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妾(わらは)の罪

黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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  妾(わらは)の罪    涙香小史 訳   トシ 口語訳

                 第二十二

 読者よ。ランプが熱かったのは全く妾(わらわ)の迷いだったのかも知れない。妾はここに至って思い切って、
 「成るほど、仰せの通りランプが熱くなるはずはないように思いますが、それでも確かに熱くなっていました。私は熱々と言って我知らず投げ出しました。」

 判事はなお本当とは思はないように、
 「貴方を疑う訳では有りませんが、判事の職務に免じても、その言い立てを信じる訳には行きません。貴方が寝ぼけていて、夢中に取り落としたとでも仰ればまだしも事実かと思いますが、如何しても熱くはならないものを、熱くなっていたと仰(おっしゃ)れば、止むを得ず偽りの申し立てと見なす事になりますから。」

 (妾)でも全く焼けていました。それとも私の心の迷いかもしれませんが。
 (判)「それでは何か心に迷いがありますか。」
 この問いに妾はぎょっとした。迷いありと言えばその迷いは何だと問われるだろう。ついには村上の事から妾の本名までも打ち明けなければならなくなるだろう。妾は必死となって別に迷いは有りませんが、それでも熱いと思って投げ捨てた事は確かです。
 判事は益々顔色を真面目にして、その様な言い立てでは貴方は人殺しの罪に落ちますよ。

 (妾)エエッ
 (判)「サア、驚きなさるのはもっともですが、熱くないものを熱いと言って、傍にいる夫に投げ掛けたと言えば、他の判事なら人殺しと見なします。私も同じ判事であって見れば、他の判事に対して言い訳の出来ないような調べ方できません。」
と言葉巧みに言いまわしたが、その心は判事自ら妾を人殺しと認めるぞと脅すのに等しい。

 妾は判事の一言一言に寿命の縮む思いがしたが、他に言い様が無いことなので、何と仰られても致し方有りません。熱くないものを私が熱いといって投げ捨てるはずがありませんもの。
 判事は又しばらく考えて、
 「愈々熱かったという証拠が挙がらなければ、判事の職務として、それを本当だと見なすことは出来ませんけれど、この様なことは貴方の身に取り容易に証拠が挙げられるものでは有りませんから、後回しと致しましょうが、貴方は如何して枕元のランプに手を掛けましたか。ベッドから降りてランプを持ちましたか。それとも寝間の中から手を伸ばしましたか。」

 (妾)ハイ、寝間の中から手を伸ばしました。
 (判)「巡査の報告では火の始まったのが午前三時過ぎと言いますが、その頃に寝間の中からランプに手を出すとは不思議です。何故に手を出しましたか。」
 読者よ。妾は泥に塗れた村上の影に恐れてランプを寄せようとしたのだ。しかしながらこの様な事を如何して判事に打ち明けられようか。唯無言で首を垂れるのみ。

 (判)「その訳を仰らないなら貴方の身に掛かる疑いは益々深くなります。他の判事ならば、何か言うに言われない悪い目的があって手を掛けたことと、この様に疑います。」
 アア、他の判事と言いながらこの判事、既に妾を疑っているのだ。
 (妾)それでは私がアノ男を焼き殺すためにランプへ手を掛けたとこの様に仰るのでありますか。貴方のお心は恐ろしゅうございます。

 (判)どう致してまして。そのように疑うならこうしてお尋ねなど致しません。他の罪人と同じように取り扱い、貴方の言葉を一々書記に書き取らせるところですけれど、一目ご様子を拝見しただけで貴方がそのような事をするはずが無いと認めましたから、この通り巡査も帰し、書記も退け、判事の役目を捨ててお尋ね申すのです。詰まり貴方の身に罪の無いことが他の判事にも分かるようにして上げたいと思うのです。ここは裁判所でも私の居間と同じですから、どの様な事でも腹蔵なく仰るがようございます。貴方の仰ることが私の胸に落ちさえすれば、この場限りにお返し申しますから、誰も貴方が裁判所へ出たことを知らずにう済みます。後で長官に問われても、あの婦人には罪が無いから放免したと立派に私が言い切ります。それを貴方がお隠しなさっては長官に問われた時、言い切ることが出来ません。それですから、お隠しなさるだけ私をお苦しめなさるようなものです。サア、何故にランプに手を掛けました。誰も聞いてはおりませんから、如何か仰って戴きましょう。エ、これさえ仰って下されば私も安心します。

 「エ、どうしてですか。」
と親切を面に現し、問いきたるその言葉は世に言う「真綿で首」とやら、妾は答えないことも出来ず深い仔細は明かさずに、彼の影法師のことだけを話しても差し支(つか)えはないと思い、
 「ハイ、実は壁から天井にかけて人の姿の様な影法師が写っていましたから、それが恐ろしくて、もしやランプの置き所でも替えたならその影法師が消えるかと思いまして。」
 判事はたちまち眉をひそめ、

 「それは合点が行きません。その様な影の写るはずが有りませんから。特にあの部屋には他に人もなし。」
 (妾)でも恐ろしい影が写っていました。もしやランプの擬宝珠(ギボシ)が写ったのではないかと思いました。
 (判)ランプ台は申すに及ばずアノ部屋にあった一切の品物は既に取り寄せて一通り見ましたが、成るほど、擬宝珠は有りましても、人影の様には写りません。それに擬宝珠(ギボシ)よりランプのほうが高いからその影は必ず床の上に落ちましょう。それが壁から天井まで写るとは。

 (妾)矢張り私の心の迷いかと思います。
 (判)又迷い
 (妾)イイエ、お疑いなさっても全く影が写っていたのですから、他に申し上げようが有りません。

 (判)でもありましょうが、あのベッドに寝た者は貴方ばかりではなく、随分古くなっていますから、今まで何人か寝たものでしょうが、その中に一人もその様な影を見た者が無いからは、これも他人は真実とは思いません。いかにもご婦人方は神経が鋭いので、取り分け夜分などは詰まらないものに驚きも致しますが、裁判所でもそれを真実とすることが出来ません。それとも貴女の心の中に何か気に掛かることでもあって、もしやこの様な者が現れはしないか、もしや怪しい者に襲われはしないかと、絶え間なく恐れを抱いていらっしゃるとでも言うなら格別ですが。そうならば随分心の迷いもあることですから、第一貴女を医者に診断させ、様子によっては探偵も差し出して貴女の今迄の身の上に果たしてその様な恐れを抱く事実があるか、それを十分に調べさせます。如何です。全く貴女の身の上には神経を狂わせる様な恐ろしい事柄がありますか。」

 その言葉は一々に妾の胸を刺す。アア、妾には迷いの種がある。その種を打ち明けたなら判事も妾の言葉を信じ、あの影法師は真実とするだろう。しかし読者よ。如何して迷いの種を打ち明けられようか。

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