sutekobune2
捨小舟 (博文館文庫本より)(転載禁止)
メアリー・エリザベス・ブラッドン作 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
since 2014.10.25
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捨小舟 前編 涙香小史 訳
二
少女の姿の美しさに、船長立田は暫(しば)し恍惚(うっとり)として見ていたが、その中に少女は老音楽師の提琴(バイオリン)に合せて、再び唱い始めた。提琴は老耄(おいぼ)れた人の弾く事なので、その音も手と共に震え、聞くにも足りない程であるが、唯だ少女の声は、広い世界に又と有ろうとは思われず、多年世界を経廻って、多くの美人を目に留めた船長だが、只管(ひたすら)に感じ入り、自分も一曲所望しようかと思う折りしも、老音楽師は提琴(バイオリン)の手を止め、少女に向かって、
「オオ持病が起こって腰が痛む。今夜は是だけで帰ろうよ。」
と云う。
少女はこれを助け起し、唯だ、
「ハイ」
と答えただけ。
直ぐに老人の手を取って、殆ど抱き上げるように労(いた)わりながら、その所を去り、店の出口を指して出て行くので、立田はなおも茫然とその後ろ姿を眺めていると、この時一方の腰掛から立ち、突々(つかつか)と少女の傍に走って行く男があった。
年は四十七、八になるだろうか。身姿は、この辺に有りふれた紳士と破落戸(ごろつき)の間で、どちらとも見定め難いが、先ず紳士に近かいと言える。しかしながら一目見て、顔に一種陰険の相がある様に思えるのは、真面目な紳士とは言い難い。
この者無雑作に少女を止めて、
「何だ、もう帰るのか。」
少女はこの者に、
「ハイ、阿父(おとう)さん、今夜は祖父(おじい)さんが持病が出たと言いますから、是だけで帰ります。」
さてはこの者、この少女の父であるか。
父は舌打ちして、
「何だ仕様の無い老爺(じじい)だなア。」
と憎々(にくにく)しそうに罵(ののし)って、その儘(まま)少女の先に立ち出て行った。
この様な荒々しい父に、この様な美しい娘があるとは怪しまれる事だと思い、特に今の憎々しい言葉付きから察すれば、娘に対して父らしい情愛が有るとも思はれず、少女の身の上はきっと苦しい事が多いだろうと、船長立田は我にも無く憐れを催し、立って店先まで出て見たが、三人の姿は既に見えない。
この時、外の客達も口々に呟(つぶや)いて、
「何だ娘に似ず恐ろしい父じあァないか。」
と云う人も有れば、
「闇の道中でアノ様な男に逢えば、己(おれ)なぞは第一に短銃(ピストル)へ手を掛けるよ。」
「まるで追剥(おいはぎ)の様な面(つら)をして居る。」
と誹(そし)る人も有る。
立田はこれ等を聞き流して主人を呼び、三人の素性を聞くと、父は零落(おちぶ)れた紳士として、八、九年前、何所からかこの地に来て、是と云う業も無いけれど、港の事なので折々外国の客があるのを頼りとし、その時々通約として、幾何(いくばく)の賃金を得、是に生計を繋(つな)いでいるが、それだけでは足りない為、娘を隔日にこの店に寄越し、客の所望に応じ、歌を唄わせ、その得る金を生計(くらし)の足しにしている。
祖父と云う老音楽師は、きっと零落(おちぶ)れていないその昔は、娘の為に雇い入れた音楽の教師で、その儘(まま)転がり込んだ者だろうと云う。
立田は聞いて、さては彼の少女、我が思っている程は困窮していないのかも知れないなどと思い、更に様々に推測して問うと、
父の姓を古松と云い、名を園枝と呼ぶ。真の親、真の娘なのかどうかは知らないが、兎に角、初めて来た頃から、父よ娘よと呼び合っていた。父は顔付は非常に意地が悪そうに見えるが、心は非常に親しむべき男であるなどと褒めて止まない。
立田にして、若し人の気を充分見抜く力があれば、主人がこの様に褒めるには、何か理由がある事だろうと見て取るべきだが、立田は唯だ細かい事にこだわらない水夫から仕上げた男で、人間に偽りの多いのを知ら無いのだ。
「その様な人ならば頼もしい。この次に来た時は、一杯の酒酌み交して近付きともなろう。必ず知らせて呉れなどと云うのは、白い紙よりもっと淡白なその心に、深く彼の少女の姿を印した為に違いない。
この様にしてこの夜は何事も無く終り、この酒店の部屋を宿として泊まったが、諸国を廻って、逢う人毎と隔て無く交わった心広い彼れの癖は、直ちに主人と無二の親友と為り、間も無く少女の父である古松と云う男とも酒を酌み交し、特に外の楽しみの無い身なので、三日と経たないうちに、骨牌(カルタ)の勝負さえ共にする事と為った。
是れが船長立田が非常に無残な逆運に落ち入り、続いては又少女園枝の身の上に、天泣き地叫ぶ様な波乱を捲き起こす根(もと)になったことは、後に至って知ったことだ。
やがて四日目に至って、立田は狭い居酒屋の住居(すまい)に飽き、まだ待ち受ける第一立田丸船長心得横山と云う者の来るには二日の間がある。空しく待つのは、待ち遠しさに耐えられないので、唯一人有る叔父の許を尋ねて来ると云い、宿を出たが、そもそも立田の身の上は、海軍士官の一人息子であった。
父は戦死し、母も間も無くその後を追い、帰らぬ黄泉の客と為り、立田唯一人この世に残されたが、その頃は未だ八歳の童児で、外に頼るべき所も無かったので、父の兄で、同じ海軍士官である小部石(コブストン)大佐と云う老武人が、自ら兄が亡くなったため引き取って養育し、十五歳から海軍士官の下稽古として、或る商船に乗らせたが、幾年の辛苦を重ねた後、二十五歳の時、自ら立田丸と云う小さい帆船(ほまえぶね)を買い入れて、その船長と為った。
三年を経て更に第二の新船を作り、旧船は兼ねて親友とする横山と云う者に託し、自らは其の新船に乗り、東西に分かれて航海業に従事するうち、この度の一航海に至って、非常な大利を収めることが出来たので、横山に相談の上、更に大きな船を作りたいと、その利益を我が懐中に収め持ち、叔父である小部石(コブストン)大佐に、我が幸運を知らせたいと思い、この様にその宿を立ち出たものだ。
その夜は久し振りの対面を打ち喜び、叔父の家に語り明かし、翌日の午後に及んで、再びこの店に帰って来たが、唯だ一夜の留守の間に、宿の主人と彼の古松との間に、恐るべき相談が纏(まとま)って居るとは、露ほども知らないのは仕方の無いことだ。
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