巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune90

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.1.22

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         捨小舟  後編   涙香小史 訳

                  九十

 流石に皮林は智慧の捷(はしこ)い男だけに、唯水谷の話を聞いたのみで、早くもその古松と云う悪人が、即ち自分を脅(おびや)かす、彼の十口松三と同人であることを推量することが出来た。彼十口が、常磐家に対して運動しようとする、其の運動の何事なるかは知る事が出来ないが、園枝を種にする見込みである事は、彼の言葉の節々から明らかである。

 彼が園枝の父でなければ、どうして態々(わざわざ)この土地に来て、酒店までも買い求める事があるだろうか。又園枝を種にして、常磐家に運動しようとする、大胆な心を起す事があるだろうか。彼は全く園枝の父古松である。

 今までは彼に我が身の悪事ばかりを知られ、彼の身の上と言っては、少しも知ることが出来なかったため、空しく彼に劫(おびや)かされ、如何ともすることが出来なかったが、既に彼の旧悪が分り、特に彼が多年探偵横山長作に、探索されつつ有る事迄分ったからは、我が一命を彼に握られるのと同じく、彼も又其の一命を我に握られるものである。

 我れ彼を恐れれば、彼も又我を恐れるだろう。阿容阿容(おめおめ)と彼に苦しめられる謂(いわ)れは無しと、少しの間に思案を定め、深くは考へ廻さなくても、早や逆さまに彼を脅(おびや)かす心となったので、永谷礼吉へは言葉短く、二、三の指図を残し、今夜の中に彼十口の住いである「田舎屋」に行き、彼に逢おうと、其の儘(まま)此の場を立ち去って、木々立ち茂る裏手の道を僅(わずか)に四、五間も歩んで来ると、此の時背後から、非常に静かに皮林の肩に手を掛け、

 「大層旨く乞食音楽師の姿に化けましたネ。私より外の人は、とても是が皮林育堂さんだと見破る事は出来ません。」
と云う者あり。皮林は驚いて振り向き見ると、これは抑々(そもそ)も如何したことだろう。彼十口、彼古松当人が、満面に勝ち誇る笑みを浮べて、皮林の後ろに立っていた。天より降ったか地から湧いたかと、皮林は怪しんで、両の眼を見開くばかり。暫(しば)しは言葉も出なかったが、古松は更に笑いながら語を継いで、

 「私の身の上が分かったため貴方はきっと満足でしょう。全く貴方の推量通り私は一頃古松と知られた悪人ですよ。人殺しの罪も二度や三度は犯して居ます。今度来た探偵の横山長作などは、必死に私を探して居ますが、目と鼻の先に居て未だ捕える事が出来ません。」
と云い終わって、四辺(あたり)にも頓着せず、大声で打ち笑った。
 此の大胆な仕打ちに、皮林は再び肝を奪われ、此の古松め、若しかして此処で、我を殺して仕舞う心ではないか。夫(それ)が為、少しも我を恐れない者ではないかと、空しく古松の顔を見るばかり。

 古松は更に平気で、
 「腕力(うで)づくなら到底貴方は私に敵(かな)わないから、茲(ここ)で貴方の咽喉を絞めて置いて立ち去れば、誰も私の仕業だとは知らず、貴方は全くの犬死ですが、併しナニ、安心しなさい、皮林さん、私は貴方の様な貧乏人を殺すのは大嫌いですよ。殺して一文にもならない上に、後で露見を防ぐ丈の心配をしなければならない。夫(それ)では間尺に合いません。何と爾(そう)ぢゃ有りませんか。アハハハハ。」
と再び笑うのは、是も皮林の心の中を見抜いての事のようだ。
 皮林は一語さえも発することが出来ない。

 古松は大胆に、
 「実はネ、昨夜倫敦(ロンドン)から此の屋敷へ、横山長作が来て今日匆々(そうそう)に立ち去ったと云う。其の様子が変だから、店に来る当家の雇い人達に聞いたが、充分には様子が分らず、自分で直々に探って見る外は無いと、毎(いつ)になく当人自ら酒や肉類の御用を聞きに、此の勝手口へ出かけて来たのです。

 そして余所ながら様々の事を聞いたが未だ分らず、殆ど困って居る中に貴方の相棒、アノ永谷礼吉が欝(ふさ)ぎながら裏庭に出た様だから、丁度猟犬が獲物の匂いを嗅ぎ知るのと同じように、私も風の匂いで何か獲物が有るだろうと、横合いから先へ廻り、アノ裏門の片隅に隠れて居ると、思った通り貴方と永谷の密会です。

 永谷の言葉で、アノ横山長作が私を尋ねて居る事も分り、其の外知りたいと思う事も大抵は分りました。私は貴方の様に姿を変える事は出来ないが、永年悪事に苦労する丈、人目を忍んで身を隠す事は人並み優れて心得て居ますから、貴方にも永谷にも悟られずに、今の問答を聞いたばかりか、貴方が私の旧悪を聞いて、嬉しそうに目を光らせた有様迄見て取りました。如何です、私が古松と云ふ悪人と分かった為に、貴方は何とか私を取りおさえる、旨い筋書きでも思い付きましたか。」
と図星を指す様に問うた。

 皮林は一句毎に驚いて、此の男実に古今の大悪人にして、到底我が力の及ぶ所ではないと迄に思ったが、弱味を見せてはならない場合と、殊更に大胆な彼古松と同じ口調で、
 「何も筋書きと云うようなものは有りません。唯折を見て、横山長作に向い、お前の尋ねる古松と云うのは、十口松三と名乗って、「田舎屋」の主人と成って居ると密告する丈の事ですワ。」

 冷然と言い放つと、古松は心の底から、可笑しさに我慢が出来ないと言った様に又噴出し、
 「貴方は悪人に似合わない浅墓な人ですよ。その様な浅い智慧で何うして今までの仕事が出来たのでしょう。」
と云い、更に何事をか語り出そうとする。悪人と悪人との駆引きは到底通常人の想像し得る所ではない。


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