巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune78

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.1.10

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         捨小舟  前編   涙香小史 訳

                 七十八

 実に悪人の上には悪人があるものだ。悪事に掛けては、魔か鬼かとも疑われた彼皮林の上を越した、十口松三の様な者が現われ来るとは、金剛石を切るのに金剛石を以ってするとの譬えの如く、悪を以って悪を攻める、造化配剤の妙なる所と言う可(べ)きか。さても松三は、驚き震える皮林を、小児の様に扱って、更に語を継ぎ、

 「勿論、私は是くらいの事はあるだらうと思いましたから、兼ねて様々の人物を用意して忍び込んだのです。貴方が薬の瓶へ印度や阿弗利加(アフリカ)の地名を書き付けてあるのは、何の符牒だか私には分りませんけれども、前から人の話に、印度や阿弗利加には様々の毒を持つ草木や毒蟲毒獣などが、外の国より多く居て、毒薬の材料は、多く其の辺から輸入すると聞いています。

 夫(それ)に貴方が深く秘密の引き出しへ隠して有る所などを考へ合わせると、私の様な者にでも大抵は推量が付くのです。ネエ皮林さん、爾(そう)では有りませんか、何でも貴方が他人に知られると困る品だと、私は斯(こ)う思いましたから、其の瓶の中にある薬を少しづつ、前もって用意して置いた入れ物へ移し取り、自分で誤って嗅ぎ込まない様に、用心して堅く栓をを差し、夫から付箋(レッテル)にある文字も同じように書き写しました。

 併し是だけでは未だ証拠にも成らないと貴方は言い張りましょう。勿論です。化学の試験に熱心な皮林育堂さんが、何の様な毒薬を秘密の抽斗へ入れて居たとてしても、少しも怪しくは有りません。誰も咎めはしないのです。所が最後の一瓶は何の地名も無く、鉛筆で唯”Finis”(フィニス)(おわり)と記してある丈です。」

 是だけ言って皮林の顔を見ると、彼は最早不安の色を隠す事が出来なかった。松三は急に後の語を継ごうともせず、緩々煙草を燻(くゆ)らせた上、
 「私には貴方の様な学者の用いる符牒は、少しも分らないですけれど、何でも書き物の大尾の所などでよくお目に掛かる文字だから、多分は「出来上がり」と云う様な意味かと思い、其の一瓶は殊に丁寧に取り扱い、中身を半分余り自分の入れ物へ取ったのです。」

 ここまで聞いて皮林は、最早無言で聞き続けることは出来なかった。忽ち椅子から飛び離れて、宛も狂犬の様に室内を歩み始めしが、又忽ち松三の前に立ち止まり、
 「貴方は本当に恐ろしい悪人です。二言目には私を引き合いに出し、私と同様の悪人だなどと云うけれど、私より遥かに上です。私は今まで、少しも貴方に対し怨まれる様な事はしないのに、何で貴方は殊更に私へ目を付けて私の事をその様に探りますか。何の必要で窃盗の真似(まね)までして調べました。」

 松三は可笑(おか)しさと満足に、我慢が出来ないかの様に、腹を抱えて打ち笑い、
 「左様サ。貴方も私も同じような悪人で、学問のあるだけ貴方の方が上かとは思いましたが、貴方が私に目を附けない間に、私が貴方に目を附けただけ、或は私の方が上手でしょうか。併し貴方の方が私より年が若い。夫(それ)だけ私より、剛(つよ)いのでしょう。」

 皮林は迫込(せきこん)で、
 「その様な悪事の上下について、貴方の説などを聞ききたくは有りません。何の必要で貴方は私の身の上を探りますか。サア何で、何の為にーーー。」

 松「その様に急ぎなら、そちらの事を先に申しましょうか。貴方の留守で、窃(ぬす)み取った其の毒薬の事に付いて、まだまだ中々面白い事情が有りますけれど、夫(そ)れは暫く後回しと致しましょう。何で貴方の身分を探るか、そう厳しく問われては、殆ど返事に困りますが、そうですね、約(つめ)て言えば、私も貴方と同じく、詰まり常磐家の財産を幾等か絞り取りたいと言う丈です。」

 皮「夫(それ)は今更聞かなくても、大抵その様な事だろうと思って居ました。」
 松「併し、ナニ、何の縁も由かりも無く、唯常磐家が金持ちだから、夫れで其の財産を絞らうと云うのでは無く、実は常磐家を絞る丈の奇妙な種が私の手にあるのですから、」

 皮「種とは何の事です。」
 松「オット、其の種を浮か浮かと、他人に喋って堪(たまり)りますものか、兎に角其の種を旨く使って、充分な金にしようと、実は男爵と園枝の婚礼が新聞に出た時に、直ぐに私は目を附けたのです。」

 此の語を聞いて、皮林はこの様な際にも、悪人の本性を失わず、はや大凡(おおよそ)の見当を附け、
 「成る程、貴方の種と云うのは園枝夫人ですネ。私が男爵の甥永谷礼吉を種にした様に、貴方は男爵の妻園枝夫人を種にする積りでしたネ。貴方は、園枝夫人の秘密の素性でもよく知って居て、夫(それ)で夫人か男爵かを強請(ゆす)ろうと云うのですか。」

 松三はこの様に言われて、我が口の滑った事を悔いたけれども、皮林の言葉は、まだ十分には的に当らず、彼が如何(どれ)ほど眼力が鋭いからと言って、真によく我が種を悉く察し知る筈は無いと、安心して又打ち笑い、

 「などと仰って、私の種を掘り出そうと思って。夫(それ)だから貴方は、年が若いのに私より上手だと言うのです。併し先ず夫(それ)は何とでも貴方の推量に任せましょう。兎に角私は、男爵の婚礼を知った時から、直ぐに常磐家へ目を附けましたが、斯様(このよう)な事は迫(せ)いては仕損じる元となります。

 落ち着いて目を附けて居る中、幸い「田舎屋」が売り物に出ましたから、先ず一足でも常磐家に近付いて、敵の様子を窺(うかが)う丈の通手(つて)を得たと思い、早速「田舎屋」を買い受けて引き移りましたが、それが今から僅かに、三週間ほど以前です。

 是は貴方に隠しても無益な事で、貴方が今朝から方々で頻りと私の身の上を聞き糺(ただ)して居た所を見ると、私が三週間以前に初めて、此の土地へ来た位の事は既に御存知でしょう。勿論此の土地へ来た時は、事が思ったより早く進んだのを喜びましたが、夫(それ)から段々と探って見ますと、何うでしょう、私より更に素早い、皮林育堂と云う悪人があって、はや網を張り、獲物は既に其の網に落ち掛って居るのです。私は実に驚きました。驚いて必死の運動を始めました。」

 言い終わって、松三は燃え残る葉巻の端を、暖炉(ストーブ)の中に投げ込んだ。

(前編おわり)



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