巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune66

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2014.12.29

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         捨小舟  前編   涙香小史 訳
  
                 六十六

 皮林の驚く様を見て、永谷は腹立たしそうな早口で、
 「君は余り企(たくら)みが過ぎる。男爵が僕の為に遺言書を書替えればそれで目的は達するのに、更に其の上に男爵を殺そうとして、毒まで盛るのは実に非道(ひど)いと云う者だ。見給え、君が企計(たく)み過ぎた為に、其の毒は男爵を殺さずに、却(かえ)って計事(たくらみごと)の露見を招く元となった。」
と畳み掛けて罵(ののし)ると、皮林は未だ呑み込めない様子で、

 「エ、僕には少しも様子が分らない、先ず静かに聞かせ給え。誰が毒を盛って何をした。」
と非常に曖昧に問う中にも、己(おのれ)の計事(はかりごと)がうまくいかなかった事を悟る事が出来たので、アタフタと心を落ち着ける事が出来ない様子が見られた。
 永「その様に仮忘(とぼ)けたとて、僕は何も彼も知って居る。君が男爵を殺す積もりで昨夜此の家に忍び込み、男爵の水を呑む其の硝盃(コップ)へ毒を入れて立ち去ったのだ。」

 皮林はやや少し其の心を静める事が出来て、
 「僕が毒を盛ったとすれば、勿論君の為だから、君も同罪サ。」
 永「僕に一言でも相談した訳ではなし、何で同罪などと云う事があるものか。」
 皮「ナニサ、相談しなくても、其の実は同じ事だよ。僕が罪に問われる時には、立派に君を同罪に落として見せる。夫(それ)だから僕ばかりをそう責めずに、共々に露見を防ぐ覚悟が肝腎と云うもの、夫(それ)にしても、昨夜の始末を良く聞かせ給え。男爵は何うして逃れた。エ君、男爵が逃れたのに、其の毒が何うして分かった。」
と非常に気遣わしく押し問うのも無理は無い。

 永谷も茲(ここ)に至っては、我が身が真に同罪に落とされる事も、有るかも知れないと思い、邪険に皮林を逐払(おいはら)う事が出来ず、男爵の代わりに、小部石大佐が毒に罹った事から、男爵は非常に立腹して、園枝夫人を疑い、行方を尋ねて法廷に訴えるとまで云って居る事を詳しく語ると、皮林は未だ日頃ほどには落ち着く事が出来ないで居るが、先ずとりあえずは安心して、

 「君、君、疑いが園枝夫人に落ちたのは、未だ天が我々を見捨てていない所だ。何処までも園枝を疑わせる様に仕向け給え。園枝が捕らわれ、どのように弁解しても、此の疑いは決して晴れる事ではない。そうすれば、吾々は却(かえ)って無難だ。」
 永「爾(そう)だらうか。」
 皮「爾(そう)だとも、兎に角、茲(ここ)は一時しのぎの所。園枝夫人に疑いを掛けて置けば、其の中に僕は又何の様な工夫でも廻らすから、ナニ心配する事はない。シタが男爵の代わりに毒を呑んだ其の大佐は勿論死んで仕舞っただらうネ。」

 永「爾(そう)サ、一時は死んだと思ったが、直ぐに解毒剤を呑ませたり、医者が駆け付けたり、手当てが早く届いたため、命だけは何うやら取り留めた様だ。」
 これには彼悪人は又驚き、
 「何だ、大佐が生きて居る。」
 永「爾(そう)サ、残らず呑めば、何の様な手当てでも生き返らない所であっただろうが、硝盃(コップ)の水を唯だ一口半しか呑まなかったのだ。医者の説では毒、の過半は硝盃(コップ)の底の方に沈み、未だ大佐の口のへ入らなかったと云う事だ。」
 皮「夫(それ)は益々残念だ。シタが大佐の容体は。」

 永「唯命だけ繋(つな)ぎ留めたと云う計(ばか)りで、手足も利かず、口も利けず、人が何を言っても通じない。殆ど死人の様な者だ。」 
 皮「フム、夫(それ)では全身不随に成ったのだ。旨い、旨い、アノ毒で全身不随になれば、生涯癒える事では無い。此の後、幾年生き延びようとも、起き上がることも出来ず物も言えない。本当に死人の様な者だ。アノ大佐一人は、男爵の為にも園枝夫人の為にも、確かな番犬の様なもので、生きて居て自由に働かれては、中々恐ろしいと思って居たが、爾(そう)なれば先ず安心だ。」
と宛(あたか)も独語(ひとりごと)の様に呟(つぶや)き、更に此の後の用心を、繰り返して永谷に注意すると、永谷はこの様に言う中も、人に認められるのを恐れ、幾度か四辺(あたり)を見廻し、

 「もう分かったから立ち去って呉れ給え。男爵が助かって居るからには、僕の相続は猶だ二十年の後か、三十年の後か分らない。夫(それ)まで君に用は無い。君が此の家に来ると思うと、僕は唯だ露見が恐ろしくて、寿命の縮む様な心地がする。此の後、僕が愈々当家の主人になれば、其の時にどの様にでも礼はするから、夫(それ)までは姿を見せないと云う事に、約束して呉れ給え。」

 皮林は深く何事か考えながら、
 「イヤ、爾(そう)はいかない。君は露見を恐れるけれども、決して僕からは露見しない。僕は其の露見を防ぎ、更に君の相続を早くする為に、此の上にも運動しなければならないが、真に恐るべきことが、外に在るのだ。」
 永「エ、外とは何処に。」

 皮「イヤ、夫(それ)は未だ、僕が充分に探り究めた上でなければ、君にも言いえないが、兎に角恐るっべき剛敵が現れて、僕と君との秘密を悉く知っている。多分は昨夜の毒殺の顛末まで、悉く知って居るだろう。男爵が死んで仕舞えへば、其の敵はそれほどまで恐(こは)くは無いけれど、男爵が生きていては、何時其奴の為に吾々が発(あば)かれるかも知れない。」

 永谷は色を失い、
 「では君、再び男爵を殺しに掛かる積りか。」
 皮「男爵を殺すか其の敵を殺すか、何とかしなければ、吾々の秘密は保てなくなっているが、未だ何方とも僕の思案は定まらない。是から行って、其の敵の力の度合いを探り定めて、其の上で考える事さ。君は何しろ再び僕が逢いに来るまで、唯益々其の毒殺の疑いが、園枝夫人にのみ掛かる様に勉めて居給え。四方八方が危険に成って来たから。」

と是だけの言葉を残し、皮林は此の所を立ち去ったが、彼は全く男爵が無事に生存している事を知り、益々彼の宿屋の亭主が、恐るべき敵であることを、悟ったのに違いない。


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