巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune91

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.1.23

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         捨小舟  後編   涙香小史 訳

                  九十一

 古松は漸(ようや)く笑いを鎮(しず)め、殆(ほとん)ど親切に説き諭(さと)す様な調子で、皮林に打ち向い、
 「皮林さん、貴方は私の身の上と旧悪を聞き込んだ嬉し紛れに、深く考えずに私を威(おど)すのです。先ず私の事を、其の探偵横山長作に、密告するとして御覧なさい。私は直ぐに捕らわれます。

 ハイ捕らわれますが、貴方の身はどうでしょう。私が貴方の悪事を言い立てずに居ましょうか。私も未だ夫(そ)れほど耄碌(もうろく)はしていない積りです。貴方に密告されたと思えば、そのお返しに、貴方の悪事を述べ立てるのは勿論のことです。

 貴方が永谷礼吉と腹を合わせ、種々の悪事を働いた事から、男爵を毒殺しようと企てた事。其の毒殺の為に、毒薬を製造した手続きまで、残らず言い立てて仕舞います。爾(そう)すれば貴方の身は破滅です。貴方は自分の身を安全に仕度いならば、成るべく此の古松が、その筋の手に捕われない様、心に祈って居なければ成りません。

 古松が捕らわれれば、翌日は貴方が捕らわれます。斯(この)様な訳であってみれば、貴方が私を訴えると云うのは、唯脅(おど)しに極まって居る。決して本当に密告する事は出来ません。私は探偵横山長作を恐れるけれど、少しも貴方を恐れません。貴方が何の様に威しても平気です。何と爾(そう)では有りませんか。サア密告するなら、今直に密告して下さいと斯(こ)う云い度くなって来ます。」

 云われて見ればなるほど其の通りである。皮林の身として古松を密告するのは、真に自分の破滅を招く基である。この様な見易い事柄さえ考えず、嬉し紛れに古松を脅かし、却(かえ)って我が虚喝を見破られたことは、不覚の上の不覚だったと、皮林は窃(ひそか)に我が心の到らなかったことを悔やむと、古松は更に語を継ぎ、

 「サア、貴方は私を密告すれば自分の身が亡びますが、私は貴方の悪事を訴えても、決して自分の身が亡びません。何故ならば、私が捕まれば、即ちその筋へ、貴方の犯罪の証拠が手に入るのも同じですから、貴方は何うしても、言い抜けの道が無い事となって仕舞います。貴方は幾等悔しくても、私が其の筋へ捕縛されない様、即ち自分の悪事の証拠が、その筋の手に入らない様にする外は有りません。

 夫(それ)ですから、私はたとえ貴方の悪事を、其の筋へ密告した所で、貴方から私の旧悪を述べ立てられる恐れはないと見て、何時でも気の向いた時に、貴方の悪事を訴えます。何と皮林さん、貴方と私は互いに悪事を知り合って居るけれど、天地の違いが有りましょう。私は少しも貴方を恐れるには及ばず、貴方は私を恐れなければ命は有りません。

 斯(こ)う道理がが分かって見れば、貴方は矢張り私の言葉に従わなければならない者。サア私が言い附けた通り、此の土地をお去りなさい。三日の猶予は明日で尽きますから、明後日、未だ貴方の姿が此の近辺に見えたなら、私は直ぐに訴えます。古松は、口先ばかりで人を威す様な、けちな悪人では有りません。云う丈の事はきっと果たしてお目に掛けます。」
といつもの笑顔とは打って変わり、殆ど恐ろしいほど厳かな顔色で言い渡した。

 既に彼に度胸を呑まれた皮林なので、恐れまいとしても、何やら恐ろしく、直には返事も出来ないでいると、折りしも男爵家から、誰やら出て来る足音がしたので、古松は我が家を指し、皮林は木の陰へと、各々左右に別れた。

 後に残って皮林は、熟々(つくづく)と考えて見ると、古松の様な邪魔者が現われては、到底此の地に長居して、自由に活動することは出来ない。残念ながらも、暫く何処かに身を潜めるのが安全であろう。夫(それ)にしても、我が立ち去ったその後で、彼古松は如何なる行動を試みる積りだろう。彼は園枝の父なので、園枝を種とする事は確実である。

 皮林は更に木の陰に身を隠したまま、推量に推量を重ねると、古松の企みは、大方は分って来た。
 彼と我とは火と水との様に、全く反対の活動を試み様とする者である。我は園枝を罪に落とし、男爵の愛想を尽かせたが、彼は必ず園枝の無罪を証明して、再び男爵の愛を得させ、園枝を男爵家の主人同様の地位に直し、其の上園枝から、何とか利益を得ようとする手段に違いない。此の外には全く手立ては無い。

 そうだとすると、彼は遠くない中に、何とか口実を設けて常磐男爵に面会し、園枝が不義者では無いことを云い開き、あの遊山場の事からして、ヤルボローの古塔に一夜を明かした様子を初め、毒薬の一条まで、総て罪を我皮林育堂に帰し、全く園枝の冤罪(えんざい)を雪(そそ)ぎ、男爵の心を、昔の愛に返らせようと努めるに違いない。

 彼はこの様な企みを持つからこそ、我を此の土地に置いては、何時常磐男爵を殺すかも知れないと気遣い、しばらく我を取り除ける者だろう。彼がこの様な心ならば、我は何事が有っても、此の土地を立ち去るべきではない。立ち去れば、今迄の骨折りを全く彼に奪われる事になる。爾(そう)とは云え、此の土地に止まれば、彼が怒って、我を如何(いか)なる目に合わせるか、分らない。如何したら好いだろうと、思案に暮れるばかりだったが、犯罪に慣れた皮林の事なので、其の工夫は少しの間に湧いて来た。

 「そうだ、如何しても彼の家に忍び入り、彼を殺して仕舞う一方だ。」
と呟(つぶや)いて、目を物凄く光らせながら、木の陰から立ち上がった。


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