか、何の様な暴風雨も恐れず、海が荒れても、わざと其の荒れる方へ船を遣る程の始末で、水夫なども外の者では勤まらないが、唯永く使われて居る上に、給金が外の船より三倍も多いから、夫(それ)で勤めて居るとの事。

 さうして船の船長室には和女と和女の母を祭ったものか、二個の位牌を備えて有って、和女の父船長は暇さえ有れば、其の室に籠り位牌の傍にじっとして居るとの事。俺は斯(こ)うまで和女の父を苦しめる積りで、和女を盗んだ訳でもないが、斯(こう)聞いては余り復讐が過ぎたと思い、何とやら気の毒で、それ迄は和女に父母の事は決して云わないと思って居たが、今では折りが有れば、随分引き合わして遣りたいと思って居る。

 既に其の船が英国に着いた時に、そうも思ったけれど、其の船は一月余りで出帆し、今度は寒い北洋へ向けて行った。何でも和女の父の覚悟は、波の荒い南洋で死に切れなかった為、今度は寒い北洋へ行き、氷に挟まれて、凍え死ぬ積りと見える。併し今は未だ真の北洋には達せず、日耳曼(ゼルマン)《ドイツ》から諾威(ノルウェイ)などを経て行く道筋で、まだ阿蘭(オランダ)の或所に居るとの事なので、今和女が牢から出れば、充分無事に面会は出来る筈だ。

 併し和女が父の顔より五千ポンドの金が慕(なつか)しいと云うならそれまでの事。父の名も船の名も言わずに置こう。己の言葉には、一分一厘の偽りはないから、サア何方(どう)とも思案を極めろ。」

 宣告の様に言い渡すのを、園枝は古松の一語一句に、俯(ふ)した其の背に、波打つまで咽(むせ)んで泣いて居たが、漸(ようや)く思案を定めた様に、其の首を上げたが、此の時突如として非常に遽(あわただ)しく歩み入る者があった。是こそ賄賂に迷って、古松を茲(ここ)に忍び入らせた牢番である。

 彼は気も転倒しそうな声で、
 「大変です。早く逃げて下さい。余り話が長いから露見しました。役人が大勢の夜番を引き連れて、今茲へ来る所です。貰ったお金は返しますから、サア早く逃げて下さい。」

 言う中に早や静かな闇を破り、夥(いちじる)しい足音が聞こえるまでに迫って来たので、園枝は最後の返事を発することが出来なかった。古松も最後の返事を聞く暇が無く、闇を潜(くぐ)って、匆匆(そうそう)に逃げ去った。是で僅(わず)かに開こうとした園枝の運も、又再び閉じてしまったと言える。
 嗚呼何という不幸、何と云う残念なことだろう。


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